教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

決して手を抜かない生き方…中学生駅伝大会に学ぶ・改

2009年01月28日 | スポーツ
《大阪府代表選手のいるチームが13人に抜かれる》
年末の12月25日の話です。その日は朝から市の中学校駅伝大会が服部緑地競技場周辺で行われました。各校5人の選手が襷(たすき)をつなげるのですが、1区の距離が一番長く、各中学共に力のある選手が選ばれて走ります。女子の部では、秋の大阪府総合体育大会中学生1500mの部で、2年生ながら優勝したS中学校Oさんが、1区をぶっちぎりのトップで走り抜けていきました。ところが襷を受け取った第2区の選手は、次々と抜かれ、瞬(またた)く間に14位まで転落しました。その後の3区・4区・5区の選手で多少の前後はあったものの、最終的には20チーム中13位という結果となったのです。

みなさんならどうでしょうか。自分がトップで襷(たすき)を渡したのに、次の人が次々と抜かれていくレースを見て、怒ったり、すねたりしないでしょうか。私なら、きっとそんなレースに出場したくないと思うだろうと考えていました。

私は、大阪府の代表として全国で活躍しているOさんのチームが、どうしてこんな結果になったのかと不思議に思い、その学校の先生にたずねてみました。驚いたことにS中学陸上部の2年生部員はOさんだけで、駅伝大会に出場した他の選手は、全員が経験の浅い一年生だったのです。

《代表選手Oさんが駅伝大会に参加した目的》
私はこの事実を知り、大きな衝撃を受けました。陸上競技の大会には、はっきりした『格付け』があります。選手にとって一番重要なのは、優勝すれば近畿大会や全国大会につながる大会です。その次に重要なのは、日本陸連の公認記録が得られる大会です。そういったか『格付け』から言えば、全国大会につながらず、公認記録も得られない、しかも上位入賞も望めない小さな大会にOさんが出場する意義は全く感じられないという考え方もあり得るのです。しかもOさんは、この秋行われた大阪府の各大会で、女子800m、1500m、3000mの全種目で優勝するという快挙も遂げているのです。

しかしOさんは全く違った目標を持ち駅伝大会に参加していたのです。クラブ活動の素晴らしさ、走ることの楽しさを後輩に教えたい、Oさんはそれだけを思い1年生を率いて大会に参加していました。全国で活躍し、後輩の憧れの的であっても、同学年には部員が誰もいなかったOさんは、だからこそ部員を大切にし、どんな小さな大会であっても決して手を抜かず走る姿を後輩たちに見せたのです。

《先輩の思いを受け継いだ後輩たち》
Oさんは、1月11日に行われた全国都道府県対抗駅伝に大阪代表として参加し、京都の街を力走しました。私は、テレビに映し出されるその姿を応援していました。その大舞台後の1月24日、再び市の中学生駅伝大会がありました。Oさんは、またもや1年生を引き連れて参加し、やはりぶっちぎりのトップで一区を走り終えたのです。しかし、今回の駅伝大会は前回と違いました。Oさんの襷(たすき)を受け継いだ2区走者が、何と2位で3区の走者に襷をつなげたのです。必死の形相で襷をつなげた2区走者の姿は、私には感動的でした。先輩が後輩たちの目標となることで、大きな力を引き出すことができることを知ったのです。同時に大会に大きい小さいはない、どの大会にも全力でぶつかることの大切さをOさんの姿から学ぶことができました。

《自分の限界を超えるとき》
陸上競技は孤独な競技だと思うことがあります。しかし駅伝大会を見ていて私の考えは変わりました。「後輩たちの視線に込められた期待を裏切れない」という思いがOさんの強さを更に後押ししているように思えたのです。Oさんが後輩たちにパワーを与えたように、Oさんも部員の期待を一身に受け止めることにより、自分の限界を日々打ち破っているのだろうと考えました。

中学3年生や小学校6年生のみなさんは、いよいよ卒業が間近になりました。みなさんの後姿を目標として見つめる後輩たちがいます。みなさんの日々の生活(難しく言えば生きる姿勢)が、後輩たちへの無言のアドバイスになるのです。同時に後輩たちの暖かい視線が、みなさんの力をより高めることになることを願っています。

