教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

「全国学力テスト」について

2008年03月29日 | 教育資料
 ジュネーブに本部を置く『子どもの権利のための国連NGO Defence for Children International Japan section』が次のような要請を行っているので掲載し、紹介いたします。
http://www.dci-jp.com/dci-now.html


文部科学大臣渡海紀三朗様                         2007年11月

Defence for Children International
子どものための国連NGO
DCI日本支部代表 福 田 雅 章
171-0022 東京都南池袋3-11-2メイハウス 101号室
T・F 03-5953-5111
 
子どもの権利条約や国連子どもの権利委員会の「勧告」に違反する「全国学力テスト」は中止してください

 
 日頃からNGO活動に対して、ご支援・ご協力を賜り心から感謝申し上げます。
早速ですが、「子どもたちの人格、才能、そして精神的・身体的な能力を本来可能性としてもっている最大限度まで発達させること(要約)」を教育の目的として掲げ、どの子にもこのような教育が保障されることを求めているのが、日本政府が13年前に批准した子どもの権利条約です。
 さらに、本条約の国内における実施状況を報告した政府報告書(1996年5月・2003年11月)の審査の結果、日本政府に送付された「勧告」では、「過度の競争的な教育制度のもとで、子どもたちがストレスにさらされ発達のゆがみをきたしている(要約)」と指摘(98年6月)され、04年1月の「勧告」では前回の勧告が実施されていないので、「再勧告」すると言われています。
 今回の「全国学力テスト」は、まさに「過度の競争」をあおるものであり、子どもたちの声からもくっきりとそれが浮かびあがってきます。「平均点より上の子は,セーフって感じだろうけど下の子は、うちらのせいで、イロイロみんなに迷惑かけちゃってみたいな。。。」「うちらがアホなんは、学校のせいじゃないし、親のせいでもないし、自分が頑張らへんせいやねんから、お願いやから、周りを責めないでって感じかなあ。。。」 この叫びをどのように受け止め、お考えになりますか?私たちは、小・中学生がこんな思いをかみしめているのかと思うと、ただただ、ずきずきと胸が痛みます。
 しかも今回のテストには、下記のような問題点もありました。
 
① 採点・集計など民間企業丸投げで、企業の儲けの一助になっていること
② アルバイトに委託した採点のやり方にも疑問を禁じ得ないこと
③ 点取り競争の結果、事前対策など不正につながったこと

 
 以上のような「学力テスト」にたいして、下記のように強く要請します。
 

           記
 
1,今年度実施されたような「全国学力テスト」は今年限りとし、来年度からは中止することを心から求めます。
 
 


中学校の卒業式に出席して

2008年03月26日 | 学校の話題
○○小学校で5年・6年と担任を受け持った○○先生が卒業式に参加したので、感想を書いてもらいました。


 初めて担任し、初めて卒業させた子どもたちの晴れ姿は、きらきらとまぶしく輝いて見えました。一人ひとりを見つめては大きくなったと感動し、でもふとした仕草や歩き方で小学生の頃と変わらない一面を見つけて、思わずほほえんでしまったりしました。
 一方で、小学校で自習をしている今担任している子どもたちのことが常に頭をよぎってもいました。中学校卒業式のことを話すと、「行ってらっしゃい!」と快く送り出してくれた子どもたち。プリントはできているだろうかとか、今は休み時間だなあとか、3時間目が始まったなあとか、次々に思い浮かんでいました。同時に、この子たちもあと4年後には、今目の前にいる彼らのようにきりっとした顔でかっこよく中学校を巣立っていくのだろうなあ、と思いました。その数年後がとても楽しみであり、そのためにも今の毎日を大切に共に過ごさねばならないと改めて感じました。
 先生という仕事は幸せだなあとしみじみした一日でした。
○○小学校 ○○○○○

全国学力テストがもたらす不正常な実態

2008年03月24日 | 教育行政・学校運営
 東京の学校に勤務する友人との話の中で学力テストの話題になった。「テスト対策の練習問題をやらせるのが時間の無駄だ。」と言った意味がしばらく分からなかった。よく聞くと東京では学力テストの対策として『指差し』(試験監督の教員が答案用紙のなかの間違った箇所を指差して教えるという不正行為)や『書き直し』(間違い箇所を教員が書き直す)というような明らかな不正行為以外にも、今回のテストを作成したベネッセから練習問題を購入し、類似問題をさせていたという。「練習問題なんかしてないで。」というと、今度は友人が驚いた。「そんなことないで。絶対やってるって。」(東京に住んで30年たつというのに、大阪弁丸出し)私が「大阪の学校でそんなアホなことやってる学校は、一つもない。」と言い切ると「そうなんか。」と、考えこんでいた。

