教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

高校野球から学ぶもの・・敗北をバネにする

2006年02月28日 | 進路保障
 今週もテレビの話題です。日曜日のテレビに大手進学塾の塾長が登場し受験に対する思いを述べておられました。「あと1点あれば合格したのに残念やと言うのは嘘や。1点足らなければ負けなんや。合格を勝ち取るため力を出し切ろう。」と子どもたちに力説されていました。あと1点のために力を尽くすことは当然のことですが「高校野球で優勝したチームが称賛されるように有名学校に合格した子どもたちはもっと称賛されるべきだ。」と語っておられたのには二つの疑問を持ちました。

 《過剰な称賛こそ改めるべき》
 その第1は、今でも有名大学に合格した子どもたちは世間から十分に称賛されているということです。「スーパーフリー」で集団暴行事件を重ねた早大生も、「鍋パーティー」で集団暴行事件を重ねた京大生も、監禁恐喝事件を起こしたカリスマホスト阪大生も、自分以外は人を人と思わない不当な優越感と、大学名を聞いただけで「恐れ入りました」と卑屈になってしまう世間の学歴信仰があったからこそ、このような事件を起こしたのだと思うのです。社会の称賛は今でも十分で、むしろ大学名を聞いただけで称賛してしまう今の風潮を改める時期にきているのではないでしょうか。

 《高校野球は敗北を学ぶ場》
 第2に、高校野球を例にあげたことに疑問があります。8月に熱戦を繰り広げた夏の全国高校野球大会には、地区予選も含めると4137校が参加しました。もしも高校野球が勝者のためのものなら、敗退した4136校に送られた拍手は嘘と偽善であり、優勝した学校だけが栄光を独り占めしなければなりません。しかし現実はそうでないことを私たちは経験としても知っています。甲子園優勝チームのエースや4番打者がそのままプロ野球で活躍したという例は少なく、多くの場合、優勝しなかったチームや甲子園とは無縁のチームから這い上がった選手がプロで活躍しているのです。そのことは大リーグへの夢を突破した野茂英雄(大阪市立城東工業高校)、歴史に残る名捕手の古田敦也(兵庫県立川西明峰高校)などの例を挙げるまでもなく周知のことと思います。

 かつて高野連の役員が新聞紙上でこんな発言をされていました。「高校野球の精神は敗北を学ぶことにある。あんなに辛く苦しい練習を重ねても優勝をした一校を除くと、あとはすべて敗者なのです。しかし数年後には敗者の中から勝者を上回る選手が登場します。人生もまたそうだと思います。だから勝者を称えるだけでなく力を尽くして敗れた敗者も称えられるのです。そこに高校野球の教育的意味があるのです。」
 
 そういえばあの「巨人の星」だって星飛馬のいた青雲高校は花形満の率いる紅陽高校に敗れています。敗北や挫折をばねにして立ち上がる、そこに高校野球の素晴らしさがあり、観る者の感動があることを歴史は教えているのではないでしょうか。

就学援助の激増を考える

2006年02月27日 | 教育行政・学校運営
 「就学援助4年で4割増」の衝撃
 1月3日の新聞に「4年で4割増」という大きな見出しが躍っていました。文房具代や給食費、修学旅行費などの援助を受ける児童・生徒の数が激増し、東京都や大阪府では、就学援助の受給率が4人に1人を上回る事態になっているのです。多くの保護者のみなさんにとって、『就学援助』という言葉は、耳慣れない言葉かもしれません。戦後制定された学校教育法は、国民の教育権を保障するため、経済的な理由で就学に支障のある子どもの保護者を対象に「市町村は必要な援助を与えなければならない」と定めています。生活保護を受けている世帯(要保護)に加え、市町村が独自の基準で「要保護に準ずる程度に困窮している」と認定した子どもを対象としています。その援助の内容が先に述べた給食費などとなるわけです。