私もお弁当を作りました~運動会のお弁当の記事

2009年01月26日 | 読者の声
唐突なメールですみません。以前、食品メーカーの方の運動会のお弁当の話を読みました。共感させられました。と、その数日後の運動会前日に妻が入院し、私が弁当を作り、娘に持たせることになりました。◎◎小では、親子で弁当を食べることはありませんが、『かけはし』のお話が頭をよぎりました。娘も運動会に母親のいないことを悲しんでいましたが、我慢して競技に頑張っていました。妻はその後すぐに退院し、体調も回復していますが、親子揃って過ごせることのありがたみを改めて感じました。と同時に、少数者への配慮について考えて生活することも必要であると実感しました。乱筆ですみません。失礼いたします。

小学6年社会科 新しい日本へのあゆみ⑤

2009年01月23日 | 社会科教育
1945年9月27日GHQ本部で撮影され新聞に掲載されたこの写真を見た日本人は、言葉にならないような衝撃を受けた。なぜだろう。この設問に小学生が答えるのは本当に難しい。

第一に、この写真に写っている二人の人物を多くの小学生は知らない。第二に、天皇が神であったことを現代の子どもが実感することが不可能である。

戦前、天皇の写真が新聞に載ることは全くなかった。当時新聞紙は、そのまま切ってトイレットペーパーとして使われていたため、天皇の写真でお尻を拭くというのが、『不敬罪』にあたると恐れたためだ。

戦前は全国の小学校に天皇・皇后の写真=『御真影』が配られていたが、多くの場合、子どもたちがその写真を直接見ることすら禁じられていた。「神さんを見たら目がつぶれる!」と脅かされたのである。御真影を見るときは最敬礼(90度に曲げる敬礼)をするため、地面しか見えなかった。また『御真影』を扱うときは、教育勅語と同様、校長は白い手袋をつけ、自分の目よりも高く持ち上げなければならなかった。(決して『御真影』を見下ろしてはならない)また文部省規則の中で、万一火災などにあえば、『教育勅語』と『御真影』を安全な場所に移動させることが、校長の第一の職責とされ、児童生徒の安全は二番目に書かれていた。『御真影』を守るため、炎の中に飛び込んで殉職した教員の『美談』が全国各地に残っており、『御真影』を守れなかったため自殺する校長までいたのである。

天皇は神であり写真でさえこれだけ重大視していた日本人にとって、天皇を見下ろす高さで、しかもリラックスしているマッカーサーを見て、つくづく日本が負けたことを思い知らされたのです。

小学6年社会科 新しい日本へのあゆみ③

2009年01月21日 | 社会科教育
戦後のスタートを知るうえで、人口ピラミッドも役に立った。5歳児の人口が大きく落ち込んでいること。年齢が上がるに連れてなだらかに減少するはずの年齢別人口が、男女で大きく異なっていること。この2つに気づかせることが、戦争の影響を理解するポイントになる。

大阪書籍の教科書P109には「日用品が不足し、ものの値段が上がって、人々はたいへんこまりました。」と表記されているが、この当時の急激なインフレを、今の子どもたちが想像することは不可能です。工業生産高・米の価格を表やグラフにして子どもたちの印象を深めたい。

10kgの米の価格が1945年で3円57銭だったのが、5年後には1095円=300倍に跳ね上がったというデーターは、子どもたちを驚かせた。「小学校2年のときに100円やった消しゴムが3万円になってるんや」と小学生は理解した。「この無茶苦茶な物価高があれば、貯金はどうなったと思う」との設問をしたとき、子どもたちは、当時の国民が蓄えた貯金が物価高によって、意味を失ったことに気がつくのです。

理科もそうだが、一時間の授業のどこかに、発見と驚き、既成概念の逆転のある授業を行っていたい。

小学6年社会科 新しい日本へのあゆみ②

2009年01月20日 | 社会科教育
90秒の時間を与え、写真を見て子どもたちが気づいた事柄を班毎に3つづつ発表させた。
・裸足だ
・手や足が黒い
・子守をしている
・遠くを見つめている
・少し前屈みになっている
・歯をくいしばっているように見える
・夏の服装だ
・赤ちゃんがずれている
・緊張している
といった発言が続いた。
次に、この写真が1995年の長崎で撮られた写真だというヒントを与え、この少年は何をしているのだろう、という発問すると
・子守をしている
・家族の帰りを待っているか、探している
という意見に子どもたちの意見が集約された。

