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迷歩録   ゆずる

2016-12-22 10:13:52 | 日記
  冬至すぎ  しとしとの雨  潤いて  ばい菌嘆く  冷たき湿度


                              ひのひら  ろくべえ




     間もなく正月が来る。正月のお供え物に「ゆずりは」という植物が存在する。

    末永く続くことと、次の世代に「ゆずる」という意味でお供えをするのだそうな。

    つまり、人間的には引き際とでもいうか、この植物は新しい葉が出てきてから、古い葉

    自ら落ちていく性質を持っているらしい。その性質を人間に準えて、そうありたいとい

    う願いを込めているのであろう。個人の希望や生き方が優先的になるのは、望ましいこ

    とではあるが、過剰になると、譲れない状態が続き、行く末は共倒れと言った状態を招

    くことにもなる。

     「ゆずる」という行動は、非常に勇気がいる。しかしそのようなことを考えない、退

    職制度などのように、すべての基準が年齢となっている現代、「ゆずる」ということす

    ら、ないがしろになってきていないだろうか。この価値観は日常生活の中にもある。

     一番多いのが交通場面であろう、譲る心が事故を無くす、などの標語もあるように、

    集団の中では、うまく「ゆずる」という行動も知性の一つ、このことができるかどうか

    は、高等動物人間であるかどうかの瀬戸際でもある。下等動物では「ゆずる」という行

    動は少ないのであろう。我も我も我先に、ではなかなかうまく行かないことのほうが多

    くなる。そのことを知ったうえでの対人援助というものが必要となる。対人援助のメイ

    ン的役割に、人間関係の調整というのがある。この人間関係の調整とは、「ゆずる」心

    を、有効に使えるようにすることである。クライアントが何らかの理由で、失ったり、

    できなくなったり、できないことを、復活させたㇼ、新たに学んだり、再活用できるよ

    うにすることが、援助という仕事ではないだろうか。

     「ゆずる」という行為は何でもない当たり前の行動のように思えるが、そうではなく

    人間が人間である行動を維持するために必要不可欠な行動なのである。瞬時にその判断

    をしなければならない時、時間をかけて判断する時、様々だが、そのTPOに合わせた

    「ゆずる」行動ができるようになりたいものである。

    人間には必ず「ゆずる」という日がどなたにもやってくる。その日を如何につつがなく

    実行できるか、知性というものの働きということになる。勿論日常的な援助場面でもあ

    る。クライアントに「ゆずる」価値観というものが存在する。無理に専門家を主張して

    クライアントを説得するのではなく、「ゆずり」の心で、クライアントに心地よく感じ

    てもらうことのほうが大切なのである。

     「ゆずる」ことのほうが綺麗で格好いいことは、恥でも負けでもない、本当の勝者と

    言う事になるのではないだろうか。

     援助という行動は、人間に対する行動であることを肝に命じ、人間を知るという方向

    は失わないためにも「ゆずる」を知ってほしいものである。