薄雲や 高隈透けて 水無月の 月末せまる 穀雨の休み
ひのひら ろくべえ
昨夜のワールドサッカー、日本の戦い方に賛否両論が渦巻いているとの報道、それだけ
国民の関心事ということであろう。賛否両論あって然るべきだろうが、幼稚な考え方だけは
したくないものである。
勿論選手達は、勝利を目指して戦い、勝利をして、次のテーブルへ行こうとしたのだが、
結果的には、後半戦の終盤にそのことが叶わないと悟った。その段階で次の決勝テーブル
に進むためには、どうするかと考えた時、格好だけでなく、戦術としてどうするかを突き付
けられた。判断したのが、昨夜のプレーなのであろう。侍魂とか、スポーツマンらしくとか
目に見えない概念に突き動かされるのではなく。明確な決勝リーグへの参加という目標を達
成するために、とった「せんじゅつ」(戦術)なのであろう。この勇気ある決断こそが、今の
日本に最も大切な事なのかもしれない。
国内のスポーツのごたごた、大学のスポーツ、レスリング、相撲などを考えてみても、戦術
なのか、権力者の個人感情なのかを明快にしないで、いい訳だけをしている状況を見ていると、
今回のサッカーチームの勇気ある決断は素晴らしい戦術だったのではないだろうか。
決勝に参加する、日本チームの戦いを国民に提供できることでもある。
「せんじゅつ」(戦術)とは、戦闘実行上の方策、一個の戦闘における戦闘力の使用法、あ
る目的を達するための方策(広辞苑)とある。
つまり、決勝リーグへの参加を目標としていた、チームにとっては効果的な戦術を遂行できた
ということではないだろうか。
対人援助の場でコミュニケーションを行う時も、一歩下がって考えるということが必要な場
面は沢山ある。ごり押しをしたり、体裁ばかりを優先して、目標を達成できないということは、
意味をなしてないということにも繋がりかねない。
目標とか、いうものはそういうものであろう。そのことを達成するために何が必要か、前進だ
けではなく、一歩進んで二歩下がることも必要なのであろう。
人間関係は複雑だが、下がる引くなどのテクニックが必要なことも事実であろう。
がむしゃらでなく、冷静に関係性を構築できる技術を獲得したいものである。