教育基本法について日本弁護士連合会が行なった学習会に参加しました。その際の資料を掲載します。
当連合会は本年2 月3 日、準憲法的な性格を持ち国際条約との間の整合性をも確保する必要性が高い教育基本法については、衆参両院に、教育基本法について広範かつ総合的に調査研究討議を行う機関としての「教育基本法調査会」を設置し、同調査会のもとで、その改正の要否をも含めた十分かつ慎重な調査と討議をすることを求める提言を行った。
また、本年4 月25 日にも、同様の観点から、教育基本法改正法案の国会上程について最大限の慎重な取扱いを求める旨の会長声明を発したが、本年4 月28日政府案が上程され、衆議院「教育基本法に関する特別委員会」にて継続審議となり、9 月26 日に召集される臨時国会ではその成立を期する、とする政府方針が伝えられている。
しかしながら、政府案は以下に指摘するとおり、憲法に関わる重大な問題を含んでおり、また法案を対象にした委員会における審議のみでは、教育基本法についての広範かつ総合的な調査研究討議を行うには不十分である。
当連合会は、改めて、衆参両院に「教育基本法調査会」を設置し、同調査会のもとで、教育基本法の改正の要否をも含めた十分かつ慎重な調査と討議を行うことを求めるとともに、提案されている内容でこのまま教育基本法を改正することには、強く反対の意思を表明するものである。
1 現行教育基本法の立憲主義的性格
現行教育基本法は「日本国憲法の)理想の実現は、根本において教育の力に、(まつべきもの」とされ「日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する」とされている(前文)。このように、教育基本法は日本国憲法に密接に関連し、我が国の教育法体系の中での根本理念を定める法律と位置づけられている。
のみならず、教育基本法は、憲法と同様に、その基本において名宛人は国家であり、教育の根本規範として、子どもが自由かつ独立の人格として成長するために必要な理念と基本原則を明らかにしたものであって、教育を受ける者との関係において「権力」を行使する立場にある者(国、地方公共団体、教育行政機関、学校、教員)に対し、憲法の精神に則り「すべきこと」と「してはならないこと」を命じる立憲主義的な性格を有している。
立憲主義とは、個人の尊厳と法の支配を指導理念とするものであって、ここで教育の権力的側面を見据え、現行教育基本法制定の背景となった教育に対する国家的介入がもたらした悲劇、一元的な価値観・一方的な観念を植えつける教育が過去に招いた惨禍を想い起こすとき、教育基本法は、今後も、その立憲主義的性格を失ってはならない。
ところが、政府案においては、以下のとおり、現行教育基本法が有する立憲主義的な性格を形作る重要な部分が失われてしまうのではないかとの問題がある。
2 現行法10 条「改正」の問題
教育は、教師と子どもとの直接の人格的な接触のなかで子どもの個性に応じ弾力的に行われるものであることから、本来的に、教師の自由な創意と工夫が求められる。教育内容に対する権力的介入を警戒しこれに対して抑制的態度をとることは、戦前の教育における過度の国家的介入と統制を反省するとき、その重要性は極めて大きい。最高裁判所旭川学力テスト事件大法廷判決が「教育に対する行、政権力の不当、不要の介入は排除されるべきである」と述べているのも、このような教育の本質と歴史からの教訓を背景にしたものとして理解されるべきものである。
そもそも、個人の基本的自由を認め、その人格の独立を国政上尊重すべきことを求める憲法の下において、国家による教育内容への介入はできるだけ抑制的であるべきであり、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような教育への国家的介入、例えば誤った知識や一方的な観念を子どもに植え付けるような内容の教育を施すことを強制することは許されない。この憲法上の要請を確保するものとして規定されたのが現行教育基本法の10 条である。
同条は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を、負って行われるべきものである(第1 項「教育行政は、この自覚のもとに、。」)、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない(第2 項)と定め、教育に中立性・不偏不党性を求めるとともに、教育現場における自主性・自律性を尊重すべきことを表明し、もって、国家による教育内容への介入はできるだけ抑制的でなければならないとする憲法上の要請を担保するものとなっている。
