《大阪府代表選手のいるチームが13人に抜かれる》
年末の12月25日の話です。その日は朝から市の中学校駅伝大会が服部緑地競技場周辺で行われました。各校5人の選手が襷(たすき)をつなげるのですが、1区の距離が一番長く、各中学共に力のある選手が選ばれて走ります。女子の部では、秋の大阪府総合体育大会中学生1500mの部で、2年生ながら優勝したS中学校Oさんが、1区をぶっちぎりのトップで走り抜けていきました。ところが襷を受け取った第2区の選手は、次々と抜かれ、瞬(またた)く間に14位まで転落しました。その後の3区・4区・5区の選手で多少の前後はあったものの、最終的には20チーム中13位という結果となったのです。
みなさんならどうでしょうか。自分がトップで襷(たすき)を渡したのに、次の人が次々と抜かれていくレースを見て、怒ったり、すねたりしないでしょうか。私なら、きっとそんなレースに出場したくないと思うだろうと考えていました。
私は、大阪府の代表として全国で活躍しているOさんのチームが、どうしてこんな結果になったのかと不思議に思い、その学校の先生にたずねてみました。驚いたことにS中学陸上部の2年生部員はOさんだけで、駅伝大会に出場した他の選手は、全員が経験の浅い一年生だったのです。
《代表選手Oさんが駅伝大会に参加した目的》
私はこの事実を知り、大きな衝撃を受けました。陸上競技の大会には、はっきりした『格付け』があります。選手にとって一番重要なのは、優勝すれば近畿大会や全国大会につながる大会です。その次に重要なのは、日本陸連の公認記録が得られる大会です。そういったか『格付け』から言えば、全国大会につながらず、公認記録も得られない、しかも上位入賞も望めない小さな大会にOさんが出場する意義は全く感じられないという考え方もあり得るのです。しかもOさんは、この秋行われた大阪府の各大会で、女子800m、1500m、3000mの全種目で優勝するという快挙も遂げているのです。
しかしOさんは全く違った目標を持ち駅伝大会に参加していたのです。クラブ活動の素晴らしさ、走ることの楽しさを後輩に教えたい、Oさんはそれだけを思い1年生を率いて大会に参加していました。全国で活躍し、後輩の憧れの的であっても、同学年には部員が誰もいなかったOさんは、だからこそ部員を大切にし、どんな小さな大会であっても決して手を抜かず走る姿を後輩たちに見せたのです。
《先輩の思いを受け継いだ後輩たち》
Oさんは、1月11日に行われた全国都道府県対抗駅伝に大阪代表として参加し、京都の街を力走しました。私は、テレビに映し出されるその姿を応援していました。その大舞台後の1月24日、再び市の中学生駅伝大会がありました。Oさんは、またもや1年生を引き連れて参加し、やはりぶっちぎりのトップで一区を走り終えたのです。しかし、今回の駅伝大会は前回と違いました。Oさんの襷(たすき)を受け継いだ2区走者が、何と2位で3区の走者に襷をつなげたのです。必死の形相で襷をつなげた2区走者の姿は、私には感動的でした。先輩が後輩たちの目標となることで、大きな力を引き出すことができることを知ったのです。同時に大会に大きい小さいはない、どの大会にも全力でぶつかることの大切さをOさんの姿から学ぶことができました。
《自分の限界を超えるとき》
陸上競技は孤独な競技だと思うことがあります。しかし駅伝大会を見ていて私の考えは変わりました。「後輩たちの視線に込められた期待を裏切れない」という思いがOさんの強さを更に後押ししているように思えたのです。Oさんが後輩たちにパワーを与えたように、Oさんも部員の期待を一身に受け止めることにより、自分の限界を日々打ち破っているのだろうと考えました。
中学3年生や小学校6年生のみなさんは、いよいよ卒業が間近になりました。みなさんの後姿を目標として見つめる後輩たちがいます。みなさんの日々の生活(難しく言えば生きる姿勢)が、後輩たちへの無言のアドバイスになるのです。同時に後輩たちの暖かい視線が、みなさんの力をより高めることになることを願っています。
