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迷歩録  りょうけん

2016-12-13 08:48:56 | 日記
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                            ひのひら  ろくべえ





     「りょうけん」とは「料簡」「了簡」「了見」と書く、その意味は、考えをめぐらすこと、思案、

    とりはからい、処置、耐え忍ぶこと、こらえること、ゆるすこと、と広辞苑にはある。通常使われるのは

    「りょうけん」が狭いなどと使われる。今風に言えば心が狭い、考えが浅はか、ゆとりがないとかいう事

    ではないだろうか。

     対人援助を行う時、この「りょうけん」が狭いという人は、他者を受け入れることに違和感を持ったり

     自分と違う価値観を受け入れられないという苦しみにさいなまれるのではないだろうか。それが故にか

     かわりが一方的となり、自己中心的な人という評価を受けることになるのではないだろうか。自己中心

     的であろうと、そのことがクライアントの利益につながっていれば、それはそれでいいのだが、多くの

     場合、自分の自己満足にはつながるが、クライアントの満足にはつながらないのである。

      「りょうけん」を広げる、深めるとは、日常的な興味の追求心見たなものが影響を与えるのではない

     だろうか、その追求心を如何なるもので、どのように手に入れるかは個人しだいだが、追求心を持って

     いるのと、持っていないのでは月とスッポンほど違うということになる。つまり「りょうけん」の違い

     ということではないだろうか。

      対人援助職という職業は様々な人々との「かかわり」を基盤とした職業、その職業を全うするために

     は、「りょうけん」を広げることが大切であろう。社会通念的に、善や悪と言った単純な基準ではなく

     哲学的に物事を追求する心を持って、日々暮らすことではないだろうか。

      恋であろうと、愛であろうと、そこに存在する善や悪と言った価値観ではなく、人間の本質に存在す

     るもの、の追求と言った視点が求められるのが対人援助職ではないだろうか。

      理想は法律的にも解決されていることが一番いいのだが、世の中全てがそのような順法的には生きら

     れない、車を運転する時一度も法令違反したことがない人がいないように、また順法的に走っていたら

     大混乱を起こしてしまうように、人間は臨機応変にその場に応じた生き方をする。それが「りょうけん」

     というものではないだろうか、

      つまりその人にとって、自分いとって、良きものをどのようにチョイスできるかそれが「りょうけん」

     なのかもしれない。「りょうけん」ある対人援助者を目指したいものである。
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