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迷歩録 じゃがいも

2019-05-31 12:16:23 | 日記
 空低く  新緑押さえ  下り坂  梅雨空まじか  大隅の郷


                              ひのひら  ろくべえ



     雲が覆いかぶさり、なんとなく暗い日となりそうである。気温は高いが湿度も高いどちらかと

    いうと、蒸し暑い感じの状況である。

     ついに今年も梅雨が来たかという感じである。これから長雨に耐えながら暑い夏を迎える。

    紫陽花が所狭しと咲くようになった。ジャガイモの収穫が終わったということでもある。春取れ

    ジャガイモは、直に悪くなる。そのため、とれとれを食べると美味しい、新鮮が一番の今の時期

    のジャガイモ、空きとれのジャガイモは、日持ちがするそのため保存することが可能である。

     ジャガイモと言えばもともと、日本の野菜ではないようだが、今となっては必要な野菜の一つ

    ではないだろうか。肉じゃが、カレー、ポテトサラダ、様々な料理に使われれ。片栗粉の原料とも

    なる。そんな世界的な食糧のジャガイモ、だからと言ってここにありジャガイモと強い主張もしな

    い。主役にもなれるが、わき役にもなれる。料理界の万能食材である。このジャガイモは世界のあ

    ちことで食べられている。主食の国もある。

     ジャガイモの存在は料理にとっては欠かせない存在である。人間もジャガイモのような存在の人

    がいる。その人の存在はいる時は誰も気づかないが、その人がいなくなると、途端にチームワーク

    が、悪くなったり、人間関係トラブルが発生したりと、組織、チームというものの団結力が低下す

    る。誰もが気づかない、ジャガイモ的役割の人材である。このことに気づいている経営者は少ない。

     釣りバカ日誌の浜坂さんのような人の存在を望むべきであり、大切にしたい存在である。

     たかがジャガイモ、されどジャガイモである。そんな存在を目指すこともいいのかもしれない。
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迷歩録 うってつけ

2019-05-30 11:59:32 | 日記
  百合開く  薄雲の空  五月晴れ  一里にとどく  ほととぎすの声


                                    ひのひら  ろくべえ



     薄雲が箒ではいたように青空の中に浮かんでいる。五月晴れの空の様子である。庭のあちこちに

    百合の花が咲きはじめ、庭を彩り始めている。夜明け前の肌寒さはどこへ暑い一日となりそうである。

     物事の適材適所には、その人のうってつけの仕事というものがある。そのことは本人が好む好まな

    いにかかわらず、ぴったりとはまってしまうことがある。それがうってつけ、大工さんが釘を使って

    板をぴったりと打ち付けるように、その人にぴったりの事柄という事になるだろう。

     この才能を発見することが対人援助職には求められる。才能発見である。人間の才能特に潜在的才

    能は、本人は気づかないことが多い、特に学童期などは才能は潜伏している、その才能を発見し伸ば

    すという援助が求められる。

     子供だけではない、大人だって当たり前すぎて、自分ではわからない才能を持っている人は沢山いる、

    その才能を援助者が発見、支援ができれば、その人の人生は大きく変わることにもなる。単純に援助を

    考えてしまうと何もできないということになるが、自分にうってつけの役割、仕事、趣味などを発見す

    る人生も悪くないのではないだろうか。

     うってつけ、その役割を担うことができる自分を目指したいものである。

    

