教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

「やってもいいよ」この一言がクラスを救う!

2009年04月19日 | 自主活動
 学級委員選出のとき、1組のみんなが一番困ったのが体育委員でした。前期体育委員は、体育大会のときにとっても忙しく、クラスのみんなと応援できないというのが、体育委員を敬遠する最大の要因でした。

 男子体育委員の場合は、◎◎君と◎◎君が「やってもいいよ」と言ってくれ、話し合いの結果◎◎君に体育委員をお願いすることに決まりました。一方、女子の方は時間内に決まらず、◎◎さんと◎◎さんが「誰もいなければやってもいい」と言ってくれたものの、時間内に決めることができずに終礼に持ち越しました。私は「◎◎と◎◎が名乗りをあげてくれたが、決して体育委員の問題は◎◎と◎◎の二人の問題としてとらえることのないよう、みんなが自分の問題としてとらえてほしい」と言って2時間目を終えました。

 昼休みにも未だ決まっていないことを知り、私は不安な思いで終礼を迎えました。ひょっとしたら長引くかな・・・と思いましたが、意外にも「□□さんが、やってもいいよって言ってくれた」という報告を受け、あっさりと女子体育委員も決定しました。誰も引き受け手のない仕事を引き受ける人がいて、クラスは一歩前に進むことができます。これは社会でも、そうです。今回は◎◎君と□□さんが引き受けてくれたことにより、1組は一歩前に進むことができました。これからも、また他の誰かが、「やってもいいよ」と引き受けてくれることによって、クラスが前に進むことを願っています。

◎◎◎君大阪府強化選手に決定~陸上競技部

2008年12月17日 | 自主活動
 100m走を中心に短距離走で活躍していた◎◎◎君(2-2)は、大阪陸上競技協会から『大阪府中学校体育連盟陸上競技強化選手』の推薦を受けました。◎◎君はこれまでに11秒71(通信陸上大会)11秒68(万博ナイター陸上)という好記録を残し、11秒74という強化選手基準を突破していました。今後は1月24日(土)万博記念競技場で行われる強化選手結団式への参加を皮切りに、大阪府下各地から集まる強化選手と共に強化練習に励みます。春休みには鳥取県で開催される強化合宿に参加することも決まっています。

 「六十の手習い」と言いますが、私にとっては50歳を超えての野球部顧問から陸上競技部顧問への転進でした。陸上競技について全く素人である私にできることといえば、豊能地区に留まらず、できるだけ多くの地区の競技会に部員を連れて行き、厚かましく他の中学校顧問の先生方から教えを請うことでした。今後◎◎君が、優れた指導助言を得ることで、更に大きく活躍することを期待します。《陸上部顧問・教育相談員》

阪神・淡路大震災から12年…中学生のボランティア活動(改訂)

2007年01月19日 | 自主活動
《95年春から始めた長田区での炊き出し》
避難所になっていた前任校から転勤した私は、1995年の春から週末ボランティアに参加するようになりました。行き先は長田区の焼け野原に立つ真陽小学校避難所でした。避難所で驚いたのは、小学校玄関横の下足室がダンボールで仕切られ住居スペースになっていたことです。子どもたちはその横を通って登下校していました。そんな生活が地震から3ヶ月もたつのにまだ続いていたのです。

《続く公園でのテント生活》
真陽小学校の近くにある南駒栄公園では、避難所からあふれたベトナム人被災者がテント生活をしていました。長田区は零細なサンダル工場が多く、たくさんのベトナム人労働者が働いていたのです。ブルーシートのテントは頼りなく、台風がきたらひとたまりもないように見えました。これら避難所の様子を中学校の文化祭で展示すると生徒たちはすぐに一緒に行きたいと言い出しました。それがきっかけとなり東町中生のボランティア活動が始まりました。

《95年秋から中学生のボランティア始まる》
炊き出し場所は、東灘区の岩屋公園避難所にしました。交通費1280円と米2合(1合は自分用、もう1合は避難所の方のため)と野菜1品を持ち、月に2回の炊き出しが1995年9月から1996年7月まで続きました。(1996年にO-157食中毒事件が堺市で起こり炊き出しは中止した)中学生にとっては高額な交通費だったと思います。しかし毎回20人を超える中学生が炊き出しに参加していたのでした。学校では掃除をサボってしまう子どもたちも、避難所ではよく働きました。人は本当に必要とされていると自覚したとき変わるんだと思いました。ある生徒はこんな感想を書いていました。

