教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

進路を考える~定時制高校卒業式②

2007年03月30日 | 進路保障
○○年度大阪府立S高校定時制課程卒業式答辞(卒業生の言葉)より

 今年は近年まれにみる厳しい冬でしたが、今は梅の花がほころびはじめ春の訪れを感じます。

 私たち○○期生も働きながら勉強するという条件を乗り越えて、この学び舎を巣立とうとしています。本日、私たちのためにこのような盛大な卒業式をあげていただき、ご来賓の方々をはじめ諸先生方、在校生の皆さんに、卒業生一同、深く感謝しております。

 思えば4年前の4月、全日制高校の受験に失敗した者や、経済的に定時制高校に行くことを余儀なくされた者や、高校を中退し一度社会へ出たものの世間の冷たい風に耐え切れず思いを新たにした者など、様々な理由をもって私たちは大きな期待と不安を抱きながらこのS高校定時制に入学しました。昼間は職場で勤務に服し、日が沈むころに登校して授業を受けるという毎日は、想像していた以上に苦しく、一人また一人と去っていく者は後を絶たず、入学当初107名を数えた友も今日ではわずか50名となってしまいました。

 途中で学習意欲を失い、あるいは職場や家庭の事情でやむなく学業を断念した友のことを思うと、自分のことで精一杯で肝心なときに何の役にも立てず、引き止めてやることもできなかったのが私たちは心残りに思えてなりません。在校生のみなさんの中に、もしそういった人がいましたらお互いに声をかけて学校へ来るよう呼びかけて欲しいものです。

 思い返しますと確かに辛く厳しい4年間ではありましたが、その中には心に残る楽しい思い出もたくさんありました。各クラスが一丸となって熱戦を繰り広げた球技大会。日ごろの疲れも忘れ精一杯力を合わせた秋の体育祭。また準備が進むにつれてクラスの絆がしだいに深まっていくのを感じた文化祭の夜。その日のことがつい先日のように思い出されます。

(中略)

 これから私たちは大学や専門学校に行く者、新たに就職する者、また今の職場で力を発揮しようとする者など、それぞれちがった道を歩もうとしますが、この4年間で培(つちか)ったものを大切にし、これからの人生に役立てるとともに、自分がS高校定時制課程の卒業生であることを恥じることなく生きてゆきたいと思います。 

 時には挫折し思い悩むことがあると思いますが、4年間頑張ってきたこの力を支えにし、今後待ち受けているあらゆる障害を乗り越えて、希望と夢に向かって歩み続けます。

 在校生のみなさん。今日は私たちの門出を祝福して下さりありがとうございました。この場を借りて大変恐縮ではありますが、少し私の話を聞いていただきます。

 私は現在25歳です。まだ17歳だった時に高校を中退しました。そうなった原因は3つありました。一つには中学までの勉強不足のため自分の志望した高校に入れず、学校生活がいま一つ楽しいものではなかったからです。もう一つには大学に進学することだけを考えていた私にとって、自分が学んでいた高校の教育は受験戦争に勝ち抜くためには、あまりに粗末なものに感じたからです。そしてもう一つには、教育や大学受験に対する考え方が両親と私とではかなりの違いがあり、このままでは大学に入れないと真剣に悩むようになったからです。ほかにも細かい理由があったかもしれませんが、大学合格のための勉強をするという目標を失った私にとって、世間のことを何も知らなかった私には高等学校が無用のように思えたのです。

 ところが学校をやめたものの仕事もせず、ぶらぶらしていた私は、それを見かねた両親に勘当され家を出されてしまいました。そのときは夜だったせいもあってか、五里霧中といった絶望感に包まれました。何とか仕事と住む場所を見つけた私は、両親とのわだかまりが解けるまでの4年半の間、一人で過ごしました。

 その間にはいろいろと辛いことや悲しい事もありましたが、あれほど簡単に考えていたはずの高卒という資格には大変悩まされました。例えば、職業の選択肢が限りなく狭く、自分のしたい仕事には必ずと言っていいほど就けませんでした。何か資格を取ろうと思っても中卒では受験すらできなかったのです。ほかにも恋愛から職場での会話にまでも、高校教育を受けなかったことのギャップが身につまされました。

