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迷歩録 麻姑掻痒

2018-10-08 13:19:34 | 日記
  肌寒く  寒さしのぎの  猫だんご  稲穂も垂れる  神無月かな


                                  <strong> ひのひら  ろくべえ





     早朝の肌寒さは、初冬を思わせる寒さだった。日が昇るにつれて、徐々に暖かくなっては来たが

    夏日となることがない、曇天だが、心地良い過ごしやすい一日となりそうである。

     コミュニケーションというものは、学校で習うわけでもなく、親から教えられるでもなく自然と

    身につくものである。その自然と身につくものが、つかない時どうしたらいいのであろうか。そこ

    には、改めて学ぶという時間が必要となる。しかし多くの人はコミュニケーションについて改めて

    学ぶという事をしない。そのため出来ないことを自慢したり、逃避の材料としてしまうことはない

    だろうか。そのような状況でも、対人援助という職業を選んでしまった人もいるのではないだろう

    か。そうなると、人とのかかわりができない自分というものが存在することになる。苦痛の連続で

    働くことに対する意欲さえ失うことにもなりかねない。

     コミュニケーションとは、人のためだが、自分の為でもある。そのことをまずは理解した上で、

    学びとしてもコミュニケーションを知ることが大切である。特に対人援助の場におけるコミュニ

    ケーションは「麻姑掻痒」が基本である。「麻姑掻痒」とは痒いところに手が届くような親切な

    ことの例え(広辞苑)つまり、相手の望むことを援助できるということが、自分の為でもあると

    いうことである。

     相手(クライアント)の痒いところにとどくような援助ができるということは、自分自身のコ

    ミュニケーション技術も向上するということである。相手の事を精一杯考えて行動するというこ

    とは、自分自身のために精一杯生きているということでもなる。

     人は人のためという自分の為を行う事が成長の近道なのかもしれない。