青空に 白雲流れ 師走かな 迎える年の 準備気に留め
<strong>ひのひら ろくべえ
「あんらく」とは心身に苦痛がなく楽々としていること(広辞苑)とある。人間がこのような安楽な
状態を維持するのは非常に難しい。安楽という概念そのものが個人で違うのではないだろうか。安楽
な状態を維持するためには自助行為と他助行為と一致した時のみ感じることができるのかもしれない。
いずれにしても「あんらく」という感情は非常に体験しにくい感情であろう。超快感、超快楽、エク
スタシーと言った範囲のものであろうか?定かではないが、目指す価値はあるものではないだろうか。
援助の場でよくクライアントの安楽をという言葉が使われる。安楽とはなにかも議論されないまま
に言葉だけが先走る。この言葉を使うことで、とても前向きなケアをしているように聞こえるが、そ
の実態はだれも解らないそれが「あんらく」という言葉ではないだろうか。
ただ言えることは、対人援助の場での「あんらく」とは、援助者自身が安楽という体験を知ってい
るかということが、大きく影響を与えるのではないかということである。
共感すると言っても体験がないことえの共感は非常に難しい、援助者そのものが「あんらく」とい
う概念をつくりだしその概念に従う、概念を尊重するといった行為ができることが最低限の事ではな
いだろうか。このような援助者側の問題として存在することを知ることも大切な対人援助という職業
の知識ではないだろうか。知識の幅を広げられるようになりたいものである。
<strong>ひのひら ろくべえ
「あんらく」とは心身に苦痛がなく楽々としていること(広辞苑)とある。人間がこのような安楽な
状態を維持するのは非常に難しい。安楽という概念そのものが個人で違うのではないだろうか。安楽
な状態を維持するためには自助行為と他助行為と一致した時のみ感じることができるのかもしれない。
いずれにしても「あんらく」という感情は非常に体験しにくい感情であろう。超快感、超快楽、エク
スタシーと言った範囲のものであろうか?定かではないが、目指す価値はあるものではないだろうか。
援助の場でよくクライアントの安楽をという言葉が使われる。安楽とはなにかも議論されないまま
に言葉だけが先走る。この言葉を使うことで、とても前向きなケアをしているように聞こえるが、そ
の実態はだれも解らないそれが「あんらく」という言葉ではないだろうか。
ただ言えることは、対人援助の場での「あんらく」とは、援助者自身が安楽という体験を知ってい
るかということが、大きく影響を与えるのではないかということである。
共感すると言っても体験がないことえの共感は非常に難しい、援助者そのものが「あんらく」とい
う概念をつくりだしその概念に従う、概念を尊重するといった行為ができることが最低限の事ではな
いだろうか。このような援助者側の問題として存在することを知ることも大切な対人援助という職業
の知識ではないだろうか。知識の幅を広げられるようになりたいものである。