教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

運動会のお弁当の思い出~大阪府職員研修から

2006年09月29日 | 人権
大阪府の教職員研修で、ある食品メーカーの人事担当者からお話を聞きました。新入社員の採用という場面で、企業側が人権という問題をどう考えているか、というお話の後、ご自身の子どもさんの運動会のときのお話をされ、深く考えさせられました。このような内容です。 

…私が妻を亡くしたのは息子が3年生に進級してまもない春のことでした。それまで会社人間であった私は、それを契機として、子どもの授業参観や懇談会に参加し、子育てと向き合おうとしたのです。秋になり、運動会がやってきました。妻は料理上手でした。私は子どもをガッカリさせないよう、前日の夜から料理本を見ながらお弁当の準備をしました。運動会の日、私は二人分の弁当を持ち、子どもの競技を見逃すまいと観戦し、応援しました。そして昼食時間。子どもの通う学校では、親子でお弁当を食べることになっていたので、解散と同時に子どもたちは親元に走り寄って来ます。二人でお弁当のふたお開けたときに、隣から「お母さんの作ってくれたお弁当おいしい!」という女の子の声が飛び込んできました。私の体は一瞬にして硬直してしまいました。気にしないでおこうと思えば思うほど、「お母さんが…」「お母さんの…」という会話が耳に飛び込んでくるのです。私はその場から逃げ出したい気持ちを必死でこらえ、砂を噛むような思いをしながら弁当を食べました。息子の顔をまともに見ることはできませんでしたが、声を殺して泣いていたのが伝わりました。みなさんの学校では、子どもたちは運動会のお弁当を誰と食べるのでしょうか。みなさんのクラスには、親を失くしたばかりの子どもさんはいないでしょうか。常に少数者がいることを頭に置くことが、人権尊重の一歩だと思うのです。… 

かけがえの無い肉親を亡くした後の悲しさを打ち消すことは不可能です。しかし、学校の配慮で、その悲しさや寂しさを軽減することができると思います。東町中校区でも10月1日には北町小・東町3丁目小の運動会、10月5日には東町中学校の体育大会が行われます。優しい心遣いが必要だと教えられました。

先輩から後輩へ~各部長から贈る言葉④

2006年09月27日 | 子どもたちの声
【卓球部 3-2 ○○○○ 北町小卒】 
私は9月9日で卓球部を引退しました。そこで自分の3年間を振り返りました。1年生のとき、先輩方にいろんな技を教えてもらいました。2年生のとき、後輩が2名入ってきて、今度は技を教えました。3年生のT市総体(T市中学校総合体育大会)の個人戦では、ベスト16に入ることができました。もう一勝したら賞状がもらえた試合でした。うれしさと悔しさが混じった気持ちになりました。 私が後輩に贈る言葉は、「2年生は一人だけれど1年生をしっかり引っ張っていってほしい。1年生は8人もいるから、しっかり部活動を支えていって部長を補佐してやってくれと言いたいです。努力は才能を上回る!

【卓球部 3-2 ○○○○ 北町小卒】
私は卓球部を引退しましたが、まだ時々クラブに行って卓球を教えようと思っています。部活動で残した思い出は、最初の方は試合に行っても全然勝てなかったのですが、3年生になってから勝てるようになったことです。後輩たちには部活動をサボらずに勉強も頑張っていただきたいと思います。 あと後輩のごく少数ですが、熱心なのもいいけれど、あくまでほどほどにしてくれるとうれしいです。もう一つ、2年生が一人しかいないので、これからとても苦労や悩みが増えるだろうと思うけど、頑張ってください。

