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迷歩録   おれい

2017-12-30 20:11:13 | 日記
             trong> お礼



      一年間迷歩録を読んでいただきありがとうございました。

      迷歩録、まさに迷い歩いた記録でした

      来年も迷い歩く記録を頑張ろうと思っています

      来年も愛読いただければ幸いです。

      どなたさまも、良いお年でありますように。

      1月4日にお会いしましょう。

                良い年をお迎えください。

                     ひのひら  ろくべえ

迷歩録  もめごと

2017-12-29 09:12:37 | 日記
  陽射しなく  寒さ厳しい  年の瀬に  相撲の世界  神事の議論


                                  ひのひら  ろくべえ






     コミュニケーション上での、「もめごと」はつきものだが、この「もめごと」を発展の糧とするか

    発展の邪魔とするかは、大きな違いである。一般的に「もめごと」という当たり前に起きることを、

    マイナスなことと捉えている者は多いのであろう。しかし如何なるコミュニケーションであろうと大

    なり、小なり「もめごと」は存在する。この「もめごと」をどのように処理できるかが人間性であ

    る。「もめごと」は、相手があるから揉めるのであって、その相手を単純に批判したり、処分したり

    するだけでは解決はしない。むしろ悪いほう、ますます揉めるという方向に行くのは明らかである。

     「もめごと」「もめる」という言葉を調べてみると広辞苑には、両手に間に挟み、こすって、力

    を加える。とある。つまりもみ込むとか、手でつまみほぐすということではないだろうか。そのよう

    に理解すれば、「もめごと」大歓迎となる。つまりうどんなど麺類をつくる時、良く揉み込んだもの

    は、腰が強いなどと高評価される。人間関係も同じことではないだろうか。昔から喧嘩するほど仲が

    良いということもある。つまり良く揉み込んでいる関係ということである。

     コミュニケーションは、基本は平行コミュニケーションが理想である。この理想を実行しようとす

    る精神が大事で、上からの目線のコミュニケーションはうまくいかない。立場や地位でコミュニケー

    ションを図ろうとする者は、人間性を持たず、地位や立場だけを重んじる人ともいえるのではないだ

    ろうか。

     いずれにしても「もめごと」は悪いことではない、雨降って地固まるという事にできる、大人の知

    恵というものが、発揮されることが望ましい。

     コミュニケーションは「もめごと」は、当たり前、、「もめごと」を歓迎して人間性を成長させたい

    ものである。

迷歩録   ほうれんそう  

2017-12-28 13:28:34 | 日記
<strong>  師走朝  鳥も震える  寒さかな  陽射少なく  蕾も縮む



                                ひのひら  ろくべえ





    組織内コミュニケーションで最も大切なことに「ほうれんそう」(報、連、相)という行動が

   とても大切である。それ以上に受け取る側の価値観が大切なのである。

    単純に、報告をしなかった、連絡しなかった、相談しなかった、という問題となりそうだが、そ

   うもならないのが、「ほうれんそう」の問題なのである。単純に報告したことが、思いもよらずも

   み消されたり、あるいは大げさにされてしまい、自分の尊厳まで危ぶんでしまうということにもな

   る。目上からの視点では、「ほうれんそう」を行わないものが悪いという視点を変えないだろうが、

   「ほうれんそう」する側から考えてみると、客観的に受け取らるかどうかが大きな問題となるので

   ある。つまり、受け取られ方を意識して、「ほうれんそう」を行うということである。そのことを

   さておいて、単純に「ほうれんそう」を行わないから悪いなどと評価する組織はその組織自体が、

   組織としての体をなしていないということでもある。

    コミュニケーションはそのやり取りがスムーズであることが大前提であるにも関わらず、そのこ

   とを棚上げして、目下にばかり義務を求める、上からの目線の処罰というものの在り方にメスを入

   れる勇気こそが大切なのではないだろうか。

    人材不足の時代、如何に優秀な人材を集めるか、そのことは如何に優秀な組織になるかという事

   と比例しているのではないだろうか。

    優秀な組織には優秀な人材が集まる。そのことを実践することが、人材を集める大きな要素であ

   ろう。

迷歩録  いたん

2017-12-27 10:23:44 | 日記
  青空に  揺れる草木  師走かな  街角揺れる  人の流れや



                                ひのひら  ろくべえ




    暴力事件で始まった相撲界のトラブルは、一人の親方批判に終始しようとしている。相撲協会の

   知的レベルの低さを露呈しているようにも見える。相撲界内部に、内在する獅子身中の虫を対治し

   ようと、異端的存在の親方をマスコミも一緒になって排除しようとしているようににしか見えない。

    相撲界の保守的なグループとそれを取り巻く、関係者、評論家一体となって攻撃をしている。

   底の浅さを見せつけられても。国民は相撲ファンとして、離れていくばかりではないだろうか。内部

   に存在する、真面目で有意義な意見を良しとしない風潮は、日本の様々な所で存在する。変化という

   事を嫌う、それも底辺からの変化ということには反対するが、トップダウン的な改革にはこぞって賛

   成する傾向にある。昔の諺に長い物には巻かれろというのがある。長いものに巻かれた結果、問題が

   生じたことを、忘れて長いものが正しいと錯覚してしまう。

    改革とは一人一人の考え方の変化が起きること。その変化を「いたん」として攻撃したり、排除

   しようとする。組織には発展は望めないのではないだろうか。

    その組織が町内会であろうと、小さな会社であろうと、仕事チームであろうと。同じことではない

   だろうか。発展をする組織というものは、そこに存在する「いたん」を大切にして飲み込む力を持

   つ組織だからこそ発展するのではないだろうか。

    歴史や時代を切り開くのは「いたん」という存在の人々、来年のドラマの主人公せごどんも時代

   の異端児であったのではないだろうか。

    「いたん」を容認して受け入れ、一緒に改革できる力があっれこそリーダーというものではない

   だろうか。「いたん」あつかい、排除主義は発展しないことを東京都知事や、希望の党に学ぶべきで

   ある。相撲協会に限らず、

迷歩録  くちょう

2017-12-26 09:19:07 | 日記
  北国や  大吹雪舞う  師走末  梅の蕾や  膨らむ南



                              ひのひら  ろくべえ






    コミュニケーション、特に言語的コミュニケーションにおける、「くちょう」という言語と

   関係ない非言語の部分が大きな意味を持つ場合が多いのではないだろうか。言い方「くちょう」

   というものが、言語そのものを肯定したり、否定したりする効果まで持ち合わせているのである。

   この「くちょう」というものは、無意識にその人の感情が反映されてしまう。そのことを意識で

   きているか否かは大きくコミュニケーション効果に影響を与える。

    ある市の議員が、市の職員に暴言を言った言わないの報道があった。暴言なのか暴言でないのか

   「くちょう」の問題である。同じ言葉でも穏やかに表現するのと、大声で強く表現するのでは、受

    け取る側の印象は変わる。言葉というものは、言葉そのものの意味以上に、その表現をする「くちょう」

   というものに、左右されて相手に伝わるという事を意識していなければコミュニケーションというものは

   上手くできないということでもある。

    特に自分が忙しい時や、ながらの時、相手を意識しないで発言する時などは、その口調が相手に悪い印

   象を与えてしまうことは良くあることである。

    自分的には、相手に悪く思われるようなことはしていないのに、なぜか嫌われているということは誰も

   少なからず体験していることであろう。そのような場合に良く、知らず知らずの「くちょう」で喋ってい

   いたという事になるのであろう。

    「くちょう」は、言語より大きな意味をなす、非言語的要素であることを、意識したいものである。