教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

N先生へのメッセージ②~退職を祝う会に向けて

2010年03月05日 | 教員像・教員論
H中学で再開した時、先生は既に50歳を迎えていました。年齢を重ね、先生の仕事ぶりはますます丁寧になっていました。子どもたちを前に実演する先生の模範演技は、20代の頃とちっとも変わらない美しい身のこなしでした。そのことを告げたとき、「この一回の模範演技を無事に終わらすために、全エネルギーを割いているんやで。ほんまは、息が切れるほど体がしんどいのを何とか隠しているねん。」とそっと教えてくれました。そう言えば授業が終わってもグランドから戻ることなく、北風が吹く中でラインを引いたり、ボールや用具を揃えたりと、いつも準備に忙しくされていました。「事前の準備を充分行うことで余裕を持って授業に臨むことができ、その余裕が体力の衰えをカバーしてる。」と言う言葉に50代を迎えた先生の魅力を改めて感じたのです。「うちの父ちゃんよりはるかに年上やのに、凄い。」子どもたちは、本当に先生のことを尊敬していました。

体育科の教員は、どうしても全体指揮をする機会が多いのですが、50代になった先生の全体指揮は、本当に穏やかで、怒鳴り声の無い全体指揮でした。子どもたちは、怖いから指示を守るのではなく、先生のことが大好きだから指示を守っていることが、よく伝わってきました。

こんな風に言うと、聖人君子のような教員に聞こえますが、若かったR中時代の先生は、まだまだやんちゃで遊び上手な先輩でした。一緒に飲みに行かせてもらうことも良くありましたが、本当に明るく楽しいお酒でした。最近は9時過ぎれば寝ると言う『良い子』になられたと聞きますが、今夜は教え子たちと夜更かしし、楽しい時間を過ごして下さい。

先生、本当に長い間ご苦労様でした。そして、ありがとうございました。


N先生へのメッセージ①~退職を祝う会に向けて

2010年03月04日 | 教員像・教員論
N先生!長年のお勤め、お疲れ様でした!

先生の退職の噂を聞いた卒業生のKから『祝う会』を行いたいのでビデオ撮影に来ると言われ、本当に暖かな気持ちになりました。きっとN先生は、卒業生に囲まれながらこのメッセージを聞いていることと思います。この場を借りて、先生との思い出と、感謝の言葉を述べたいと思います。

私が先生と初めてお会いしたのは、お互いが未だ20代の頃でした。先生は2校目、私は新卒としてR中学校に一緒に赴任したのです。しかも男女それぞれのバスケ部の顧問として。前任校でチームを近畿大会に率いていた先生は、既に大阪のバスケットボール界では、有名な存在でした。駆け出しの素人の私が男子バスケ部の顧問となったため、本当にたくさんのアドバイスをいただきました。(全然生かせず、申し訳ありません)しかも子どもたちがいる場では私に任せ、子どもが居なくなった後でそっと教えてくれるというアドバイスの仕方でした。未熟な新卒であっても、指導者として立てようとする心配りを感じました。

しかし何よりも一番学んだのは、生徒指導についてでした。私が先生の後釜として生徒指導主事に選ばれた後も先生はR中学校に残って下さり、生徒指導主事の仕事について教えていただきました。先生の生徒指導主事像は明快でした。「生徒指導主事は、自分が一番しんどいなんて考えたらアカン。一番しんどいのは、学校で一番しんどい子を担任している先生や。その担任の先生が、少しでも楽になるように苦労を分かち合うのが生徒指導主事の仕事や。」その言葉を聞き、先生が生徒指導を担当していた3年間の仕事を改めて思い起こし、納得するとともに、自分もまたそうでありたいと考えました。

生徒相談室には、先生の残された膨大な資料が綺麗にファイルされ残されていました。校内の諸会議は勿論のこと、他校・補導センター・地域・警察などとの連絡会の持ち方などが整然と整理されていて、資料を手にすれば会議の進め方が分かるようになっていました。私が生徒指導主事の仕事に就いた1年目はR中学が大きく荒れた年だったので、このファイルは本当に役に立ちました。強面の見かけとは違い、本当に細やかな心配りをされるのが先生の本当の顔だと分かりました。(つづく)


