教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

卒業生の訪問

2010年03月29日 | 学校の話題
前任校で2年間陸上部で関わった生徒たち9人が、色紙を持って学校訪問をした。9人全員が公立希望校合格を手にしたと聞き、安心した。高校でもっと素敵な教員や仲間に出会い、更に成長を遂げることを心から願いたい。

卒業式へ向けた服装指導について

2010年03月28日 | 生活指導
卒業式の練習に向け、私は君たちに髪型、服装(私が勤務する中学校には標準服が無く全員が私服登校している)、着席の姿勢について細かな指示を行った。そのことに対し、君たちの中から「なんで、卒業式やからといって外面にこだわるんや。来賓が来ることを気にしてる。」という声が上がった。その声に対して担任としての私の考えを伝えたい。

《内面を重視した卒業式とは》
「外面より内面が大事」という意見に反対する人はいないだろう。私も内面が大事にされる卒業式でありたいと考え、そのことにこだわりながら教員という仕事を行ってきた。それでは内面が重視される卒業式とは、どのような卒業式だろうか。それは今日、卒業式の予行が終わろうとするときに、君たちに訴えてくれた3人の仲間の意見に表されていると思う。3人はそれぞれの言葉で自分がどんな想いで卒業式に臨み、卒業の言葉を語るのかを話してくれた。特にO君が自分の3年間を振り返り、反省も込めながら良い卒業式にしようと語ってくれたことに、誰もが深い感銘を受けたのではないだろうか。

卒業式とは、本来、自分たちの3年間を振り返り、新しい生活に向けた不安と決意を共有しながら、次の一歩を踏み出す勇気を分かち合う場であると私は考えている。「内面を重視する」ということは、「外面をエエ加減にしても良い」ということでなく、O君のようにみんなの前で、自分の弱さも含めて率直に語れる勇気を持つということだ。君たちは今日初めて、うわべの付き合いでは分からなかったO君の一面を知ることができたのではないか。

《内面をさらけ出す仲間に応えるとは》
本来はO君だけでなく、みんなが卒業の言葉を語ることが相応しいと私は思う。しかし、321人の3年生全員が卒業式で自分を語ることができないならば、君たちは最高の形でO君たちの言葉を受け止めなければならない。321人の想いを込め、明日5人の仲間が卒業生の言葉を語る。それをしっかりと受け止め、心を通わせていることを示すにふさわしい髪型、服装、姿勢があるはずだ。言葉として表せないなら、最高の外見で参加することが5人の勇気に応える唯一の方法だと思う。


「目標」と「目的」

2010年03月23日 | 進路保障
今日は社会科最後の授業なので、皆さんに『目標』と『目的』いう言葉について話をします。今、皆さんは公立高校出願を終え、自分の『目標』が定まったことと思います。しかし中には懇談の中で、『目標』の学校を変えなければならなかった人もいると思います。でも高校に入るというのは、『目標』にはなりえても『目的』ではありません。どんなに高校が好きでも、たった3年間しか高校生でいることができないのです。

『目標』の『標』は、訓読みすれば『しるべ』と読みます。道標(みちしるべ)という言葉を知っていると思いますが、『目標』とは目指すべき目的地に間違わず到着するための『しるし』でしかありません。『目的』の『的』は、『まと』すなわち目指すべき最終ゴールなのです。そう考えると、たとえ『目標』は予想と違った結果になっても、ゴール=『目的』への道は歩めるはずです。たとえ遠回りに思えても、歩くことをやめない限りゴールには辿り着くのです。

一定の基準に到達していれば合格できる私立高校と違い、公立高校合格者は定員を一人も上回ることができません。全員合格できた私立高校の結果が今回も起こるとは、考えにくいのが現実です。しかしどのような結果になっても、みんなが進む高校が、次の道標になると信じ一歩を踏み出して下さい。
(3月12日)

小学校卒業式参加体制~3月10日学年会提案

2010年03月11日 | 小中連携
新入生とのより良い出会いのために~小学校卒業式参加体制
提案:教育相談員
目的
 1.小学校最後の授業である卒業式を知る
 2.子どもたちの中学校入学へ向けた決意や意欲を知る
 3.小中連絡会の内容を深める

日時    3月18日(木)9時半~
事前準備  各小学校卒業生名簿
当日の動き 来賓席に案内される(保護者席に行くという選択肢もあり)
      卒業式の参観
       ①卒業式の盛り上がりの様子を知る
       ②卒業生名簿に必要事項記入
        a略
        b略
        c略
        d略
        eその他
       ③子どもたちの『決意の言葉』を書き留められれば、なお良い

N先生へのメッセージ②~退職を祝う会に向けて

2010年03月05日 | 教員像・教員論
H中学で再開した時、先生は既に50歳を迎えていました。年齢を重ね、先生の仕事ぶりはますます丁寧になっていました。子どもたちを前に実演する先生の模範演技は、20代の頃とちっとも変わらない美しい身のこなしでした。そのことを告げたとき、「この一回の模範演技を無事に終わらすために、全エネルギーを割いているんやで。ほんまは、息が切れるほど体がしんどいのを何とか隠しているねん。」とそっと教えてくれました。そう言えば授業が終わってもグランドから戻ることなく、北風が吹く中でラインを引いたり、ボールや用具を揃えたりと、いつも準備に忙しくされていました。「事前の準備を充分行うことで余裕を持って授業に臨むことができ、その余裕が体力の衰えをカバーしてる。」と言う言葉に50代を迎えた先生の魅力を改めて感じたのです。「うちの父ちゃんよりはるかに年上やのに、凄い。」子どもたちは、本当に先生のことを尊敬していました。

