教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

進路指導『二年後への手紙』過去・現在・未来の自分をつなげる取り組み

2013年03月05日 | 進路保障
第三学年の取り組みについて

実施時期 手紙の記載   一年の三学期
     手紙の受け取り 三年の12月

取り組み 学年目標「学ぶ力・はたらく力・仲間と手を結ぶ力」について説明する

三年生になった自分をイメージし、2年後の自分に手紙を出す
     書く手紙の内容は
      ①今の自分の学習・クラブ活動などの目標を書いたうえで、中学校生活の目標は達成できたか
      ②今、抱えている悩みは解決できたか
      ③今のクラスに馴染んで生き生きと頑張っているか
      ④目の前に迫った進路について、取り組めているか

目標   三年生になった自分自身を励ます
     中学校3年間での自分の成長・変化を振り返る
     目前に迫った進路について大きな視点で見直す

取り組んでみて
 一瞬、教室は静まり、やがて笑顔に変わり、友人と見せ合う者もたくさんいた。自分の手紙なのに、「感動した」と言っている者も多くいた。担任とは高校に受かるかどうか、といった懇談をしている時期なので、今一度中学校生活を振り返ったうえで、どのような高校生活を目指すのかを考えるきっかけになったと思う。

感想文  
【男子】一年生だった頃の僕と、今の僕とを比べて変わったなぁというところもありました。一年生の頃の僕はあまり勉強せず、陸上部に入った理由も特になかったので、部活も特に楽しいと思いませんでした。だから「夢を持っていない」と手紙に書いていました。今の僕は部活をやめたくないと本当に思い、実際に10月まで続けました。昔の僕よりは、夢を何かしら持っていると思います。ただ昔の僕は今の僕がちゃんと勉強しているか心配だったそうですが、昔の僕の期待ほどには勉強していません。これを機会に昔の僕からの手紙を励みにして、さらに頑張りたいと思います。
【女子】すごく感動しました。昔の自分はすごくがんばっていたのに今の自分はどうだろうと考えさせられるところもありました。同時にもっとがんばろうと思いました。これから辛くなったら、この手紙を読もうと思います。

「目標」と「目的」

2010年03月23日 | 進路保障
今日は社会科最後の授業なので、皆さんに『目標』と『目的』いう言葉について話をします。今、皆さんは公立高校出願を終え、自分の『目標』が定まったことと思います。しかし中には懇談の中で、『目標』の学校を変えなければならなかった人もいると思います。でも高校に入るというのは、『目標』にはなりえても『目的』ではありません。どんなに高校が好きでも、たった3年間しか高校生でいることができないのです。

『目標』の『標』は、訓読みすれば『しるべ』と読みます。道標(みちしるべ)という言葉を知っていると思いますが、『目標』とは目指すべき目的地に間違わず到着するための『しるし』でしかありません。『目的』の『的』は、『まと』すなわち目指すべき最終ゴールなのです。そう考えると、たとえ『目標』は予想と違った結果になっても、ゴール=『目的』への道は歩めるはずです。たとえ遠回りに思えても、歩くことをやめない限りゴールには辿り着くのです。

一定の基準に到達していれば合格できる私立高校と違い、公立高校合格者は定員を一人も上回ることができません。全員合格できた私立高校の結果が今回も起こるとは、考えにくいのが現実です。しかしどのような結果になっても、みんなが進む高校が、次の道標になると信じ一歩を踏み出して下さい。
(3月12日)

進路を前に考えたこと

2010年02月26日 | 進路保障
 2月最後の学活は、進路を考える時間でした。学年の打ち合わせでは、目前にせまった合唱コンクールの練習に割り当てられていたのですが、沈滞したクラスの状況を考えれば、お互いの気持ちを少しでも共有することが大切と考え4人の作文を紹介しました。一年間、せっかく同じ教室で机を並べたのに、隣に座る友人が、どんなことに悩んだり喜んだりしているのかを知らないと、一緒のクラスでいる意味がない、そう言い続けてきた一年でした。どんな効果があったのかは、今後検証していきます。以下は紹介した作文の内容です。