 東京では学校選択性が進行し、学力テストの学校平均点が生徒集めの鍵となる。そのために校長以下多くの教員が学力テスト対策に躍起とならざるを得ないらしい。それに引き換え大阪の教員の多くはこの手の学力テストに対して懐疑的であり、特段の手立てをすることなく本番に臨んだ。小学生の中には、当日になるまで問題用紙と解答用紙が別になっていることすら知らない子どもいたと聞いている。

 このブログをお読みの全国の学校関係者は、どうだろうか。やはり練習に時間をかけたのでしょうか。ぜひ教えていただきたい。

不登校対策委員会の論議から(200X年4月)

2008年03月24日 | 不登校問題
1.11月の欠席者(略)
2.各学年の欠席率(略)
  学年延べ欠席者数÷授業日数÷学年在籍数=学年欠席率

3.考察~昨年度の取り組みを振り返って
 【欠席問題をどうとらえていたか】昨年の不登校対策委員会で①小規模校であるが故に学年の子ども集団の持ち味の差が、顕著になりやすい、②小学校時代から不登校生を抱えていた学年は不登校者を増大しやすいというのが経験則としてある、③それぞれの学年の傾向をよく把握し指導にあたる必要があるという指摘を行った。

 【不登校を作り出す要因】としては所属する学年集団の弱さとして考えた。文部科学省も認めるように「不登校はどの学校、どのクラス、どの生徒にも起こりうる」ものである。社会生活が不得意という個性を持っているものは残念ながらいつの世にも存在する。しかしどの層まで抱えられるかがその集団の質であると思う。多様な個性を受け入れられる強い集団の中では活かされる個性が、少数者を排除しようとする脆弱な集団の中では弾かれてしまう。その結果、煽られる競争主義の中で子ども集団の一番弱い部分が不登校となる。不登校の生徒が多いというのは、他の生徒たちにとっても居心地の悪い集団=競争主義・力の論理・無関心などの傾向が強い子ども集団が、すでに形成されていると考えられるのではないだろうか。
数字についても①数字を目標とする「成果主義」・「ノルマ主義」は教育的とは考えられず、数字に表れないものを感じ取る感性こそが教員にとって大切と考える。②しかし同時に数字を検討し私達の感性や感覚が間違っていないか検証することも大切であり、そのため子どもの実態把握と私たちの取組の検証のためにも不登校の数字を大切にしていきたいとした。

 【転入生への対応】3年生は、2年時の3学期に○(私立M中)、3年時の4月に○(私立R中)というように相次いで転入生を受け入れながらも、彼らの学校生活定着に成果を上げてきた。更に卒業間近の1月15日に不登校生徒○の転入を受け入れ、彼女の1年ぶりの教室登校を得ている。受け入れ時の学校・クラスでの丁寧な対応が成果をもたらしたと思う。保護者との懇談で話し合ったのは、「小規模校で家庭的」いう保護者の意見は、反面では「同学年の生徒はみんな知り合い」という濃い人間関係を作っている面もあり、それがストレスになる可能性もあるというリスクについても説明した。それ以外では①担任の性別への希望②クラス生徒への説明の仕方③教室・保健室・別室・カウンセリングルームなど中学校として可能な選択肢を提示④転校決定への本人の意志意欲のあり方⑤卒業写真の掲載の有無などについて話し合った。

 【新学期へ向けた働きかけ】別室登校の生徒に対しては冬休み中に年賀状やメールを送るなど冬休み中に連絡をとりあったことが新学期のスタートに結びついていると思う。
 昨年のケガ以降休んでいた養護学級在籍の○への働きかけは、3学期始業式の欠席を見て翌日から開始した。初日は障担と私が迎えに行ったが登校にはつながらなかった。特にテレビに対する執着が強く、無理に消すと自傷行為につながった。枕元にはお菓子も転がっていた。本人にとってあまりにも快適な環境が登校をしぶる原因にもなっていると考え、母親に「本人が寝ている間にテレビのアンテナを外す」ことをお願いし帰宅した。その結果、翌日迎えに行ったときには、テレビが映らず本人も諦めができ、意外とあっさり登校できた。今後の長期休業明けの参考としたい。


不登校対策委員会の論議から(200X年11月)