先輩から後輩へ~各部長から贈る言葉③

2006年09月26日 | 子どもたちの声
【女子ソフトテニス部 3-2 ○○○○○ 北町小卒】 
私は8月2日に女子ソフトテニス部を引退しました。引退して思ったのは、とてもさびしいということです。自分が現役でやっているときは、嫌なことや苦しいことがあったら、すぐにやめたいなぁ、もうしたくないなぁ、と思っていました。でも、いざクラブを引退してみると、とてもさびしく感じました。だから引退したあとも夏休み中に何度かクラブに参加しました。でも、私がさびしいと感じている理由は、引退してクラブに行けなくなったからだけではありません。それはとても悔いの残る試合をしてしまったからです。試合が終わってからでは遅いのに、「もっとこうすれば良かった」という思いがこみ上げてきました。最後の試合だったので悔いの残らないよう終わりたかったです。それでもクラブ活動は、私にとって、とても意義がありました。いろんなことを先輩や先生に教わって一緒にやっていくことは、とても大変ですが、楽しいことでもあります。先輩に教えてもらったことを後輩たちに教えていくことは、とても難しく、私に色々教えてくれた先輩は、スゴイと思いました。1・2年生のみなさん!いろんなことをきちんと教えてあげられなくてごめんね。でも、今まで3年生がしてきたことを思い出して2年生は1年生を引っ張っていって下さい。1年生はちゃんと2年生についていって下さい。頑張って!

先輩から後輩へ~各部長から贈る言葉②

2006年09月25日 | 子どもたちの声
【男子陸上競技部 3-3 ○○○○ 東町3丁目小卒】 
僕は入部したころ練習をよくサボっていました。真面目にクラブに行き始めたのは1年のとき、試合で負けてからでした。負けたとき「悔しい」とはじめて思いました。今思えば、このとき「悔しい」と思わなかったら部長にならなかっただろうし、今の記録は持っていなかったでしょう。部長になったときは何をしていいか分からなかったけど、周りが支えてくれたおかげで何とかやってこられました。部長をしていて気付いたのですが、皆をまとめ、全体を指示していくのはとても難しいことだと分かりました。途中で色々なアクシデントもありましたが、最後は皆そろって引退することができました。後輩たちにはこれからも、いい陸上部にしていってくれると期待しています。

先輩から後輩へ~各部長から贈る言葉①

2006年09月23日 | 子どもたちの声
 中学生にとってクラブ活動は学校生活の中で大きな比重を占めています。夢中になれるものと出合った喜び、生涯を通じた友人との出会い、自主活動の苦労、先輩への憧れ、先輩になることの厳しさ。それら様々な貴重な経験を残しながら、今年も3年生が引退時期を迎えました。各クラブ部長からの贈る言葉を紹介します。

【美術部 3-3○○○○ 北町小卒】クラブ活動で残した思い出
美術部で二人の先生に出会った。一人はひげをたくわえた、ドスのきいた男の先生。もう一人は、いつも明るくふるまっている女の先生。

男の先生に出会ったのは、一年生の頃でした。第一印象は、TVゲームのマリオそっくりでした。マリオ先生に絵のデッサンと水彩画の基礎と絵を描く楽しさを教えてもらいました。

もう一人の先生からは、一つの固定観念を捨て自由な発想をすることが大切だということを教えてもらいました。それでパンとアートの融合というテーマにチャレンジさせてもらいました。自分にとっては、二つの好きな事を一つにするチャンスで、とっても遣(や)り甲斐(がい)があった。

美術部では、もっと作品を作って発表したかったと思いました。2年生の時、あまり部活動に行けないときがあり、あまり絵を描くことができず残念だった。

自分が下級生のときと3年生のときと、どう違ったのか。自分が下級生のときは、ただ先輩の指示に従い絵を描いていましたが、いざ上級生になると、ただ美術部にいるだけで、下級生のときとは違う重みがありました。上級生になると、後輩をまとめてだらしない部ではなく、しっかり活動をする美術部にしようと頑張るのですが、自分の意見を押し付けるだけでは後輩も聞いてくれない、そういうことで気持ちが空回りしていました。

美術部後輩たちへ一言。美術部では絵を描く力を身につけてほしい。和気あいあいとしながらも、真剣なクラブ活動にしてほしい。

保護者の声~電話の対応が不安でした

2006年09月22日 | 読者の声
『かけはし』31号に掲載した「電話の印象」について、早速メールでご意見をいただきました。内容は、子どもさんが病気で学校を休むので電話をかけたところ、「はい」とだけ言われたので、間違え電話をかけたのかと不安になり、一瞬言葉に詰まってしまったというのです。少し間をおいて「東町中です」と言われたので用件を伝えたのですが、ちゃんと担任の先生に届いたのか、不安が残ったということでした。

