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迷歩録   セミ

2016-07-30 07:40:48 | 日記
               せみ


   今日も早朝から蝉がなく

   今しかないとばかりに

   泣き叫ぶ

   7年間の思いを込めて

   なく

   1か月の地上生活

   泣くだけ、鳴くだけ

   鳴いて鳴いて

   相手を見つけ

   恋に落ちて、死にゆく

   素晴らしいひと時を

   鳴くだけ

   今日も朝から家の周りで

   恋の駆け引き

   みんみん

   じいじい

   セミの声

   盛夏を届けてくれる

   セミの声

   セミに負けない

   恋がしたいものである

   命をかけて

   鳴くだけの恋を

   セミよ頑張れ

   7年後は君の子孫が

   繰り返すよ

   がんばれ

迷歩録   晴れのち曇り

2016-07-29 10:00:23 | 日記
  水の中  紅いべべ着て  舞い踊る  盛夏知らずの  金魚たちかな

                              ひのひら  ろくべえ




    人生はいつも晴れのち曇り時々雨、良いことばかり続かないし、悪いことばかりも続かない

   その間は曇りばかり、そんな感じではないだろうか。しかし晴れてる日は油断して、心を緩め

   突然の雨に慌てふためき怪我をしてしまう。そんなこともある。しかし雨だからと慌てること

   をしない人は、春雨じゃ濡れてまいろうなどと優雅に落ち着いて物事に対処することで、怪我

   する確率は低くなる。しかしほとんどの時間は曇りの日々が続くのが人生、曇りであれば可も

   なく不可もなく、平和な人生ではないだろうか。このような人生を人間は過ごす権利がある。

   人間として生きてきたからは、可もなく不可もなく生き続ける平和な日々を、本人だけでなく

   全ての人々が保証できる社会を目指すことが生きているという事ではないだろうか。

    まさに援助とはそのような人生を共に歩くことではないだろうか。手助けしたり上から目線

   で、助けてやってるという事ではない。ともに共存共生することが援助の本質であることを如

   何なる職業の援助者であれ、心の奥に持たなければならないのが援助というものではないだろ

   うか。そうでなければ事件のような不要論的人権差別事件となってしまう。大切なことは援助

   にかかわる人の生活はクライアントの存在があってこそ成り立っていることを、知らなければ

   ならない。援助者の生活を支えているのはクライアントであることを、胸の奥に刻み込みかか

   わってほしいものである。人生晴れのち曇り時々雨それが人が生きる道

迷歩録  もらる

2016-07-28 13:05:51 | 日記
  蝉の声  雲の谷間に  響き行く  冷たい西瓜  手招きする。


                         ひのひら  ろくべえ




  モラルとは、道徳、道義、倫理などに訳することができる。このモラルを維持するのは

   非常に大変である。何が大変なのかと言うと、今回の殺人事件のように、外部からあるい

   は他者が介入することが難しい問題であるからである。本人の思想や、価値観に基づいて

   モラルは守られていることを、捉えなければ個人的問題だから一片通りの研修で護られる

   ものではない。特に人権モラルというものは、その国、地域、生活歴など様々なものが、か

   らみ、出来上がっているからである。

    経営者や、管理職は、自分たちの価値観が浸透していると思いたいだろうし、そうであ

   ると誤解をしている。対人援助の職場で働く援助者の対人ストレスはいつも、自分で処理

   できないほど、こぼれ落ちて行っている。このような実情を知ってる解っている経営者や

   管理職は、モラルサポートシステムを確立させている。しかし残念ながら日本の対人援助

   職現場では、相談役すらおいていないのが現状ではないだろうか。モラルハザードを支持

   するわけではないが、モラルを護るためには、経営者管理職、メンバーが一体になってそ

   の重要なモラルを維持できるように互いに心がけなければ、社会的問題となる事件まで発

   展する可能性を秘めているのではないだろうか。

    モラルというものは個人個人の心の奥にある価値観、その価値観がゆるぎないものにす

   るためにも職場議論を深め、互いに意識づけることができる研修を学習を繰り返すことで

   守れるのではないだろうか。クライアントの体に落書きをしたり、馬鹿にした言葉をかけ

   たり、社会問題にはなっていないが、福祉や医療の施設では、飛び交っているのかもしれ

   ない。あくまでも予想だが、多くの善人的な援助者が、報われる援助者、クライアント

   を護る社会となることが大切なのではないだろうか。

    援助にかかわる多くの人が声をあげ、援助現場の実情を社会に知らしめることもまた、

   大切な活動ではないだろうか。介護を含む援助というものは、傍から見てるよりはるか

   に大変な事、大変なこともその実情を知らせなければ、誰もわからない。モラルを護り