 拡大する所得格差
 総理府の発表する国民の家計所得平均は1996年の661万円をピークに下がり続け、2002年には589万円にまで下がりました。しかし所得の下落は一様ではありません。昨年2月にOECD(経済協力開発機構)が発表した日本の貧困率(国民中位者の半分以下の所得しか得ていない者の割合をいう)は、ここ10年で8%から15.3%へと2倍増の勢いで増えています。最上位20%の平均所得と最下位20%の平均所得の比率は、1996年には1423万円対148万円で9.9倍だったものが、2002年には1322万円対127万円で10.4倍へと増えています。所得格差は確実に広がっているのです。
 毎月何万と「教育投資」ができる家庭がある一方、給食費に困窮する家庭が増え続けているのです。義務教育段階でこんなに格差があって、次世代にどんな社会を残せるのか不安がよぎります。教育の機会均等の原則も保障されないなら、公正な競争社会とは言えないでしょう。「学力格差は経済格差」「経済格差が意欲の格差につながる」とまで言われています。しかしどの子どもたちも将来の主権者にならなければならないのです。教育の果たす役割が益々重くなることにはやりがいを感じます。しかし教育を支える社会の柱が益々やせ細って良いわけがありません。
                                                            「かけはし」1月10日号より


大阪府教育委員会に係わる報道を考える

2006年02月26日 | 教育行政・学校運営
 大阪府教育委員会の一部幹部と私立上宮高校前理事長との不明瞭な関係がニュースで取り上げられています。①府立高校の講師採用にあたって前理事長の身内に有利になるような働きかけを依頼し、②それにかかわる金品の受け渡しや接待があったということが主な内容です。私たち職員に対しては大阪府教育委員会から何の説明もないので報道されたこと以上のことは分かりません。しかしこれらの報道が事実とすれば、大阪府の学校教育に対して責任を負わなければならない教育委員会みずからが教育への不信を招く行為を行ったということになり、その責任は重大だと思います。私はこの小さな新聞「かけはし」で、校内のできごとだけに止まらず、JR事故、半導体開発に向けた技術者の努力、ライブドア事件など社会に起こる様々な出来事を私たちの生き方とからめ取り上げてきました。今回のできごとも同じように考えてまいりたいと思います。

 『3ト追放運動』という言葉を聞いたのは、私が大学で教員免許を取得していたときのことです。『3ト』とは、『アルバイト』(教師が勤務の終了後に家庭教師のアルバイトをすること)『プレゼント』(保護者からお歳暮などをいただくこと)『リベート』(業者からリベートや接待を受けること)を指します。1970年代に教職員組合が教育現場に残されていたこれらの悪習や腐敗を断ち切るために取り組んだ運動が『3ト追放運動』でした。大阪府下全域でも『3ト追放運動』が進められリベートや接待とは無縁な教育環境を作ろうと先輩たちは努力してきました。
 
 私が教職についた30年近く前は、お中元やお歳暮を渡す習慣が世間では今以上に根付いていたため、学校ではお歳暮を辞退するプリントを配布していました。それでも保護者の中には世間の常識から外れてはいけないと気を使いお歳暮を贈られる方が少なからずいて、私も届けられた品物と同程度の金額の品物を探してお返しするようなことを繰り返していました。また私立高校に対しても中学校教員への接待を行わないようお願いに回ることもありました。私立学校の行う接待の費用は本(もと)をただせば保護者の支払う授業料から捻出されているわけであり、接待の辞退は当然のことと考えてきました。

 どんなに素晴らしい制度を作り上げても、腐敗や馴れ合いを許さない教職員の不断の努力がなければ制度は形骸化します。リベートを廃止したはずの大阪の教育の場で、報道されたような問題を生み出した要因は何かを教育行政に責任を負う者は解明する責任があると思います。責任を個人の弱さに求めると私たちは『失敗』から何も学ぶことができません。個人では誘惑に負ける、個人では間違いを犯すという前提に立ち、そうならないためのチェック機関のあり方、教育行政の仕組み・学校組織づくりを考えることが必要だと思います。そのためには教育行政が上意下達にならず、時には職務上の上下関係を越えて自由に論議できる関係が不可欠です。私たちの東町3丁目小学校が、そうであり、今後もそうあり続けるよう努力し続けたいと思うのです。そしてこの新聞もそのための小さな力になれればと思います。

