陽射しなく 寒さ厳しい 年の瀬に 相撲の世界 神事の議論
ひのひら ろくべえ
コミュニケーション上での、「もめごと」はつきものだが、この「もめごと」を発展の糧とするか
発展の邪魔とするかは、大きな違いである。一般的に「もめごと」という当たり前に起きることを、
マイナスなことと捉えている者は多いのであろう。しかし如何なるコミュニケーションであろうと大
なり、小なり「もめごと」は存在する。この「もめごと」をどのように処理できるかが人間性であ
る。「もめごと」は、相手があるから揉めるのであって、その相手を単純に批判したり、処分したり
するだけでは解決はしない。むしろ悪いほう、ますます揉めるという方向に行くのは明らかである。
「もめごと」「もめる」という言葉を調べてみると広辞苑には、両手に間に挟み、こすって、力
を加える。とある。つまりもみ込むとか、手でつまみほぐすということではないだろうか。そのよう
に理解すれば、「もめごと」大歓迎となる。つまりうどんなど麺類をつくる時、良く揉み込んだもの
は、腰が強いなどと高評価される。人間関係も同じことではないだろうか。昔から喧嘩するほど仲が
良いということもある。つまり良く揉み込んでいる関係ということである。
コミュニケーションは、基本は平行コミュニケーションが理想である。この理想を実行しようとす
る精神が大事で、上からの目線のコミュニケーションはうまくいかない。立場や地位でコミュニケー
ションを図ろうとする者は、人間性を持たず、地位や立場だけを重んじる人ともいえるのではないだ
ろうか。
いずれにしても「もめごと」は悪いことではない、雨降って地固まるという事にできる、大人の知
恵というものが、発揮されることが望ましい。
コミュニケーションは「もめごと」は、当たり前、、「もめごと」を歓迎して人間性を成長させたい
ものである。