本文⑨赤牛橋(あかばはし)そばにある、
源平故事と地名の由来を記した案内看板。
車が結構通るので、正面から(道の真ん中で)撮れませんでした(笑)
さて、いよいよ「最終回」スタート!
⑧? ×
鉄道橋②のすぐ東隣り、ことでんの小さな踏切を渡れば国道方面に出られる近道の橋。
2トンまでという標識があり、コニシキさんが8人乗ったら危ない?!
⑨赤牛橋
冒頭写真の故事が伝わる場所に架かっており、小さいながら国道への抜け道。
結構交通量が多い橋で、右手すぐに「ことでん・古高松駅」。ただし無人駅。
⑩? ▲
老朽化が目立つこの橋の右手は、以前工場があった広大な空き地。
したがって渡るのは、近くの数軒のマイカーのみか?
⑪? ×
これも老朽化が目立ちますが、ある種「風情」を感じる橋です。後方は八栗山。
橋の上は板張りで、たもとには穴が…(笑)。
向こう側に小さく写っている青い「橋」のようなのは「水道管」。
橋脚のように見えるのは水門で、⑫は左端にチラッと。
⑫永代橋 (4.29判明)
左岸(屋島側)のほうが低いので、傾斜しています。
このあたり右岸は、歩行者・自転車のみ。
⑬明神橋
大橋・東照宮橋に次ぎ交通量が多い橋。手前が屋島側、後方(高松町)は県営住宅です。
屋島周回路の東の入り口に位置しています。
たもとにある石標は、「四国のみち」のもの。
20年前高松に来たとき、「仮住まい」に左手集落にあるアパートを借りて住んでいました。
⑭高橋
いよいよラスト!。左後方が屋島、右岸は牟礼町(3月に高松市と合併)になります。
昭和43年3月竣工とあり、私の免許証と一緒や(笑)
この橋手前で牟礼川が合流し、一気に川幅が広がっています。
↓高橋のたもとから、河口の庵治町方向を。
左の家並みは「ヴィラ壇ノ浦」という埋立地の新興住宅地です。
この橋の周辺が「源平・屋島の合戦」の舞台。
屋島周辺も宅地化が進み「歴史の舞台とはかけ離れた景色」になってしまっていますが、
これは屋島に限らず、日本中どこでも同じ。
遺跡を保存することと、経済の発展とは「相容れない」という証左でしょう。
最終結果: 汐入川…12本、相引川…14本、番外…2本、鉄道橋…2本の計30本でした。
そのうち、歩行者・自転車専用は5本。
「相引川編」終り
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