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迷歩録

2017-04-30 09:48:39 | 日記
              金魚


      春の暖かい夜明けの陽射

      その光受けた夜明け

      水槽の中が一段と騒がしくなる

      暗いうちは、片隅にいた人たちが

      外が白んでくると

      水槽の中をあっちへ行ったりこっちへ行ったり

      目まぐるしく動き回る

      仕事があるわけでもなく、時間に追われているでもなく

      思うのは人間の勝手だろうか

      水槽狭しと

      泳ぎ回る

      一番大きい、緋鯉みたいな20センチの金魚が

      リーダーなのか、一番忙しなく動き回る

      それにつられるように、スマートなぶちの

      二匹が10センチの魚体をくねらせ、動き回る

      まるで、青年のような動きである

      それに比べ、きらびやかなウエディングドレスのような

      二匹の金魚は、優雅に尾びれを棚引かせ、

      行ったり来たり、

      まるでワルツでも踊っているように

      水槽のステージを踊る

      朝から水槽の中は華やかな

      舞踏会のようである

      朝の舞踏会は、水槽の中でくりひろがれる

      夜明けのパーティー

迷歩録   ばら

2017-04-29 09:07:11 | 日記
              ばら


      色とりどりのバラの花が

      今年も咲いた

      鹿屋霧島が丘公園

      丘陵地を上ったり下ったり

      目を奪いぱっなしのばら

      遠くから眺めると

      ばらの花園に生きてる蝶になったかのような

      錯覚にはまる

      ばら、美しく妖艶なばら

      多くの人をとりこにしてしまう

      バラ

      霧島が丘の頂に立ち360度

      ばらばら、で 頭の中がばらばらになりそう

      リフレッシュには最高

      バラの香りと心地良いそよ風が吹き抜ける

      木立の下から眺めるばら

      日当たりの場所と木陰のばら

      同じバラでも印象が違う

      バラは素晴らしいい

      精神のリフレッシュ花

      バラを見に行こう、あなたと共に

      鹿屋霧島が丘公園

迷歩録   きゅうそく

2017-04-28 14:53:42 | 日記
   光刺し  てふてふ舞て  春踊る  青葉茂りて  山化粧する



                                 <strong>ひのひら  ろくべえ


     明日からゴールデンウイークである。乗り物や行楽地は混雑が予想される。一斉に仕事を休み、それぞれに休暇を遊ぶ

    しかし、そのことが休息になるのか否かはわからない。人間にとって休息はなくてはならないもの、その休息を上手にと

    るためには、上手な計画というものが必要となるが、この計画の仕方がうまく行かないと、休息どころでなく、かえって

    疲れ果ててしまう事にもなりかねない。無理なく余裕を持って計画し、ゆとりを愉しむほどの気持ちで、ゆったりと計画

    を実行することが大切なのではないだろうか。多くの国民は一斉に休暇をとるが、対人援助の職業に携わっているものは

    そうは行かない仕事場が多い。一斉休暇を羨みながらも、自分の職業的使命に燃えてひたすら励むしかないのである。

     そのような人たちが存在するからこそ、休暇が取れて休息できることを知ってほしいものである。休暇というものが連

    続でとれない職業はいくらでもある。テレビに代表されるマスコミは、混雑など休暇の人だけを対象にニュースをつくる

    が、そうではなく、対人援助職のように一斉に休暇をとれない、連日で取れない、休息もままならない人達がいることを

    社会に広めてほしいものである。

     日夜寝る間も惜しんで、看護や介護、に時間をついやしている人達は、ゴールデンウイークなどのニュースは羨むしか

    できないのである。しかしそのような人たちこそ休息が必要なのではないだろうか。勿論家族も含めてである。
     
    休息というものが取れない家族、災害被害者、そのケアに携わる、専門職の人々、そのような人たちが休息できる方策と

    いうものを、考える必要があるのではないだろうか。

     ゴールデンウィークの一週間、そのようなことについて、話し合ったり考えたりするのも、家族、友人とのコミュニケ

    ーションとなり、頭をリフレッシュできるのかもしれない。日常と違う非日常な事を考えてみるという事は精神にとって

    とても有意義なリフレッシュ、考える作業をすることは、精神の一番の栄養である。このビタミンを効果的に摂取するのも

    また休息となりうるのではないだろうか。
    

迷歩録   しつげん

2017-04-27 11:49:43 | 日記
  雨の後  鶯の声  木霊する  青葉喜び  五色に染まる


                              ひのひら  ろくべえ





    政権の中枢にいる大臣の失言が相次いでいる。失言をしたことで辞任をする大臣までいる。失言したから辞任で終わりではない。

  終わらそうとするのはその任命をした者の飛び火を防ぐためではないだろうか。人間は常に失言と隣り合わせの生活をしている。失言

  したから、辞任で終わりではなく、その失言から本人、あるいは任命したものが何を学び、その後にどのように活かしたかが大切なの