そこで写真に添えられたオダネルさんの記録「焼き場にて」を読み上げた。

「歯をくいしばっている」という意見が出たが、みんなが生活の中で「歯をくいしばる」場面は、どんな場面か意見を聞いた。その結果少年の「歯をくいしばる」という動作と「遠くを見つめる」という動作には、気持ちの上での深いつながりがあるという結論になった。子どもたちなりに、涙も流さない少年の悔しさと悲しみを推察することができた。赤ん坊を焼き場に見送るのに、少年が一人で来ていることから、家族の他のメンバーが既にいなくなっているか、この場に来れない重大な事態にあることが子どもたちにも理解できます。

教科書には青空教室で勉強する子どもたちの様子が紹介されているが、戦争が終わり平和な時代が始まったといっても、戦争孤児が多く存在し、餓死者もあり、充分な医療を受けられないまま亡くなる老人・子どもたちが多くいたこと、戦災孤児の多くは義務教育を受ける余裕もなく、生きていくことに必死であったことに気づかせることが必要です。

「学校には戦争責任がある。」とは、先輩教員から聞いた言葉です。教員は子どもたちを戦場に送った戦争責任があるという深い反省のこもった言葉です。その責任に応えるために「夜間中学校」が私たちの街で作られたこともここで触れた。

更に写真から子どもたちが気づいた事柄のとの関連で、当時は焼き場が足らないため川原で遺体を焼いていた事実を伝え、周辺を歩くとススで黒くなったという話を紹介した。断定はできないが、手足が黒いのはその可能性も考えられることも話した。

最後に第二次世界大戦終了後、ヒットラーの忠実な部下であったアイヒマンが戦争犯罪で裁判にかけられたときの台詞「一人の死は悲劇であるが、百万人の死は統計上の数字でしかない」という言葉を紹介した。社会科の授業では、様々な数字や言葉を学ぶが、それらを暗記することが社会科の目的ではないこと。大切なことは、数字や言葉の奥に、人々がどのように工夫し、努力し、そして困難に立ち向かったかという生き方を学ぶことであり、これは歴史を科学として学ぶことと並んで大切であると話をした。


小学6年社会科 新しい日本へのあゆみ

2009年01月12日 | 社会科教育
 1月から小学校6年生の社会科授業を担当する。2007年度は明治時代、2006年度は江戸時代、2005年度は5年生地理の工業を担当してきた。不登校専任教員という立場は基本的には授業も持たないとなっているようではあるが、小中連携のために、小学校高学年での授業を続けてきた。
 大阪書籍の6年社会の教科書を開けると、見開きで2枚の写真が載っている。一つは1945年のもの、もう一つは現在のもので、どちらも大阪の難波を中心としたミナミと呼ばれる繁華街を撮影したものである。焼け野原の戦後間もない大阪の様子を思い浮かべるものではあるが、できれば、焼け野原に残った人の気持ちに思いを馳せることができる写真が欲しい。そう考えて選んだのが『トランクの中の日本』(ジョー・オダネル)のこの一枚である。裸足の足、直立不動の姿勢、遠くを見据えた眼差し、そして背中には弟の亡骸。この写真から、戦争が人々から何を奪ったのかを子どもたちと考えていきたいと考えている。果たして21世紀に生まれた日本の小学生は、この少年が何をしようとしているのか想像できるだろうか。
 他に資料としては、1940年~1955年の間の米の収穫高、粗鋼生産高、輸出高。1950年の人口ピラミッド。お台場にあった「浮浪児収容施設」の写真などである。

小学生の疑問に答えます⑤

2009年01月03日 | 小中連携
《勉強とクラブの両立はできますか?》
 説明会で先輩たちが答えてくれましたが、教員の立場で答えます。勉強とクラブを両立させている中学生はたくさんいます。一方で勉強もいい加減、クラブもいい加減という中学生もいます。勉強しているときはクラブ活動のことが気になって勉強に気持ちが入らない、クラブ活動しているときは遊びのことが気になってクラブ活動に気持ちが入らない、遊んでいるときは勉強のことが気になって心から楽しめない。そんな中学校生活は最悪だと思いませんか。右の記事を見て下さい。クラブ活動に参加している生徒の方が、成績が伸びているという調査結果もあるのです。この尼崎市の調査結果は、多くの中学教員の経験と一致していると思います。
 
 勉強の妨(さまた)げになるのはクラブ活動ではなく、何事にも興味を持たなかったり、集中できないような姿勢です。