教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

星守る犬 村上たかし作  双葉社

2010年01月27日 | 本と映画の紹介
Tさんへ。昨夜紹介された本をすぐに手に入れ、読みました。とりあえずの感想を送ります。

一読して、ある家族を思い出しました。

○中で生徒指導をしていた時、Aと言う生徒がいました。銀行員の父親、同じ銀行で職場結婚した母親、そして男の子二人の四人家族でした。父親は厳しさを増す仕事のストレスで体を壊し休職し、母親は信仰に生きがいを求め息子を連れ熱心に活動を始めました。クラブ活動もせず、ネクタイをしめ布教活動をしていたAは中学二年生で大転落してしまいます。家は溜まり場になり、親への暴力が始まりました。私は保護者からのSOSを受け、何度か家に突入することもありました。

そうこうしている間に離婚。母親は弟を連れ家を出て行きました。残されたのは仕事を休みがちな父親と荒れた生活をおくる息子Aの二人。ある日父親は卒業後の進路の無かったAを誘って釣りに出かけました。しかし、その出先で起きた交通事故で亡くなってしまいました。あっけない最後でした。

人減らしとリストラが職場の緊張やストレスを高め、家族を崩壊させ、死に追いやっています。昨日の報道ステーションで紹介された『41歳、ある失業者の死』も、この作品の家族もそうです。この国のどこにでも転がっている不幸が描かれています。

作品では犬と暮らせたお父さんが、犬を失いながら生き残ったお母さん、娘、訳あり少年、ヘルパーの私より幸せだったのではなかったか・・・と描かれています。しかし、そのことが読後の重苦しさにつながっているように思えます。新しい『犬』を探そうとする人は、いないのか?もっと言えば、人と人をつなげる『犬』に、なりえる人はいないのか、という思いが残ります。

「地の塩になりなさい。」という聖書の言葉は、人に対して述べられたはずです。子どもたちをつなげるためにも、私たちがしっかりつながっていかなければならない、採点の合間に考えた私の感想です。

イノセント・ボイス~12歳の戦場

2009年07月23日 | 本と映画の紹介
昨夜(7月22日午前0時過ぎ)というか、深夜に偶然目にした映画が『イノセント・ボイス~12歳の戦場』だった。内線下にあったエルサルバドルの少年兵の問題を描いた作品であるが、その内容に眠さを忘れ眼が釘付けになった。

時は1980年、中米の小国エルサルバドルは政府とゲリラの内戦下にあった。政府軍は不足する兵士を補うため、男の子が12歳の誕生日を迎えると強制的に軍隊にさらって行く。11歳の少年チャバが住む町は、政府軍とゲリラの勢力のほぼ境界線にあり、あるときは、授業中の学校が銃撃戦の舞台となる。

町の教会は人々の安らぎの場であったが、その神父も目の前で殺されていく人々を、もはや祈りでは救うことができないと思い知らされる。学校は閉鎖され、教会は破壊され、町はゲリラをかくまったという疑いで政府軍に火をかけられる。政府軍の横暴を目の当たりにするチャバの友人たちは、「ゲリラに入るしか道はない」と決意する。そんなときに、偶然再会したかつての友人は、いっぱしの政府軍兵士に仕上げられており、「ゲリラをやっつけた。ベトナム帰りのアメリカ兵士に訓練された」と手柄話をするように語るのである。

その夜チャバたちは、家を抜け出てジャングルの中にあるゲリラのアジトに向かう。しかし、少年たちの足取りは政府軍に筒抜けになっており、銃撃戦の末、ゲリラの小部隊は全滅し、少年たちは全員捕らわれる。そして川原の処刑場。すでに多くの死体が散乱しているなかで、11歳の少年たちは、次々と頭を撃ち抜かれていく。その政府軍の中には、昨日再会したかつての遊び仲間もいるのだ。

少年たちを奪い返そうとしたゲリラの応援部隊と政府軍兵士との銃撃戦が起こり、奇跡的に処刑を免れたチャバは、家族と別れ、ただ一人アメリカに渡ることになる。銃撃から逃げるときにも母親が大切に持ち歩いた商売道具のミシンを売ったお金が、一人分の旅費となったのだ。「強くなって帰ってくるのよ」という母親の言葉を胸に、トラックの荷台で揺られるチャバを映しながらエンディングソングが流れる。