 在校生のみなさんの中にも私と同じような経験をされた方が何人かはおられると思います。高校を中退して社会に出ることは並大抵なことではありません。ですから仮に一度や二度留年したとしても、決して目の前の現実から逃げたりなどはせず、卒業目指して頑張ってほしいと思います。

(後略)


進路を考える~定時制高校卒業式

2007年03月29日 | 進路保障
 私が定時制高校の行事に参加したのは文化祭が最初でした。定時制高校進学を考えていたクラスの生徒を連れての参加でした。文化祭を実施するのが困難になっている定時制高校もあるなか、S高校定時制課程は3夜連続で文化祭を行っていました。クラス劇の幕間には文化祭実行委員による10分間クッキングが行われ客席を飽きさせません。その見事な手さばきとトークに感心していると、昼間は料理屋で働いているとのことでした。私は昼の高校では絶対に見ることのできない定時制高校のパワーに圧倒されたのです。

 それからは教え子の入学から卒業まで、定時制高校の行事に参加し続けました。入学式では学校主催による式の後、生徒自治会による歓迎会が行われました。ビデオでは鉄工所、コンビニ、弁当屋で働く先輩からのメッセージが続きます。入学式に参加した生徒の不安気にうつむいた顔が、しだいに起き上がっていくのを感じました。

 私が参加したある年の卒業式の答辞を紹介します。定時制高校生の学ぶ姿勢を感じとることができた答辞でした。

就職者激励会

2007年03月23日 | 進路保障
 3月22日、中学校では就職者激励会が行なわれました。今年就職する卒業生は二人。一人は住み込みでO市にある寿司屋で働きます。もう一人は、大工を目指し一年間職業訓練校で訓練を受けます。当日は、激励に駆けつけた10人の同級生たちからの激励の言葉、職員の激励の言葉と記念品贈呈、就職者からの決意の言葉が述べられました。
 次の文は、大工を目指す○○君が「進路を語る会」に向け、用意した作文です。働くという道を選んだ二人を心から応援し、ここに掲載します。


「 夢に向かって 」  ○○○○
 僕は1・2年生の時あまり勉強をしないで友達と遊んでいました。3年生になっても、あまり受験生と言う感じがしませんでした。そういう日が毎日続き、とうとう最後の実力テストが終わってしまいました。そのころに小学生のときから抱いていた「大工になる」という夢について真剣に考えたのです。大工になろうと思った理由は二つあります。一つは、僕の祖父も伯父も大工だったからです。もう一つは、小学生の時から勉強が苦手でしが図工などで物を作るということだけは得意だったからです。それで大工になろうと決めたのです。
 僕は大工の勉強ができる高校を探しました。母にも手伝ってもらい大工について勉強ができる高校をみつけました。それでみんなとは違う高校を受けることを決心したのです。その学校は「職業技術訓練校」と言います。
 大阪府にいくつかありますが、僕は○○市にある学校にいきます。なぜならこの学校には、僕の行きたい建築科があるのです。
 みんなは普通の高校を受けるけれど、僕は専門学校にいきます。夢を実現させるために専門学校でしっかり勉強して、大工になってから困らないようにしたいと思います。それに僕の行く学校は一年間しかないけれど、自分のしたいことを一年間もできるという楽しみもあります。そう思っていれば一年間勉強した力を発揮できるはずです。そのためにもしっかり勉強して大工になります。
 二年生は来年受験生になります。勉強の苦手な人もいると思います。そういう人は自分の得意なことを生かすことのできる学校を絶対にみつけるまで探してください。

卒業式を終えて

2007年03月14日 | 学校の話題
中学校の卒業式が終わりました。子どもたちと担任の真剣な眼差し、歌声、笑顔、そして涙を見たとき、心が震えるような喜びを感じることができます。41期生のみなさん、ありがとう。3年学年団のみなさん、ご苦労様でした。そして私たちとスクラムを組んでくださった保護者のみなさん、クス球を作り駆けつけてくれた地域のみなさんにもお礼の言葉を贈らせていただきます。ありがとうございました。

この列島の数々の地で、小さな感動の輪が生まれたであろうことを願って。

友達ってね~人権作品から

2007年03月12日 | 人権
友達ってね(小学校4年生)