《生徒の作文》
私にとっては二度目のボランティアです。二度目とはいえ、やっぱり緊張しました。一度目の時はボランティアについて色々と教わりました。被災者の方に掛ける言葉の難しさについても教えてもらいました。そして今回、私は初めて地震と日本の政府について知りました。私は今までずっと被災者の方への義援金の支給などは政府が中心になって行っているのだとばかり思っていました。しかし家が全壊しても25万円の見舞金が支給されただけと聞き、ショックでした。地震から8ヶ月もたつというのに公園では未だテント生活をしている被災者の方もいました。ここまでほったらかしになっていたなんて・・・。私は9月24日の話を聞き、まだまだ行政がやり残していることがあるように思います。

神戸の街を焼き尽くす煙を遠く眺め、ニュースを見ては歯ぎしりし、涙を流すことしかできなかった私は、あの時できなかった神戸の街への支援を中学生と一緒に取り組むことができたのです。

運動会・体育大会でめざしているもの

2006年09月10日 | 自主活動
見る人には勇気と感動を与えたい

みなさんは、夏の高校野球を覚えていると思います。3連覇を狙う駒大苫小牧と初優勝を手にしようとする早稲田実業との決勝戦再試合は、多くの人に感動を与えました。普段は野球に興味を持たない人も、炎天下で繰り広げられる試合に、心を熱くしました。

潔(いさぎよ)く、フェアーで、全力を尽くしている人の姿は、それが身近な人でなくとも私たちに感動と勇気を与えてくれます。これは甲子園だけのことでなく、みなさんの体育大会や運動会でも、そうなのです。体育大会や運動会を見に来られた地域やご家族の方は、みなさんの全力を尽くす競技や演技に感動と勇気を得るのです。

友だちの素晴らしい点を発見したい

競技と演技を行うみなさんには、日常の授業では気づきにくい友達の頑張りや素晴らしさを発見してほしいと思います。私たちは力を合わせて同じ仕事をやりきる中で、お互いを仲間と感じられるものだと思います。「押し付けあうことなく選手や係を決定できた」「応援の練習や応援旗の作成に一緒に残ってくれた」「椅子を運び出すときに手伝ってくれた」「自分の競技の時に友だちの声援が聞こえた」そんなできごとの一つひとつが何よりも貴重なのです。これが逆になると、たとえ競技の中で勝ってもクラスの中に溝が生まれます。

数年前のことです。東町中では3年女子の体育委員長が、こんな呼びかけをしてくれたことがあります。今年も同じ思いの人がたくさんいることと思います。

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3年生にとって明日は最後の体育大会。だから絶対、なにがあっても体育委員になりたかった。体育大会は大変と聞いていたし、ましてや3年生だからすごく大変。だから、やりがいがありそうだった。それに最後の最後で目立ちたかったし、自分がいること、頑張っている姿をみんなに見てほしかった。

体育委員は大変です。みんなが気づかないところで頑張っています。全体練習がある朝は、7時50分から集まってラインを引く。どうせ消えるけど引く。みんなが砂ぼこりをたてて歩くとラインは消える。だからちゃんと歩いてほしいと思う。でもやっぱり消える。

みんなが家に帰った後、私はグランドで「にがり」をまいて、トンボでならして、砂まみれで家に帰る。メッチャ大変。競技一つひとつの順位・得点を記録する用紙を放課後残って黙々と作った。メッチャしんどい。こんなに努力している体育委員。だから本番の体育大会ではメッチャ感動、メッチャ思い出になるような体育大会にしたいし、みんなに感動してほしい。だから協力しましょう!

再び「下に恩返しをする」ということ

2006年08月21日 | 自主活動
昨年私は「千里馬」で「下に恩返しをする」というお話を皆さんにしました。先輩たちから素晴らしいものを学んだとしても、その先輩に対して直接恩返しをすることはできない。できるとしたら、先輩から受け継いだものを後輩に伝え、先輩に対してではなく「下に」恩返しをすることしかできないという話でした。

体育大会と文化祭を終え、私はこの「下に恩返しをする」という話を再び思い出しました。東町中生が先輩から受け継いでいる素晴らしい伝統の一つに、この文化祭と体育大会があると思うからです。私が東町中に転勤した時に感じたことは、体育大会や文化祭の係にあたっている生徒たちが、実によく働いているということでした。前日までの打ち合わせでそれぞれの仕事の内容を理解し、当日の運営についてはそのほとんどを生徒たちの手で行うという取り組みが根付いています。

また係以外の生徒の皆さんも、この行事を大切にし、真剣に取り組み、大いに楽しんでいるのです。この当たり前のことが当たり前のこととして受け継がれている、そのことが大切だと思うのです。最近私はある中学校の体育大会を見学する機会がありました。東町中では考えられないことですが、競技をしている多くの生徒たちが全力で走らないのです。中には友だちと話しながら走っている(歩いている?)生徒もいました。当然の結果として応援席から仲間への声援や応援はありません。自分たちの体育大会を本当につまらないものにしていると思いました。