小中の一貫で子どもたちを地域で繋ぐ~小中一貫教育研究発表会報告

2006年02月25日 | 小中連携
 12月2日、市内のJ中学校で「小中一貫教育研究発表会」が行われ、東町3丁目小学校からは私を含め3人が参加しました。研究発表会では各校で進められている小中連携の取り組みが報告され、私も東町中学校との連携した行事づくり(クラブ体験・体育大会・文化祭など)について報告いたしました。研究会の最後に野口克海先生の貴重な講演がありましたので、この場をお借りしてその内容をお届けします。講演内容は私のメモを元に文章化したもので、野口先生のお話を充分に表現できていない箇所があるかもしれないことも併せ、お知らせします。

《園田女子大学教授 野口克海先生の講演》
 小・中の連携が主張されているが、教職員は他の学校の取り組みにもっと学ぶべきである。たとえば幼稚園。幼稚園の先生方は1年間教科書を使わずに授業を行っている。当然幼稚園にも年間指導計画があり、毎月ごとにどんな力を身につけるか目標がある。幼稚園の先生は目標に向かい教科書なしで教育を進めているのです。小中学校の先生は教科書なしで1年授業をする自分を想像してほしい。偉大なことです。

 また幼稚園の先生は子どもたちに「静かにしなさい」とは言わない。少し声を落として「あのね、ないしょのおはなしがあるの」というと、今までワァーワァー言ってた子どもたちが先生の周りにスゥーと集まってくる。子どもたちを授業にどう引き付けるかについて、中学校の先生は小学校や幼稚園の取り組みにもっと学ぶべきだ。他方、生徒指導のシステムについて小学校は中学校から学ぶべき点がたくさんある。持ち物や髪型に現れる子どもたちの心境の変化について中学校の先生は鋭い視点と危機感を常に持っている。

 子どもたちの成長を繋げるということも大切だ。幼稚園や保育所で年長さんといえば立派なリーダーで小さな子の手を引いて活躍している。それが小学校に入るやいなや赤ちゃん扱いになる。せっかく育てたものが、また一から始まる。同じことが中学校に入学したら再びおこっている。これはもったいない。

 中央教育審議会の答申が先ごろ出された。確かに良いことも書かれてある。しかし、選択と競争と自己責任を基調とする学校改革が進められようとしていることに対して黙っていられない。

 義務教育の国庫負担制度がなくなろうとしている。これは金持ちの県と貧乏な県での教育格差を是認するものである。このような格差は義務教育で許されない。東京を中心に行われているこの流れに対し、大阪は違ったものを作らねばならない。それは義務教育が終わるまでは、子どもたちをバラバラにせず地域で守るということだ。子どもを縦の序列ではなく、仲間として横に繋ぐことが必要だ。

 すでに選択と競争と自己責任の教育は進行している。昭和の時代と平成の時代で子どもたちが明らかに変化している。人は環境の産物だ。環境が変われば人は変わる。

 昭和と平成で何が変わったのか。①情報化②少子化③都市化④核家族化だ。①情報化についていえば、子どもたちは生まれたときからコンピューター社会だ。自分が気に入る細分化された情報を手に入れることができる。援助交際=売春情報もたやすく手に入る。一緒に死にたい人も自殺サイトで見つけられる。

 ②少子化で子どもたちは家で一人で過ごすようになった。兄弟という人間関係で鍛えられていない。③都市化。豊かな自然が残る田舎があるが、その自然の中で遊んでいる子どもはいない。田舎の子どもも自然から隔離され孤立した生活をおくっている。ドアを閉めれば隣が分からない、そんな中で児童虐待が児童相談所に通報されただけで年間3万件(おそらくは10倍以上)起こっている。④核家族化は言うまでもない。こういう環境の中で、不登校やニート急増が起こっている。

 私のゼミの学生の話だ。風邪でしんどくなった学生を友人が病院に送ると言うとその学生は断った。後日、せっかくだから一緒に行けばよかったのにと言うと、「ゼミの時は親しく話をするが病院までついて来られるような濃い人間関係は疲れる」と答えた。