小学校A先生へのアドバイス

2008年07月23日 | 教員像・教員論
 今日の教育相談は実りがありましたか?私は明日から五年生と鉢伏高原へのキャンプです。

 2ヶ月ほど教室に入り気になっている点を伝えます。それは、子どもたちからの「先生!」の声を大切にして欲しいと言う事です。

 私は教室に入っていて、「◎年◎組の子どもたちは担任の先生から認めて欲しいと願っているんだな」と感じました。その証拠に子どもたちは、しょっちゅう「先生!」とAさんを呼びます。子どもたちは、Aさんが誰かと話していても、おかないなしで呼び続けます。
 
 もちろん子どもたちのマナー違反なのですが、気になるのはが子どもたちの声に反応できれていない点です。5~6回に一度しか返事ができていません。子どもの声が聞こえてないなら聞けるように頑張って下さい。視野を広げ、生徒の誰かと話していても視野の隅には教室全体が入るよう努力して下さい。難しいですが、意識して臨めば、徐々に視野は広がります。

 子どもたちの声が聞こえるようになれば、反応してあげて下さい。それは、すぐに子どもの話に乗ると言う事を言ってるのではなく、「今、○○さんと話してるから待ってね」と笑顔で言い聞かせる時もあれば、「さっき説明したのに聞いてなかったの!」「質問や意見は後で聞きます。今は先生の話を聞く時間です。」と諭す場合もあります。

 大切なのは、「先生を呼んでるのに無視された」と子どもに思わせない事です。 子どもは、先生が良い話をしてくれるよりも、自分の声に耳を傾けてくれる方を 選びます。教員と言う仕事を続けていく上で大切な事です。ぜひ頑張って下さい。

 それでは、おやすみなさい。

ある先輩教員の死 お嬢さんへの手紙

2006年07月04日 | 教員像・教員論
 早々のご丁寧な年賀、ありがとうございます。昨年、○○○○先生のご逝去のお知らせをいただき、本当に驚きました。お返事を書かねばと思いながらも、日ごろの仕事に追われ、今日の日を迎えてしまい、申し訳ありません。

 私は1979年~83年までの間、R中学校で先生とご一緒に勤務させていただいた者です。私にとっては、教員生活のスタートを切る時期が、先生にとっては、教員生活最後の締めくくり時期と重なったのです。特に新卒からの3年間は同じ学年所属、そのうち2年と3年の担任の際には、先生が1組で私が2組という隣同士のクラスを持たせていただきました。先生は英語科で私は社会科という違いがありましたが、未熟な後輩を気遣って、「先生の思うように頑張って下さい。もし苦情が出れば、いつでも私が引き受けます」と言葉をかけて下さいました。幸いにして、先生にご迷惑をかけるような事件はなかったのですが、いつも温かく支えて下さいました。

 先生から思いおこされるエピソードをいくつかお知らせします。
 第1に、いつも身だしなみに気遣われるお洒落な紳士でした。浅い色のスーツがお好きで、頭には帽子、靴はいつもピカピカ。頭の先から足元までのこだわりがありました。

 第2は、点数よりも人の道を大切にした授業です。教科書を使う普通の授業はなかなか始まらず、人はどのように生きるべきかを中学生に説いておられました。私は直接先生の授業に接することがなかったのですが、生徒たちが記入する学級日誌を読むと、英語の授業欄に学習内容として「説教」とか「無手勝流について」「命について」などと記されていました。5月になってもそんな様子なので、生徒たちはいつになったら英語の授業が始まるのかと心配していたようです。それでも先生は、生徒たちの心配にはお構いなく、自分の信念に基づいた『道徳英語』(これは私が勝手に名づけていた)を実践されていました。

 第3に、口癖ともなった「お前らと心中する」です。当時のR中学校にはやんちゃな生徒が多かったのですが、問題行動を繰り返す生徒に対し、先生は「お前と心中する!」と一喝されました。やんちゃだけど純真だった生徒たちは、先生なら本当に心中しかねないと思い恐れていました。先生の額にはこぶがありましたね。生徒たちは、あのこぶの中に第二次世界大戦中の手榴弾が入っていると噂し、信じきっていました。

 第4に、絵です。先生の絵は細かく精密な作品で、中学校の文化祭にも職員作品として出展して下さいました。随分以前の作品ですが、私はインディアン老人の作品が気に入っていました。毎年どんな作品が登場するのか、私は楽しみでした。

 第5に、占いです。先生は職員の結婚や出産などの相談を受けることがあり、そのたびに占いによるアドバイスをされていました。先生はこれが本職で教師は副業だともおっしゃっていました。先生は、ちょっと謎めいた存在でもあったのです。

 今、手紙を書きながら先生のことを思い出していました。失礼な内容もあったかもしれませんが、お許しください。2006年1月3日