2008年03月23日 | 不登校問題
1.11月の欠席者(略)
2.各学年の欠席率(略)
  学年延べ欠席者数÷授業日数÷学年在籍数=学年欠席率

3.考察
 【問われる生徒を見守る視点】北海道のイジメ遺書問題をきっかけとして11月には、全国で子どもたちのイジメ・自殺問題がクローズアップされた。学校に行きにくい子ども、学校が苦痛に思える子どもたちの訴えは、多くの場合言葉にならない。しかし報道された事件を見てみると、死に至る「きざし」に周囲の者が気づいていたケースがほとんどである。事件になった学校の関係者も「気づいてはいたが、まさかそこまで思い詰めていたとは・・」と悔やんでいるのではないだろうか。私たちはこのような事件報道に接し、チームとして子どもたちの情報を集め、その問題解決にあたれるよう、取り組みを強めなければならない。そのため職員朝礼・学年会さらに雑談の中でも子どもたちの指導に必要な情報が共有されるようにしていきたい。

 【欠席傾向にない生徒の体調不良の増加】11月になり体調不良による単発の欠席者が増えた。1年では○/○、2年では○/○、3年では○/○が単日の欠席者である。そのうち前月に休んでいる者は1年で○/○、2年で○/○、3年で○/○であり、今まで欠席傾向になかった生徒の欠席が目立った。

 【急増した3年の欠席】10月の3年生は欠席率を減少させた。前回の会議で「3年生の欠席率の低さは①別室登校の定着②総合学習発表会・体育大会などの行事への集中とクラスの盛り上がりが影響したのではないかと考えられる。そうだとすれば今後子どもたちが進路で孤立しないための工夫が必要だと考える。」と分析した。しんどい取り組みではあったが、子どもたちの力を結集させた学校行事の成功は、欠席者を減らすことを実証した10月であった。11月になり3年生の欠席は大きく増えた。○君と○君の欠席が改善された中でもやはり増えてきた。厳しい時期を迎える3年生であるが、今後の進路や卒業の取り組みの中で、子どもたちの悩みや不安を受け止めていくことが大切である。

 【1年の欠席減少】2・3年生ともに欠席率を増やした11月でしたが、1年生だけは欠席率を○%→○%へと減らした。これはほぼ全欠状態であった○さんが別室登校を始めた影響が大きい。○さんが来なければ○%と、前月と変わらない数値である。小学6年時の欠席数を考えれば、欠席者がいつ激増するか分からないことを常に意識しなければならない。

 【家庭の支えの厳しさ】厳しい家庭環境の中で生活をしている子どもたちが増えている。○小学校を卒業した今年の1年生は一人親家庭が50%だった。府下の研究会で「4割にせまる一人親家庭で子どもたちの生活が大変」という指導困難校の声を聞くが、私たちの学校はそれを遙かに上回っている。欠席者の中にも、家庭の厳しさを抱える生徒が少なくない。表面上の落ち着いた環境に目を奪われ、子どもたちの置かれている状態の厳しさを忘れてはならない。

4.方針(略)

不登校対策委員会の論議から(200X年10月)

2008年03月22日 | 不登校問題
1.10月の欠席者(略)
2.各学年の欠席率(略)
  学年延べ欠席者数÷授業日数÷学年在籍数=学年欠席率

3.考察
 【9月報告】小規模校であるが故に学年の子ども集団の持ち味の差が、顕著になりやすい。その中で「小学校時代から不登校生を抱えていた学年は不登校者を増大しやすい」というのが経験則としてある。それぞれの学年の傾向をよく把握し、指導にあたる必要があると思う。小学校6年時に子ども間のトラブルで不登校傾向の多かった○年生は、不登校に陥りやすい傾向を抱えた学年集団であるという認識を持っておく必要がある。

 【数字について】数字を目標とする「成果主義」・「ノルマ主義」は教育的とは考えられない。数字に表れないものを感じ取る感性が教員にとって大切と考える。しかし同時に数字を検討し、私達の感性や感覚が間違っていないか検証することも大切であると考える。そのため子どもの実態把握と私たちの取組の検証のためにも不登校の数字を大切にしていきたい。

 【○年がトップに】2学期明けの欠席の多さが気になった9月であった。(9/11の調査参照)3年生はその後の欠席率が○%から○%に持ち直した。その結果9月期の欠席率で、○年生はどの学年をも上回る欠席率となってしまった。
 
 【不登校を招く集団の弱さ】「不登校はどの学校、どのクラス、どの生徒にも起こりうる」とされている。煽られる競争主義の中で子ども集団の一番弱い部分が不登校となる。不登校の生徒が多いというのは、生徒たちにとって居心地の悪い集団=競争主義・力の論理・無関心などの傾向が強い子ども集団が、すでに小学校時代から形成されているといえる。