電話を受け取った職員が①自分の名前を伝え、②欠席する生徒の名前を復唱し、③「担任の○○に伝えておきます」と言ってもらえば安心感があると思います。顔がみえないからこそ丁寧な対応をしてほしいという気持ちが伝わりました。

公立学校・私立学校合同人権教育交流会に参加して

2006年09月20日 | 進路保障
『大阪私立学校人権教育研究会』『大阪市人権教育研究協議会』『大阪府人権教育研究協議会』の3団体が交流会を持つようになったのが1983年のことです。この3団体が交流を行うことにより、私立高校進学に様々な「差別」が持ち込まれないことがないよう努力してきました。具体的には、①面接時の配慮を欠いた質問や威圧的な質問をなくす②障害があることだけで受験の機会が奪われることがないようにする③中学校学習指導要領(学習基準)を超えた入試問題(難問・奇問)の出題をひかえる④進路相談や見学会に際して私立学校側が中学校教職員に対して接待を行わないようにする、といった取り組みがそうです。

 9月13日に行われた交流会は、①公立中学校と私立高校の連携②子ども集団とコミュニケーション力の育成③発達障害のある生徒の学習と人権の3つの分科会に分かれ、300名を超える参加を得て行われました。

全体会では今年度の入学試験のまとめが私立学校側から報告されました。私が特に印象に残ったのは、①面接試験で中学校側から指摘された問題と②障害がある子どもたちの受験についての報告です。面接試験についていくつかの事例を報告します。

【事例1】家族関係についての質問では①出願から受験までの間に姓の変更があり、そのことを中学校校長から伝えたにもかかわらず面接試験の場で質問された。②家族構成について詳しく聞かれた。
【中学校側の見解】家族構成などは、本人の能力や適性に関係のないものである。面接で質問されることによって、保護者の死別や離婚が、合否に不利になるのではないかと受験生が不安に思う。
【事例2】身体や病歴にかかわる質問があった。
【中学校側の見解】身体のハンディーや病歴は、入学後の高校生活を安全に過ごすうえで大切な情報である。しかし面接試験で聞かれると、それが合否の判定に悪い影響を与えるとの不安を受験生が抱く。必要な情報は合格発表後に伝えるので面接の質問内容から外してほしい。
【事例3】面接官の基本姿勢について。①「恋人はいますか」「個人情報を公開してもいいか」というような、面接官の資質に疑問を持たせるような質問があった。②不登校状態があったことへの配慮を中学校側からお願いしたにもかかわらず、「欠席理由を繰り返し質問され涙ぐんでいた」という事例もある。生徒が答えにくい、あるいは気にしている事をあえて質問するという威圧的な姿勢は、「子どもの可能性を引き延ばし、良い面をしっかりみる」という面接の趣旨に反するという指摘があり、私立学校側としても真剣に受け止めたいということでした。

 障害がある子どもたちの受験については、ここ十数年で大きな前進がありました。昨年度の入試では①弱視や肢体不自由のある場合の試験用紙拡大と受験時間延長②別室や保健室での受験保障③発作時にそなえ付き添い者の待機④難聴の子どもについては英語リスニング試験を別問題にして面接時は手話または筆談も認める、といった配慮がありました。私立高校の対応は基本的には個々の学校で異なり、A高校では認められたことがB高校では認められないということが存在します。しかし、だからこそ個別の対応で終わらず、このような交流会の場でそれぞれの対応を検証していくことが大切なのだと私は考えます。

 私立学校と公立中学校とは経営母胎が異なり監督官庁も別(公立学校は教育委員会、私立学校は大阪府生活文化部私学課)なため、互いの意思疎通が困難になりがちです。しかし公・私立の壁を越えた研究交流や入試制度論議が進むことが、子どもたちへのより良い教育保障につながると思いうのです。