  であろう。このことはコミュニケーションを行う上で、特に言語的コミュニケーションをメインとしている政治家にとっては、必須な

  ことではないだろうか。

   失言や間違い、勘違いなど様々な事が言語的コミュニケーション活動には含まれている。それ故に、そのような事態が起きた時には

  どのように対処すべきか考えておく必要がある。それがリスクマネージメントというもの、自分のリスクマネージメントができないも

  のに国のリスクマネージメントができるのであろうか。不思議な国会議員ということになる。

   コミュニケーションにおけるリスクは日常的に存在するもの、自分の意思が伝わない、その原因は相手に聴きとる力がない時、自分

  の伝える力が足りない時、自分が勘違いをしている時、相手が勘違いをして受け取る時など様々である。このリスクをどのように考え

  ているかでその対処は変わってくる。

   ある大臣のようにマスコミが悪いと非難して、我が身を責めない姿が一番見苦しい、という事はコミュニケーションにおける失言は

  自分を責める所からスタートしなければならないのではないだろうか。個人的な関係性の中でも失言は相手を傷つけたり、誤解

  を招くこととなることが多い。そんな時どうするのかでその人と技量というものが測られる。という事は人間関係のなかでの人間性と

  いうものは、失言とか失敗というもので測られるのではなく、失言や失敗の事後処理の仕方で測られるという事ではないだろうか。

   人は失言、失敗をする動物である。その時どのように対処したかで人間性が問われるという事を肝に命じて、自分のリスクマネージ

  メントを組み立てておく必要があるのではないだろうか。特に対人援助の場ではコミュニケーションがメインの仕事、でも失言もあれ

  ば、失敗もある。その時こそ、自分の実力の見せ所である。そのことを常に考え行動できる人こそが、本当のプロフェショナルなのか

  もしれない。

   失敗をしないようにするのは当たり前、しかし人間は失敗する、不可抗力もある。その時の対処の仕方が実力ではないだろうか。

  技術というものは、何事もなくて当たり前、失敗した時ほどその実力を表現できる時はない。失言、失敗をうまく処理できるという事

  は、間違いや失言、失敗に気づく力を備えているという事でもある。そうであれば修復や訂正などの謝る行動ができるが、気づく力も

  ないとなれば、その人を任命した人の失敗は繰り返されるという事ではないだろうか。何人もの大臣が辞任していく政権というものは

  いかがなものなのか国民は考える必要があるのだろう。

   対人援助の場も、人の振り見て我が振り直せである。他人事としてしまうのではなく、自分たちの問題としてコミュニケーションの

  学びの材料として、失言問題を捉えてみては如何であろうか。

   言語的コミュニケーションには、マニアルもモデルもない、自分自身が学び、成長するしか方法がない。学びは学びたい、学ぼうと

  する、姿勢から生まれる。常に成長を続けたいものである。
  、

迷歩録   はびこる

2017-04-26 14:16:12 | 日記
  <strong>しとしとと  大地を濡らす  穀雨かな  稲や喜び  民や喜ぶ


                                ひのひら  ろくべえ




    「はびこる」(蔓延る)とは、草木が伸びてひろがる。ひろがりしげる。、いっぱいにひろがる。よくないものの

    勢いがさかんいなる。(広辞苑)というネガティブな言葉ではないだろうか。しかし芝生や、芝桜など人間が歓迎

    する物が蔓延ることもあるが、その時は広がったなどの言葉を使うのではないだろうか。

     蔓延るもの、ものによるのではないだろうか。蔓延る代表的な植物に葛というつる植物がある。この植物は大変

    である。ほったらかしでいてると、たちまちその場を飲み込んでしまうほど蔓延ることになる。雑草の力というか

    つる性植物の逞しさというか強さというか、生命力の強さを感じる。葛以外にもヤブガラシというつる植物なども

    ある。つる性植物はその場にある他の植物の光合成を邪魔して、植物を枯らし自分だけ蔓延ってしまう。とても強

    い植物である。この植物のように、蔓延るものが人間の世界にもある。人間の世界に蔓延る者は、目に見えないま

    まに蔓延ってしまう。特に精神的な、考え方とかものの見方などは、悪くしきことは、音もたてず色を持たず静かに

    蔓延る。この蔓延るものから、自分を護には、自分が気をつけて、護るしかないのである。

     物事を性善説的に捉える日本人は、良き方に良き方に捉え、人情熱く処理をしようとするが、そうではない物事は

    客観的に捉え、処理する傾向を持つことが大切なのではないだろうか。

     今日も大臣の辞任が報道された、「あっち発言」この考え方は、あの大臣だけなのだろうか、任命した人の心には

    ないのであろうか?蔓延してる考え方なのではないだろうか。それが実体であれば、とんでもないことである。政権

    政党に蔓延してる考え方が見え隠れするそのことを国民はしっかりと見定めることが大切ではないだろうか。

     森友学園問題、大臣発言問題、など政権政党は相変わらず旧態依然の考え方で、敵国をつくりだし、国民を縛る方

    向へと突き進んでいるように見えるのは私だけなんだろうか。

     蔓延する武力一辺倒の防衛理論、何とも危険な方向なのかもしれない。

     特にこの考えかたが、国の隅々まで広がった時、日本という国の将来が不安なものになるような気がする。

     国民一人一人が、賢くなることで、蔓延してるもの、蔓延しょうとしてるものを早期に発見して、蔓延させないよ

    うに行動することが大切なのではないだろうか。