今週もテレビの話題です。日曜日のテレビに大手進学塾の塾長が登場し受験に対する思いを述べておられました。「あと1点あれば合格したのに残念やと言うのは嘘や。1点足らなければ負けなんや。合格を勝ち取るため力を出し切ろう。」と子どもたちに力説されていました。あと1点のために力を尽くすことは当然のことですが「高校野球で優勝したチームが称賛されるように有名学校に合格した子どもたちはもっと称賛されるべきだ。」と語っておられたのには二つの疑問を持ちました。
《過剰な称賛こそ改めるべき》
その第1は、今でも有名大学に合格した子どもたちは世間から十分に称賛されているということです。「スーパーフリー」で集団暴行事件を重ねた早大生も、「鍋パーティー」で集団暴行事件を重ねた京大生も、監禁恐喝事件を起こしたカリスマホスト阪大生も、自分以外は人を人と思わない不当な優越感と、大学名を聞いただけで「恐れ入りました」と卑屈になってしまう世間の学歴信仰があったからこそ、このような事件を起こしたのだと思うのです。社会の称賛は今でも十分で、むしろ大学名を聞いただけで称賛してしまう今の風潮を改める時期にきているのではないでしょうか。
《高校野球は敗北を学ぶ場》
第2に、高校野球を例にあげたことに疑問があります。8月に熱戦を繰り広げた夏の全国高校野球大会には、地区予選も含めると4137校が参加しました。もしも高校野球が勝者のためのものなら、敗退した4136校に送られた拍手は嘘と偽善であり、優勝した学校だけが栄光を独り占めしなければなりません。しかし現実はそうでないことを私たちは経験としても知っています。甲子園優勝チームのエースや4番打者がそのままプロ野球で活躍したという例は少なく、多くの場合、優勝しなかったチームや甲子園とは無縁のチームから這い上がった選手がプロで活躍しているのです。そのことは大リーグへの夢を突破した野茂英雄(大阪市立城東工業高校)、歴史に残る名捕手の古田敦也(兵庫県立川西明峰高校)などの例を挙げるまでもなく周知のことと思います。
かつて高野連の役員が新聞紙上でこんな発言をされていました。「高校野球の精神は敗北を学ぶことにある。あんなに辛く苦しい練習を重ねても優勝をした一校を除くと、あとはすべて敗者なのです。しかし数年後には敗者の中から勝者を上回る選手が登場します。人生もまたそうだと思います。だから勝者を称えるだけでなく力を尽くして敗れた敗者も称えられるのです。そこに高校野球の教育的意味があるのです。」
そういえばあの「巨人の星」だって星飛馬のいた青雲高校は花形満の率いる紅陽高校に敗れています。敗北や挫折をばねにして立ち上がる、そこに高校野球の素晴らしさがあり、観る者の感動があることを歴史は教えているのではないでしょうか。
《過剰な称賛こそ改めるべき》
その第1は、今でも有名大学に合格した子どもたちは世間から十分に称賛されているということです。「スーパーフリー」で集団暴行事件を重ねた早大生も、「鍋パーティー」で集団暴行事件を重ねた京大生も、監禁恐喝事件を起こしたカリスマホスト阪大生も、自分以外は人を人と思わない不当な優越感と、大学名を聞いただけで「恐れ入りました」と卑屈になってしまう世間の学歴信仰があったからこそ、このような事件を起こしたのだと思うのです。社会の称賛は今でも十分で、むしろ大学名を聞いただけで称賛してしまう今の風潮を改める時期にきているのではないでしょうか。
《高校野球は敗北を学ぶ場》
第2に、高校野球を例にあげたことに疑問があります。8月に熱戦を繰り広げた夏の全国高校野球大会には、地区予選も含めると4137校が参加しました。もしも高校野球が勝者のためのものなら、敗退した4136校に送られた拍手は嘘と偽善であり、優勝した学校だけが栄光を独り占めしなければなりません。しかし現実はそうでないことを私たちは経験としても知っています。甲子園優勝チームのエースや4番打者がそのままプロ野球で活躍したという例は少なく、多くの場合、優勝しなかったチームや甲子園とは無縁のチームから這い上がった選手がプロで活躍しているのです。そのことは大リーグへの夢を突破した野茂英雄(大阪市立城東工業高校)、歴史に残る名捕手の古田敦也(兵庫県立川西明峰高校)などの例を挙げるまでもなく周知のことと思います。
かつて高野連の役員が新聞紙上でこんな発言をされていました。「高校野球の精神は敗北を学ぶことにある。あんなに辛く苦しい練習を重ねても優勝をした一校を除くと、あとはすべて敗者なのです。しかし数年後には敗者の中から勝者を上回る選手が登場します。人生もまたそうだと思います。だから勝者を称えるだけでなく力を尽くして敗れた敗者も称えられるのです。そこに高校野球の教育的意味があるのです。」
そういえばあの「巨人の星」だって星飛馬のいた青雲高校は花形満の率いる紅陽高校に敗れています。敗北や挫折をばねにして立ち上がる、そこに高校野球の素晴らしさがあり、観る者の感動があることを歴史は教えているのではないでしょうか。