運動会・体育大会でめざしているもの

2006年09月10日 | 自主活動
見る人には勇気と感動を与えたい

みなさんは、夏の高校野球を覚えていると思います。3連覇を狙う駒大苫小牧と初優勝を手にしようとする早稲田実業との決勝戦再試合は、多くの人に感動を与えました。普段は野球に興味を持たない人も、炎天下で繰り広げられる試合に、心を熱くしました。

潔(いさぎよ)く、フェアーで、全力を尽くしている人の姿は、それが身近な人でなくとも私たちに感動と勇気を与えてくれます。これは甲子園だけのことでなく、みなさんの体育大会や運動会でも、そうなのです。体育大会や運動会を見に来られた地域やご家族の方は、みなさんの全力を尽くす競技や演技に感動と勇気を得るのです。

友だちの素晴らしい点を発見したい

競技と演技を行うみなさんには、日常の授業では気づきにくい友達の頑張りや素晴らしさを発見してほしいと思います。私たちは力を合わせて同じ仕事をやりきる中で、お互いを仲間と感じられるものだと思います。「押し付けあうことなく選手や係を決定できた」「応援の練習や応援旗の作成に一緒に残ってくれた」「椅子を運び出すときに手伝ってくれた」「自分の競技の時に友だちの声援が聞こえた」そんなできごとの一つひとつが何よりも貴重なのです。これが逆になると、たとえ競技の中で勝ってもクラスの中に溝が生まれます。

数年前のことです。東町中では3年女子の体育委員長が、こんな呼びかけをしてくれたことがあります。今年も同じ思いの人がたくさんいることと思います。

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3年生にとって明日は最後の体育大会。だから絶対、なにがあっても体育委員になりたかった。体育大会は大変と聞いていたし、ましてや3年生だからすごく大変。だから、やりがいがありそうだった。それに最後の最後で目立ちたかったし、自分がいること、頑張っている姿をみんなに見てほしかった。

体育委員は大変です。みんなが気づかないところで頑張っています。全体練習がある朝は、7時50分から集まってラインを引く。どうせ消えるけど引く。みんなが砂ぼこりをたてて歩くとラインは消える。だからちゃんと歩いてほしいと思う。でもやっぱり消える。

みんなが家に帰った後、私はグランドで「にがり」をまいて、トンボでならして、砂まみれで家に帰る。メッチャ大変。競技一つひとつの順位・得点を記録する用紙を放課後残って黙々と作った。メッチャしんどい。こんなに努力している体育委員。だから本番の体育大会ではメッチャ感動、メッチャ思い出になるような体育大会にしたいし、みんなに感動してほしい。だから協力しましょう!

鍵のない教室

2006年09月08日 | 生活指導
私が転勤して東町中に来たとき、様々なことで驚きました。広大な運動場、広々とした中央廊下、2階建てを基本とした贅沢な校舎配置がそうです。でも私が一番大切に思ったことは、教室に鍵をかけないということでした。

東町中は、木工室や理科室など様々な器具や薬品が保管されている特別教室には鍵をかけていますが、皆さんが日常的に使う教室には鍵をかけていないのです。前任校では、盗難防止のため教室に鍵をかけていました。朝夕だけでなく、音楽や体育の授業のたびに日直が鍵の開け閉めを行っていました。日直の生徒が教室に戻ってこないので、他の生徒がずっと廊下で待っている、そんな光景をよくみかけました。 

「東町中生は、信頼されているんだ。」私は、そのことがとても大切に思えました。

しかし、私が勤めている12年の間に何度か盗難事件や持ち物を隠すという事件がありました。そんなときに「教室に鍵をかけたい」という意見が出ました。私たちは、その度に盗難防止を呼びかけ、鍵をかけない教室に象徴される『信頼』を大切にしたいと願ってきました。今まで鍵がなくても教室やみなさんの持ち物が守られてきたのは、先輩たちが『信頼』を大切にしてきたからなのです。

ところが、今回、学校で持ち物がなくなるという残念なできごとが起こりました。私は、物を盗られたり隠されたりした人の悔しく腹立たしい気持ちがよく分かるつもりです。それと同時に、物を盗んだり、隠したりする人の寂しい気持ちも考えてしまいます。