この映画は脚本のオスカー・トレス自身の少年時代の体験がもとになっている。彼は祖国に家族や友だちを残してアメリカに渡ってしまった自分に、ずっと罪悪感を感じていたという。ユニセフの調査によると、今でも25万人の子どもたちが、少年兵として戦っているという。

テレビドラマ『風のガーデン』を思う

2008年12月09日 | 本と映画の紹介
 既に亡くなった人に毎週会える。『風のガーデン』は俳優緒形拳の死後に放映が始まりました。欲望でギラギラするような中年男を演じていた彼の作品(テレビ『必殺仕掛人』映画『復讐するはわれにあり』など)を見ていた私にとっては、一人で孫を育てる老医師役の緒形拳は別人のようです。しかも収録後に癌で命を失った事実を知っているだけに、ブラウン管に映る彼の痩(や)せた姿に、心乱されるものがあります。

 息子(中井貴一)との和解のため、彼の生活拠点となっているキャンピングカーを訪れた緒形拳が、息子が癌に侵され余命わずかしかないことを偶然に知り、声もたてず涙を流すシーンを見て、私も涙を流さずにはおられませんでした。末期癌で数ヶ月しかもたないというのは、実生活での緒形拳自身のことだったのです。自分の死期が迫っていることを承知の彼は、どんな想いでこのシーンを演じ、この作品で何を伝えようとしたのか、考えずにはおられません。

 「人生は、後になって分かる」と言います。緒形拳の最後を知るがゆえに、彼の遺作となったこのドラマから目を離せなくなりました。木曜日が放送日です。

8月に平和を考える~映画『夕凪の街桜の国』

2007年08月21日 | 本と映画の紹介
 戦後62年が経ち戦争の記憶は日本人から消えようとしています。小中学生の『おじいちゃん・おばあちゃん』世代も戦後生まれに変わりつつある今、あの時代を語れる人たちは既に古希(数えで70歳)を遥かに越えています。2年前に「戦後60年はあっても、戦後70年はない」と言われました。いくら長寿国日本といえども、戦争を語り継ぐ方々が戦後70年を迎えることは難しいのです。

 戦争を経験していない国民で満ち溢れる、戦後の日本が目指していた一つの理想が今実現しようとしています。しかし戦争を経験していないことと、戦争を知らないことは、似て非なるものです。この夏、「原爆投下はしょうがない」との発言が防衛大臣から発せられました。従軍慰安婦問題や集団自決問題をみても、歴史を修正したいという政治的な圧力が強められています。国民の多くが戦争体験者だったときには口にもできなかったことが、今まかり通ろうとしているのです。私たちは戦争の体験(その加害と被害の全てにおいて)や教訓を正しく受け継がないままにこの62年を食い潰してはこなかったかでしょうか。

 「しょうがない」発言を受けた長崎では、長い沈黙を破る新たな歴史の証言者が生まれたことが新聞で報道されていました。「忘れてしまいたい」という傷ついた心。しかし「黙ってはおられない」という思いが被爆者を突き動かしているのです。

 2年前双葉社から刊行され大きな反響を得た『夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国』が映画化され、この夏全国で上映されています。原作同様に私は大きな感銘を受けました。

 映画は、原作をほぼ忠実に再現していますが、この映画の中で印象に残った言葉を紹介します。

 「原爆は落ちたんではない、落とされたんだ」(皆実)どうして広島に原爆が落ちたのかという弟旭の問いに対し、皆実は殺そうという明確な意思を持って原爆が落とされたのだと諭します。この皆実の考えは「やったー、また一人殺せたと、原爆を落とした人は、ちゃんと思うてくれとる」という言葉に繋がるのです。戦闘員・非戦闘員の見境なく人が人を殺すという戦争の本質を見事に描いた一言です。
しかし戦争にたいしてはっきりとした思いを持つ皆実も、自分の戦争の記憶(=家族や友人との別れ)に苦しみ続けるのです。「この街では誰もあのことを口にしない」「私が忘れてしまえば済むことなんだ」という思いが、生き残ったことへの罪悪感(多くの友人や家族を救えないままに)とともに込み上げてくるのです。

 ところが皆実は思いを寄せる打越に対し「誰かに聞いてほしかった」と被爆の日の記憶を語ります。そして命が尽きようとする最後に、疎開先の水戸から駆けつけた弟旭に対して「私たち家族のことを忘れないで」自分たちの分も長生きしてほしいと思いを託します。皆実の思いは、戦争体験の風化が叫ばれ改憲前夜を迎える今に対し、歯軋りをする思いで平和を叫ぼうとする多くの戦争体験者(戦死者も含む)の思いでもあると思います。