○僕はこの一年間進路について様々なことを考えました。中でも、今考えていることが、自分の進路を決めるにあたって、最も重要なことです。それは、サッカーが強いけれど、とても遠い私立高校に行くか、それとも、それほど遠くなくて、サッカーは普通くらいの公立高校に行くかです。自分の中では、どちらを選択するかはだいたい決まっていますが、もし高校に行ったとして、その私立高校に行っても試合に出してもらえず、ずっと応援しているようなら公立高校に行けば良かったなと思うことです。僕はこの一年間を通して、努力して自分の道を広げるか、それともいける高校に行くのかで、大きく違ってくると思うし、人生を大きく左右することを学びました。高校に入ってもサッカーはするので、サッカーも勉強も両方充実しながら高校生活をおくりたいです。《◎◎◎◎》

●クラブ活動を中心に高校を選んだ者にも、強豪校に入ったためレギュラーになれなかったらどうしよう、という大きな不安があることを知ることができる作文でした。我がクラスには、他にもクラブ活動を判断基準にしているケースが多いので、同じような不安を代表する意見だったと思います。

○僕は、進路・受験を甘くみていた。1・2年はクラブに没頭して楽しくしてきたけれど、3年になって急にみんなの雰囲気が変わってとまどった。口を開けば志望校・内申点・テストの点数・塾のことばかりだった。もっと平和的に仲良く受験することができればいいのに、内申点は取り合いだし、そんなこと言っている自分も他の人の点数を確認して一喜一憂したりと、本当に辛かったし、不安だった。そして夏休みには、朝からクラブで終わったら塾に直行して10時過ぎに帰るという生活が続いた。そうして2学期になって、だらけた。どの教科も点数は落ちて、焦りを覚えた。とりあえず、嫌になった。毎日そんなことばかり考えていて、しんどくなった。そして、なんとか私学を決めて、頑張ろうという気持ちになって、勉強を今までで一番長い時間、濃い内容をしたと思う。特に数学と英語は自分でもわかるぐらい伸びたし、いい点を取るたびに嬉しく感じた。友達と一緒に特別教室に行ったりもした。だけど、友達は超難関校に挑んで落ちてしまった。初めて、人の事であんなに落ち込んだっていうぐらい、気持ちが重くなった。その人の努力を知っている分、本当に悔しくなったし、自分もそうなるかもと大きな不安が生じた。そこでまた、受験の怖さを知った。《◎◎◎◎》

●何をしてもピカイチの生徒は入試に動じることのない日々を送っているのでは、とクラスの生徒は思っていたようです。しかし加熱する受験競争や友人の不合格にも心を痛めるという作文を聞き、小さな衝撃を受ける生徒もいたようです。

○最初は進路について知らなかったので、あまり深く考えていなかった。だけど受験が近くなると、自分でも焦りだして、ちゃんと考えるようになった。自分の学力ならどこの高校に合格できるかだとか色々考えた。2学期までなら大丈夫な高校でも、3学期になって内申点やテストが悪くなったりすると、その高校に合格できないんじゃないかと思ったりして、余計に不安な気持ちになった。入試が近づくと、何を勉強すればいいのか分からなくなったり、勉強して分からないところがあったりすると、余計不安になり、時間もなくなっていった。入試当日も、不安な気持ちのまま家を出て高校に向かった。試験を終えてからも、自分ではあまりできなかったと思っていた。だけど第一志望に受かった時は、とても嬉しかった。これから公立の後期入試もあり、まだまだ気を抜けないけれど、これからは今まで以上に頑張って公立の入試に臨みたいと思った。周りはもう入試が終わって高校が決まっている人がいて、たまにつられてふざけてしまう時がある。だけど流されないようにして、頑張りたい。《◎◎◎◎》

●不安な気持ちのまま家を出て高校に向かったという意見は多くの生徒の共感を得たものでした。小さな集団に閉じこもりがちな生徒たちは、少しは視野を広げるこができただろうか。

指導を託す~入学式を前に逮捕された生徒と高校のとった措置

2009年08月19日 | 進路保障
 それは私が○○中学校の生徒指導主事をしていたときのことである。サッカー部に所属していたAは、大阪の高校スポーツ界では名の知れた私立H高校への入学が既に決定していた。中学校の卒業式も終わり、後は高校の入学式を待つだけという春休み、Aは傷害事件に関わり警察に逮捕されてしまった。鑑別所への送致が決まり、Aは高校の入学式には出席できないことが確実となった。高校にこの事態をどう説明すべきか、話し合いが持たれた。

