教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

たかが言葉の言い換え

2006年10月08日 | 人権
私が教職に就いた70年代には、教育現場で「欠損家庭」という言葉が残っていた。それがしばらくして「母子家庭」に変わった。しかし父親と暮らしている家庭の子どもも含めなければ、ということで「母子・父子家庭」という言葉に変わった。最近では「ひとり親家庭」という言葉が使われだしている。

私にとって、欠損という言葉には冷たく暗いイメージがある。小指の欠損、片足の欠損、片目の欠損・・・それは、幼いころ街角で見かけた傷痍軍人さんの思い出に重なる。そこにあるべきものが、戦争という大きな暴力で奪い取られてしまった、そのぽっかりあいた空間が、傷痍軍人さんの苦しみを表しているように思えたのである。その冷たく暗いイメージが、家族という暖かな言葉とくっついていることへの違和感があった。

言葉の言い換えは、家族の在りようの変化とともに始まった。今や日本の総理大臣だって離婚を経験するようになったのである。両親いるのが普通で、そうでなければ「欠損」という時代は過去のものとなっている。その変化にふさわしい言葉を選ぶことが必要だと思う。

学校では過去にも「父兄」を「保護者」に、「保護者呼び出し」を「保護者面談」に、「内申書」を「成績調査書」に言葉を変えてきた。その背景には、社会の成長に遅れまいとする学校の努力があった。そして言葉を言い換えることによって教員の意識改革にも役立ったのである。

たかが言葉の言い換えと言われるかも知れない。しかし意識が変わったからこそ、使う言葉が変わったのだとも言える。意識が変わるからこそ、使う言葉を選びなおすのではないだろうか。「ママ」「お母さん」「ババア」。「パパ」「お父さん」「オッサン」。これらの言葉には、「たかが言葉の言い換え」と済ますことができないような大きな意識の差があるのとおなじように。


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