人の目を気にしながら、友だちの物を盗む、隠す、そんなときの表情を思い浮かべて下さい。せこく、ずるく、友だちへの悪意がこもる、一瞬であっても、そんな表情が東町中生の誰かの顔に浮かぶ瞬間があるとすれば、それはとても残念で、悲しいことだと思うのです。誰かが嫌な思いをし、不幸になれば、自分が幸せになれるのでしょうか。人は他人を陥れても、決して幸せにはなれないのです。

自尊感情と少年犯罪

2006年09月05日 | 子ども理解
残された人生をだいなしにする少年犯罪
「どうして今の子どもたちは、こんなにもたやすく自分の一生を棒に振ってしまうのだろうか。」徳山高専での同級生殺害事件や北海道での母親殺害事件を念頭においての職員室での会話です。10代で殺人事件を起こした子どもは、そのあとの数十年を「人を殺した重み」を背負って生きていかなければならないのです。それは、自分の一生を破滅させることになるのです。

生徒指導を担当しているときに様々な事件にかかわる子どもと接してきました。その子どもたちに共通していることは、自分を強く見せたいという虚栄心を持ちながらも(虚栄心がない人は少ないと思います)、正しい意味での自尊感情を持っていないことが印象的でした。

自尊感情という倫理観の基礎が崩壊している
「日本人の倫理観は、単に自分の周囲の『人の目』だけでなく、先人たちや恩師たち、そして自分自身に対して恥ずかしいという感覚にも支えられていたのでる。…『人の目』のみを気にするように恥の文化が縮小してしまい、それ故『人の目』が気にならなくなれば何でもやってしまうのが現在の日本人の姿なのではないか。…自分自身に対する自尊感情がある人間ならば、『人の目』がないところでも、何でもやり放題ということにはならない。自尊感情とは自己信頼と言い換えてもいい。自分自身が尊い存在であることを認めている人。尊重されるに足る存在だと感じている人。自己を信頼し自尊心のある人は、『私としたことが恥ずかしい』ということはあまりしないし、してしまったとしても反省する。しかし、自尊感情が低く『自分なんかどうせたいしたことがないんだ』と思っている人は、『人の目』がなくなってしまえばどんなことでもできてしまう。」(『生きる意味』上田紀行著 岩波新書)

国際比較で見られる日本の子どもたちの特徴
少し古い資料ですが、1995年~96年にかけて、世界の6都市(東京、ソウル、北京、ミルウォーキー、オークランド、サンパウロ)で11歳の子どもに対して行った調査結果が『ベネッセ未来教育センター』から発表されました。その調査の設問で、「とてもよく当てはまる」と答えた東京の子どもと海外5都市の子どもの平均値との比較が左下の表です。自分のことを「人気がある」「正直」「親切」といったプラスイメージを持っている子どもの少なさを、どう考えたらよいのでしょうか。「自分はたいしたことのない人間だ」「私の将来もたいしたことがない」11歳の小学生から明るい未来を奪う社会に私たちは住んでいるのです。

私たちは何を始めるのか
間違ってはならないのですが、子どもが大阪大学生であっても、東大寺学園の生徒であっても、それだけでは子どもの一時的な優越感は育っても、自尊感情は育たないのです。子どもたちが自尊感情を抱く一番の出発点は「かけがえのない存在として親から愛されている」という気持ちです。子どもが○○大学に合格したから愛してあげる、そんな親はいないはずです。自分が産まれてきたことを親が無条件で受け入れてくれているという安心感が、子どもの成長のうえで必要なのです。『かけはし』29号で、私は埼玉県プール事故の遺族戸丸さんの手記を掲載しました。亡くなった瑛梨香さんが、ご家族にとってかけがえのない存在であったことが伺え、家族の無念さを思うと涙が流れてきます。子どもが生きているというだけで、どれだけ幸せなことだったのかが、この手記で胸に刻まれます。ぜひ子どもさんとご一緒に、この手記を読んで下さい。

