教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

人権学習教材~歯型5

2009年07月08日 | 人権

それから、二日たった日の昼休み、担任の先生がぼくと一郎をよんで、校長室へいくようにいった。ぼくは、例の一件だなと、ピンときた。でも、いったいだれがばらしたのだろう。ぼくと一郎は廊下で、不安な顔を見合わせた。
(どうする?)
一郎の顔がそういっている。
「しげるのいったように話せばいいさ。」
と、ぼくは自分をはげますようにつぶやいた。
校長室に入ったとたん、ぼくはどきっとした。あいつが座っているではないか。ぼくは内心うろたえた。校長先生にうながされて、ソファーに腰をおろしたが、体がクッションのなかにうまって、いっそう気分が落ち着かない。
ぼくらの前には、あいつと、渥美清に似たおじさんが座っていた。
「先生。」
と、校長先生が、そのおじさんにむかっていった。
「このふたりが、しげるくんと一緒にいた子どもらです。こちらは、桜養護学校の先生と生徒さんだ。この生徒さんの顔は覚えているだろうね。ここにきみたちをよんだわけは、もうわかっていると思うが。」
校長先生はそこで一息つくと、先を続けた。
「きのう、しげるくんのお父さんが桜養護学校に行かれて、いろいろ話をされたそうだ。ところが、しげるくんのいっていることと、この生徒さんがいっていることが、だいぶちがうので、きみたちの話を聞きにみえたのだよ。気を楽にして、本当のことを残らず話してごらん。」
校長先生はおだやかにそういったが、度の強いめがねの奥の目は、いつもより厳しかった。
「こんにちは。」
いきなり、おじさんみたいな先生がきりだした。ほそい目が、まっすぐぼくらを見ていた。ぼくは、思わずうつむいてしまった。
「この子がおととい、しげるくんをかんだそうだね。しげるくんのお父さんが、ぼくたちの学校へやってこられてね、だいぶしかられてしまったよ。ところがだ、この子が、しげるくんのお父さんの話は違うというんだ。この子は自由に話ができないので、こういう文字板を使ってしか、自分のことを伝えられないのだよ。」
先生はそういうと、一枚のベニヤ板に紙を貼り付けたものを、机の上に乗っけた。それには、ひらがな文字や、いくつかの漢字が、ます目の中にぎっしり書かれていた。
「だから、話をするのに、ひどく時間がかかるんだ。きのう、しげるくんのお父さんが帰られてから、この子と二時間ばかり話をしたんだが、この子がいうには、自分からしげるくんにつっかかっていったのではなく、きみたちからケンカをしかけられたのだ、というんだよ。それも、おとといだけじゃなくて、何日も前から、きみたちがからかっていたそうだね。足をわざとひっかけて、たおしたりして、違うかい?それできのうは、追いかけられて、けったり、なぐったりされたので、自分も抵抗したんだというんだ。
この子は、きみたちみたいに、手や足が自由に動かないから、口でかむよりほか手がなかったんだ。かんで人を傷つけてしまったことは、理由がどうであれ、わるいことだし、あやまらなければならないことだけど、なんにもしないしげるくんをかんだんじゃないはずだ。ちがうかね?ほんとうのところ、どうだったんだい。正直に話してくれないか。」
ぼくと一郎は、だまったままうつむいた。上目づかいにあいつを見ると、あいつはまっすぐ射るように、ぼくらを見すえている。首をやや左にかしげ、口をへの字にひん曲げて、――と、あいつがあのときのように笑った。いや、笑ったのではなかった。顔の筋肉が唇のはしをつりあげるために、そうみえたのだった。
「どうだね、きみたち。」
校長先生が答えをうながした。一郎は、ぼくをひじでつついた。ぼくは思い切っていった。
「しげるが、いや、しげるくんがいったとおりです。」
その声は、自分でもおかしいほどふるえ、かすれていた。すると、あいつが、テーブルをたたくようにして、文字板の上を指で押さえた。
「う」そして、「そ」と。
(うそ!)
ぼくは、あいつの顔をまともに見る勇気がなかった。うなだれたまま、自分のひざにゆびでそっと、「うそ」と、書いていた。
「うそだっていってるが、どうだい?」


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