友達ってね
私が泣いていたら、
「どうしたの?だいじょうぶ?」って
しんぱいしてくれる人

友達ってね
私が笑っていたら、友達も
「あっはっはっはっ」と
いっしょに笑ってくれる人

友達ってね
ケンカしても、
「さっきは、ごめんね」って
すぐにあやまってくれる人

あ~ぁふしぎだな~
友達の言葉ってまほうみたい

卒業生を送る会

2007年03月10日 | 学校の話題
校区三校では卒業式に先立って「卒業生を送る会」が行われました。中学校では3月9日の午前中に三年生の進路を語る会を行った後、バトン部演技・各クラブ後輩からのメッセージ・3年生有志による琴演奏(選択授業音楽の発表)・転勤した先生たちからのお祝いの言葉・思い出のアルバム(3年間の思い出ビデオ)の後、「思い出がいっぱい」の全員合唱で送る会の幕を閉じました。

 懐かしい映像で盛り上がり、バトン部の演技は手拍子で包まれ、三年生によるサプライズ企画のお琴演奏では悲鳴(?)が上がり、中学校を去った懐かしい先生たちの映像には思わず涙があふれる、そんな心のこもったひと時を送ることができたことと思います。最後にまとめてくれた生徒会書記○○君の言葉を掲載します。

 僕たちが1年生として○中に来たとき、中学校の先輩たちは、みんな大人っぽくみえました。走っている姿も迫力があって、すごいなあって思いました。その先輩たちの「語る会」での話を聞いたり、琴の演奏を聞いたり、また三年間の思い出のビデオを見て、「○中の歴史をつないでいかなきゃいけない」とあらたに思いました。先輩たちが頑張ったように、ぼくたちも三年生になって、いろいろな面で○中を盛り上げていけるように、精一杯やっていきます。本当にお世話になりました。これで2006年度「三年生を送る会」を終わります。

卒業の取組~NHKの放映日が決まりました

2007年03月09日 | 学校の話題
 中学校が卒業を前にして5年後の自分に手紙を送る取り組みを始めて10年が経ちます。これを知ったNHKが昨年番組で取り上げ関西地域に放映しましたが、今年は『にっぽん紀行・5年後への手紙』(3月25日夜11時10分から)という番組で全国に向け放映されることになりました。

 現在も取材は続いており、卒業式会場にもNHKのテレビカメラが入ります。番組では41期生の卒業へ向けた取組だけでなく、1月8日の成人式後に○○阪急ホテルで『二十歳の同窓会』を行った36期生が手紙を受け取る様子も紹介されます。

 地域で育った子どもたちが、やがて20歳を迎え、地域を作り上げる力へと変わっていく、そんな歴史を感じ取れる作品になればと願っています。同時に中学生には、たった20分あまりの放送が半年前からの地道な取材活動の上に作られていることに触れ、ものを作り上げる大切さを感じてほしいと考えます。

進路を考える~中学生の作文から

2007年03月07日 | 進路子どもの声
中学校では、卒業生を送る会に先だち、3年生から進路を語る会が行われます。その進路を語る会に向け、3年生全員が自分の進路を考える作文を書きました。その中から一部を紹介します。


3年1組 ○○○○(○○小学校卒)
 僕には将来の夢があります。それは自動車の整備士になることです。小さい頃からずっと思っていた夢がこれでした。僕は「絶対これになる!」と考えたので勉強しました。でも勉強してもなかなか成績が上がりませんでした。それで勉強のやり方を少し変えました。すると少しずつ成績が上がりました。僕は1年2年とあまり勉強していませんでした。「3年生になって頑張れば良いや」と思っていました。勉強する習慣がなかったため3年生になってもあまり勉強しませんでした。とても後悔しています。1年生や2年生の時に勉強しておけば良かったなと思います。でも今はキチンと勉強しています。僕には弟妹たちがいます。勉強していると、たまに弟たちが「わからない所があるから教えて」と言ってやってきます。僕はていねいに教えています。勉強ではいつも苦手な数学から勉強し、得意な社会を最後の方にしています。順番では数学→英語→理科→国語→社会です。いつも苦手な教科でつまずいてしまいますが頑張っています。家族も協力・応援してくれています。
 
