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言葉

2015-07-30 16:16:08 | 日記
  盛夏来て  汗ばむ身体  疲れ果て


       木陰そよ風  恋しや氷


                ひのひら  ろくべえ





   人間が人間である証拠に、言葉を持っているという事があるが、言葉がコミュニ

  ケーションツールとして完璧かというと、そうでもない場合も多々あるのは、多く

  の人が、体験しているのではないだろうか。自分の持つ言葉を多くの人が共有して

  いるという錯覚がトラブルを起こすことも事実である。特に人間関係の気まずさや

  トラブルというのは言葉の行き違いが多いのであろう。特に人とかかわることが、

  メインの仕事、対人援助職の人達は言葉に注意をしなければならないことは当然だ

  が、自分の発した言葉が相手にどのように受け取られるのか、日常のかかわりの中

  で、雰囲気的にもキャッチしておかなければ、言葉のトラブル、人間関係トラブル

  へと発展をしてしまう。そのことを充分理解した上で言葉というものを使う必要が

  あるのではないだろうか。かかわりの中で特に大切なのは、言葉にならない言葉とい

  うか、相手のメッセージをどのように受け取るかが大切なのである。言葉だけでなく

  言葉を発する時の表情や行動などにも注目して、相手のメッセージをしっかり受け取

  り、それを分析して相手を理解する、しようとする態度が後に信頼へと繋がるのでは

  ないだろうか。言葉だけに頼らず、言葉を大切に、かかわりを進めることが、対人援

  助職の一番の技術なのかもしれない。

限界

2015-07-29 16:08:07 | 日記
  縁側や  夏風抜けて  夢誘う

        あなたと歩く  渓谷の道


                 ひのひら  ろくべえ




   限界とか最悪という言葉を、対人援助職の人から聞くことがよくある。特にケアの

  行き詰まりの時に聞くような気がする。この言葉は何を意味しているのであろうか。

  相手のクライアントの状態が最悪という事なのか、それとも自分のケア技術、能力

  が限界という事なのであろうか。自分のケア技術能力が限界と言う事であれば、まだ

  少しは理解できるような気がする。しかしクライアントの状態を最悪とか限界と表現

  する場合も少なくない。これはないを意味しているのであろうか。よく考えてみる必

  要があるのではないだろうか。例えば自分のケア技術、能力が行き詰っていることが

  底辺にあって、そのことをクライアントの状態に移し表現する場合があるのではない

  だろうか。確かにクライアントの生命力の限界というものは存在するだろうが、ケア

  を必要としている時にはまだ限界ではない、最悪でもないという事でもある。そのこ

  とに気づく対人援助者は少ない。つまりケア現場、対人援助職には限界や最悪はない

  のでは無いかと思うが、いかがであろうか。個別ケアの時代一人一人は違う、そのこ

  とを理解したうえで、組織のマニアルだけでなく、個別の対応方法を吟味しケアを実

  施する事が大切なのではないだろうか。そのためにも、限界とか最悪という言葉その

  ものを使わない使用しないなどの心得が必要なのかもしれない。

   限界、とか最悪とはギブアップを意味する言葉であることを自覚して日常のケアに

  従事したいものである。

別れ

2015-07-27 17:13:49 | 日記
 雨やんで  烏飛び交う  畑かな

        実りたわわに  収穫競う

              
 
                 ひのひら  ろくべえ

         




   別れと言うと、それぞれに様々な別れがある。対人援助職特に福祉や医療の

  現場にいると、人生の最後の一瞬に立ち会うこともある。この世との別れの一

  瞬、かかわりをしてきた援助者としては、辛い一瞬でもある。

   しかし、それは援助する側の論理なのかもしれないと考える時がある。人も

  場所も時間も解らなくなって、大きな不安の中で生き抜き、疲れ果てて眠りに

  つくように黄泉の国へ旅たつ高齢者認知症で苦しんだ人を見ていると、黄泉の

  国で暮らせることのほうがよかったのかもしれないと、ふっと頭をよぎる。

   現世にに生きてる者の論理は、二度とあえなくなる悲しさや、寂しさに悲し

  みの別れというものが頭を覆う。その論理で涙を流し苦しむが、本人になって

  考えてみると、苦しさからの脱出という事でもあるのかもしれない。

   対人援助職を生業とする者は、自分の人生も含めて、生命ある者の最後の別

  れについて、日頃から自分なりの考えを持つという事も大切な精神学習なのか

  もしれない。肉体滅びても精神は永遠に生きる。このことを刻み日々の教えを

  大切に明日に行きたいものである。

偶然

2015-07-23 16:31:31 | 日記
  雲の間に  青空透かし  蝉の声

         暑さ忘れて   そうめん流し

            


               ひのひら  ろくべえ
                  




   生きているという事は偶然の連続、両親との出会いすら偶然なのだから当然と言えば

  当然だが、この偶然を如何に活かし自分の人生を豊かにするのかが大切な行動となるの

  ではないだろうか。基本人は人に学ぶしかない。先人も人、様々な遺産を残しているの

  も人なのである。学問の本を書いているのも人である。つまり今、目の前にいる人もい

  ない人も、同じ学びを与えてくれる人という事になる。このことをしっかりと理解して

  対処する必要があるのが対人援助職ではないだろうか。悲しい事件が次から次と福祉や

  医療や教育現場から起きたことが報道されるたびに、悲しい思いになる。対人援助職は

  日々目の前の対象者から学び、それを経験として次のかかわりに活かすことが大切な仕

  事、経験をその場限りにしない。多くの人との出会いはすべてが偶然、この偶然を無駄

  にするのも、宝にするのも自分次第。その考え方が大切であろう。そうすることで経験

  を意識化でき、経験として論理的に自分の頭に刻みこむことができる。論理的に刻み込

  んだ経験は、似たような経験の時役に立つ。この役に立つという事もまた、偶然なのか

  も知れないが、大切な偶然である。この偶然の重なりが自分を豊かな人間、人生へと導

  くのではないだろうか。偶然を大切に出会いを大切にしながら生きていきたいものであ

  る。

足るを知る・・・・・・・

2015-07-22 16:44:02 | 日記
 雨上がり  聞こえし声は  蝉の声

        噴き出す汗や   蒸し風呂如し


            
      ひのひら  ろくべえ








   老子の言葉に「たるを知る者は富む」とある。これはこれで充分なのだと

  現状に満足できる人は富める人である。欲を出していると、いつのまにか何

  もかも失い、なくなってしまう。という教えの言葉だそうな。確かに現代社

  会は、物質的には、過去の時代よりはるかに満たされているのではないだろ

  うか、先輩たちの話を聴くと食物については、比べることができないほどの

  差があると聞く。そのような時代にあっても食への欲望は切れることはない

  食だけではない、人間への欲望もまた限りなく強いのではないだろうか。

   人間関係というものは、自分に添う人間などいない。この地球上にたった

  一人の自分なのだから、しかし人は、自分に添わない人を批判し攻撃し集団

  から締め出そうとする。そんあ小さな欲望が満たされた時代だからこそ現れ

  るのではないだろうか。

  「足るを知る者は富む」物質的にも精神的にも大切なことである。しかし対

  人援助職としては、知識、人間性向上への欲望は満足することなく持ち続け

  ていたいものである。満足できることは大切であるが、満足することで、対

  応が、雑になってしまっては、元もこうもない。満足することなく一人でも

  多くの人を理解しょうと日々研鑽することこそが、人間関係の富を得ること

  に繋がるのではないだろうか。