 ○年生では( )( )( )( )などの欠席数は、小学校時代と比べ改善されているが、( )( )のように新たに休みがちになった生徒も見られる。更に欠席日数は少ないが人間関係にストレスをかかえ登校をしぶる生徒も出現している。長期間引きずってきた集団の弱さが、この時期に顕在化したと考えられるものもある。私たちの取組の効果を上げるため、子どもたちの情報を学年を越えてつなぎ合わせ、共有していく事が大切である。

 【3年減少の要因は?】3年生の欠席率の低さは①別室登校の定着②総合学習発表会・体育大会などの行事への集中とクラスの盛り上がりが影響したのではないかと考えられる。そうだとすれば今後子どもたちが進路で孤立しないための工夫が必要だと考える。


4.方針(略)

卒業式~参加者の声

2008年03月21日 | 学校の話題
会場を後にする参加者が思わず声をかけて下さいました。「毎年こんな卒業式をされていたのですね。とてもあたたかで、なつかしい思いになりました。」(地域の方)「感動しました。未来に希望が持てました。」(孫を祝いに来た祖母)

 また卒業式アンケートには11人の保護者が記入してくださいました。
・とてもよかったです。感激しました。2年生も送る歌を一生懸命唄ってくれてうれしく思いました。3年間ありがとうございました。
・このような形式の卒業式ははじめてでしたが、とても素晴らしいと思いました。思い出に残る卒業式にしてくださりありがとうございました。心より感謝申し上げます。
・フロアー形式の卒業式は初めてで、とてもよかったと思います。お世話になり、ありがとうございました。
・向き合う形は、とてもよかったです。子どもたちの顔も見えましたし、在校生と卒業生が向き合えて、心あたたまる式典でした。ありがとうございました。
・アットホームな雰囲気でよかったです。
・とてもよかったです。ずっとこの形式で続けてほしいと思います。
・アットホームでよかったです。身近に感じました。
・とても感動的な卒業式でした。3年間ほんとうにお世話になりありがとうございました。
・長男・次男が通っていた小中学校ではフロアーでの対面式でしたので、この形式が普通だと思っています。
・大変感動しました。歌の選曲もよく、蛍の光は、やはり永遠ですね。クス球や花など準備、ありがとうございました。(他に2年生は『トゥモロー』、3年生は『旅立ちの日に』を唄いました)


喜び・感動・涙・感謝を残した卒業式

2008年03月20日 | 学校の話題
 初めて参加された方々からは、驚きと感動の言葉をいただく○○中学校卒業式。第42回の卒業式も義務教育9年間の最後を締めくくるのにふさわしい内容が盛り込まれていました。その内容を紹介します。

 【校長の式辞】生徒数が少なくなった中での各クラブの活躍や総合劇・体育大会でみせた3年生の奮闘をたたえながら「あなたたちの良さはどんな花を咲かすのか分からないところにあります。」と卒業生一人ひとりが大きな可能性を秘めていることを語りかけました。そしてこの会場に来られていない方々も含め、多くの人々の支えや祝福を受けながら今日の日があることを忘れないで欲しい、世界を視野に入れ多くの人と手を結び垣根を乗り越えながら成長していって欲しいという言葉で式辞が結ばれました。

 【卒業生の言葉】では次のような自分自身のエピソードを紹介し、3年生が思いをつなげながら今日を迎えたことが述べられました。
 総合劇と体育大会の準備が続くハードな毎日の中、3年生の委員長や応援団長は、クラスのみんなをまとめるのに必死でした。しかし練習のときにふざける人がいて、あれこれ悩みながらいると本番を前に倒れてしまう人まで現れました。
 「次の日に、私は友達から聞いて知ったのです。男子全員が、ふざけていたことを女子に謝り、それから一生懸命練習してくれた、ということを。そんなことがあった次の日からは、男子も女子もたくさんの人が朝から練習に参加してくれました。体育大会当日でのダンスは最高の出来でした。みんなで円陣を組み、心を一つにしてダンスをしました。・・・優勝と聞いたとき、本当にうれしくて泣きました。今まで練習してきた中で、嫌なことも楽しいこともあったけれど、みんなで乗り越えて、本番でその練習の成果を発揮できたことが一番嬉しかったです。」
 思いが通じる、そんな経験をしたときに人は温かな充実した気持ちになれます。3年の間、限りない『いさかい』を乗り越えながら卒業生たちは成長を遂げてきたのだろうと思うのです。
 「私たちが卒業した後も、みんなが明るい笑顔でいられる○中を築き上げてください。」それが在校生に託した卒業生最後の言葉でした。
 卒業式終了後、保護者を代表して謝辞を述べられた○○さんの言葉は、式に参加したみんなの気持ちとぴったりだったのではないでしょうか。掲載させていただきます。