体育科の教員は、どうしても全体指揮をする機会が多いのですが、50代になった先生の全体指揮は、本当に穏やかで、怒鳴り声の無い全体指揮でした。子どもたちは、怖いから指示を守るのではなく、先生のことが大好きだから指示を守っていることが、よく伝わってきました。

こんな風に言うと、聖人君子のような教員に聞こえますが、若かったR中時代の先生は、まだまだやんちゃで遊び上手な先輩でした。一緒に飲みに行かせてもらうことも良くありましたが、本当に明るく楽しいお酒でした。最近は9時過ぎれば寝ると言う『良い子』になられたと聞きますが、今夜は教え子たちと夜更かしし、楽しい時間を過ごして下さい。

先生、本当に長い間ご苦労様でした。そして、ありがとうございました。


N先生へのメッセージ①~退職を祝う会に向けて

2010年03月04日 | 教員像・教員論
N先生!長年のお勤め、お疲れ様でした!

先生の退職の噂を聞いた卒業生のKから『祝う会』を行いたいのでビデオ撮影に来ると言われ、本当に暖かな気持ちになりました。きっとN先生は、卒業生に囲まれながらこのメッセージを聞いていることと思います。この場を借りて、先生との思い出と、感謝の言葉を述べたいと思います。

私が先生と初めてお会いしたのは、お互いが未だ20代の頃でした。先生は2校目、私は新卒としてR中学校に一緒に赴任したのです。しかも男女それぞれのバスケ部の顧問として。前任校でチームを近畿大会に率いていた先生は、既に大阪のバスケットボール界では、有名な存在でした。駆け出しの素人の私が男子バスケ部の顧問となったため、本当にたくさんのアドバイスをいただきました。(全然生かせず、申し訳ありません)しかも子どもたちがいる場では私に任せ、子どもが居なくなった後でそっと教えてくれるというアドバイスの仕方でした。未熟な新卒であっても、指導者として立てようとする心配りを感じました。

しかし何よりも一番学んだのは、生徒指導についてでした。私が先生の後釜として生徒指導主事に選ばれた後も先生はR中学校に残って下さり、生徒指導主事の仕事について教えていただきました。先生の生徒指導主事像は明快でした。「生徒指導主事は、自分が一番しんどいなんて考えたらアカン。一番しんどいのは、学校で一番しんどい子を担任している先生や。その担任の先生が、少しでも楽になるように苦労を分かち合うのが生徒指導主事の仕事や。」その言葉を聞き、先生が生徒指導を担当していた3年間の仕事を改めて思い起こし、納得するとともに、自分もまたそうでありたいと考えました。

生徒相談室には、先生の残された膨大な資料が綺麗にファイルされ残されていました。校内の諸会議は勿論のこと、他校・補導センター・地域・警察などとの連絡会の持ち方などが整然と整理されていて、資料を手にすれば会議の進め方が分かるようになっていました。私が生徒指導主事の仕事に就いた1年目はR中学が大きく荒れた年だったので、このファイルは本当に役に立ちました。強面の見かけとは違い、本当に細やかな心配りをされるのが先生の本当の顔だと分かりました。(つづく)


◎中学校卒業生を送る会ビデオレター

2010年03月02日 | 学校の話題
44期生のみなさん、お久しぶりです。そして卒業おめでとうございます。

今日は皆さんに二つのお話をしようと思います。一つは『少数力』、もう一つは『五年後の自分への手紙』です。

私がこの学校に赴任したのは、1995年の春、阪神淡路大震災があった年であり、皆さんが生まれた年でもあります。担任することになった2年2組の教室で生徒たちに「自分たちの学校で誇れるものは何?」と聞くと、「校庭が広いこと!」という答えが返ってきました。しかし私はこの答えには不満でした。「校庭が広いのは素晴らしいことやけど、この広い校庭は自分たちで造ったものじゃないね。自分たちが誇れるものを卒業までに造ろう」と話したことを覚えています。その生徒たちは、神戸市東灘区岩屋公園にあった被災者の仮設住宅に月に2回、1年半にわたって炊き出しを続けてくれました。『進路を語る会』をスタートさせ、2年生の教室に出かけ自分たちが進路で学んだことを語ってくれたのもこの生徒たちでした。
v皆さんは◎中の中にいるので、自分たちの学校の持つ力に気づかないと思います。◎中は400mトラックがとれる、ずば抜けて広大な敷地を持つにもかかわらず、生徒数は一学年2クラス、80人にも満たない市内で一番小規模な中学校です。しかし数が少ないからこそ、誰も手を抜かず、みんなの力を結集させながらこの広い学校を守り発展させてきたのです。その取り組みは、NHKの放送でも取り上げられました。私は◎中の持つ力を『少数力』と名付け誇りに思ってきました。(少数力については『かけはし』参照)

もう一つは、『5年後の自分への手紙』です。この取り組みは1998年に保護者の提案で始まったものです。卒業した5年後に、皆さんは成人式を迎えます。今、皆さんは目の前の進路のことで頭が一杯かもしれません。しかし高校に行こうが、大学に行こうが、最後は社会で誰かの役に立たなければなりません。5年後の二十歳には、高校入試も大学入試も終わり、自分がどのような人間になろうとするのかを真剣に考えている時期を迎えています。その5年後の自分を励まし夢を届けようとして、5年後の自分への手紙を書くのです。もうすぐ中央廊下に白いポストが設置されることと思います。先輩たちもこのポストに希望と不安を抱きながら手紙を投函したのです。

いよいよ中学校生活ともお別れです。皆さんのこれからの日々が、希望に満ちたものであることを願い、お祝いの言葉といたします。