 しかし映画はこれで終わりません。この作品の優れているところは、原爆投下=戦争の問題が62年前の問題ではなく、戦後生まれの私たちの問題でもあることを教えてくれるところにあります。

 旭の娘である七波は、幼なじみ東子との予定外の「広島への旅」を通じ、自分が生まれてきた意味、弟凪生の結婚問題、そして何よりも記憶の中から消し去ろうとしていたおばあちゃんと母の死について、正面から向き合おうとします。28歳の若者の中にあった「戦争体験」が見事に掘り起こされていくのです。同時に「戦争体験」の枠外にあった東子も、初めて自分の問題として戦争に向き合い始めるのです。

 8月6日も、9日も、15日も、決して年中行事の一つではありません。この夏が最後になるかもしれないという不安を抱えながら、命懸けで記憶を次の世代に繋げようとする人たちがいます。その思いを受け継ぐ七波や東子のような若い世代もいるのです。

 被爆した京子に旭がプロポーズする回想シーンに七波は立会います。そして二人の新婚生活が始まった町でもあり、祖母と母親を亡くした町でもあり、忘れようとしていた「陽だまりの匂い」がする桜並木の町での生活を愛おしく思い出すのです。

 「生まれる前 そう あの時わたしはふたりを見ていた。そして確かにこの二人を選んで生まれてこようときめたのだ。」七波の戦争体験を掘り起こす旅は、この言葉で締めくくられるのです。

ほんの紹介『夕凪の街 桜の国』

2007年05月06日 | 本と映画の紹介
こうの史代著 双葉社 800円

表紙を開いて目次をめくると、「広島のある日本のあるこの世界を 愛するすべての人へ」という著者のメッセージが目に入ります。この本は広島の原爆被爆を題材にした漫画です。広島を描いた漫画では『はだしのゲン』という名作がありますが、この『夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国』は、被爆した広島がほとんど描かれていない作品です。わずか100ページ足らずの冊子が、『夕凪の街』『桜の国1』『桜の国2』の3部に分かれ、複雑にからみながら成り立っています。

物語は、あの日から十年たった1955年(昭和30年)の広島で始まります。原爆で父と姉と妹を失った皆実(みなみ)は、母親と二人で戦後の生活を始めます。皆実には自分に好意を寄せている同僚の打越がいます。しかし皆実には「自分が幸せになってはいけない」という思いがあります。その思いは被爆の記憶と強く結びついているのです。(映画『父と暮らせば』の主人公も同じ思いをしていた)

勇気をだして皆実は自分がこの世に生きていて良いのかと打越に相談します。「生きとってくれてありがとう」という返事をもらった皆実は、打越の好意を素直に受け入れようと思うのです。しかしその矢先に皆実は倒れます。ちょうどあの日から2ヶ月後、全身に紫色のしみをつくって逝(い)ってしまった姉と同じように。

・・・嬉しい? 十年経ったけど原爆を落とした人は私を見て「やった!またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる?・・・

そんな言葉を頭によぎらせながら皆実は短い生涯を終えます。そして話は1980年代の東京を舞台とした2部へ、そして3部では現在の東京と広島を結びながら展開されます。話の展開は過去から現在への直線的なものではなく、度々回想シーンが挿入され、その回想シーンや何気ない街の景色の中に「今」を理解するためのヒントが隠されています。そして過去と現在を行き来しながらいくつかの「謎」が明かされ、被爆の問題が遠い過去のことでなく、現在に続いている問題でもあることを静かに訴える作品になっています。

職員室で何人かの先生に読んでもらいました。「号泣した」というものから「何?これ?」まで様々な感想がありました。小学生の皆さんには難しいかもしれませんが、中学生の皆さんには是非チャレンジしてもらいたい作品です。一回読んでもわからないかもしれませんが、二度三度と読み返してみると、一度目には見過ごしていたヒントに気づくことと思います。

3年ほど前の出版で、新刊では手に入れにくいかもしれませんが、私は古本市場でお安く買いました。

映画案内「不都合な真実」(アカデミー賞受賞)