 B市の中学校での道徳教育の公開授業を見せてもらった時に中学生はこう発言していた。サッカーするときの親友、塾の親友、ゲームの親友はみんな別だと。これを親友と皆さんは思うか。今の子どもには親友がいないし、親友という概念も分からなくなっている。今の子どもたちは人と全人格的に繋がることができなくなっている。友だちと一緒にいると疲れるという。どんな会話をすればいいか、相手が気を悪くしていないか、そんなことに気を使ってヘトヘトになっている。だからゲームを相手に一人で遊んでいる。集団で遊ぶと順番を待ったり、いやなオニの役が回ることもあり我慢することを覚える。

 今の子どもは遊びの中で人間関係を学んでおらず分断されている。だから見ず知らずの人と死ねる。私なら名前も知らない人と死ねない。好きという気持ちの高まりの中でセックスがあるとおもうが今はセックスだけの友人もできてしまう。こんな部分化・細分化されたペラペラな関係を子どもたちに持たせてはいけない。本当に信頼しあえる仲間をつくらなければならない。

 小中連携は、それ自身が目的ではない。地域と一緒になり子どもをどう育てるのかを考えなければならない。それぞれの地域性に見合った小中連携の取り組みを作り上げてほしい。

 講演会のあとも子どもたちを標的とする事件が続いています。『昭和の誘拐事件』が身代金目的だったのに対して、『平成の誘拐事件』は殺すこと自体が目的へと変わっています。分断された人々が人間的な感情を失い、神戸の連続殺人事件のように「殺してみたかった」という興味だけで人を殺しています。選択・競争・自己責任は、ますます人間的な感情を押しつぶすのではないか。耐震偽造事件の被害拡大報道を聞きながら、野口先生のお話が、一層強く胸に突き刺さりました。


素敵な再会~社会で学ぶ

2006年02月24日 | 出会った子どもたち
 「先生、おはようございます」職員室で見知らぬ青年から声をかけられた。「こんにちは」と返事しながら、頭の中の引き出しを開け、いつの卒業生だったかと記憶のファイルを開ける。

 ………「E夫か?」2年前に卒業したE夫だった。学年でただ一人就職という進路を選んだ生徒だった。果たして続くのだろうかという不安をよそに一日も休まず頑張っているという連絡だけは聞いていた。市内の小さな食品スーパーに勤めた彼は野菜部門の仕入れ管理を任されていた。

 「朝の8時半から夜の8時半まで立ちっぱなしの仕事で最初のうちはクタクタでした。売り場の改装の日は朝まで徹夜することもあります。残業手当もなく月に14万円の収入しかありません。でも仕事を続けてこれたのは先輩のおかげです。独身者では18歳から25歳までの先輩が5人ほどいるのですが、仕事を一から教えてもらうと同時に私生活のことや遊びのことまで何から何までお世話になりました。遊びに行っても最後は仕事の話になり職場のチームワークをどうつくるかという話になります。それがうれしいんです。これからも先輩たちと一緒に頑張りたい、世話になった先輩たちを裏切れない、そう思えたから仕事を続けることができました。」 

 「最初は野菜の名前も全然知らなくて社長さんに教えてもらってばっかりでした。今では名前は覚えましたがお客さんから料理方法を聞かれると分からないので、そのたびに社長さんに聞きに行ってお客さんと一緒に教えてもらっています。そんな時社長から‶聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥″と言われました。意味を聞くと、そんなことも知らんのか、中学校で何しとったんやと言われました。本当にもっと勉強していたらよかったと思います。中学生時代の自分が恥ずかしいです。」 

 いつも自分に自信が持てなかったE夫だが、その彼がとてもたくましく成長し自分を振り返る力と職場の人間関係を大切にする力を身につけていた。E夫のひとことひとことに深くうなずいた。 