しかし、これと対比されるべき政府案16 条は、現行法10 条1 項の「教育は不当な支配に服することなく」との文言は残存させながらも、同項の「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」との表現については「この。法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものである」へと改変し、さらに、同条2 項の「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」との定めは削除している。
その結果、政府案においては、政党政治の下で多数決原則によってなされる国政上の意思決定に教育を全面的に委ねることになりかねず、本来人間の内面的価値に関する文化的営みとして、党派的な政治的観念や利害によって支配されるべきではない教育の在り方を損なうことが強く懸念されるとともに、教育行政の名で必要な諸条件の整備確立を超えて国家権力が教育内容に介入することも可能となり、これを抑制するための歯止めも失われることになる。
しかも、政府案の17 条は、政府と地方公共団体が教育振興基本計画を定めることを規定しているが、これにより「教育目標」の達成計画、達成度評価、効果的達成を促す予算配分などを通して、教育に対する更なる国家的介入を招きかねない。
立憲主義的性格を有する教育基本法においては、教育現場の自主性・自律性を尊重し、教育における自由な領域を確保することの重要性はいうまでもない。教育への国家的介入を抑制し教育現場の自主性・自律性を尊重する要となる教育基本法10 条の意味を失わせる政府案は、立憲主義的観点から重大な問題がある。
3 精神的自由が侵される危険
政府案の2 条は、教育の目的を実現するための目標として、個人の意志・意欲や内心にかかわることがらを含む事項を5 項目に分けて幅広く取り上げ、これを「教育の目標」とし、これを達成すべく教育が行われることを規定している。現行法の2 条が、教育の目的を達成するにおいても「自発的精神を養い「自他の敬愛と協力」によることを教育の方針とし、これにより一方的に特定の価値観を押し付けることのないように配慮すべきことを規定しているのとは対照的ですらある。
すなわち、政府案2 条が「教育の目標」として掲げる「徳目」は、本来、多様性をもつ多義的な概念であって、もとより一義的に決定できないものである。しかし、これらが達成すべき「教育の目標」として教育の根本規範である教育基本法に規定されるならば、教育の場においては、国・地方公共団体によって一定の価値選択がなされ具体的な内容をもったものとして一義的に決定され、その決定された一方的な観念が子ども達に植え付けられることにもなりかねない。しかも、先に指摘したとおり、政府案16 条では「この法律及び他の法律により行われるべきもの」とし、法律によってこれらの「徳目」の内容がいかようにも決定される可能性をはらむに至ったことによって、この懸念は一層大きいものになる。
また、この懸念については、次の2 点を併せ考えるとき、その影響は更に大きなものとなる。まず、政府案2 条の「教育の目標」は、義務教育(5 条)をはじめ、大学(7
条)や私立学校(8 条)も含む学校教育(6 条)において、それが達成されるよう「体系的な教育」が「組織的に行われ」ることになる。のみならず、家庭教育(10 条、幼児期の教育(11 条)及び社会教育(12 条)並びに「学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力(13 条)などを通して社会の人々の生活全般」に及んでいくことも否定できない。
さらに、教育振興基本計画(17 条)に基づき、政府・地方公共団体により、「教育目標」の達成計画、達成度評価、効果的達成を促す予算配分などを通して多義的な「徳目」に一定の内容で具体化された「教育目標」の達成が、確実に図られるよう促進することも可能となる。
以上のように、政府案2 条が「教育の目標」として掲げる「徳目」については多義的であるが、教育の場においては、国や地方公共団体が一義的に決定することになりかねず、憲法の保障する精神的自由(憲法19 条、20 条、21 条、23 条)が侵害される危険が大きくなる。
4 むすび
教育の現場や、子ども達が直面している教育をめぐる状況に深刻な問題があることは大方の見解が一致するところと思われるが、このような状況を改善する処方箋として現行教育基本法を改正するという方向を目指すことに対しては、子ども達の事件を日々担当する実務法律家の立場からすると大きな疑問と違和感を抱かざるを得ない。
政府案は既に述べたとおり、重大な問題を含んでおり、また法案を対象にした委員会における審議のみでは、教育基本法についての広範かつ総合的な調査研究討議を行うには不十分である。
当連合会は、改めて、衆参両院に「教育基本法調査会」を設置し、同調査会のもとで、教育基本法の改正の要否をも含めた十分かつ慎重な調査と討議を行うことを求めるとともに、提案されている内容でこのまま教育基本法を改正することには、強く反対の意思を表明するものである。
