教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

火球~12月9日

2011年12月12日 | 話題
12月9日21時45分頃、大阪の南の空から西に向かって落下する流星(火球)を眺めることができました。世間は皆既月食の話で賑わっていましたが、仕事帰りの路上で思いもかけない幸運に遭遇したのです。

火球はひときわ大きく輝いたと思うと、『すすき花火』のように弾け、十数個の小さな星屑となり闇に消えていきました。その間約3秒。この流星を眺めることができた人は、どれだけいたのでしょうか。

同窓会のご案内

2011年08月10日 | 話題
22期生の皆さん。1971年3月の卒業から40年という月日が流れました。高度経済成長の真っ只中で生まれた私たちは、千里万博の年に中学3年生となり、タイガースが解散コンサートを行なった1971年に○中を巣立ちました。15年という人生しか経験していなかった私たちには、21世紀がどんな世界になるのか、40年後の私たちがどんな人生を送っているのか、十分に考えることもできなかったことと思います。前回お約束した4年後の同窓会という約束は守れず、5年が経ってしまいましたが、五十路の半ばを過ぎた顔を久しぶりに披露し合いましょう。

生徒たちへの年賀状

2010年01月02日 | 話題
謹賀新年

2009年は大きな変化を遂げた一年でした。米国では初のアフリカ系大統領が登場し、核兵器のない世界をつくろうと呼びかけました。日本でも本格的な政権交代が起こり、鳩山内閣が誕生しました。政権交代は私たちの生活に無縁ではありません。上がる一方だった高校の授業料が無償化へと動きだし、皆さんは『無償化一期生』になろうとしています。

5年後に皆さんは成人式を迎えます。2009年に起きた変化は、誰かが起こしてくれた変化です。しかしこれからは、自分たちが変化を起こす側に立っていかなければなりません。中学校卒業は、その第一歩となるのです。

足もとを振り返り、皆さんの中学校生活はどうだったでしょうか。3年前の今頃思い描いていた中学校生活の目標は、様々な達成と挫折を経て、今の皆さんの姿となっています。達成感の大きかった人、挫折感の大きかった人、様々と思いますが、残された3ヶ月を有意義に過ごすことが、次の進路の成功へとつながります。男女とも体育の授業で走り高跳びをしましたが、助走を失敗したら良い結果は出ないのです。

皆さんが2010年の素晴らしい一歩を踏み出すことを願い、新年の挨拶とします。 2010年元旦

始業式は1月8日です。

市長への手紙~コンサート参加のお礼状

2008年09月08日 | 話題
2008年8月26日
○○○○様

お礼

栗ヶ丘フィルコール合唱団
団長 ○○○○ 事務局長 ○○○○  理事 ○○○○

ようやく夏の暑さも和らいでまいりましたが、貴職におかれましては、ますますご清祥のことと存じます。
先日は、栗ヶ丘フィルコール20周年コンサートを行いましたところ、激務の合間を縫ってご来場賜り、まことにありがとうございました。私たちの歌声が皆さまの心に響き、少しでも楽しんでいただけたのなら、うれしく思います。
今回のコンサートは、中学時代、私たちに素敵なコーラスをご指導くださった岩崎先生と○○中学校への感謝の気持ちを形に表したいと思い、企画したものです。
しかし、全国に散らばった団員たちが、コンサートに向け力を結集することは、想像してはいましたが容易ではありませんでした。
中学生時代とは違い、時間や場所を作る事や仲間を集める事に、多くの力を割きました。しかし、その甲斐あって、コンサートの成功を目指した団員が埼玉・千葉・東京・横浜・岐阜・名古屋・松江など全国から集まりました。そして、岩崎先生の指揮には、お互いを隔てた時間や距離を一瞬にして吹き飛ばす力が満ちていました。私たち合唱団の持てる力を最大限に発揮するコンサートができたと思います。
今、教育や学校を巡る厳しい環境があります。そうであるが故に、巣立った中学校を核とする、このような合唱団が根付いていることが、私たちの街にとって相応しいと、手前味噌ではありますが考えております。
長年私たちを見守ってくださった岩崎先生には、ひとまずお休みいただきますが、「栗ヶ丘フィルコール」は、これからも元気に歌い続けます。
今後とも変わらぬご指導ご鞭撻賜りますよう、よろしくお願いいたします。まずは書面にて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

新年のご挨拶を申し上げます

2008年01月01日 | 話題
 小学校との兼務という予想もしない職に就き3年になりました。朝は○○中学校で学校へ登校しにくい子どもたちを支援し、午後は○○小学校で社会科授業や小中連携の取り組みを行っています。また校区新聞『かけはし』を発行し、教育問題や人権・平和の問題を保護者と共に考えています。

 小学校に勤めて思ったのですが、小中の間には職種が違うのではと感じる程の文化の差があります。しかし文化の違いに感動したり驚いたりしながら、この差が小中の教育力を伸ばす力になるんだと考えるようになりました。現在の学校には、今までのやり方では通用しにくい課題が山積みです。小中お互いが持つ教育力から学ぶことで、解決の糸口が見つかると確信しています。校区新聞の内容は、ブログ上で公開しています。『教育相談室かけはし』で検索して下さい。