 私は、①これからのAへの指導を高校に託す以上、事実は正確に伝えなければならない、②こういった事態を招いたことを高校に対して率直に詫びる、③そのうえで保護者とともにAの受け入れについて高校へお願いにいく、④慎重な話し合いを行うため、生徒指導主事が非公式の「進学相談」という形で、H高校生徒指導部長と事前折衝をする、という点で校内の意見をまとめた。

 私はすぐにAの両親を呼び、これらの了解を得てたうえで、Y生徒指導部長(当時)に会いに行った。

 星一徹を思わす精悍な紳士のY先生は、きっぱりと答えてくれました。「分かりました。大丈夫です。言いにくい話をよく伝えに来てくれました。」「高校に入学してから事件を起こしたのならウチの高校での処分の対象になりますが、春休みとは言え、中学校に籍があり、こうやって中学校の先生や警察での指導も受けているのですから、本人がやり直したいと思っているのなら、どうぞ入学して下さい。事情については、私から校長に伝えます。」

 私がAの両親とH高校の校長を訪ねたのは、その数日後だった。入学式から約1週間送れてH高校に入学したAは、3年間サッカー部で頑張り、大学にも進学した。

 
 

中学校生活の希望は実現できたか?そして進路!

2009年04月08日 | 進路保障
 昨日の入学式では、初々しい新一年生代表が、中学校生活への希望を語っていました。皆さんの中学校生活は、あと1年になったのです。過ぎ去った2年間で、皆さんは希望実現への道をたどることができていますか。「無理!」と言って自分で壁を作っていませんか。行事に盛り上がる、クラブで燃える、友だちをいっぱい作る、学習を頑張るなど入学時に考えた中学校生活の『仕上げ』を実現する一年にしよう。
 そして進路です。卒業時に、「もう一度、あの頃からやり直せたら」という言葉を何度も聴きました。今皆さんは、その「あの頃」にいるのです。今から間に合うだろうかと思っていませんか。今だからこそ、やり直しができるのです。
 不安のない人はいません。不安な時は、何をしたらいいのか分からなくなります。そんなときは、毎日の学校生活を大切にしよう。今を充実させることが、不安を少なくするのです。不安を乗り越えようとする皆さんを絶対に応援します。

定時制高校入試報道

2009年04月07日 | 進路保障
 不況と定時制高校の閉鎖。この二つの事態の進行の中で、中学校の2009年進路指導は大きな打撃を受けた。私立高校受験回避、公立高校志願者増という流れは、桜塚高校定時制過程などで一次試験での定員オーバーという事態を作り出した。全日制高校に不合格だった子どもたちは、その後、定時制高校の調整募集と補欠入試に殺到したた。以下は朝日新聞に掲載された記事である。来年度の進路指導に向けて、行政の姿勢が問われる。