 【保護者からいただいた謝辞】
本日○○中学校を卒業する79名の生徒の保護者を代表して一言お礼を述べさせていただきます。
 子どもたちの思い出の3年間の集大成は先ほどの答辞が全てだと思います。あれだけたくさんの思い出と、知識、体力、集団生活におけるモラル等を与えていただき本当にありがとうございました。わが子一人でもややこしい年代の中学生と何百人と付き合ってこられた先生方には頭の下がる思いがいたしております。そして私事ではありますが、○中生の保護者として8年間在籍しておりましたが、これも今年度で卒業いたします。その最後の年にPTAに携わらせていただきまして非常に充実した日々を送ることができました。PTA活動ご協力いただいた保護者の皆さまにもこの場をお借りしましてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
子どもたちが10年後、20年後、自分の子どもが中学生になったとき、この○中を思い出すことがあるでしょう。そのとき、いかにこの学校の環境が良かったか、人間が素朴であったか、分かるときがくると思います。これが財産であることに気づくでしょう。
 本来なら○中の更なる発展をお祈りするのが筋とは思いますが、私個人の意見といたしましては、いつまでも田舎臭さの残ったアットホームな○中であることをお祈りし、あわせて教職員の皆様のご健康とご多幸をお祈りさせていただきます。ありがとうございました。
平成19年度卒業生保護者代表 ○○○○○

42期生 答辞

2008年03月19日 | 学校の話題
答辞 四十二期生

 冬の厳しい寒さも、いつしか和らぎ、ようやく春の気配が感じられる季節となりました。この良き日に、○○市立○○中学校を卒業できることは、私達四十二期生にとって、とても嬉しいことです。
 思えば三年前、私達はここでみんなと出会いました。期待と不安の入り混じった入学式。全然似合わなかった制服も今ではすっかり板に付きました。入学したての頃は、なかなか中学校生活に馴染めずにいました。けれども、先輩方や先生方の優しい指導で新しい学校生活にだんだんと馴染んでいくことができました。
 そして、一年になって初めての行事、生徒会のレクリエーション大会。先輩達が考えてくれた楽しいゲームをしているうちに、クラスメートや先輩達といつのまにか仲良くなっていました。
 五月の終わり、初めての定期テスト。テスト前日は、どんな難しい問題が出るのかと、緊張して眠れませんでした。そのあと何度も受けた定期テストでは、結果がいい時も悪い時もありました。結果が悪かった時は落ち込みました。しかし、その失敗が今の自分を支えてくれています。
 一学期の終わりにはボランティア活動に取り組みました。自分の将来のことを考えるきっかけにもなったと思います。社会に貢献したような気がして、少し大人になった気がしました。私は幼稚園に行って活動しました。陸上部に入っており、多少は体力に自信がありましたが、体験が終わった後は本当に疲れました。小さな園児の体に秘められた、大きなエネルギーを、肌で感じました。

 二年生の六月には、滋賀県のマキノへキャンプに行きました。琵琶湖では暑い陽射しのなか、カヤックに挑戦し、二人一組で漕いで遊びました。なかには、水をかけ合って琵琶湖に飛び込む人もいました。夜のキャンドルファイヤーも忘れられません。キャンプ委員が新郎・新婦・牧師に紛し、結婚式に見立てた点火式は、みんなが笑ってくれて、大成功でした。その後は、クイズやビンゴ、ロシアンルーレットなど、班対抗のゲームで盛り上がりました。私もロシアンルーレットでわさびたっぷりのお寿司にあたり、我慢したのを覚えています。
 十一月の職場体験では、初めて、社会に出て働くということを学びました。初めは言われた通りのことをしているだけだったのが、自分から率先して仕事を見つけるようになり、積極的に働くことができました。職場体験を通して、働くことの厳しさや大切さを感じることができました。
 三年生の六月の修学旅行は、飛騨高山、上高地、乗鞍に行きました。その中でも特に思い出に残ったのは、長良川での川下りです。初めはぎこちない動きだったのが、インストラクターの方の指示を受けて、どんどん上達していきました。班のメンバー全員で声をかけ合って、一致団結してボートを進めたので、とても楽しかったです。夢中になりすぎて、手に傷ができているのに後で気づき、びっくりしました。川の中流では、班のメンバーでいっせいに川に飛び込んだり、願いが叶うというおまじないをして遊びました。遊んでいるうちに、私は、ボートの上で体勢を崩してしまい、そばにいたインストラクターの方を道ずれに、川に飛び込んでしまいました。インストラクターの方がいないボートは、班のメンバーを乗せたまま先へ進んでしまい、他の班が私を助けにきてくれました。日常では体験できないことばかりが詰まった修学旅行の思い出は、これからもずっと忘れません。