以上 2006 年(平成18 年)9 月15 日
当連合会は本年2 月3 日、準憲法的な性格を持ち国際条約との間の整合性をも確保する必要性が高い教育基本法については、衆参両院に、教育基本法について広範かつ総合的に調査研究討議を行う機関としての「教育基本法調査会」を設置し、同調査会のもとで、その改正の要否をも含めた十分かつ慎重な調査と討議をすることを求める提言を行った。
また、本年4 月25 日にも、同様の観点から、教育基本法改正法案の国会上程について最大限の慎重な取扱いを求める旨の会長声明を発したが、本年4 月28日政府案が上程され、衆議院「教育基本法に関する特別委員会」にて継続審議となり、9 月26 日に召集される臨時国会ではその成立を期する、とする政府方針が伝えられている。
しかしながら、政府案は以下に指摘するとおり、憲法に関わる重大な問題を含んでおり、また法案を対象にした委員会における審議のみでは、教育基本法についての広範かつ総合的な調査研究討議を行うには不十分である。
当連合会は、改めて、衆参両院に「教育基本法調査会」を設置し、同調査会のもとで、教育基本法の改正の要否をも含めた十分かつ慎重な調査と討議を行うことを求めるとともに、提案されている内容でこのまま教育基本法を改正することには、強く反対の意思を表明するものである。
1 現行教育基本法の立憲主義的性格
現行教育基本法は「日本国憲法の)理想の実現は、根本において教育の力に、(まつべきもの」とされ「日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する」とされている(前文)。このように、教育基本法は日本国憲法に密接に関連し、我が国の教育法体系の中での根本理念を定める法律と位置づけられている。
のみならず、教育基本法は、憲法と同様に、その基本において名宛人は国家であり、教育の根本規範として、子どもが自由かつ独立の人格として成長するために必要な理念と基本原則を明らかにしたものであって、教育を受ける者との関係において「権力」を行使する立場にある者(国、地方公共団体、教育行政機関、学校、教員)に対し、憲法の精神に則り「すべきこと」と「してはならないこと」を命じる立憲主義的な性格を有している。
立憲主義とは、個人の尊厳と法の支配を指導理念とするものであって、ここで教育の権力的側面を見据え、現行教育基本法制定の背景となった教育に対する国家的介入がもたらした悲劇、一元的な価値観・一方的な観念を植えつける教育が過去に招いた惨禍を想い起こすとき、教育基本法は、今後も、その立憲主義的性格を失ってはならない。
ところが、政府案においては、以下のとおり、現行教育基本法が有する立憲主義的な性格を形作る重要な部分が失われてしまうのではないかとの問題がある。
2 現行法10 条「改正」の問題
教育は、教師と子どもとの直接の人格的な接触のなかで子どもの個性に応じ弾力的に行われるものであることから、本来的に、教師の自由な創意と工夫が求められる。教育内容に対する権力的介入を警戒しこれに対して抑制的態度をとることは、戦前の教育における過度の国家的介入と統制を反省するとき、その重要性は極めて大きい。最高裁判所旭川学力テスト事件大法廷判決が「教育に対する行、政権力の不当、不要の介入は排除されるべきである」と述べているのも、このような教育の本質と歴史からの教訓を背景にしたものとして理解されるべきものである。
そもそも、個人の基本的自由を認め、その人格の独立を国政上尊重すべきことを求める憲法の下において、国家による教育内容への介入はできるだけ抑制的であるべきであり、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような教育への国家的介入、例えば誤った知識や一方的な観念を子どもに植え付けるような内容の教育を施すことを強制することは許されない。この憲法上の要請を確保するものとして規定されたのが現行教育基本法の10 条である。
同条は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を、負って行われるべきものである(第1 項「教育行政は、この自覚のもとに、。」)、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない(第2 項)と定め、教育に中立性・不偏不党性を求めるとともに、教育現場における自主性・自律性を尊重すべきことを表明し、もって、国家による教育内容への介入はできるだけ抑制的でなければならないとする憲法上の要請を担保するものとなっている。