     ・・・・・・・

 都市部を中心に公立高校定時制の入試に志願者が殺到し、例年にない多くの不合格者を出す事態が起きている。朝日新聞が各都道府県教委に確認したところ、少なくとも18都道府県の計700人以上は定員超が原因で最終的に不合格になっていた。不況で私立が敬遠されたのが原因とみられるが、最多の167人の不合格者を出した大阪府では6日、募集枠を拡大した異例の補欠入試と合格発表、入学式をこの日のうちに一気に敢行した学校もあった。
 6日午後、大阪府内で最初に補欠入試が実施された府立春日丘高校(同府茨木市)では、8人の募集人員に対し、13人が挑んだ。午後1時の試験開始から、合格発表、同6時の入学式まで、5時間余りで一気に進んだ。
 試験は英語、数学、国語の学力検査で計1時間。その後、すぐに採点し、合否判定会議で合格者を選び、あわただしく発表の準備を進めた。
 午後4時、移動式の掲示板が、校舎わきの通路に運ばれ、合格者の受験番号が示された。保護者や友人と一緒に確認に訪れて、自分の番号を見つけ、「よし」「受かってる」と、小さくガッツポーズをする受験者もいた。
 大阪市東淀川区の男性(15)は「むちゃうれしい」と顔をほころばせた。全日制の前期、後期、2次を受験し、「全部滑った」。友人たちが次々と進路を決めていく中、不安で仕方なかったという。私立は親から授業料が高いと反対され、「公立しかないと思っていた」。
 「安心しました」と表情をゆるめた茨木市の女性(15)も4度目の挑戦。2次募集で同校を受験したがダメだった。仕事を休んで駆けつけて来たというパートの母親(38)は「母子家庭で経済的には無理なので、私立は考えられなかった」と明かした。
 その傍らで、肩を落として引き揚げていく男性の姿も。同校の教員が、まだ出願が間に合う別の高校の補欠募集のことを伝えたという。
 発表から2時間後、8人を含む定時制133人の入学式が体育館であった。約2時間前に合格を確認した親子たちも式にのぞみ、定時制の岩井英雅校長から「今年は従来に比べ志願者が急増した。多くの保護者の方々の喜びもひとしおだと思います」と激励を受けた。
 同校のこうした対応は、「補欠合格の子が区別されないようにして、高校生活のスタートを同時に切ってほしい」という配慮からだった。
 ただ、府教委の対応について「終始後手に回った」と指摘する声は少なくない。今春の入試では、私立だけを受ける生徒の割合「専願率」が20.98%と過去最低。公立の志願増を懸念する声が上がり、3月に入ると、定時制の校長らから「定時制があふれかえるのではないか」という指摘が出ていた。
 しかし、府教委が具体的に動き出したのは3月27日夜。同日午後2時から定時制2次の合格発表があった。「受け入れ可能人数を今日の午後9時45分までに返事してください」とのファクスが各校に一斉に送られたという。

入試の朝にしてはいけないこと~自家用車で送ってはならない

2009年02月16日 | 進路保障
入学試験という特別な朝を迎え、保護者の皆さんも居ても立ってもおられなくなる気持ちは良く分かります。以前、あるお父さんが息子の受験を気遣って、高校まで車で送って行ったことがありました。しかしお父さんの善意は、とんでもない結果をもたらしましたのです。
中学校の職員室に高校から電話が入りました。「1時間目のテストが始まろうとしているのに、生徒が現れない」驚いた担任教員は家に電話をした結果、生徒は父親の運転する車で出かけたことを母親から聞いたのです。その日は前夜から降り積もった雪のため、大阪府北部の道路は大渋滞に陥っていました。「1時間目のテストを受験しないと2時間目以降のテストは棄権したとみなされる」という高校側に対して事情を説明し、何とか受験ができるようお願いしました。結局その生徒は1時間目のテストに間に合わなかったため0点として扱われ、2時間目からの受験になりました。
公共交通機関(電車やバス)が事故や天候の影響で遅れた場合は延着証明が発行され、試験時間が保障されるケースがあります。しかし自家用車の場合は、事故や天候の影響があっても「自己責任」とされてしまうケースが多いのです。

入試の朝にしてはいけないこと~友達を待つ

2009年02月13日 | 進路保障
 一人で知らない高校に行くのは心細いものです。「7時○分の電車に乗ろうね」と約束したくなる気持ちはよくわかります。でも約束した時間に来ない友達を待っては絶対にいけません。

 以前、来ない友達を駅でずっと待っていたため、テスト開始時間に間に合わなかった生徒がいました。待ち合わせしていた相手の生徒は、朝になって急に体調を崩したためタクシーで試験会場に向かっていたのです。

 待ち合わせがうまくいかなかったために試験会場にあわてて着くというのは、大きな心の動揺につながります。場合によっては、合格不合格を左右しかねないことにもなります。たとえ同じ電車に乗らなくとも心配いりません。受験番号が続いていれば試験会場では同じ教室で出会えるのです。

東京の友人に送ったメール

2009年02月04日 | 進路保障
東京での土曜日の朝。みんなとの楽しかった余韻に浸っていると、一本の電話がかかってきました。卒業生で、私が二年三年と担任をしていた生徒が亡くなったとの連絡でした。27歳。中学時代は野球部のエース。T高校・大阪市立大学でもピッチャーとして活躍した生徒でした。食品会社に入社し、去年の秋に仙台支社に転勤となったまでは聞いていました。