 二学期には、初めての創作劇。小学校でした劇とは違い、自分達で台本を作ることが楽しみでした。協力し、楽しみながら、短い時間で熱心に練習しました。本番では、始める前にみんなで円陣を組んだことで、緊張が少しほぐれたのを思い出します。セリフを間違えても仲間をせめず、舞台裏で励まし合い、みんなで最高の演技ができました。
 そして、その約二週間後には、中学校最後の体育大会がありました。劇が終わったすぐ後だったので、他の学年と比べるとかなりの準備不足でした。それでも、私達は優勝目指して力を合わせました。ある日、時間がない中でのダンスの練習で、男子がふざけていて、○○先生にすごく怒られました。それでも気持ちを引き立てて、その後みんなで練習をしていましたが、色んな事を考えていたら、私は倒れてしまいました。次の日に、私は友達から聞いて知ったのです。男子全員が、ふざけていたことを女子に謝り、それから一生懸命練習してくれた、ということを。そんなことがあった次の日からは、男子も女子もたくさんの人が朝から練習に参加してくれました。体育大会当日でのダンスは最高の出来でした。みんなで円陣を組み、心を一つにしてダンスをしました。競技に出ている人は、勝つために一生懸命頑張って、生徒席にいる人は一生懸命応援しました。最後の最後までどちらが優勝かわからず、結果発表の時、みんなで優勝を祈っていました。「優勝、三年一組。」と聞いた時、本当にうれしくて泣きました。今まで練習してきた中で、嫌なことも楽しいこともあったけれど、みんなで乗り越えて、本番でその練習の成果を発揮できたことが一番嬉しかったです。

 中学校最後の冬休みが終わり、二〇〇七年から二〇〇八年へと年を越しました。
 そして中学生最後の三ヶ月が始まると、高校受験が目の前に迫り、さすがに、みんな受験生なのだという実感がわいてきました。授業中は先生に怒られることもありましたが、私立入試が近づくにつれて、みんな自然と授業に集中していきました。
 先日行われた公立前期試験の倍率はとても高く、受ける高校を変えようかと迷う人もいました。テストが終わったあと、うまくいかなかったと落ち込んでいる人もいました。面接では緊張してうまく話せなかったというひともいました。合格発表の日、本当に緊張して、高校に出発して行った友達の顔が忘れられません。
 私達はこれから、様々な道へと進んでいきます。進学して新たな道を歩む中でも、苦しい事があるでしょう。しかし、前向きに勉強や部活を頑張って、それぞれの道を歩んでいきたいと思います。
二年生は三年生になれば僕たちと同じように受験生になります。いろいろ大変ですが、勉強、頑張ってください。そして、友達との思い出もいっぱい作ってください。私たちが卒業した後も、みんなが明るい笑顔でいられる○中を築き上げてください。そして、君たちで後輩を引っ張っていってください。
 最後に、厳しく指導してくださった先生方、いつも私達のことを心配してくれたお母さん、お父さん、家族のみんな、そして、一番そばにいて、励まし合い、助け合った、多くの友達。本当にありがとうございました。
 平成二十年、二〇〇八年、三月十三日
 卒業生代表 ○○○○・○○○○・○○○○・○○○○
  

卒業生からのメール

2008年03月18日 | 子どもたちの声
 「卒業式当日手にした手紙」を読んだ卒業生のメールが届いていました。その文を読みながら、子どもたちが気持ちを伝えつながっていくことの大切さを改めて感じました。


 はじめまして。先日○中を卒業した元3年の○○と申します。今日、無事に受験が全て終わり、ほっとしています。結果はともあれ、しばらくは1年間がまんしていたぶん思いっきり遊んで羽をのばそうと思います。
 先生とは直接お話したことはなかったと思いますが、どうしても伝えたいことができたのでこうしてメールさしていただきました。
 私は今日○○くんの文が載っているかけはしのNO.92号を読みました。本人が言っていたので、載ること自体は知っていたのですが、正直びっくりしました。○○くんがこんなことを考えていたなんて思ってもみなかったからです2学期に転校してきたときは「こいつほんまにどうしようもないな~」とずっと思っていて、あんまり良い印象は持っていませんでした。でも今日かけはしを読んでその印象は撤回しました。短い文だったけど感動しました。
 私たちが○中を好きだと思うのと同じように彼も思っていたんだなあと思うと、とても心が温かくなりました。一体感とゆうか、やっぱり3年生はみんなでひとつやなと、うまく言えないけどそういうふうに思いました。○○のことを勘違いまではいかないけど、こういうやつだったんだなってわかってよかったです。
 弟や妹のいない卒業生にもなんとか手に入れてかけはし読んでほしいなと思います。このことを伝えてくださったことにお礼がしたくてメールさせていただきました。どうもありがとうございます。