自己イメージについて    
スポーツがうまい子(東京17.7% 海外5都市平均38.8%)
良く勉強ができる子(8.4% 26.2%)
友だちから人気がある子(9.8% 27.8%)
正直な子(12.0% 43.7%)
親切な子(12.3% 44.7%)
よく働く子(14.3% 45.1%)
勇気のある子(19.0% 42.2%)
将来どんな大人になるか
皆から好かれる人になる(10.5% 38.0%)
幸せな家庭をつくる(38.6% 70.1%)
良い父親・母親になる(21.1% 67.7%)
仕事で成功する(20.6% 51.3%)





夜更けの爆竹

2006年09月03日 | 地域連携
夜中、けたたましく鳴り響く爆竹の音。経験された方は、おられるでしょうか。私は公園のすぐ近くに住んでいたことがあり、ひと夏に何度かこの音を耳にしました。それほど気にならないときもあるのですが、ときには腹立たしく思い、ついつい公園に出かけます。

みなさんは、夜更けに公園で爆竹を鳴らしているというと、どういう人物像を描くでしょうか。私もゴンタそうな子が騒いでいるのかと思っていました。しかし公園に着いてみると、眼鏡をかけたおとなしそうな少年たちがいました。

「兄ちゃんら、楽しそうやけど、もう、おっちゃんにとっては寝る時間やねん。終わってくれるか。」「分かりました。すいません。」

塾の夜の部は、ほぼ10時から10時半頃に終了します。その後、塾帰りの子どもたちが、コンビニでジュースと一緒に花火や爆竹を買い、つかの間の気晴らしをするのが11時ごろとなるのです。私が公園で出会うのは、ほとんど塾帰りの子どもたちでした。頭ごなしに叱るのではなく、子どもたちに同じ街の住人として、お願いをするのです。私自身は、まだまだ寝ませんが、もう寝ようとしている方々のことを思い話をすると、みんな理解してくれました。

あるときは、3歳ぐらいの孫を連れた60代のおじいさんが爆竹をしているのに出会ったこともあります。「すみません。孫がやりたがったもので。」孫がねだっても、こんなにおそい時間はダメだよと諭すのがおじいちゃんの見識でしょう、と言いたいのをぐっとこらえて、「それじゃあ、そろそろ終わって下さいね。」としか言えませんでした。

オシムの言葉~東町中学校始業式校長の話から

2006年09月02日 | スポーツ
イビツァ・オシムという人がいます。誰?それ?と思う人もいるでしょう。初めて聞いたときはわたしも誰?と思いました。サッカーのワールドカップが終わって、ジーコ監督の後任はだれか?となったときに「オシム」の名が出ました。サッカー界の人はもちろん、新聞やテレビなどのメディアからも多くの期待が集まりました。

世間では「オシム語録」なんていわれてオシムが喋ったことが多くの人の関心事になっています。確かに、選手を限界まで走らせることや試合前日でも練習すること、休日なしでの練習など、これまでの監督とはまったく違う練習で変わった人物という印象はあります。でも、そのことで「なぜこんなにも騒がれるのか?」と思い一冊の本を手にしました。

「オシムの言葉」ユーゴスラビア監督辞任記者会見1992年
「辞任とはわたしが取り得る最終手段だ。私はユーロに行くことはない。スウェーデンには向かわない。これは圧力ではない。私が自分で決めたことだ。それが私がサラエボに対してできる唯一のこと。あなた方は受け取りたいように受け取ればいい。私は説明しない。思い出してほしい。サラエボの人間だ。サラエボで、今何が起こっているか、皆さんご存知だろう。何を言ったらいいか、もうわからない。何を言ったところでNGだ。人生においてはサッカーよりも大切なものがたくさんある。ユーゴスラビアはバラバラに分れてしまった。今言えるのは、それだけだ。もう戦争を繰り返して欲しくない。でも、わからない。バカな人間は、いつの世にもいる。」

ユーゴスラビアの内戦によってサラエボのオリンピックスタジアムは死体収容所となりました。ストイコビッチを擁するユーゴスラビアチームの監督でもあったオシムにとって、思い出深いこのグランドの土の下には、何千人という死者が眠ることになるのです。このような状況の中で監督辞任記者会見が行われたのです。

