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迷歩録  いきちがい

2016-12-07 08:47:31 | 日記
  夢を見る  君の姿や  落ち葉道  寒さ忍びて  二人で歩く


                           <strong>ひのひら  ろくべえ







     人間のコミュニケーションには「いきちがい」はつきもの、「いきちがい」が不幸を呼び込んだり

    幸を呼び込んだりする。それ故に「いきちがい」に一喜一憂する必要はないということ。

     「いきちがい」を訂正すれば済むこと、訂正しないでそのまま放置する事こそが罪なのではないだ

    ろうか。コミュニケーションに完璧はない、だからこそ人間関係は面白いともいえる。この面白さを

    楽しむことが大切なのではないだろうか。

     コミュニケーションに恋というものがある。昔から恋に上下の隔たりなし、というように、人間の

    コミュニケーションには隔たりはない、高齢だからとか若いからとか、女だからとか男だからとか

    上司だからとか、部下だからとか、そこにあるのは自分の価値観だけなのである。行動を抑制するのも

    行動を推し進めるのも、自分の価値観だけなのだが、人間は自分の価値観に値打ちをつけて自分は立派

    な人間であることをアピールしようとするため苦しむことが多いばかりか、想いを成就させることがで

    きないことが多いのではないだろうか。

     対人援助の場だけでなく、人間のコミュニケーションに悩む人に多く見られるのが、価値観の振り回

    しではないだろうか。自分を特別な存在としてアピールするが故の苦しみというか悩みであることが多

    いのであろう。つまり人間に隔たりを持っているということでもあるのだ、対人援助に上下、男女の隔

    たりを持って行おうとしたとき、そこには必然的に行動上の隔たりが現れるということではないだろう

    か。人間の価値観というのはそれぞれであるが。胸の奥底に住む隔たりこそが、「いきちがい」を生み

    出すのかもしれない。自分に素直になれて、隔たりを解消しょうとする所に、「へだたり」は生まれな

    いのかもしれない。ということは対人援助の場での悩みや苦しみを持つことは少なくなるということで

    もあろう。コミュニケーションにおける「いきちがい」を少なくすることが、平等な対人援助に近づく

    ことができるということでもある。

     となれば、相手の欠点や短所を探すコミュニケーションから、相手の長所や才能を見出すコミュニケ

    ーションとなることで、「いきちがい」を減少させ、隔たりを無くしていく方向性を持ったコミュニケ

    ーションへ変化できるということでもあるのだろう。

     「いきちがい」はコミュニケーションに百害あって一利なし、「いきちがい」を少なくして、コミュ

    ニケーションを楽しくしたいものである。