3年生の声~卒業式当日手にした手紙

2008年03月14日 | 子どもたちの声
 3年の夏休みに私立中学校から転校してきた生徒は、卒業式の朝に次のような手紙を渡してくれました。

【3-2 ○○○○】
 僕が○中に居たのはたった7ヶ月で、中三の二学期から来た転校生です。いきなり劇発表や運動会があって忙しかったけど、参加するのは好きなので、メッチャ楽しかったです。行事が終わってみんな勉強モードになっている時に、僕は全く勉強をしていませんでした。なんでそうなったのかはよくわからないけど、一番最悪な生徒だったと思います。でも僕は遅刻をメッチャしまくったけど、一回も学校を休んでないです。僕が○中を休まなかったのは、多分、僕にとって居心地が良かったんやと思います。先生には毎日怒られてたけど、絶対先生の事嫌いになりませんでした。○中に転校したての頃は「おもんないわぁ」とずっと思っていたけど、いつの間にか気の合う友達が増えていました。○中には他の学校にはない、なんか温かい…空気があるんやと思います。僕の今の正直な気持ちは「あと一ヶ月この学校でいたいわぁ」みたいな感じです。ホンマ、この学校に来れて良かったです。今まで世話になった先生ありがとうございました。

 

○中生がたばこを吸ってます?・・・行ってみると

2008年03月13日 | 生活指導
 【学校への通報電話】
 会場準備で忙しい卒業式前日の3月12日。4時半ごろ中学校に一本の電話がかかってきました。「北千里ピーコック裏で○中生6人が喫煙し、ゴミを散らかしているので何とかしてほしい。」荷物の搬入に来たトラックの運転手を名乗る方からの通報でした。今日の卒業式予行での真剣な様子、世話になった先生方にサインを書いてとせがみにきている様子を見た直後なだけに半信半疑ながら、すぐに○○と私が現場に駆けつけました。
 
 【つかまえてみれば】
 ピーコック裏手の荷物搬入口近くに学生服を着た6人の男子を発見。やはり見知らぬ生徒。まっすぐに近づく私たちに気づき手に持ったタバコを隠す。「イマドキこんなんあり?」と思うような『長ラン』(コートのように長い学生服)に耳にはピアス、足元にはタバコの吸殻と買い喰いしたゴミが散乱しています。私「君ら、どこの中学生や。」生徒A「○○○中学校です。」(やはりS市の中学生か)私「持ってるタバコ出せや。」生徒A「これで全部です。」と2本しか残っていないタバコの箱を出す。こんなやり取りをしながら食い散らかしたゴミを片付けさせました。最後に「君ら、ウチの中学生を名乗ったやろ。」と言うと、「いいえ、言うてません。」「誰からも注意されてません。」「今初めて注意されました。」と口々に答えていました。「分かった。明日、君らの中学校も卒業式やろ。エエ卒業式にせなアカンで。」中学生たちは「はい。」と答えたものの先生に迷惑かけること間違いなしと思われました。○○○中学校の生徒指導担当者に電話をかけると「ウチの生徒です。お世話になりました。」との返事。「明日の卒業式は頑張って下さい。」と激励するしかありませんでした。

 【私たちの心のモヤモヤ】
 現場のゴミは片付けさせたものの、私たちの気持ちは晴れません。逮捕されたときは顔写真入りで報道されたのに、真犯人が別にいて無罪が証明されたときには何の記事にもならなかった、そんな思いです。「○中生がタバコ吸ってる」という通報者は名前を名乗らなかったため事実を伝えようがありませんし、なぜ彼らを○中生と思ったのかも知りたいと思いました。(過去に○中生が迷惑をかけていたのならお詫びせねばならないし)
 学校がどんな指導をしたのかを通報していただいた方に伝えることが大切です。通報内容がたとえ間違いでもかまいません。連絡先を教えていただければ、訂正もできたのにと悔やまれました。

