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迷歩録   ちから

2016-05-31 15:14:11 | 日記




   朝焼けや  新緑照らす  山の里  鳥たち鳴いて   恋の駆け引き


                                ひのひら  ろくべえ





    人間は様々な「ちから」を持っている。その『力』を引き出すのがケアなのだが、多くの看護者、介護者は

   その『力』を奪い、自分たちが代理をすることを看護だとか介護とかリハビリと勘違いしていないだろうか。

   人間の持つ、自然治癒力という「ちから」を奪い取るケアをしていないだろうか。食事介助も排せつ介助も、

   日常生活全般自分の「力」で行いたいと本能は求めている。しかし援助者は不安だがら、できないと決めつけ

   代理行為をしてしまう。クライアントはますます自分ではできなくなってしまう。誤飲の危険があると言って

   食物を与えず訓練もしない、胃婁というパイプ食事だけにしてしまう。口腔内をつかう「力」を奪ってしまう

   緊急やむえない応急処置をいつまでも続ける。人間らしい食事という事に対するケアは行われない。

    食べたい、見たい、自分で排泄したい、音楽を聴きたい、匂いを嗅ぎたい、様々なものに触りたいその人

   間としての活動意欲を無視する看護、介護、リハビリを行なってはいないだろうか。時間がかかることと、で

   きないことは違う。早期離床、早期リハビリという言葉がある。スタッフ一体となって、個人の「力」を信じ

   クライアントの「力」を引き出すケアをすることが求められる。クライアントのできない事ばかりを問題とする

   ケアではなく、できる限りクライアントの自然治癒力を引き出すケアこそが、求められているのであろう。

    人間の可能性を求めて回復へと導くケアこそが対人援助力、その「力」を磨くことこそが求められること。

   ケア技術は、代理をすることではない、その人が生きる「ちから」を取り戻せるようケアする事、それが対人援

   助の技術ではないだろうか。

    

迷歩録   えいきょう

2016-05-30 13:45:16 | 日記
    雨の後  爽やかな風  頬ぬけて  鳥たちの恋  空騒ぎかな


                              ひのひら  ろくべえ




    人間は様々なものに影響を受け生きている。気候をはじめとする地球のコンデションは勿論のこと

   宇宙のあらゆる星の影響や、コンデションと関係性を持ち、ながら生きている。

    自分たちが意識している意識していないは関係なく影響を受けて生き続けている。

   特に意識する地球上の環境だけでなく、その影響を受けた人々の影響を自分は受けていることを意識

   したことがあるだろうか。

    まずは母親や父親の影響を受け、成長するそして学童は先生や、友達の影響を受け自分という

   自我の確立に目覚めて行く。その時にとても大切なことが、影響ではないだろうか、どのような環境

   に身を置くかで、その成長は変化する。

    このことを受けて、影響を与える立場に立って自分を考えてみる必要があるのが、対人援助職なの

   である。学校の教育にかかわる人々、彼方が好むと好まざると、彼方の一挙手一投足は見えていない

   ことまで、影響を与えていることを意識することが大切である。特に物事に対する考え方は、その人

   の一生の価値観を決めるほど影響を与える。

    その次に医師である。あなたの一言が、絶望や希望を患者に与えることを意識して対応してくださ

   い。あなたの一言の影響は彼方が感じる以上に患者には影響を与えるのです。あなたの診断がその人

   の一生を左右することばかりです。慎重に丁寧に診断をして、告知には十分気を遣ってしてください。

   その他の医療従事者の皆さん、患者は人間です。病気を持つ人間でなく、人間が病気を持っことにな

   ってしまったことを理解してください。特に認知症になったからと人間性を失ったわけではありませ

   ん。人間として食欲、など基本的な欲求は当たり前です。そのことを認知症のせいで過剰になってる

   などと評価しないでください。

    人間は様々なものに影響を受け生きています。晴れれば気分が良くなる人もあれば、悪くなる人も

   います。個人の特徴を理解してください。十人十色です十把ひとからげにしないでください。影響も

   個人で違うのです。そのことを理解する知識、知恵も対人援助の技術ではないだろうか。    

迷歩録    あめ

2016-05-29 06:34:35 | 日記
               あめ




      雨
      
      空から地上に

      一ミリの雨粒となって

      落ちてくる

      この一ミリほどの雨粒が

      地球上の命を繋ぐ

      雨に恵まれ、雨に泣く

      時に防ぎようもない程降る

      時に春雨じゃ濡れてまいろうというほどしか

      降らない

      雨にぬれると、気持ち悪い時

      心地よい時がある。

      土砂降りの中をあなたと手を繋ぎ歩いてみたい

      服が、脱げないほどに濡れてみたい

      濡れると人生を洗いリセットしたかのような感覚

      この気持ちいい、気持ち悪い新たな快感を

      体験したい

      雨は、様々なものを恵んでくれる
      
      雨、雨、雨を喜び、雨に悲しむ

      雨に生まれ雨に死す

迷歩録   みち、道、路

2016-05-28 07:36:45 | 日記
        みち、道、路





    みちは続く、
    
    曲がりくねった道

    がたがたの道

    田んぼの畦道

    急進な坂道

    転がり落ちるほどの下り道

    けものみち

    滑走路ほどの広大な道

    いずれの道も

    自分へと続く

    どの道を選ぶも自分次第

    容易な道を歩くも

    近道抜けるも

    自分次第

    空を飛ぶもよし

    海を渡るもよし

    みちは続く
    

迷歩録   ふかのう

2016-05-27 14:09:12 | 日記
  ほととぎす  谷を渡りて  目を覚ます  野里山脈   朝焼け染まる


                               ひほひら  ろくべえ



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   ナポレオンは我が辞書に不可能はない、と言ったそうだが、現代人特に未熟な人ほど不可能という

  言葉を口にして、問題に立ち向かおうとしないのではないだろうか。特に対人援助職現場では安易に

  不可能を暗黙の了解事項としてケアをしていないだろうか。

   例えば認知症のケアをする時、高次機能障害をケアする時など、症状を勝手に不可能としてしまい、限

  定的かかわりをしていないだろうか。ケアをする側にとって不可能という三文字は、自分たちの未熟さを

  カバーする言葉となる。この不可能という言葉は、不可能という言葉で飛び交うことなく、別の言葉に乗

  り移り、飛び交う、例えばケア会議などで、新しい提案があると、それは無理でしょうとか、認知症だか

  ら、アルツハイマーだから、などと言う言葉が飛び交う。これは不可能と言ってるに過ぎないのである。

   不可能という文字は、クライアントに対して絶望を与える言葉、ケアする者にとっては不要な言葉であ

  る。この言葉を少しで使用しないでケアを進めることを考えなければならない。

   可能を可能にするのは当たり前、誰にでもできること、不可能を可能にすることに技術がある。この技

  術を追求することこそ、対人援助の奥義、やりがいではないだろうか。