迷歩録 おすそわけ

2019-05-29 12:25:18 | 日記
  曇り空  紋白蝶や  乱舞する  色とりどりの  お花の畑


                                  ひのひら  ろくべえ




   雨の後の曇り空が継続している大隅地方、湿度が高く蒸し暑い一日だが、太陽は顔を

  出さない。雲が垂れ込めている。何とも梅雨空といった感じである。

   道端の紫陽花が咲き始めた、梅雨の季節の到来である。

   食欲をます、らっきょや梅干しづくりが大切な時間である。季節ものを取り入れ、保

  存食をつくる日本ならでわの、食文化ではないだろうか。梅雨の時期に何かと物が不足

  する。その時近所や、親戚からおすそ分けを頂くと、とてもうれしい、そんな経験は誰

  にでもある経験だがおすそ分けという言葉を考えたことはない。おすそ分けとは目上の

  人が、目の下のものに貰い物や、いただいたものを与える時に、おすそ分けという言葉

  は使う言葉だそうな。今や隣近所両隣、身分い関係なく行われているのだろうが、その

  行為に意味がある時、うっかりしてしまうので気をつけたいものである。

   おすそ分けという言葉が意味する。目の上のものからものを頂くとき、おすそ分けと
   
  怒鳴られる。態度に気をつけたいものである。

   おすそ分けは、日本語の難しい所である。

迷歩録 散歩

2019-05-28 11:15:25 | 日記
  五月雨に  夢現かな  夜明け前  ほととぎす鳴く  高隈麓


                                 ひのひら ろくべえ


   未明から降りだした雨は、徐々に本格的な降りとなって続いている。雨の一日となりそうである。

  好天が続いた畑はカラカラの状態だったので、畑の作物が喉を潤す雨となっているのではないだろうか

   雨の日は晴耕雨読、散歩もできず、唯々家の中、屋内で過ごすことを強いられる。雨の日ならではの

  過ごしかっとなってしまう。

   散歩、たかが散歩、されど散歩である。一日の初めに散歩する人、終わりに散歩する人、それぞれだ

  が、運動をしたいという心意気は誰も同じではないだろうか。

   本来人間は歩くという機能、二足歩行という機能を持ってから進化を遂げた動物、基本的に歩くとい

  う行為を行うことで、身体能力を維持してきたのではなうだろうか。

   つまり歩くということが遺伝子に組み込まれているのである。その遺伝子に背く感じで、車社会とい

  う、乗り物を発展させてきた。今や空に海に地上に乗り物はあふれている。乗り物過剰依存状態でもあ

  る。そんな時代だからこそ、散歩という単純な運動が大切なのかもしれない。

   散歩を行うものと行わないものの運動機能の変化は格段の差が出ると言われている。歩くという行為

  の重要性があるということであろう。さらに散歩はそれだけではない。精神的なやすらぎを与えてくれ

  る。散歩した日と散歩しない日は精神状態が微妙に違う。何か変だな気分がすぐれない日は、散歩、つま

  り、歩き方が不足している時に多くは感じる。

   歩くという行為は、散歩と改まることなく、家の中であろうと、どこであろうと、歩くという日常を

  繰り返すことが大切ではないだろうか。

   一駅、一バス停などは歩いた方がいいに決まっている。さらには近くのスパーなど、外出近隣ならば、

  歩くという選択をした方がいいのではないだろうか。

   散歩という改まった行為にしなくても生活の中に取り入れた散歩というものを考えたいものである。

迷歩録 部屋

2019-05-27 12:26:43 | 日記
 <strong> 空低く  低空飛行  燕かな  暑さ近づき  氷求める

               
                                   ひのひら  ろくべえ



    五月というのに気温上昇、夏日が続く日本列島、今日の大隅地方は空低く下り坂の様子

   燕たちも何故か低空飛行を続けている。緑眩しいお茶畑の上を、気持ちよさそうに、目の

   前を横切る。いつ自分たちの住家に変えるのだろうか。住家には部屋はあるのだろうか。

    子育て真っ最中であろう、餌の取集に躍起になっているのかもしれない。大変だが楽し

   みなのかもしれない。

    その燕たちの下の世界では、アメリカ大統領来日、天皇陛下と懇談、そのニュースで持

   ち切りである。

    アメリカ大統領との外交を繰り広げる日本の総理大臣、大丈夫なのでありろうか。プラ

   イベート友人という事を蜜月という言葉で強調するが、関係がいいからと外交関係も上手

   く行くとは限らない、その点が心配な国民は多いのではないだろうか。

    人間関係がいいから悪いから、外交関係が変化するようでは、日本の将来はますます不

   安ということではないだろうか。

    国と国との関係は、常にヒフティ―ヒフティ―の関係が望ましいのではないだろうか、そ

   の関係を創り出すには、毅然とした外交姿勢が望まれるのではないだろうか。

    秘密の部屋で、密談をしなければならないような関係では、不信を招くばかりではない

   だろうか。

    選挙対策の部屋では、どのような反応をしているのであろうか。参議院選挙後にアメリ

   カは成果を発表すると、大統領のコメント、何を話しているのか、まさに秘密の部屋外

   交の表れではないだろうか。

    いずれにしても、様々な部屋で語られることが、外交の手腕なのかもしれないが、高い

   税金を使い接待したからには、国民にとっての朗報をお願いしたいものである。