 「中学校にやっと来れました。懐かしいです。中学しか出ていない自分にとって、学校といえば東町中学しかないんです。」 

 やっと来れました、という言葉に思わずこちらの胸が熱くなった。高校生になった卒業生たちが明るい声で中学校を訪れる。しかしE夫にとって母校である東町中学への道程(みちのり)はどれだけ遠かったのだろうか。自信を持てるようになってから中学校を訪れたい、E夫はそう考えていたのだ。 

 学ぶ場は学校だけでなく、卒業後の社会で学ぶことは山ほどある。私も学校に勤めだしたころ毎晩のように先輩から『夕食』に誘われ、生徒の見方(学校にいる時の生徒だけでなく家に帰ったらどんな生活をしているのかも含め)や職員の協力体制のあり方など日付が変わるまで熱く論議をしていた頃を思い出した。E夫は、あの時私が受けた感銘を今味わっているのだ。      (東町中学校生徒指導部新聞『千里馬』より)

街角に集まる若者たちを考える

2006年02月23日 | 子ども理解
 水曜日にPTA生活指導委員さんとの懇談会がありました。委員の皆様からは、子どもたちが安全な生活をおくるうえで気になった地域の様子・巡視で気づかれたことを率直に出していただき、その解決について職員も一緒に考えました。皆さんから出された疑問や問題については、懇談会の中で私なりに答えさせていただきましたが、懇談会に参加されていない皆さんのためにご報告します。

 みなさんから出された意見の中で特に考えさせられたのは、「近隣センター」付近にたむろしている若者たちがゴミを散らかして困るので、どうやって注意すればいいのでしょうかという質問でした。

 「近隣センター」に若者がたまっているのは、みなさんもよくご存知と思います。時には深夜・時には早朝から集まっていることもあります。主なメンバーは17歳と19歳の若者たちです。中には身長が160cmに満たない者もいるので、中学生と間違われた方もおられるようですが、小柄な子も17歳なのです。

 実は懇談会のあった日の朝、私は東町中学校に出勤してから小学校に来たのですが、そのとき近隣センター前に卒業生がいるか気になって前を歩いてみました。8時15分頃、近隣センターの街角広場前に3人の卒業生がいました。3人とも(それぞれ北町小・東町3丁目小・南西小出身)17歳で、中学生時代に私が教えた子どもたちです。彼らの足下には、お菓子の包み紙が散乱していました。

 集まっている若者たちは、①仕事や定時制高校に行くまでの時間つぶしをしている者②高校をやめてしまい次の進路を決めていない者の二つに分けられますが、どちらにしてもあの時間に行き場の無い子どもたちです。(中学校の教員の立場から言うと、補習や勉強会に呼び出して高校に入れたのに勝手にやめたから行き場がなくなったんや!という不満はありますが)近隣センターが地域の人々のふれ合いの場になっているのと同じように、寂しがり屋の若者たちも友だちを求めてやってくるのです。一般的に女子の方が新しい環境や友だち関係に適応していく力が強いように思います。いつまでも小中学生時代の遊び場から抜け出せないケースは、圧倒的に男子に多いように思います。このことは、男子の子育ての課題と関連させて別の機会に考えたいと思います。 
 
 私がどのような注意しているのか、お答えします。もしそれが犯罪や危険行為であれば叱ったり、時には警察に通報することもあり得ます。しかしお菓子を食べること自体は犯罪ではないので、地域の皆さんに迷惑をかけることがないよう私は指導しています。具体的には、ゴミを拾えと上から注意をするのではなく、『ほうき』と『ちりとり』を持っていき一緒に掃除をしようと呼びかけます。

 その日の朝も、彼ら3人と街角広場を掃除しました。ゴミをなくすことも大切ですが、彼らが掃除をしている姿を小学生や地域の人たちに見てもらうことも大切だと私は思います。

 時には、「これは俺の出したゴミじゃない」という子もいます。そのときは「○○君の出したゴミやと言ってない。先生はここを綺麗にしたい。君らもここを利用してるんやったら手伝ってほしい。一緒に拾おうと言ってるんや。」と言うと、掃除をいやがる子はいませんでした。どう注意をするかというより、どう一緒にゴミを拾わすか工夫してみると、うまく声をかけられると思います。声をかけるといきなり襲いかかってくるような卒業生は一人もいません。しかし無理に声をかける必要はないと思います。できないことは、しなくていいと私は思います。大切なことは彼らを排除しようと思わないことです。敵対的な気持ちを抱いていると、相手に敏感に伝わります。どうしても声をかけられなかった場合は、学校に連絡してください。