   安定した援助を行うためにも、労使一体となった、モラル研修を重ね、障がいとは、援

   助とは、と言った概念を繰り返し繰り返し研修する必要があるのであろう。講師でなく

   互いに問題提起形式を取り、研修を重ねる。その雰囲気をつくることが急務ではないだ

   ろうか。モラルとは援助という活動の基盤となるもの。その基盤をゆるぎないものにするた

   めに、どのようなシステムをつくるかはその施設、その個人に委ねられている
。、

迷歩録  ほうこう

2016-07-27 10:54:20 | 日記
  百日紅花  たわわに咲いて  涼をよぶ  想いや巡る  川べり遊び

                               ひのひら  ろくべえ
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    方向と言うと、自分とは無縁と感じる人も多くいるのではないだろうか。昨日不幸な事件が

   起きた。障がい者にたいする殺人事件である。個人的恨みなどではなく。障がい者を敵視する

   犯行動機であることに驚く。共存関係にありながら、敵視をして殺人を行う。この思想的背景

   は何なのであろうか?人間同士その状態によって、区分し偏見と差別をつくり、排除していこ

   うという思想に驚かざる負えない。この思想は第二次世界大戦の時の人種差別にも似てとても危

   険な「方向」に進んでいる証でないことを祈るしかない。もちろん事件は今のところ単独犯行の

   ようだが、このものの思想を支えてる、あるいは支持している人がいるとなれば、それはとても

   恐ろしいことではないだろうか。かって日本は、東南アジアの国々を差別したり、支配した経験

   を持っている。このことを教訓として人権第一の先進国に「方向」は向いていると感じていたが

   それだけに今回の事件はショックが大きい。

    対人援助を生業としてきたも者にとっては、我が身を削るほどのショックを受けたはずである。

   職場という小さなコミニティーの中での社会的介護とは如何なるものであるかなど、議論の必要

   性があることが、このような事件を起こさないベースとなりうるのではないだろうか。日本の福

   祉は、上から目線、お金持ちがお恵み福祉として誕生、発達をしてきた歴史がある。その思想の

   中で、社会福祉がとなえられても。そこに働く者、経営する者の深層から「してやってる」とい

   う言葉は消えないのではないだろうか。厚生労働省が今回の事件をどのように捉え、どのような

   対策を打ち出すのか注目したいところである。そのことによって今後の日本の福祉の方向性が見

   えてくるのではないだろうか。個人の問題以外に制度的あり方の問題が内在している、そのこと

   に、どのようにメスを入れるのか、その方向が大切ではないだろうか。

    今、対人援助職に携わる者は、自分を問い、自分たちが作る「ほうこう」というものを意識し

   て、将来に渡る社会福祉とはどのような事なのか、各職場単位で議論を重ねてほしいものである。

   対岸の火事ではない、対岸の火事にせず、まさに自分たちの問題として本音での議論を積み重ねる

   ことが大事ではないだろうか。方向性をつくるためにも。「ほうこう」は大事である。

    

迷歩録  おろか

2016-07-26 15:35:02 | 日記
  蝉の声  脳裏に刺さる  縁側や  昼寝もできず  ぱたぱた扇ぐ

  
                          ひのひら  ろくべえ




    「おろか」というと「疎か」と「愚か」とある、疎かはおおざっぱ、いい加減という意味

    「愚か」は不十分、不完全という意味と広辞苑にはある。どちらにしてもあまり良いものを

    表す言葉ではない。時代劇などでも失敗したものを「おろかもの」下がれなどと表現する。

     人の失敗を罵ったり、見下げたりする言葉なのだが、いずれにしても上から目線の言葉

    である。今風に表現すると、「ばかもの」とか「あんなことして」などと人を評価する、

    さらには、あんなことするなんて考えられない、などと評価の言葉のトータルが「おろか」

    という言葉に当てはまるのかもしれない。「愚か」という言葉は武士の世界、くらいの高い

    ものが、下級武士に向かって言っていた言葉とすると、上から目線の代表的な言葉なのかも

    知れない。この言葉は使っているものは気づかないが、言われたものは、心に突き刺さる。

    親が子に向かって、先生が生徒に向かって、評価するそのような言葉ではないだろうか。

     同じ対人援助の職業であっても、学校の先生と福祉職や医療職と役割が違う、確かに共通

    点もあるが、異色な部分もある。

     いずれにしても「おろか」という人間を相手にすることに変わりない。人間は完全なる

    人間はいないのだから、すべての人が「おろか」である。勿論援助しているあなたも「おろか」

    なのである。それで上から目線となるという事は、こっけで、笑うしかない。「おろか」な自

    分を認めると、精神的には楽になれる。完璧を目指すのでなく、「おろか」を認めるそこから

    の出発ができれば楽しく、楽に生きれるのかもしれない。