教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

こころって、どこにあるの

2006年10月30日 | 障害者とともに
(「障害って、なんだろう?どんどん」 1985年発行 「障害児教育自主教材編集委員会」編より)

 おばさんね、きのうゆめを見たの。とってもこわいゆめ。
 なあんにもないところに、おばさんがたったひとりなの。だれもいなくなって、大きなこえを出そうとおもうんだけど、こえも出ないのね。つめたいあせが出てね、ううっていったとき目がさめたのよ。
 おふとんの中から、ぐるっと見まわすと、いつものおばさんのへやなのね。ジュンも、おじさんもぐっすりねむっていたので、とってもあんしんしたの。でも、ゆめがとてもこわかったから、おばさんの心ぞうがどきどきいって、すこしの間、ねむれなかったわ。

 きのう、ジュンが学校からかえってくるなり、おばさんにきくの。「ねえ、おかあさん、こころってどこにあるの?」って。おばさんびっくりしちゃってねえ。だって、そんなこと考えたことなかったもの。それでね「さあ、どこにあるのかなあ」ってジュンといっしょに考えることにしたの。
 「こわかったり、びっくりすると、むねがどきどきするから、こころって、むねにあるんじゃない?」っておばさんがいうと、ジュンったら「どきどきするのは、心ぞうっていうんだよ。血がはやくながれるから、どきどきするんだよ」って、えらそうにいうの。
 夜、ジュンがねむってから、おばさんね、「こころって、どこにあるのかなあ」っていろいろ考えてみたの。だから、あんなこわいゆめを見たのね、きっと。
 でも、ほんとうに、こころってどこにあるのかしらねえ。どんなかたちなのかしら。よくわからないけれど、こころって、かなしくなったり、うれしくなったりするところでしょ。どうしてそうなるのかなあ。

 きょねんね、おばあさんが死んだの。そう、ジュンのおとうさんのおかあさん。それで、おじさんがポロポロないてね、とてもかなしそうだった。そりゃそうでしょう、おかあさんがいなくなったんだもの。ジュンもおばさんも、そんなおじさんのかなしそうなかおを見ていたら、とてもかなしくなったわ。きっと、おじさんのこころがわかったんだとおもうのね。こころって、きもちと同じものかもしれないね。
 おばさんには、ジュンやおじさんがいるから、よろこんだり、かなしくなったりできるのよね。もしだあれもそばにいなかったら、おばさんのこころって、はたらかないとおもうのね。そこの花びんにいけてある花をみて、ああきれいだなあっておもうのも、こころのはたらきね。
 おばさんね、こころって、からだの中にあるんじゃなくって、おばさんとジュン、おばさんとおじさん、おばさんと花のあいだにあるとおもうのね。
 おばさんのまわりにいるひとやものと、おばさんのあいだには、見えない何かがあって、それが、こころじゃないかしら。

 このあいだも、ジュンといっしょにテレビを見ていたらねえ、アフリカのこどもたちが、たべものがなくって、こまっているってうつっていたの。
 つぎの日ね、学校のきゅうしょくのじかんにジュン、そのアフリカのこどもたちをおもい出したんだって。きっと、ジュンとアフリカのこどもたちのあいだにも、こころがあるんだなあって、おばさんもおもったのよ。

障害児教育を(少しだけ)振り返る

2006年10月29日 | 障害者とともに
 特別支援教育が口にされる昨今ですが、私たちのT市では、30年以上も前から、すべての子どもたちの就学保障を行う取り組みがなされてきました。養護学校が入学を断ったため在宅になっていた子どもたちの家を訪問し、小学校への入学を案内するところから障害児教育が始まりました。

 T市で取り組んできた障害児教育については、誤解や無理解があります。そして、誤解や無理解を抱えたまま、次の世代に取り組みをバトンタッチせねばならない時期が迫ってきました。

 手元には20年前に作られた「どんどん」という自主編成教材があります。全国で始まった障害児教育の取り組みを踏まえ、教員・保護者・子ども・医師・地域作業所スタッフなどが集まって作った冊子です。この教材を紹介しながら、もう一度私たちのすすめてきた障害児教育について振り返ってみたいと思います。勿論、私の取り組みや経験は、T市の障害児教育の全てを包括するものではなく、不十分で、しかも私なりに解釈されたものも少なくないと思います。しかし語る者がいなくならないうちに、その一端を紹介したいと思うのです。


この鼓動

2006年10月28日 | 短歌・詩
この鼓動電気に変えると何ワット 全身真っ赤君と目が合う (千葉県中学3年 拡也14歳)

