印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

天嶽寺の珍しい朱色2階建て山門

2012-12-30 15:23:47 | 史跡巡り




朱塗りの一風変わった2階建ての山門です。この奥の左手の墓地には、越谷吾山の供養墓石もあります。
真ん中に上の梁をかかえているかわいい姿に目が映りました。

天嶽寺(てんがくじ)は久伊豆神社の隣にある。文明(1478年)開山と伝えられている。
その後小田原の後北条氏の城砦に用いられた。始めは北条氏から15石を寄進される予定であったようだけれど。勝負はたいへんです。今回の選挙の玉突きの結果の勝利をきにしてしまいます。
小田原の陣で北条氏は滅亡。家康公が関東に入った後、天正19年(1591年)15石の寺領を寄進の朱印状が交付されている。寄居の鉢型城も北条氏の城で、この辺まで北条氏は範囲を広げていたのですね。鐘撞き堂山の鐘はもちさられて、豊臣軍に滅亡されたというけれど。

寺は誰のもの?その時代の統治者からあたえられているのですね。昔は土地は個人で持てなくて、武士の世の中になって、褒美にもらったりしているから、今の思慮の範囲から想定できないから、こういうのときどき俳句の会で話題になってくる。

そして家康と2代秀忠と3代家光が鷹狩の後ここにもよったという。それにしても珍しい2階建てで朱色の山門でした。ここにspotを当てたいと思います。

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