 最後になりますが、私は昨年思いがけない怪我をし、手術を受けました。皆様方も健康と安全には十分に留意され新年をお過ごしになるよう願っています。2008.1.1



お知らせ

2007年07月02日 | 話題
この六月なかばに、急な入院と二度の手術を行いました。そのため『かけはし』は一時休刊となっております。皆様に迷惑をおかけしていますが、復帰まで、しばらくのお時間をくださりますようお願い申し上げます。  教育相談員

千の風になって~想いを考える

2007年02月09日 | 話題
「千の風になって」のCD売り上げが1位になっていると言います。NHK紅白歌合戦で歌われたことがCDの売れ行きに火をつけたようです。

この詩が朝日新聞で紹介されたのは2003年夏のことです。欧米では古くから知られていたこの詩は、様々な場で朗読されていました。1977年アメリカで俳優ジョン・ウェインが映画監督のハワード・ホークスの葬儀で朗読しています。1995年アイルランド共和軍との戦闘で倒れたイギリス兵士が家族に宛てた手紙の中にこの詩があり、イギリスでは大きなブームが起こりました。2002年ニューヨークで行われた同時多発テロ追悼集会では遺族が詩を朗読しました。

追悼で朗読される詩は、普通残されたものが死者に語りかけるかたちをとります。しかしこの詩は死者が生者に語る形式をとっています。残された者が、先立った者から見守られながら、どう生きるべきかを考える詩のように思えます。

原文は英語で書かれています。中学生の皆さんは、原文に挑戦してみて下さい。

a thousand winds 
         
Do not stand at my grave and weep; 
I am not there, I do not sleep.

I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumn’s rain.

Why you awaken in the morning’s hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.

Do not stand at my grave and cry;
I am not there,I did not die.

新年のご挨拶を申し上げます

2007年01月01日 | 話題
小学校と中学校の兼務につき2年目となりました。東町3丁目小学校と書かれた転勤名簿を見た多くの友人から「どうしたん!」と心配された1年目でしたが、正式には「大阪府不登校専任教員」という名前と小・中学校兼任の辞令が出されています。東町中学校では学校に登校しにくい子どもたちの支援に取り組み、北町小学校では高学年の社会科授業と小中連携の取り組みを行っています。また北町小学校も巻き込んで校区新聞『かけはし』を発行し、子育て・いじめ・進路などの教育問題や人権・平和の問題を保護者と共に考えています。校区新聞の内容は、ブログ上で公開しています。『教育相談室かけはし』で検索して下さい。

昨年末に教育基本法が改悪されました。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」(憲法12条)という先人の戒めを肝に命じ、努力を重ねたいと思います。   07.1.1


肉声

2006年10月09日 | 話題
おはようございます。教育相談員です。
いつもは、校区の皆さんに書いている記事ですが、今日はブログをご覧になっている皆さんを対象に書きます。

私の記事は、先ほども言いましたが、ほぼすべてが「東町中学校区教育相談室」が発行している新聞「かけはし」の記事です。いわば学校が発行している公的な新聞記事です。

私は、事前検閲を要求することもなく、このような新聞の発行を認めている校区3校長の度量の深さに感心しているのですが、それでも公立学校が発行する新聞としての「自主制約」をいつも自分の心の中に置き、原稿を書いています。

そのため私の記事は、言いたいことの一歩手前で終わっていることも多く、後から読んで自己嫌悪に陥ることもあります。そして何よりも、新聞記事として書かれた文章の冷たさを感じます。これはほかの方のブログにおじゃまさせていただいた時に感じることです。

こんな地味なブログにもかかわらず、毎日60人ほどの方が訪問し、一日に100を超える閲覧数が記録されているのは、うれしいことです。このブログの記事が、みなさまの何かのヒントになれば幸いです。またこのブログを通してお互いの教育論議が深まることも期待しています。ご意見・ご異論・ご質問を歓迎します。

情けは人のためならず 

2006年07月06日 | 話題
冬休みのことです。私は千里中央にあるスーパーに行き、昼食のお弁当を買おうとしていました。年末が近づいていたので、どのレジも買い物かごいっぱいに食料品をつめこんだ長い列ができていました。とっさにどの列が速く終わりそうか目で計算し、近くの列に並びました。

 私の前には同世代と思われる女性。さらにその前には小柄なおばあさんがいました。おばあさんの番になり、買い物かごをカートから持ち上げようとしたとき、その女性がサッと手を差し出し、買い物かごをヒョイと持ち上げたのです。一瞬ご家族の方かなと思ったのですが、おばあさんのお礼の様子を見ると見知らぬ間柄だということがわかりました。

 次にその女性の番になると、私を振り返り、買い物かごの中にお弁当しか入っていないのを見て、「どうぞお先に」と言ってくれたのです。思いもせず受けた親切に、私は一瞬戸惑いながらも礼を言い、ありがたく好意を受けました。しかしなんと鮮やかな身のこなし。私もこうでありたいと思いました。

 「情けは人のためならず」と言います。(近頃ではこの言葉が死語となり、大人でも意味を正しく言えないと聞きますが・・)私もできるだけ人には親切にし、その親切が回りまわってあの女性のもとに届くようにと願ったのです。