阪急電車に乗っていたときの出来事です。私はS駅から梅田へ向かったとき、向かいの座席に、30歳近い男性が座っていました。知的なハンディーがあるように見えた男性は、隣に座る二十歳ぐらいの女性に話しかけ、握手をしてもらっていました。男性は、その女性のことがとても気になったようで、今度は足を触ろうとしてしまいました。そのとき女性は、伸びてきた男性の手を受け止めて「足はダメよ。」と優しく、しかしきっぱりと注意したのです。
私はその鮮やかなやり取りに感心しながら見ていました。そのうち十三駅で女性が下車したとき、初めて目の前の二人は知り合いでなかったことが分かりました。障害者を受け入れるとともに、間違いを起こしそうになった時にはきっちりと注意ができる、この二つのことを初対面の人にサラッとやり遂げたこの女性はスゴイと心の中で拍手しました。
「障害者への理解」という課題を考えたとき、どれだけ素晴らしい人権学習や道徳授業を受けたとしても、障害がある仲間と一緒に生活をしていなければ、この女性のような自然な対応はできないと思います。北摂にある多くの中学校が、障害のある生徒を原学級に受け入れて30年が経ちます。社会の動きに翻弄されることの多い学校教育ではありますが、学校教育もまた社会を変える一つの力であると思えたできごとでした。
私はその鮮やかなやり取りに感心しながら見ていました。そのうち十三駅で女性が下車したとき、初めて目の前の二人は知り合いでなかったことが分かりました。障害者を受け入れるとともに、間違いを起こしそうになった時にはきっちりと注意ができる、この二つのことを初対面の人にサラッとやり遂げたこの女性はスゴイと心の中で拍手しました。
「障害者への理解」という課題を考えたとき、どれだけ素晴らしい人権学習や道徳授業を受けたとしても、障害がある仲間と一緒に生活をしていなければ、この女性のような自然な対応はできないと思います。北摂にある多くの中学校が、障害のある生徒を原学級に受け入れて30年が経ちます。社会の動きに翻弄されることの多い学校教育ではありますが、学校教育もまた社会を変える一つの力であると思えたできごとでした。