あわてて新幹線に乗り、学校に戻り、同窓会名簿を使って同級生たちに連絡しました。

昨日が通夜で今日が告別式。自死でした。東京で三人で話していたKの事を思い出しました。Kが一人で悩んでいたのと同じように、教え子も、見ず知らずの仙台で一人で悩み苦しんで亡くなったのだろうと思い、コタエました。

彼の死、そして残された家族、どう考えても、無念です。同時に簡単に首切りを行い、やる気に燃えた若者の命を食らいながら繁栄を夢見る、この社会の在りように憤っています。

暗い話になりました。しかし僕たちの再開の裏で、こんな悲惨な事が起きていていたのです。

…Kとは、中学校時代の同期で、ハンドボール部のキャプテンを務め、T高校から大阪大学、S酒造会社へと進み、二十代半ばで自死した私の友人です。Kがどうして死ななければいけなかったのか、東京で再開した三人で話していました。その直後の卒業生の死。あんな良い奴が生きられなかった。今後どんな子どもを育てるべきなのかの問いに、こだわっていかなければと思ったのです。

子どもの育ちを保障する学校間連携のために~私立中学校からの転入生受け入れ③

2008年09月28日 | 進路保障
3.再出発しようとする子どもへの支援のあり方
 先に○中学校に転入した子どもたちの様子について報告しました。転入の理由は、イジメや、不適応(「入学前の期待とは違った」「校風を知らず入学した」などが原因)、経済理由など様々です。しかし少なくともいったんは自分で選んだ学校を辞めるのですから、多かれ少なかれ挫折体験を経て転校するわけです。公立中学校同士なら、課題を持って転校する子どもたちについては、指導の引き継ぎがなされます。しかし私立中学校からの転入で引き継ぎができたのは、一件だけでした。中には「本人から聞いて下さい。どうせ学校を悪く言うでしょう。」という投げやりな回答が寄せられたこともありました。挫折体験がある子どもを何の引き継ぎも無く受け入れるというのは、内科からのカルテ無しに外科手術をするようなものだと思います。

 せっかく入学試験に受かり安くない学費を払った子どもたちが学校を辞めることに対して、私立中学校の先生方は残念な思いがいっぱいだと思います。しかし「転校はあり得る」という前提に立ち、「転校しても中学校3年間の子どもたちの育ちは保障する」という方針を確立する必要があると思います。

 私は公立中学校に勤務する中で、時には「こんな状態で子どもたちを卒業させてよいのか」と歯軋りをするような経験を何度も重ねました。しかし卒業後の子どもたちとの再会で、「子どもは変わる」と確信を持つこともできました。この経験が「子どもたちの次の出会いに期待する」ことにつながりました。

 私立中学校を辞めていく生徒にも、転校先で新たな出会いがあり、成長があるのです。公立中学校を様々な課題を持ちながら卒業した後私立高校に進学した子どもが、想像以上の成長を遂げたことがあるのと同じように。「子どもたちは、きっと変わる」ことを全ての教員が信じ、学校間の連携を始めて行きたいというのが私の願いです。

子どもの育ちを保障する学校間連携のために~私立中学校からの転入生受け入れ②

2008年09月27日 | 進路保障
2.国・私立中学校進学層の抱える問題
 私は長く中学校に勤務していたため、私立中学校受験が、学級や個々の子どもたちにどのような影響を及ぼしているのかを知る機会がありませんでした。しかし小学校との兼務となり、公立中学校には来ない子どもたちに出会うことができました。 

 ○中学校というのは、どの時期をとっても落ち着いた雰囲気で子どもたちが学習に取り組んでいる学校です。穏やかな中学生に囲まれているため、小学校に行けば天使のような子どもたちばかりがいるのかと思っていました。しかしそれは大違いでした。先に塾で勉強したことを他の生徒に自慢し、学習が遅れている同級生をばかにする、学校行事を欠席する、「偏差値○○の中学校なんて受験したくない」と互いの受験先を牽制する、私には子どもたちが受験ストレスの影響で攻撃的になっているように思えました。

 関西の大手進学塾が、「常時戦場」を標榜し、「隣の生徒が消しゴムを落としたら、それを遠くに蹴飛ばす」と言った心構えを入塾説明会で行ったというのは新聞の投書でも報道された有名な話です。こんな生き方を真に受けた子どもたちが、小学校高学年の教室の雰囲気を変えつつあると言うと、それは言い過ぎでしょうか。