しかし、これと対比されるべき政府案16 条は、現行法10 条1 項の「教育は不当な支配に服することなく」との文言は残存させながらも、同項の「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」との表現については「この。法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものである」へと改変し、さらに、同条2 項の「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」との定めは削除している。
その結果、政府案においては、政党政治の下で多数決原則によってなされる国政上の意思決定に教育を全面的に委ねることになりかねず、本来人間の内面的価値に関する文化的営みとして、党派的な政治的観念や利害によって支配されるべきではない教育の在り方を損なうことが強く懸念されるとともに、教育行政の名で必要な諸条件の整備確立を超えて国家権力が教育内容に介入することも可能となり、これを抑制するための歯止めも失われることになる。
しかも、政府案の17 条は、政府と地方公共団体が教育振興基本計画を定めることを規定しているが、これにより「教育目標」の達成計画、達成度評価、効果的達成を促す予算配分などを通して、教育に対する更なる国家的介入を招きかねない。
立憲主義的性格を有する教育基本法においては、教育現場の自主性・自律性を尊重し、教育における自由な領域を確保することの重要性はいうまでもない。教育への国家的介入を抑制し教育現場の自主性・自律性を尊重する要となる教育基本法10 条の意味を失わせる政府案は、立憲主義的観点から重大な問題がある。
3 精神的自由が侵される危険
政府案の2 条は、教育の目的を実現するための目標として、個人の意志・意欲や内心にかかわることがらを含む事項を5 項目に分けて幅広く取り上げ、これを「教育の目標」とし、これを達成すべく教育が行われることを規定している。現行法の2 条が、教育の目的を達成するにおいても「自発的精神を養い「自他の敬愛と協力」によることを教育の方針とし、これにより一方的に特定の価値観を押し付けることのないように配慮すべきことを規定しているのとは対照的ですらある。
すなわち、政府案2 条が「教育の目標」として掲げる「徳目」は、本来、多様性をもつ多義的な概念であって、もとより一義的に決定できないものである。しかし、これらが達成すべき「教育の目標」として教育の根本規範である教育基本法に規定されるならば、教育の場においては、国・地方公共団体によって一定の価値選択がなされ具体的な内容をもったものとして一義的に決定され、その決定された一方的な観念が子ども達に植え付けられることにもなりかねない。しかも、先に指摘したとおり、政府案16 条では「この法律及び他の法律により行われるべきもの」とし、法律によってこれらの「徳目」の内容がいかようにも決定される可能性をはらむに至ったことによって、この懸念は一層大きいものになる。
また、この懸念については、次の2 点を併せ考えるとき、その影響は更に大きなものとなる。まず、政府案2 条の「教育の目標」は、義務教育(5 条)をはじめ、大学(7
条)や私立学校(8 条)も含む学校教育(6 条)において、それが達成されるよう「体系的な教育」が「組織的に行われ」ることになる。のみならず、家庭教育(10 条、幼児期の教育(11 条)及び社会教育(12 条)並びに「学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力(13 条)などを通して社会の人々の生活全般」に及んでいくことも否定できない。
さらに、教育振興基本計画(17 条)に基づき、政府・地方公共団体により、「教育目標」の達成計画、達成度評価、効果的達成を促す予算配分などを通して多義的な「徳目」に一定の内容で具体化された「教育目標」の達成が、確実に図られるよう促進することも可能となる。
以上のように、政府案2 条が「教育の目標」として掲げる「徳目」については多義的であるが、教育の場においては、国や地方公共団体が一義的に決定することになりかねず、憲法の保障する精神的自由(憲法19 条、20 条、21 条、23 条)が侵害される危険が大きくなる。
4 むすび
教育の現場や、子ども達が直面している教育をめぐる状況に深刻な問題があることは大方の見解が一致するところと思われるが、このような状況を改善する処方箋として現行教育基本法を改正するという方向を目指すことに対しては、子ども達の事件を日々担当する実務法律家の立場からすると大きな疑問と違和感を抱かざるを得ない。
政府案は既に述べたとおり、重大な問題を含んでおり、また法案を対象にした委員会における審議のみでは、教育基本法についての広範かつ総合的な調査研究討議を行うには不十分である。
当連合会は、改めて、衆参両院に「教育基本法調査会」を設置し、同調査会のもとで、教育基本法の改正の要否をも含めた十分かつ慎重な調査と討議を行うことを求めるとともに、提案されている内容でこのまま教育基本法を改正することには、強く反対の意思を表明するものである。
以上 2006 年(平成18 年)9 月15 日