 今、近隣センターに集まっている若者たちも、かつては小学生だったのです。たとえ彼らに声を掛けられなくとも、わが子のクラスメートに対して気軽に声をかけられる関係があれば、その子らが数年後に近隣センターでゴミを散らかしていたとしても、きっと声をかけられる地域の大人になれるのではないでしょうか。「地域の教育力」「子どもは地域の中で育つ」と言われて久しいですが、地域の教育力とは、私たち大人の持っている教育力なのだと思います。私も、たとえどんな卒業生であろうと、気軽に声をかけられる大人の一員であり続けたいと思っています。
       

地域の教育力を感じたとき 

2006年02月22日 | 地域連携
 私が初めてA男に出会ったのは彼が中学2年生の夏だった。A男の姉が私の勤務する中学校を卒業した直後、両親はA男を連れ中部地方のB県に転居した。A男は中学進学後しだいに学校に登校しなくなり、婦人服店に勤める姉を頼ってT市に舞い戻ってきた。両親をB県に残したまま。

 A男の噂は、子どもたちの間で広まり、やがて職員の耳にも入るようになった。もちろん悪いものばかりである。やがて街頭補導のとき、ゲームセンターで喫煙するA男に遭遇するようになる。学籍はB県の中学校に残したままである。

 学校内ではA男の転入手続きを進め不登校の状態に終止符をうたせたいという私の意見と、A男への働きかけは行わずB県に戻るのを待ったほうがよいという意見がぶつかった。しかし母親の急な手続きで結論はあっけなく出た。B県の中学校から追い出されるようにA男は転校してきた。必ず親が一緒に暮らすという約束を保護者と学校で行ったが、一週間もたたないうちに母親はB県に戻った。残ったのは17歳の姉とA男の二人である。

 A男の転入によって、それまで穏やかだった学年の子どもたちの様子は一変した。器物破損、喫煙、暴力事件。力の支配が横行しようとしていた。A男との話し合いが何度も行われたが、保護者不在の中で荒れた生活態度は変わらなかった。

 中学3年生になったある日、体育の授業中に弁当が盗まれるという事件が起こった。その後も音楽や美術など教室を移動する授業のときに弁当が盗まれた。「犯人」はA男だった。昼食を用意できないA男が同級生の弁当を盗んでいたのだ。

 学級懇談がその直後にあった。私は担任とともに懇談会に出席し、保護者に詫びた。それとともに今後弁当を盗ませないよう指導を行うと約束した。すると幼い頃からのA男を知る保護者から思いもしない言葉が出た。「先生、冷たいやん。弁当持って来れない生徒がいるなら、なんで教えてくれへんの。私らが二人分作ったら解決するやない。」「こんなこと先生らだけで解決しようと思ったらあかん。」

 この言葉に職員は勇気をもらった。指導の限界ではないか、施設入所を判断する時期になっているのではと迷っていた私も、絶対この学校でA男を卒業させるんだと決意を固めることができた。

 しかし一番勇気を与えられたのはA男だった。A男は、同級生のお母さんの言葉をしっかり受け止めることができた。A男の荒れは収まった。全教室に「みんなの力で進路の壁を乗り越えよう!」という学年生徒会のスローガンが掲げられた。学年総崩れの危機が「地域の教育力」で回避された。

 家庭と学校を包み込む地域の教育力が、子どもたちや教員を孤立させず、希望を与えてくれるのだと強く確信させる、忘れられないできごとでした。

自分の進路と仲間の進路

2006年02月21日 | 進路保障
 中学校の進路指導担当者研修会に参加したときのことです。作家の今井美沙子さんが講師となりご自分の高校進学(1960年ころ)を振り返りお話をしてくださいました。