年末の12月25日の話です。その日は朝から市の中学校駅伝大会が服部緑地競技場周辺で行われました。各校5人の選手が襷(たすき)をつなげるのですが、1区の距離が一番長く、各中学共に力のある選手が選ばれて走ります。女子の部では、秋の大阪府総合体育大会中学生1500mの部で、2年生ながら優勝したS中学校Oさんが、1区をぶっちぎりのトップで走り抜けていきました。ところが襷を受け取った第2区の選手は、次々と抜かれ、瞬(またた)く間に14位まで転落しました。その後の3区・4区・5区の選手で多少の前後はあったものの、最終的には20チーム中13位という結果となったのです。
みなさんならどうでしょうか。自分がトップで襷(たすき)を渡したのに、次の人が次々と抜かれていくレースを見て、怒ったり、すねたりしないでしょうか。私なら、きっとそんなレースに出場したくないと思うだろうと考えていました。
私は、大阪府の代表として全国で活躍しているOさんのチームが、どうしてこんな結果になったのかと不思議に思い、その学校の先生にたずねてみました。驚いたことにS中学陸上部の2年生部員はOさんだけで、駅伝大会に出場した他の選手は、全員が経験の浅い一年生だったのです。
《代表選手Oさんが駅伝大会に参加した目的》
私はこの事実を知り、大きな衝撃を受けました。陸上競技の大会には、はっきりした『格付け』があります。選手にとって一番重要なのは、優勝すれば近畿大会や全国大会につながる大会です。その次に重要なのは、日本陸連の公認記録が得られる大会です。そういったか『格付け』から言えば、全国大会につながらず、公認記録も得られない、しかも上位入賞も望めない小さな大会にOさんが出場する意義は全く感じられないという考え方もあり得るのです。しかもOさんは、この秋行われた大阪府の各大会で、女子800m、1500m、3000mの全種目で優勝するという快挙も遂げているのです。
しかしOさんは全く違った目標を持ち駅伝大会に参加していたのです。クラブ活動の素晴らしさ、走ることの楽しさを後輩に教えたい、Oさんはそれだけを思い1年生を率いて大会に参加していました。全国で活躍し、後輩の憧れの的であっても、同学年には部員が誰もいなかったOさんは、だからこそ部員を大切にし、どんな小さな大会であっても決して手を抜かず走る姿を後輩たちに見せたのです。
《先輩の思いを受け継いだ後輩たち》
Oさんは、1月11日に行われた全国都道府県対抗駅伝に大阪代表として参加し、京都の街を力走しました。私は、テレビに映し出されるその姿を応援していました。その大舞台後の1月24日、再び市の中学生駅伝大会がありました。Oさんは、またもや1年生を引き連れて参加し、やはりぶっちぎりのトップで一区を走り終えたのです。しかし、今回の駅伝大会は前回と違いました。Oさんの襷(たすき)を受け継いだ2区走者が、何と2位で3区の走者に襷をつなげたのです。必死の形相で襷をつなげた2区走者の姿は、私には感動的でした。先輩が後輩たちの目標となることで、大きな力を引き出すことができることを知ったのです。同時に大会に大きい小さいはない、どの大会にも全力でぶつかることの大切さをOさんの姿から学ぶことができました。
《自分の限界を超えるとき》
陸上競技は孤独な競技だと思うことがあります。しかし駅伝大会を見ていて私の考えは変わりました。「後輩たちの視線に込められた期待を裏切れない」という思いがOさんの強さを更に後押ししているように思えたのです。Oさんが後輩たちにパワーを与えたように、Oさんも部員の期待を一身に受け止めることにより、自分の限界を日々打ち破っているのだろうと考えました。
中学3年生や小学校6年生のみなさんは、いよいよ卒業が間近になりました。みなさんの後姿を目標として見つめる後輩たちがいます。みなさんの日々の生活(難しく言えば生きる姿勢)が、後輩たちへの無言のアドバイスになるのです。同時に後輩たちの暖かい視線が、みなさんの力をより高めることになることを願っています。