雨模様 寒さを連れて 訪れる キャベツ縮んで 丸くなるかな
ひのひら ろくべえ
いじめという問題が、クローズアップされるようになって久しい、このいじめ問題を考える時
人間の深層心理を考える必要があるのではないだろうか。つまりいじめの根本となってる心理、
「さげすむ」という心の捉え方である。格差社会の中で生まれてくる「さげすむ」心、過剰なま
での競争社会の中で生まれる「さげすむ」心この心という問題と、人を助けるという深層心理は
似て非なるものということが心理的には言えないだろうか。
つまり自分と違うという捉え方をして、上下関係的に視点を持った考え方には変わりはないと
いうことではないだろうか。自分を中心に上の人、下の人という考え方で、その考えに基づくと
「さげすむ」か「たすける」かのどちらかになってしまうのである。この考え方は現代の基本的
な考え方の中にあり、人間の深層心理の中に蔓延しているのではないだろうか。この価値観こそ
が「いじめ」という現象を表面化させているのかもしれない。
大人の世界、子供の世界関係なく、「いじめ」という問題は、形を変えて世界中に存在する。
このことは、人間本来の集団維持機能と大きく関係しているのではないだろうか。集団の中で
生き抜くためには、他者と違う自分をアピールして、他者に奉仕するという自分を創りだすこ
とが「たすける」という行為で、邪魔者扱いして、自分の競争相手を少しでも少なくして自分
が集団の中で生き抜こうとすることが「いじめ」なのではないだろうか。
この「いじめ」の心を支持している深層心理が、言葉にはしないが、「さげすむ」という
心ではないだろうか。物事には理由があるその理由を無視して見た目や、単純な違いなど軽軽
な事で、「さげすむ」この価値観こそが、ゆくゆくは偏見や差別という問題までに進んでしま
うのではないだろうか。
特に対人援助という職業を行っている人は注意をしてもらいたい、あなたの心に棲みつく二
つの心、「さげすむ」「たすける」という心の根っこは、同じものから発芽していることを心
得てほしいのである。助ける心は一瞬にして「さげすむ」心に変化してしまう事となるからで
ある。その証拠に対人援助の職場には少なからずや「いじめ」という問題がはらんでいるから
である。一生懸命援助をする人が、一方では新人職員をいじめたり、一方では部下をいじめる
という行為に走ることは少なくないと聞く。この「さげすむ」心の強さ故、助けるという行為
を行う事で、自分をアピールして集団の中で生き抜こうとしている人々なのではないだろうか。
いずれにしても「さげすむ」心と助ける心は似て非なる心ということを理解した上で自分の
行動をつくりだすことが必要な事であろう。
物事の根本を考える習慣こそが大切な職業、技術を高めるためには、そのものの成り立ちを
深く考えることも、技術の一つ、実行してほしいものである。
ひのひら ろくべえ
いじめという問題が、クローズアップされるようになって久しい、このいじめ問題を考える時
人間の深層心理を考える必要があるのではないだろうか。つまりいじめの根本となってる心理、
「さげすむ」という心の捉え方である。格差社会の中で生まれてくる「さげすむ」心、過剰なま
での競争社会の中で生まれる「さげすむ」心この心という問題と、人を助けるという深層心理は
似て非なるものということが心理的には言えないだろうか。
つまり自分と違うという捉え方をして、上下関係的に視点を持った考え方には変わりはないと
いうことではないだろうか。自分を中心に上の人、下の人という考え方で、その考えに基づくと
「さげすむ」か「たすける」かのどちらかになってしまうのである。この考え方は現代の基本的
な考え方の中にあり、人間の深層心理の中に蔓延しているのではないだろうか。この価値観こそ
が「いじめ」という現象を表面化させているのかもしれない。
大人の世界、子供の世界関係なく、「いじめ」という問題は、形を変えて世界中に存在する。
このことは、人間本来の集団維持機能と大きく関係しているのではないだろうか。集団の中で
生き抜くためには、他者と違う自分をアピールして、他者に奉仕するという自分を創りだすこ
とが「たすける」という行為で、邪魔者扱いして、自分の競争相手を少しでも少なくして自分
が集団の中で生き抜こうとすることが「いじめ」なのではないだろうか。
この「いじめ」の心を支持している深層心理が、言葉にはしないが、「さげすむ」という
心ではないだろうか。物事には理由があるその理由を無視して見た目や、単純な違いなど軽軽
な事で、「さげすむ」この価値観こそが、ゆくゆくは偏見や差別という問題までに進んでしま
うのではないだろうか。
特に対人援助という職業を行っている人は注意をしてもらいたい、あなたの心に棲みつく二
つの心、「さげすむ」「たすける」という心の根っこは、同じものから発芽していることを心
得てほしいのである。助ける心は一瞬にして「さげすむ」心に変化してしまう事となるからで
ある。その証拠に対人援助の職場には少なからずや「いじめ」という問題がはらんでいるから
である。一生懸命援助をする人が、一方では新人職員をいじめたり、一方では部下をいじめる
という行為に走ることは少なくないと聞く。この「さげすむ」心の強さ故、助けるという行為
を行う事で、自分をアピールして集団の中で生き抜こうとしている人々なのではないだろうか。
いずれにしても「さげすむ」心と助ける心は似て非なる心ということを理解した上で自分の
行動をつくりだすことが必要な事であろう。
物事の根本を考える習慣こそが大切な職業、技術を高めるためには、そのものの成り立ちを
深く考えることも、技術の一つ、実行してほしいものである。