監督としての信条、信念は?
「そもそも私は監督と呼ばれるのが嫌いだ。私の国では監督をトレーナーというが、もともとの意味は調教師だ。馬などの動物に芸を教える調教師がサーカスにいるだろう。私は調教師ではない。言うならば教師だ。サッカーの基本や人生の基本を選手たちには教えている。もし強制する場合には、理由と効果を説明することが大切だと思っている。」

監督として自信がある能力は?
「重要なのは自信ではない。他人の評価だ。自分自身を正しく見つめるのは難しい。だから自信など持たずに、足りないものが何かを知るべきだ。鏡に自分を映してありのままの自分を受け入れたほうがいい。鏡が歪んでいるときに、それを指摘してくれる友人も必要だね。」

「ライオンに追われたウサギが逃げ出すときに、肉離れをしますか?準備が足らないからです。」「やることをやって、もし負けるのなら、胸を張って帰れるはずだ。」

イビツァ・オシムは有名な監督である。しかしながら、単にサッカーを教える人でなく、サッカーを通じて「生き方」を学ばせる人である。そのことが、世間の注目を集めているのではないだろうか。2学期のスタートにあたって、再度、自分を見つめ直し、積み上げてきたこと、今後、積み上げていかなければならないことを考え行動してほしいと思います。

埼玉県ふじみの市プール事故遺族の手記

2006年09月01日 | ニュースを読む
 事故から一ヶ月、新学期を前にした8月31日、ご両親の思いを綴った手記が発表されました。事故への静かな怒りと娘への言葉に言い尽くせない深い愛情がくみ取れる内容です。子どもたちの命を預かるものとして、この思いを大切に受け止めたいと思います。

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私たちの大切な宝物、瑛梨香が7才10カ月という短い一生を終えてから、一カ月がたちました。
 瑛梨香の事故以後も、全国各地で何の罪もない子どもたちが犠牲になっている事件や事故が起きており、それらの報道に接するたびに、私たち家族と同じような悲しみ、苦しみ、悔しさに耐えていかなければならない家族が、またできてしまったと、やりきれない思いです。
 瑛梨香も、家族やお友達と楽しく過ごすはずだった、長い夏休みも終わり、明日からは学校がはじまります。瑛梨香が大好きだった小学校。お友達や先生方と楽しく過ごした教室。そして、お友達とボールや一輪車で遊んだ校庭に、瑛梨香の姿はもう無いのだと思うと、切なくて涙が止まりません。
 突然の事故で、大事な瑛梨香を亡くした事。その悲しみはどんなに月日がたっても変わる事はなく、毎日家族で瑛梨香の遺影を涙の中から見つめております。
 瑛梨香が亡くなって改めて気づかされた事もあります。それは、瑛梨香が私たち家族だけでなく、たくさんのお友達、地域の方々そして学校や幼稚園の先生方に大事に育てていただいてきたという事です。
 子供達にとっては、受難の時代とも言えるような今の社会のなかで、瑛梨香はお陰様で、多くの方々の愛情を頂き、心も身体もすくすくと育っておりました。その瑛梨香の、これからの学校生活、成人式や母親になった時の姿などを夢みて楽しみにしておりました。それが、一瞬にして目の前から消え去ってしまった悔しさ、つらい思いは、いまだに何にたとえようもありません。
 あの事故がきっかけで、多くの方々の瑛梨香への思いが、全国のプールの安全を呼びかける「大きなうねり」になったのだと心から思えますように、「原因と責任の所在」を明らかにして頂きたいと思います。
 そして、二度と今回のような事故が起きないように「安全で楽しいプール」をつくっていくためにも、確固たる防止策を講じて頂きますよう、強く期待しております。
 最後になりましたが、多くの方々から、私たち家族への励ましのお言葉や、温かいお気持ちを頂きまして、ありがとうございました。これから、遺(のこ)された家族で、力を合わせて頑張ってまいりますので、温かく見守って頂きますよう、お願い申し上げます。
平成18年8月31日
戸丸 勝博
   裕子