涼しさや 朝顔開く 夜明けかな 八月末の 高隈麓
<strong>ひのひら ろくべえ
今年も八月が終わりとなり、「もう」八月と思う人、「まだ」八月と思う人、様々だろうが、このどちらかが
頭に浮かぶかで、その人の人生までもが見えてくるのではないだろうか。
「もう」という言葉は、もはや。すでに。やがて。まもなく。このうえに。さらに。という意味があるそうな
(広辞苑より)良く日常的に使う言葉である。特に自分の価値観が相手の価値観と差が大きい時、言葉を強調す
る時に、始めにつけることが多いのではないだろうか。よく使われる食事場面では「もう」食べたの、「もう」
ないのなど、自分が欲ししていた物がすでにない時など、強調される時に使われるのではないだろうか。
「もう」八月と感じる人は基本的には、充実した月日を送って来たと思っていいのであろう。ここに含まれる
「もう」は、時間の早さを感じている自分ということになる。この速さを感じている時は、充実している時である。
言い換えれば集中している時、時間の経過が早いのと同じことが言えるのであろう。つまり良くも悪くも、出来事
が沢山あって、充実しているということではないだろうか。その中には苦痛となる出来事もあるだろうが、そのこ
とも含めて、人生の起承転結があるということではないだろうか。
自分の欲していた物が、他者によってなくなった時なども「もう」無いのなどと表現する。「もう」という言葉
が出た時点で、その人も欲しかったのだ言うことが解る。このようにコミュニケーションの時、その人がどのよう
な言葉に言葉をつけて強調するかで、相手の心理を掴むことができるのではないだろうか。
次に「まだ」である。「まだ」八月かと感じる人は、将来にすごく楽しみなことが待っているか、それとも日々
の生活が苦痛の連続かどちらかではないだろうか。楽しみがあり、そのことを首を長くして待つ時「まだ」という
時間的協調語を付け加えることが多いのではないだろうか。
コミュニケーション的には、自分の時間が保障されない時などは「まだ」という待ちどうしいことを意味してこ
の言葉を発することが多いのではないだろうか。特に対人援助の場では、生理現象を援助者が待つ時、ついつい、
催促することがある。その時「まだ」などと声をかける時があるが、この声かけは禁句である。「まだ」ではなく
「どうですか」とか「ふぐわいはないですか」「こまったことはないですか」など、より具体的に相手を傷つけな
いような配慮をした言葉かけが必要となるのであろう。「まだ」「まだ」と急かされても、相手は焦るばかりで、
目的を達することにはほど遠くなる。効果的な声掛けというものを学ぶことが大切であろう。
いずれにしても、「もう」とか「まだ」という言葉はコミュニケーション上ではあまり使わない方がいいのでは
ないだろうか。特に親と子供、先生と学生、援助者とクライアントと言った、無意識に上下を感じる関係の中では
簡単に発した強調語であっても、相手にとっては二倍にも三倍にも強調されて伝わることもある。それ故に「もう」
「まだ」という言葉を使う時は、慎重に意識して使う事を心がけたいものである。
<strong>ひのひら ろくべえ
今年も八月が終わりとなり、「もう」八月と思う人、「まだ」八月と思う人、様々だろうが、このどちらかが
頭に浮かぶかで、その人の人生までもが見えてくるのではないだろうか。
「もう」という言葉は、もはや。すでに。やがて。まもなく。このうえに。さらに。という意味があるそうな
(広辞苑より)良く日常的に使う言葉である。特に自分の価値観が相手の価値観と差が大きい時、言葉を強調す
る時に、始めにつけることが多いのではないだろうか。よく使われる食事場面では「もう」食べたの、「もう」
ないのなど、自分が欲ししていた物がすでにない時など、強調される時に使われるのではないだろうか。
「もう」八月と感じる人は基本的には、充実した月日を送って来たと思っていいのであろう。ここに含まれる
「もう」は、時間の早さを感じている自分ということになる。この速さを感じている時は、充実している時である。
言い換えれば集中している時、時間の経過が早いのと同じことが言えるのであろう。つまり良くも悪くも、出来事
が沢山あって、充実しているということではないだろうか。その中には苦痛となる出来事もあるだろうが、そのこ
とも含めて、人生の起承転結があるということではないだろうか。
自分の欲していた物が、他者によってなくなった時なども「もう」無いのなどと表現する。「もう」という言葉
が出た時点で、その人も欲しかったのだ言うことが解る。このようにコミュニケーションの時、その人がどのよう
な言葉に言葉をつけて強調するかで、相手の心理を掴むことができるのではないだろうか。
次に「まだ」である。「まだ」八月かと感じる人は、将来にすごく楽しみなことが待っているか、それとも日々
の生活が苦痛の連続かどちらかではないだろうか。楽しみがあり、そのことを首を長くして待つ時「まだ」という
時間的協調語を付け加えることが多いのではないだろうか。
コミュニケーション的には、自分の時間が保障されない時などは「まだ」という待ちどうしいことを意味してこ
の言葉を発することが多いのではないだろうか。特に対人援助の場では、生理現象を援助者が待つ時、ついつい、
催促することがある。その時「まだ」などと声をかける時があるが、この声かけは禁句である。「まだ」ではなく
「どうですか」とか「ふぐわいはないですか」「こまったことはないですか」など、より具体的に相手を傷つけな
いような配慮をした言葉かけが必要となるのであろう。「まだ」「まだ」と急かされても、相手は焦るばかりで、
目的を達することにはほど遠くなる。効果的な声掛けというものを学ぶことが大切であろう。
いずれにしても、「もう」とか「まだ」という言葉はコミュニケーション上ではあまり使わない方がいいのでは
ないだろうか。特に親と子供、先生と学生、援助者とクライアントと言った、無意識に上下を感じる関係の中では
簡単に発した強調語であっても、相手にとっては二倍にも三倍にも強調されて伝わることもある。それ故に「もう」
「まだ」という言葉を使う時は、慎重に意識して使う事を心がけたいものである。