印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

舎人小学校の歌

2012-11-04 12:57:41 | 史跡巡り
現在どうあるべきかを歴史がみてくれる。

見沼の歴史を調べる会の会長さんが、舎人の歴史の会にお声をかけて、それを受けての、この講演となったようだ。この方の見沼代用水(地図では淵江用水と昔の文字で書かれている)で8割潤ったと言われていた。舎人の人は初めてさいたまで講演ですと言われていた。見沼の会長さんは素晴らしい人を見つけられました。

最後に「舎人小学校の歌」を披露してくださいました。昭和38年制定その歌詞のなかに見沼代(しろ)と言う文字が入っていた。永井鱗太郎作詞、外山雄三作曲でふたりともかなり有名なかたといわれていた。
その作詞者の解説も載っていた。

「緑一色といってよいこの郷土に、そのむかし私たちの先祖は偉大な事業を完成させました。それは見沼代用水であって、これこそ先祖たちの長い間かつぼうしていた夢の実現だったのであります。
用水はその流域にゆたかな水量を恵み人々に幸せを届けました。以下略」

本当にこの用水に見沼と名前はのってなかったけれど、見沼用水だと理解している人がいて、この歌詞にあらわれていて、継承されていくことに、感銘しました。校歌の歌詞って大事なんですね。ご先祖さまのおかげで自分達がいるのです。

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