 今の2年生の皆さんは、まだ1年あると思っているのではないでしょうか。でも今のうちに自分の進路を決めておくと、目標に向かって頑張れると思います。親とも相談しておいても損はありません。3年生になればテストがたくさんあります(定期テスト5回、実力テスト4回、復習テスト1回)が、きちんと勉強しておけば多分大丈夫です。1年生の皆さんも今の勉強を頑張って次の学年でも是非頑張ってもらいたいと思います。勉強とクラブを両立して欲しいと思いますし、今までも多くの先輩達が成功させてきた伝統ある行事をこれからもしっかりと受け継いで欲しいです。

 もう少しで公立後期入試がありますが、僕は受験するので必死に頑張っています。勉強したことを入試本番で全部出したいです。高校に合格したら将来したい夢に向かって頑張りたいと思うし、高校でも何か部活動をしたいと思います。

 最後に3年間ずっと1組だったけれど、今のクラスは全員の仲が良く助け合って頑張ってきました。今までのどのクラスよりも良いクラスだったと思います。あと少しで中学校を卒業します。もうこの仲間達とは会えなくなります。でも高校に行けば、また新しい仲間達に出会えます。そこで出会った新しい友達とも一生の友達になりたいです。(長文のため一部カットしました)

 

最後の授業を迎える

2007年03月06日 | 学校の話題
中学校は卒業まで1週間。小学校も2週間をきりました。この時期、最後の音楽、最後の美術(図工)、最後の社会というように、各教科最後の授業が続きます。最後の放送当番、最後のお昼休み、そして最後の掃除となるのです。「床をなめても良いで!」と言ったのは、掃除のあと見違えるほど綺麗になったトイレを自慢した先輩の言葉です。最後と思うと、あれほどサボっていた掃除にも力が入るものだと思います。

私たちは皆、限りある存在です。最後の日が来るからこそ、今をどう生きるかが問題になります。言い換えれば、最後を意識している者が、今を大切に生きられるのだと思います。これから続く一つ一つの「最後」を大切に取り組んで欲しいと思うのです。

映画案内「不都合な真実」(アカデミー賞受賞)

2007年03月01日 | 本と映画の紹介
 この映画は元アメリカ副大統領のアル・ゴアが地球温暖化防止をテーマに行った講演会をベースとした記録映画です。水が干上がり砂漠化したアフリカのチャド湖。北極海を覆(おお)う氷は40%も消え溺死する白熊が出現し、グリーンランドでは緑の大地が広がりつつある。海面上昇で沈む南の島々。今まで目や耳にしたバラバラな情報がまとめ上げられ、地球の異常現象が浮かび上がります。ニューヨークや上海が水没し、大量の難民が現れる時が来ると警告します。

 環境保護という考えは経済成長をストップさせ雇用を奪い貧困を招くという意見に対して、ゴアはアメリカ自動車界の衰退を例に出し反論します。世界の自動車界でトヨタやホンダが成功したのは、日本が世界で最も厳しい排気ガス規制を行ったからだと言います。その結果トヨタやホンダは世界に先駆けてハイブリッド車の販売に成功し、その燃費の良さが各国での販売成功につながりました。反対に排ガス規制で立ち後れたアメリカ車は、アメリカ以外の国では走れなくなり自動車産業の不振につながっているのです。

 映画ではゴアが学生時代から地球環境保護問題に取り組んでいたことを紹介したうえで1998年に転機が訪れたことを教えてくれます。その年に一人息子が交通事故に遭い生死の境をさまようことになるのです。今ある幸せのもろさに気づいたゴアは、地球の未来の危うさを思い出します。そして奇跡的に助かった息子に地球の未来を残そうと考えるのです。アメリカの民主主義を信じていたゴアは、真実さえわかればアメリカが変わると思い、政治家として環境問題に力を入れます。しかし副大統領まで務めた彼は、ある一つの壁にぶち当たるのです。それは「人は理解できる。しかしそのことによって自分の給料を失うとなると、人は理解できなくなる」ということです。政治の世界から身を引いた彼は、それ以来1000回を超える講演を世界で行い、真実を知ろうとする人たちを増やそうとするのです。

 2月24日、この作品は長編ドキュメント部門でアカデミー賞を受賞しました。地球で生きる全ての人に見て頂きたい映画だと思います。