 私は、この2月に東京の国立大学附属小学校の研究発表会に参加する機会がありました。社会の上澄みばかり集めているような附属小の研究会に学ぶべきものがあるだろうかと、私は斜めに構えて参加したのですが、すぐに私の偏見は消え去りました。研究テーマは「協働して学びを生み出す子どもを育てる」というものでした。先生たちからは「進学塾で先に学んだ者が後から学ぼうとする者を蹴落とそうとする」「塾が学びの主体で学校が息抜きとなる」「受験学力の上位に立つ者が下位の者を圧倒する」「受験ストレスからパニックを引き起こす子どもたち」といった子どもたちの課題が語られ、この現状をどう変えるかが論議されていました。私が公立小学校で感じた同じ課題が国立小学校にも存在したのです。これは関西の私立中学校でも同じだと思うのです。

 大手進学塾の存在は、国・私立中学校が子どもたちを集めるのに役立っている反面、進学する子どもたちの中に強い競争主義や格差意識を植え付け、教育活動を困難にしていると考えます。


子どもの育ちを保障する学校間連携のために~私立中学校からの転入生受け入れ①

2008年09月26日 | 進路保障
はじめに
 9月17日、大阪府福祉人権推進センターで三人研合同交流会が行われました。三人研合同交流会とは、大阪府人権教育研究協議会・大阪市人権教育研究協議会・大阪私立学校人権教育研究会の三者が、子どもたちの進路保障のため公立・私立あるいは小学校・中学校・高等学校といった学校種類の違いを超えて実践交流を行う場です。今年は『進路保障と中・高連携』『集団づくり』『公・私立連携』の3分科会に分かれて交流会が持たれました。私は『公・私立連携』の分科会でレポート報告を行いました。以下はその内容です。

1.増加する私立中学校からの転入
 私立小・中学校は増加の傾向にあります。私が教員になって以降、近隣だけをみても、履正社・関西大倉・摂陵・薫英が中学校を開校しました。更に関関同立の四私大が相次いで小学校を開設させました。私立小・中学校の増加は、当然の結果として私立学校での不適応生徒の増加につながります。私立からの転校生は今後ますます増えるという認識に立ち公・私立学校間での転校と連携の在り方を考える必要があると思います。

 ○中学校では、【表1】のように、38期生(2004年3月卒業)から42期生(2008年3月卒業)までの5年間に、8人の国私立中学校からの転入がありました。○中学校は、全学年2クラス(1年生のみ少人数学級とし3クラス編成)全校生220人あまりの市内で最も小規模な中学校です。○中にとって8人(現役中学生を含めると10人)という数字は、決して少ない数ではありません。


 【表1】年度毎の国私立中学校からの転校生とその転入時期
転入時期
08年卒 3年2学期
07年卒 2年3学期 3年1学期
06年卒 2年2学期
05年卒 3年1学期
04年卒 1年1学期 1年2学期 3年2学期

 転入後の学校生活への適応を転入時期と転校の仕方の2点から見てみます。もちろんたった10人を対象とした調査なので、統計学的には意味がありません。あくまでも参考資料として聞いて下さい。

 【表2】をみると転入時期が遅くなればなるほど転入後の学校生活が不適応になるケースが多いことが分かります。子どもたちの多くは3年生になって初めて不適応状態に陥ったのではないと思います。(多くは保護者が)転校するという決断をできないままズルズルと状況が悪くなり、打つ手が無くなってしまった後に転校するケースが多いのではないでしょうか。不適応の時期が長いほど、転入後の学校生活にマイナスの影響を与えていると思います。

 また転校の仕方では、【表3】で見るように他の地域から転居を伴って転入した場合は、転入後も不適応が続くケースが多いことが分かります。私立中学校で挫折した生徒を受け入れる集団が小学校時代に形成されていれば、転居の必要など無いわけです。「あんな奴と机を並べたくない」という思いが、私立中学校進学グループ・公立中学校進学グループのどちらかにでもあれば、地元中学校への転入は不可能となります。逆に挫折した仲間を包み込む集団が形成されていたら、転入後の中学校生活が実りあるものとなる可能性が広がります。そういう意味では、私立中学校からの転入生がやり直すことができるかどうかは、小学校時代の学級集団形成にかかっていると言えると思います。