卒業生が語ってくれた進路⑤~俺には関係ないと思ってないか

2008年03月10日 | 進路子どもの声
【俺には関係ないと思ってないか ○○○○】

 今、前で賢い高校に行ってる先輩たちがエエ話してくれたけど、俺には関係ないって思ってるやつ!おるやろ。何年か前の僕がそうやってん。進路や高校の話されても何も考えへんかったし、逆に悪いことばっかりしてました。授業の妨害をするし、家でも親の言う事を聞かんどころか暴力をふるっていました。そんなとき担任の○○先生が、親を呼び出して僕を親の前でボコボコにしたんです。親の前でですよ。僕を引きずり倒して、馬乗りになってボコボコにするんです。僕が「やめて」って言うたら、「お前がどついてる母ちゃんの顔を良く見ろ。泣いてるやろ。こんな息子でも我が子が叩かれてたら親はこんだけ悲しむんや。そんな母ちゃんをお前はまたどつくんか。今日も家に帰ったら母ちゃんをどつくんか。」って鬼のような顔で僕に言うたんです。
 母さんは泣いてました。そして「この子は本当は優しい子なんです。」って言うて先生に謝ってくれているんです。僕はそれから母さんを殴らんようになりました。そして高校のことも真面目に考えるようになりました。○○先生は、園芸高校に行けといいました。「お前はずーっと机の前に座ってるのが得意やないし、草刈のときすごく頑張ってたから、絶対向いてる」って言われました。僕もそうかなと思い先生と一緒に見学会に行きました。
 高校生活はとても楽しいです。以前は近所のおばちゃんに嫌われていたようやけど、僕が高校で作った野菜を持って帰るようになってすっかり仲良しになりました。
 みんなも俺はアホやと諦めんと、自分を変えるきっかけをつかんで高校に行って下さい。

定時制存続を願った新聞への投稿

2008年03月09日 | 進路保障
 府立高校廃校の動きが止まりません。特に定時制高校の存続は危ぶまれますが、圧倒的に少数者であるため存続を願う声は力になりにくいのです。定時制高校卒業式に参加させていただいたお礼として何か声をあげなければと思い、初めて新聞に投書してみました。500次以内にまとめる作業は思いのほか大変でしたが、以下は掲載された内容です。掲載した『ある卒業式』の内容がベースになっています。

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4年間働きながら定時制高校で頑張った教え子の卒業式に参加した。4年間は平らな道のりではなかった。120人いた生徒のうち、卒業にたどりついたのはわずか42人。しかし、受験のために学ぶのとは違った学びがそこにある。その中から生まれた言葉が心に残った。

 自分の両親より年上の先輩がクラブ活動や学習に取り組んでいる、そのことが何よりの励みになったという在校生の送辞は、先輩への尊敬にあふれていた。

 卒業生の答辞では、「定時制で頑張っても何になるんだ」と悩んだことが率直に語られた。しかし、夜なのに「おはよう!」とあいさつし、苦労をわかり合える仲間が教室にいると思うと元気がわいたという。支えあった4年間の重みが感じられた。「定時制の教室に日は差さなくても月や星の光が輝いているのです」と締めくくられた言葉に胸が熱くなった。お互いの心を照らした輝きは彼ら自身ではなかったか。

 今春、大阪府では12校の定時制が閉鎖される。夜の教室に輝きが絶えないことを願わずにいられない。

職業体験学習報告集から① ビルにはお掃除のプロがいた

2008年03月06日 | 地域連携
 2年生が行った職業体験学習報告文からの紹介です。いつも何気なく眺めているビルですが、子どもたちはそのビルを管理する人たちがいたことに気付きました。そして自分の親よりも年配の方たちから仕事を通じて楽しいお話をいっぱいしてきたようです。

【ライフサイエンスビル~ビルにはお掃除のプロがいた ○○○○○】
 
 私の感想は、とっても良くて楽しかったです。1日目・2日目は主に掃除で、しんどかったけどすっごい勉強になったし、いい体験になったと思います。(掃除の仕方について豆知識が増えました)モップのかけ方一つにも、コツがあるんだと思いました。一緒に働いていたおばちゃんはとっても優しかったし、面白かったです。(お掃除のプロでした)3日目に環境測定をしました。浮遊塵(ふゆうじん=空気中に浮いている小さなちり)の量、一酸化炭素含有率、炭酸ガス含有率、温度、照度、相対湿度などの測定のやり方も教えてもらいました。理科の実験みたいで面白かったです。インターネットもさせてもらいました。とても楽しかったので1週間ぐらいやっていたいと思いました。