政府の教育再生懇談会は5月17日の会合で、子どもを有害情報から守るため小中学生に携帯電話を持たせるべきではないとの内容を今月末にまとめる第1次報告に盛り込むことで一致しました。携帯電話は『電話』という名称をつけられていますが、実際はインターネットを通じて世界とつながっている超小型パソコンです。「友だちの友だちがアルカイダ」と語った法務大臣がいますが、携帯電話の向こうに善意の人ばかりがいるとは限りません。私が3年前に経験した事件を再度『かけはし』に掲載します。携帯電話の持つ危険性について家庭で話し合って欲しいと思います。
▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩
8月に入って間もない頃である。土曜夕方のニュースでテレビを見ていると、聞き覚えのある名前が流れた。H子26歳(後日25歳に訂正された)。インターネットの『自殺系サイト』で知り合った男に殺されていた。
H子が中学3年生のとき、私は進路指導を担当していた。直接授業を担当したことはなかったが、兄を教えていたこともあり、いつも頭の隅で気にしていた生徒の一人だった。卒業して10年以上もたつのに、記憶の中からフルネームで名前が出てきた。ニュースで流れた名前と同じである。偶然の一致、同姓同名なのか。それとも・・・。居ても立ってもおられず、当時の担任に連絡をとってみた。
やはりそうだった。担任であった彼は、すでに6月に、H子の身
元確認に協力してほしいという依頼を警察から受けていたのだ。
その後まもなく、この殺人事件の犠牲者はH子だけにとどまらず、
男子大学生と男子中学生の3人に増え、『自殺サイト』を利用した連
続殺人事件として、連日大きく報道された。
私が『自殺サイト』という存在を知ったのは、2002年のことである。当時中学1年生の、ある女子生徒から教えられた。学校ではおとなしく物静かだった彼女は、帰宅後は携帯電話で自分のブログを作成し、そこに自らの「生と死」への激しい感情をぶつけていた。彼女は、死のイメージを探るため、頻繁に『自殺サイト』を閲覧していた。その後、『自殺サイト』を利用した集団自殺が全国に広がり、こういったサイトの存在が、にわかに脚光を浴びることになった。
しかし今回逮捕された男性は、生と死の狭間で悩み苦しんでいたのではなく、「相手の苦しむ姿を見たかっただけで自分は自殺など考えたこともない。」と語っているという。警察は「自殺幇助(ほうじょ)」ではなく「殺人事件」としてこの事件を扱っている。「自殺」という絶望的な死を選択し、悩み苦しんでいる人に寄り添うようなふりをしながら、犯人はH子に近づいてきたのだ。そんな男をH子は、共に死ねる相手として選んでしまったのであると思うと悲しみと怒りが湧いてくる。
インターネットを通じ、パソコンや携帯電話が世界とつながり、瞬時に必要な情報を手に入れることができるようになった。どんな百科事典であっても、足元にも及ばない膨大な情報量と欲望を掻き立てる魅力的な品が、そこにある。しかしだからといって私たちが世間と渡り合える力を持っているとは限らない。
子どもたちへの携帯電話の普及は広がる一方である。怪しげなチェーンメールや出会い系サイトからの迷惑メールも続いている。しかしインターネットのあふれる情報の前に、子どもたちの力はあまりにも非力である。長崎での小学校6年生による同級生殺害事件も、メールでのやりとりがきっかけで、仲の良いと思われていた友人関係が一気に崩れ、悲劇的な結末にたどり着いてしまったのである。
携帯電話やインターネットと子どもたちの係わり方は、各家庭によって大きく異なります。だからこそ、このような事件が報道されるたびに、親子でネット社会の危険な落とし穴について、話し合う必要があると思われます。もし仮に携帯電話を持たせる必要がある場合でも、①家族や親戚、学校など必要な電話番号は、あらかじめ登録しておき、知らない番号からの電話には出ない。②付属しているさまざまな機能は、つけない。メール機能についても本当に必要なのか、どんな場合に必要なのか、それはメールでしかできないことなのか検討する。③子どもに渡しっぱなしにせず、親が管理し(親名義のはず)必要な時間帯に手渡すなどの工夫も必要だと思います。(「かけはし」2005年9月1日号より)
▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩
8月に入って間もない頃である。土曜夕方のニュースでテレビを見ていると、聞き覚えのある名前が流れた。H子26歳(後日25歳に訂正された)。インターネットの『自殺系サイト』で知り合った男に殺されていた。
H子が中学3年生のとき、私は進路指導を担当していた。直接授業を担当したことはなかったが、兄を教えていたこともあり、いつも頭の隅で気にしていた生徒の一人だった。卒業して10年以上もたつのに、記憶の中からフルネームで名前が出てきた。ニュースで流れた名前と同じである。偶然の一致、同姓同名なのか。それとも・・・。居ても立ってもおられず、当時の担任に連絡をとってみた。
やはりそうだった。担任であった彼は、すでに6月に、H子の身
元確認に協力してほしいという依頼を警察から受けていたのだ。
その後まもなく、この殺人事件の犠牲者はH子だけにとどまらず、
男子大学生と男子中学生の3人に増え、『自殺サイト』を利用した連
続殺人事件として、連日大きく報道された。
私が『自殺サイト』という存在を知ったのは、2002年のことである。当時中学1年生の、ある女子生徒から教えられた。学校ではおとなしく物静かだった彼女は、帰宅後は携帯電話で自分のブログを作成し、そこに自らの「生と死」への激しい感情をぶつけていた。彼女は、死のイメージを探るため、頻繁に『自殺サイト』を閲覧していた。その後、『自殺サイト』を利用した集団自殺が全国に広がり、こういったサイトの存在が、にわかに脚光を浴びることになった。
しかし今回逮捕された男性は、生と死の狭間で悩み苦しんでいたのではなく、「相手の苦しむ姿を見たかっただけで自分は自殺など考えたこともない。」と語っているという。警察は「自殺幇助(ほうじょ)」ではなく「殺人事件」としてこの事件を扱っている。「自殺」という絶望的な死を選択し、悩み苦しんでいる人に寄り添うようなふりをしながら、犯人はH子に近づいてきたのだ。そんな男をH子は、共に死ねる相手として選んでしまったのであると思うと悲しみと怒りが湧いてくる。
インターネットを通じ、パソコンや携帯電話が世界とつながり、瞬時に必要な情報を手に入れることができるようになった。どんな百科事典であっても、足元にも及ばない膨大な情報量と欲望を掻き立てる魅力的な品が、そこにある。しかしだからといって私たちが世間と渡り合える力を持っているとは限らない。
子どもたちへの携帯電話の普及は広がる一方である。怪しげなチェーンメールや出会い系サイトからの迷惑メールも続いている。しかしインターネットのあふれる情報の前に、子どもたちの力はあまりにも非力である。長崎での小学校6年生による同級生殺害事件も、メールでのやりとりがきっかけで、仲の良いと思われていた友人関係が一気に崩れ、悲劇的な結末にたどり着いてしまったのである。
携帯電話やインターネットと子どもたちの係わり方は、各家庭によって大きく異なります。だからこそ、このような事件が報道されるたびに、親子でネット社会の危険な落とし穴について、話し合う必要があると思われます。もし仮に携帯電話を持たせる必要がある場合でも、①家族や親戚、学校など必要な電話番号は、あらかじめ登録しておき、知らない番号からの電話には出ない。②付属しているさまざまな機能は、つけない。メール機能についても本当に必要なのか、どんな場合に必要なのか、それはメールでしかできないことなのか検討する。③子どもに渡しっぱなしにせず、親が管理し(親名義のはず)必要な時間帯に手渡すなどの工夫も必要だと思います。(「かけはし」2005年9月1日号より)