2007年03月01日 | 本と映画の紹介
 この映画は元アメリカ副大統領のアル・ゴアが地球温暖化防止をテーマに行った講演会をベースとした記録映画です。水が干上がり砂漠化したアフリカのチャド湖。北極海を覆(おお)う氷は40%も消え溺死する白熊が出現し、グリーンランドでは緑の大地が広がりつつある。海面上昇で沈む南の島々。今まで目や耳にしたバラバラな情報がまとめ上げられ、地球の異常現象が浮かび上がります。ニューヨークや上海が水没し、大量の難民が現れる時が来ると警告します。

 環境保護という考えは経済成長をストップさせ雇用を奪い貧困を招くという意見に対して、ゴアはアメリカ自動車界の衰退を例に出し反論します。世界の自動車界でトヨタやホンダが成功したのは、日本が世界で最も厳しい排気ガス規制を行ったからだと言います。その結果トヨタやホンダは世界に先駆けてハイブリッド車の販売に成功し、その燃費の良さが各国での販売成功につながりました。反対に排ガス規制で立ち後れたアメリカ車は、アメリカ以外の国では走れなくなり自動車産業の不振につながっているのです。

 映画ではゴアが学生時代から地球環境保護問題に取り組んでいたことを紹介したうえで1998年に転機が訪れたことを教えてくれます。その年に一人息子が交通事故に遭い生死の境をさまようことになるのです。今ある幸せのもろさに気づいたゴアは、地球の未来の危うさを思い出します。そして奇跡的に助かった息子に地球の未来を残そうと考えるのです。アメリカの民主主義を信じていたゴアは、真実さえわかればアメリカが変わると思い、政治家として環境問題に力を入れます。しかし副大統領まで務めた彼は、ある一つの壁にぶち当たるのです。それは「人は理解できる。しかしそのことによって自分の給料を失うとなると、人は理解できなくなる」ということです。政治の世界から身を引いた彼は、それ以来1000回を超える講演を世界で行い、真実を知ろうとする人たちを増やそうとするのです。

 2月24日、この作品は長編ドキュメント部門でアカデミー賞を受賞しました。地球で生きる全ての人に見て頂きたい映画だと思います。


ほんの紹介~「ポプラの秋」湯本香樹実(新潮文庫400円) 

2006年05月14日 | 本と映画の紹介
 京都で行われたある研究会に参加するときのことです。行き帰りの電車の中で読めるものをと本棚から手に馴染むものを持ち出したのが、この本です。数年前に新聞の書評で読んで買ったのですが、そのまま本棚に眠っていたのでした。

 父の死後に家を売り払い、母と二人で住んでいたアパート「ポプラ荘」のおばあさん(=大家さん)が亡くなったという連絡を受けた私(=千秋)は、その告別式に参加するため、6~10歳まで暮らしていた町に出かけます。その小さな旅の中で、父を亡くした後に母と過ごした日々、ポプラ荘の人たちとの出会い、特におばあさんとの会話が回想されていきます。

 千秋は、おばあさんに手紙を託すと亡くなった人に届くと教えられ、亡き父に手紙を出します。ある日、母にも勧め一通の手紙をあばあさんに託しました。天国にいるはずの父に果たして届いたのか謎のまま月日がたちます。

 告別式の日、身寄りの無いはずのおばあさんを見送るため、驚くほどたくさんの人たちが集まってきました。その人たちは、みな、おばあさんの不思議な魅力に支えられながら、愛する人を失った悲しみの中で生きてきた人たちなのです。そして母があのときおばあさんに託した手紙を読むこととなり、私が子どもの頃抱いていた謎が明らかになっていきます。

 突然大切な人を失った小学1年生の「私」が、その死を心の中でどう理解し、あるいは押しつぶされそうになったかを、子どもの頃の思い出として静かに語られていく作品です。



ほんの紹介「誰がテレビをつまらなくしたか」立元幸治(PHP新書760円)

2006年05月10日 | 本と映画の紹介
 テレビ放送が始まり50年になります。著者はテレビ放送の創成期からNHKで番組作成に携わってきました。放送という仕事は、出版と並び文化を創り出していく仕事です。その放送現場から志(こころざし)が消えつつあると筆者は語ります。

タレントを集めての馬鹿騒ぎ、どの局も「答えはCMの後で」「韓流」「売れ筋タレント」のワンパターン、どこに公共性や創造性があるのかという厳しい指摘が続きます。目に見える成果=視聴率がすべてで、放送の質を顧みない風潮が広がる背景に、私たち見る側の責任が無かったのか、考えさせられました。

