印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

狂歌とは短歌とはなんね

2011-09-14 22:17:49 | 史跡巡り
狂歌は、和歌の形式で,しゃれ・こっけい・風刺を目的とした短歌です。「狂歌」と云う言葉は、平安時代から用いられており,室町時代にも連歌師たちが読んでいました。風刺、諧謔はどちらかといえば江戸自体の風潮で、室町時代は制約に囚われず気軽に和歌を読むと言った感じで狂歌が存在したと思うのですが。

狂歌の起こりは古代・中世に遡り、狂歌という言葉自体は平安時代に用例があるという。落書(らくしょ)などもその系譜に含めて考えることができる。独自の分野として発達したのは江戸時代中期で、享保年間に上方で活躍した鯛屋貞柳などが知られる。

特筆されるのは江戸の天明狂歌の時代で、狂歌がひとつの社会現象化した。そのきっかけとなったのが、明和4年(1767年)に当時19歳の大田南畝(蜀山人)が著した狂詩集『寝惚先生文集』で、そこには平賀源内が序文を寄せている。明和6年(1769年)には唐衣橘洲(からころもきっしゅう)の屋敷で初の狂歌会が催されている。これ以後、狂歌の愛好者らは狂歌連を作って創作に励んだ。朱楽菅江(あけらかんこう)、宿屋飯盛(やどやのめしもり、石川雅望)らの名もよく知られている。

狂歌には、『古今集』などの名作を諧謔化した作品が多く見られる。これは短歌の本歌取りの手法を用いたものといえる。

近代以降、狂歌は全くふるわず、現在でも愛好者の多い川柳と対照的である。
ーーーー↑by goole--

昨日の人、狂歌にこってるようだったけど、現代ははやってないのかな。でも短歌の会にはいっていて、木曽にいったとかで、20句くらいつくっていて、推敲してないけれどって見せてくれた。俳句を長くした感じで読んでいた。俳句は言葉がたりないんだって。かれに言わせると。

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