 ……長崎県の離島、五島列島で育った私が高校に進学したのは、日本がもっと貧しかったころでした。合格の喜びを父に伝えたとき、父は私を座らせこう言いました。「美沙子、だれのおかげで高校に進学できたのだと思っている」私は「お父さんとお母さんのおかげです」というと父は「違う」と言い、こう続けました。「おまえが高校に進学できるのは、高校に進学しなかったみんなのおかげだ。おまえのクラスを見てみろ。高校に進学する者は何人いる。クラスの2割、せいぜい3割ぐらいの者が高校に進学するだけだろう。あとの者はどうする。ほとんどがこの島を離れ町に働きに出て故郷に仕送りをしてくれる。うちの商売が成り立ち、おまえを高校に行かせることができるのは、中学校を卒業したあと町に出たみんながこの貧しい島を潤してくれているからだ。」 

 私は父のこの言葉を聞き、自分がたくさんの人がつくる輪の中に存在していることを改めて教えられ、自分が高校に行くことの意味を考えることができました。そして自分が小説家になったら何を書いていくのかというテーマを定めることができたのもこのときでした。…… 

 私なら自分の子どもから「おとうさんのおかげで高校に行くことができました。ありがとうございました。」なんて言われると、単純に喜んでしまうのではないかと思い大いに反省させられる研修会でした。 

 義務教育を終えるまでの15年間は、だれかの労働に支えられて生きてきた期間です。高校や大学に進学するというのは、さらに3年間・4年間をだれかに支えてもらいながら学ぶということです。進路を考えるということは、この支え合っている人間の輪の中に自分がいるということを理解し、どういう生き方をするのかを見つけることだと思います。

 まだ中学生になってもいない小学生に高校の話をするのは早いかもしれません。しかし現在でも世界で2億4600万人(6人に1人)の子どもが児童労働に従事し、さらにそのうちの1億7900万人が子どもの心身を損なう奴隷的労働などの仕事に従事しているのです。(ILO児童労働に関するグローバル・レポート2002年)

 子どもが子どもらしく生きることが許されない世界は、まだ広く存在します。子どもたちの視野を少し広げ、自分が社会や世界とどのようにつながっているのかを教えていかなければならないと思います。

子育てを孤立させないことが大切~滋賀県長浜市園児殺害事件

2006年02月20日 | 子どもの事件
 まわりの子どもが敵に見える…殺害を実行した母親の犯行時の気持ちが報道されていた。わが子が幼稚園で仲間はずれにされているのではないか、この子たちと一緒にいると自分の子もだめになる、夜も寝られない、そんな気持ちに追い詰められ犯行に及んだと報道されています。孤立した子育ての中にいる母親のストレスが私にも伝わってきました。
 
 厚生労働省が行った子育てについての委託研究の中に1980年と2003年との比較調査を行ったものがあります。その数字をみると子どものことで誰とも話ができない親が10数%から30%台に倍増していることが明らかになりました。夫は仕事中心であてにならず、身近に子どものことを気軽に話せる人もいないのです。その結果子育てでイライラするという母親は16.5%(1980)から46.3%(2003)に急増しています。これは遠い国の話ではなく、今日本で子育ての真っ最中におられる保護者の共通の悩みだと思うのです。そう考えると私たちの町が例外であるはずがありません。自分の子どもを守るのは大切なことですが、わが子だけを守ろうとすると、他人が敵に思えるような恐ろしい袋小路に追い込まれることをこの事件は教えているように思えます。

 前号で私は自分の育ちを振り返り、「子どもは大人たちの善意の中で育てられなければならない」ことを強調しました。この○○小学校保護者の誰一人として子育てで孤立することがないよう、皆さんの心に『かけはし』を送り続けているつもりです。この『かけはし』には私に直通のメールアドレスを掲載しています。どんなことでも心配なことがあればお手紙でも、メールでも、もちろん電話でもご相談下さい。 

 今号は、大変重い二つの話題となりました。ほかにお伝えしたいこと、子どもたちの作文、学校行事の取り組みなど、たくさんあるのですが次号に回させていただきます。

 この冷たい雨が告別式会場にも降っていることと思います。合掌