みなさんは先輩たちが全力で走る体育大会を見て、そして先輩たちが舞台で熱演する姿を見て、自分たちもそんな体育大会・文化祭に取り組み、そして次の年の取り組みへとバトンをつなげているのです。「下に恩返しをする」という伝統は、東町中の中で生き続けていると思います。(生徒指導部だより「千里馬」91号1999年10月19日発行)

明日は体育大会~互いの頑張りを発見したい

2006年08月20日 | 自主活動
雨による練習の中断、台風による臨時休校。準備の遅れが心配された中で、体育大会はいよいよ明日に迫りました。

互いに競い合う競技の形式をとっているかぎり、体育大会には勝ち負けがあり、優勝をするクラスがあれば最下位のクラスもあります。1位になり、優勝することによって自分たちの頑張りを多くの人に認めてもらいたいと思うのは自然なことです。しかし優勝したクラス、1位になった人たちだけが良かったという体育大会であってはなりません。優勝を目指すことと優勝することは、残念ながら違うのです。あたりまえですが、体育大会では優勝できないクラスの方が多いのです。優勝する1クラスのためにだけ体育大会があるのではありません。この体育大会とそれに続く文化祭を通じて、日常の授業では気づかない仲間の頑張りや素晴らしさを発見してほしいのです。

私たちは力を合わせ同じ仕事をやりきる中で、お互いを仲間と感じられるものだと思います。押し付けあうことなく選手や係を決定できた、応援旗の作成に一緒に残ってくれた、椅子を運び出すときに手伝ってくれた、自分の競技の時にクラスの声援が聞こえた、そんなできごとの一つひとつが何よりも貴重なのです。これが逆になるとたとえ優勝したとしてもクラスの中に溝が生まれます。

昨年の体育大会を前に、体育委員長であった当時の3年生がこんな呼びかけをしてくれたのを覚えているでしょうか。

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3年生にとっては最後の体育大会。だから絶対、なにがあっても体育委員になりたかった。体育大会は大変と聞いていたし、ましてや3年生だからすごく大変なので、やりがいがありそうだった。それに最後の最後で目立ちたかったし、自分がいること、頑張っている姿をみんなに見てほしかった。
体育委員は大変です。みんなが気づかないところで頑張っています。全体練習がある朝は7時50分から集まってラインを引く。どうせ消えるけど引く。みんなが砂ぼこりをたてて歩くとラインは消える。だからちゃんと歩いてほしいと思う。でもやっぱり消える。
みんなが教室にいるとき、私はグランドで「にがり」をまいて、トンボでならして砂まみれで家に帰る。メッチャ大変。競技一つひとつの順位・得点を記録する用紙に、競技名を放課後に残って黙々と書いた。メッチャしんどい。
こんなに努力している体育委員。だから本番の体育大会ではメッチャ感動、メッチャ思い出になるような体育大会にしたいし、みんなに感動してほしい。だから協力しましょう。

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体育委員は体育大会のときにしんどくて大変だと聞き、だから体育委員になろうと決めた人たちもいるのです。そんな人たちを中心に、今年もグランドが整備され、プログラムが印刷されているのです。今年も体育大会を通じ、クラスの仲間の頑張っている姿をひとつでも多く発見してください。(千里馬90号1999年9月30日発行)


誰の仕事でもない仕事ができる

2006年06月18日 | 自主活動
 世の中には、仕事の分担が明確になっていて、これは誰の仕事だとはっきりしているものもありますが、なかには誰の仕事かはっきりしていないものもたくさんあります。誰の仕事と決めたわけではないけれど、気がついた人、近くにいた人、頼まれた人が気持ちよく引き受けてくれればいいなと思います。本来、仕事というものは、そんなものではないでしょうか。

 私の経験から言うと、みんなの心がつながっている時は、誰の仕事でもない仕事を引き受ける人が、たくさん出てくるように思えます。たとえ自分だけで手に負えなくなっても、誰かが協力してくれるという安心感があれば、仕事を引き受ける勇気が湧いてきます。仕事を押しつけた時に仲間との関係が切れ、一緒にやろうと言えた時仲間とのつながりが生まれます。

 宿泊行事を通じ、みなさんは誰かに支えられているという思いを感じることができたのではないでしょうか。行事が盛り上がった陰には、楽しいクラスになった陰には、誰の仕事でもない仕事を引き受けてくれる仲間がいたからです。

 楽しい時間を過ごせたと感じたときには、ちょっと周りを見渡して、誰が支えてくれたのか考えて下さい。それができるようになったなら、今度は貴方の力が発揮されるときが近づいているのです。