【表2】転入時期と転入後の不適応
転入時期 総数  不適応
3年生   5    2
2年生   2    1
1年生   3    0

【表3】転校の仕方と転入後の不適応
転校の仕方    総数  不適応
転居し転入     3    2
地元校に戻る    7    1


進路を聞く会2008年⑤

2008年07月17日 | 進路保障
【◎◎◎◎:◎◎小→大商学園高校】
(進路決定について)部活動を重視した。ずっと野球がしたかった。野球をするからには、甲子園を目指そうと思った。悩んだのは学力について。とにかく自分の学力で進学できて、野球ができるところを探した。

(高校生活について)クラブでは、上下関係が厳しい。言葉遣いもタメ語は許されなかった。高校は、社会人となる第一歩であると思った。社会の厳しさを感じた。その後、何をしたいという思いは無かったが、とにかく勉強を始めるのが遅かったことに苦しんだ。そのうち「自分が」がんばらないといけないと思うようになった。高校の先生にあこがれて、教師になりたいという目標ができ、その先生によく話を聞いたりした。

(中学時代の過ごし方)今から勉強しておけば、今後、自分がやりたいことを見つけたときに役立つ。今、自分が何をしたいか。自分が知っておかなければならないことは何かを考えて、一歩大人に近づいていってほしい。

進路を聞く会2008年④

2008年07月15日 | 進路保障
【◎◎◎◎:◎◎小→府立箕面高校】
(進路決定について)公立高校を希望していたが二つの学校を迷った。総合学科と普通科。総合学科は授業の選択の幅が広いが制服。普通科は授業については決まっているが私服。結局、姉が通っていたので想像しやすかった箕面高校にした。

(高校生活について)高校はいろんなところから集まってきている。新しい友達がたくさんできる。どこから通っているの、などの話もある。入学して後悔したのは、信頼できる先生と出会えなかったこと。友達や親に愚痴を言いながら、高校に通っていた。けれど、高校で自分が何をしたいか、自分が何を好きなのかについては、じっくり考えることができた。だから入ったときの後悔は取り消したいと思った。

(勉強方法について)勉強がキライだった。クラブを引退してから、短期集中で取り組んだ。予習・復習をしていなかったので、今まで学んだ内容が残っておらず、消えてしまっていた。後で役に立ったと思うことは、朝の勉強会。入学試験は、朝からなので、朝に頭が働くようにしておかなければいけない。「朝方」に変えておこう。私は家の台所で勉強して父・姉・兄などに分からないことを聞きまくった。「私は受験生なんだ」という雰囲気を強く出した。自分で「勉強する環境」を作って勉強していった。集中できる環境を自分で作ろう。

進路を聞く会 2008年③

2008年07月07日 | 進路保障
【○○○○ ○○小学校→北野高校】
(進路決定について)
 自分の学力と、自転車で通えるということと、私服であるという理由で決めようとした。しかし、すごく悩んで受験の2週間前に変更した。考えたことは、はたして、高校生活がゴールだろうかということ。自分に目標はあるだろうかということ。やりたいことは、年をとっていったら見つかっていくだろうから、いろんなことができそうな可能性を考えた。自分の場合、1学期には、内申が30~40点たりなかった。がんばって上げることはできる。がんばってください。悔いを残す選択はしないように。目標とする高校に向かって努力を。

(高校生活)
 春休みから宿題が出る。いい加減にしていたところ、いきなり試験があり、追試、追追試を受けることになった。中学生活との違いは、より自由なこと。けれど、それゆえに、自分がこうだと思ってすることが大切。

 サッカー部での経験。中学校では、顧問の指導で練習したが、高校では自分たちで練習を考えた。グランドではなく河川敷で練習をすることもあった。昼休みに河川敷を整地したりもした。勉強では、予習の時間が長くなる覚悟を。

(勉強方法)
 家では集中できないという人は、場所を変えるという方法もある。家では、テレビなどの誘惑が多い。中学校の朝の勉強会や、千里中央に新しくできた施設、塾の学習室を使う方法もある。

(中学時代をどう過ごすか)
 自分は、遊びも勉強委もクラブも、めいいっぱいした。全力でやって後悔することはない。自分が何をしたいかを考えて、何事にも全力で取り組んでほしい。