 次の文は,手塚治虫さんの『鉄腕アトム』等を世に出した漫画雑誌創刊の言葉です。戦後の混乱期の中で、新しい文化を作りだそうという高い志が読み取れます。今のテレビ製作者は、この創刊の言葉をどう読むでしょうか。

心をおちつけて読書のできる平和な秋、新雑誌「少年」を皆さんにおくります。あそんだり、勉強したり、お手伝いをしたり、元気に見える皆さんにも、ふじゆうなくらしのこと、自分の将来のことなどでふと思い出される心の重荷がいろいろあることと思われます。私たちは、この「少年」を、皆さんをはげまし、なぐさめる雑誌にしたい、心をゆたかに高める雑誌にしたい、新しい知識のよろこびをもたらす雑誌にしたい、いっしょにたのしくあそぶ雑誌にしたい、と思います。気にいったら、いつまでもお友だちにしてください。
昭和21年11月1日「少年」編集部

 

「思春期の危機をどう見るか」岩波新書 尾木直樹著

2006年04月18日 | 本と映画の紹介
著者の尾木直樹さんは、長年学校現場で働いた経験をもとに教育評論活動を精力的に行っておられます。「普通の子」がおこす凶悪犯罪、虐待、誘拐、ネット依存、学力格差の拡大などの事例を考えながら、子どもたちの世界に何がおこっているのかを解明し、教育の問題点を明らかにしようとしたのがこの本です。
 
「非行のステップ」という言葉があります。中学校の生徒指導では、遅刻数が増える→変形服を着用し頭髪を染める→喫煙する→夜遊びが重なる→暴力事件を起こすといった非行のステップを常に意識しながら指導を行ってきました。大きな事件が起きるまでには、様々なサインが子どもから発せられており、そのサインを見過ごさず対応していくことが生徒指導の基本となっていました。しかし長崎の同級生殺人事件をみてもわかるように、それまで何の非行もなかった子どもが急に殺人事件を起こしてしまうという事例が後を絶ちません。これは神戸の酒鬼薔薇連続殺人事件以降の大きな特徴です。

尾木さんは少年事件の新しい傾向として①成績優秀な子どもが突然凶悪事件を起こす、②攻撃の矛先が身近な家族に向けられる、③少年たちの事件が残忍で異常であるにもかかわらず精神鑑定の結果は「正常」つまり「ふつうの子」という結論が下されていることをあげています。

「ふつうの子」がふつうに育つか「殺人者」になるのか、その違いはどこから発生するのかという謎を解く手がかりとして、ぜひご一読くださることをお勧めします。本体価格780円です。

本の紹介・・「わすれられないおくりもの」

2006年03月03日 | 本と映画の紹介
 スーザン・バーレイ著(評論社1050円)

 イギリスの童話作家であるスーザン・バーレイのデビュー作。「身近な人を失った悲しみを、どう乗り越えていくのか」重いテーマに正面から向き合い、私の絵本への偏見を吹き飛ばした作品です。

 優しくて賢くていつもみんなから頼りにされているアナグマは、冬が来る前に死んでしまいます。「長いトンネルの むこうに行くよ さようなら アナグマより」という手紙が残されていました。森の動物たちは、悲しみにくれながら冬ごもりの生活に入ってゆきました。泣いてばかりいた動物たちは、春になりアナグマと過ごした思い出を語り合うようになります。やがてみんなは、自分たちの宝物となるような知恵や生きる工夫を『おくりもの』として残してくれたことに気づき、アナグマの思い出とともに生きていこうと思うのです。

 「死者は二度死ぬ」と言います。一度目は肉体の死を迎えたときです。二度目の死は、みんなの記憶から忘れ去られるときに訪れるといいます。アナグマは、『わすれられないおくりもの』を届けたことにより、みんなの心の中にこれからも生き続けるのです。
 誰にも訪れる『死』。しかしたとえ自分の身に降りかかるものではなくとも、誰もが受け入れ難い『死』。悲しみと隣り合わせとなった記憶の中に亡くなった人の『命』が受け継がれていることを静かに語りかけてくれる名作です。子どもたちが死を理解するためにも、私たち大人が親しい人の死を見つめなおすためにも、ぜひ読んでみてください。 (「かけはし」2月7日号より)