目が合っただけで、自分の思いが見透かされそうに思ってしまうのでしょう。でも、そのふるえる心を持たないまま、世間を、恋を、なめて大人になってはいけないと思うのです。

東町中校区一斉巡視の報告

2006年10月27日 | 生活指導
東町中学校ではテストでクラブ活動のない10月20日の午後4時~5時に一斉校区巡視を行いました。職員が北町・東町・新田・千里中央の4グループに分かれ、校区を巡視しながら子どもたちの遊び場や危険箇所を点検しました。

私と○○の二人は千里中央コースの巡視でしたので、その内容を報告します。

《店舗の入れ替わりが目立つせんちゅうパル》東町公園を通り過ぎせんちゅうパルから巡視を始めました。千里中央ではここ数年店舗の入れ替わりが激しく(3階の時計屋さんがなくなり修理を頼めず困っています)、特にパルの3階・4階部分にはシャッターが閉まったままの店もあり、人通りの少ないのが気になりました。ゲームセンター「こどもの国」ではプリクラを撮っている小学校6年~中学1年ぐらいの女の子が5人ほどいましたが、あとはお客さんもまばらでした。店員さんに挨拶をしようと思って顔を見たら、23歳になる東町中の卒業生。後輩が迷惑をかけていたらすぐに学校へ連絡するようにお願いしました。

《高校生のたまり場になりやすいセルシー屋上》次に向かったのがセルシーの屋上。ここは以前から高校生たちのたまり場・喫煙場所になることが多かったので、警察や補導センターの巡視コースに入っています。屋上でエレベータを降りると、すぐ向かいのベンチでこちらを見つけ笑っている女子校生2人を発見。よく見ると高校2年生になる卒業生でした。少し離れたベンチでその2人に声をかけようと騒いでいる制服姿で髭ヅラという見慣れない男子高校生が3人。近づいてみると、テーブルの上にはタバコの箱とライターが1つあったので取り上げました。(変な髭ヅラ高校生に引っ掛けられるな!)

《千里中央のトイレを安全点検》今回の巡視では、東町3丁目小学校の地区懇談会で話題になっていたマクドナルド横のトイレを含む千里中央の多くのトイレの安全チェックをしました。マクドナルド横のトイレは、通路から入り込んだところにあり、セルシー屋上のトイレと並び死角になりやすい場所です。子どもたちが使わない方がいいと思いました。

巡視が終わって学校に戻ろうとすると、来春に大学を卒業する22歳の卒業生3人にセルシー広場で遭遇。そのうちのA君はいつもと違うスーツ姿。就職活動の帰りでした。大量退職時代を迎え就職の門が広まっているとはいえ、秋風が吹き始めるこの時期になっても就職先が決まらない学生もいます。大学生活を支えるため、居酒屋で深夜まで働いているA君。頑張れ!「また飲みに来て下さいよ。」可愛い教え子のためなら、喜んで!

必修教科未修問題について

2006年10月26日 | 教育行政・学校運営
「学習指導要領の拘束力の範囲」については司法を巻き込んだ論議が繰り広げられてきました。学校教育の細かな内容まで立ち入った基準を定めることは、その時々の政権政党の思惑によって教育内容が歪められるのではといった危惧も多くの教育関係者から発せられました。しかし将来の主権者となる高校生に対して必要な教科の学習が行われていない、入試科目に入っているかどうかでカリキュラムから外されるようでは、高等学校がその役割を果たせているのかという疑問出ます。

高等学校の必修科目が削減されたとき、入試科目に絞った「効率的」=「薄っぺらな」カリキュラム編成が始まるのではないか、という不安が高校教員の中でも起こりました。今回カリキュラムの不正が見つかった高等学校は、高岡南高校と言い盛岡第一高校と言い、進学実績では各県のトップ校と言われる高校でした。学習指導要領を無視し、やりたい放題のカリキュラム編成で実績を上げている一部私立高校を意識した不正であることが関係者によって語られていました。

全国で続々と明らかになるカリキュラムの不正に、あらためて思いました。文部科学省が「学習指導要領に基づいた学校教育教育」と言っても、校長を自殺に追い込むほど強制したかったことと、どうでも良いと思っていることとがあるのですね。そして卒業に必要な必修教科を履修しているかどうかは、受験での成果の前には、どうでも良いことになるんですね。

子どもが変わるという確信②~震災に駆けつけた卒業生

2006年10月24日 | 子ども理解
 阪神・淡路大震災から11年がたち、小学校5年生以下の子どもたちは、あの地震のことを知りません。私たちの記憶や体験そして教訓は、時の流れに負けずに伝えられているのかと考えさせられます。

 あのとき私の勤めていた中学校は、大阪府下で最大の避難所となり、体育館には500人を超える地域の方々が寝泊りされていました。そんな状態が3月を迎えようとするまでの1ヶ月以上にわたって続きました。体育館から登校する中学生もいました。当然その中には入学試験を控えた3年生もいました。生徒たちは、家を失った不安を抱えながらも夜遅くまで学校の会議室で勉強をしました。私たち職員も何とか生徒たちを励まそうと一緒に残っていました。

 そんな時、一人の卒業生が私を訪ねてくれました。9年前に卒業したBでした。在学中は学校の生活指導にことごとく反抗した生徒でした。「知ってる先生いうたら、○○先生しかおらへんから。」と言うBは、なんと250食分の缶詰のおかゆをトラックに積んで、差し入れに来てくれたのでした。「今、俺は食品会社に勤めてて、これはウチの商品なんや。社長さんに母校が避難場所になってるって言うたら、これ持って行けと言うてくれはったんや。先生、お弁当の支給があるけど、なかには体調が悪い人もいたはるやろ。これ、食べてもろて。」

 あの乱暴者のBに、こんな優しい一面があったのかと私は感激し、何度も何度もお礼を言いました。私は前任校に16年も勤めることができたため、一時は感情的に怒鳴りあったり、胸ぐらを掴み合った生徒たちと、時間を経ながら和解する機会を与えられました。

 卒業していく彼らの後姿を見て、「こんなままで中学校から送り出していいのだろうか」と不安な気持ちでいっぱいでしたが、その後の社会で立派に鍛えられ、変わっていった姿を見届けることができました。いえ、今になって思うと、在学中も本当は分かっていたのかもしれません。

 Bだってこんなに変わったんだ。(B!ゴメン!)そう思うと、どんなに憎まれ口を言う生徒に対しても、私は期待が持てるのです。

教員の戦争体験

2006年10月21日 | 平和について
とにかく物が無くひもじかった・・元○○小学校校長○○○○さん(終戦時10歳)

 兵庫県と岡山県の県境に近い農村で生活をしていた私には、空襲に遭うというような直接の戦争体験はありません。私の戦争中の思い出というのは、とにかく物が無かったということです。今では死語となった「ひもじさ」、それが私の戦争体験の中心です。

 自分の家の田畑を持たない、おまけに父を早く亡くした私の家の生活は、本当に厳しいものでした。私は母親が寝ている姿を見たことがなかったのです。衣食住といいますが、「住」については田舎の家があったので問題はないのですが、「衣」と「食」については、本当に困りました。

 小学校に弁当を持って行けなかった私は、片道20分ほどの道を歩き家に食べに帰るのですが、薄い雑炊のようなものを食べるだけで、歩く距離を考えれば余計におなかが減るような食事でした。

 米を食べることができず、芋を食べる毎日でしたが、食卓の母の座る場所にはその芋も無いのです。母が倒れないようにと子ども心にも思った私は、「お母ちゃん、おなかが大きくてお芋を全部食べられないから半分食べて。」というと、「料理しながら食べてるからいいのよ。」というのです。そんなとき、下の兄が「ほんなら僕が食べる」といって、芋を横取りしたのです。せっかく母親に食べさせようと思ったのにがっかりしたことがありました。

子どもが変わるという確信~教育実習生との再会を通じて

2006年10月20日 | 子ども理解
 小学校に勤める先生と話をしていて気付いたことがあります。小学校に勤めていると自分が受け持った子どもが教育実習生として学校に戻ってくるという経験を積めないということです。卒業させた6年生が教育実習生として戻ってくるまでに約10年の月日がかかります。その前に転勤の時期がきてしまうわけです。

 中学校に勤務していると、それが7年ほどで経験できます。学校現場では、異動の時期が早くなっているといいますが、それでも中学校では教え子が教育実習生として学校に戻ってくるのを経験できる職員は少なくありません。

 教え子を教育実習生として迎えるという経験は、自分の教育実践を振り返るうえで、私にとっては大変大切なものでした。一言で言うと「子どもは変わる」という実感をもつことができるのです。

 その教育実習生は、私が担任として受け持った生徒でした。何事にも卒が無く、学習への取り組む姿勢は申し分ないのですが、いつも同級生の幼い言動を冷ややかな目で見ているような印象が私にはありました。教育実習に来ると聞いたときに、果たして勉強が得意でない子どもの気持ちをくみ取り、励ますことができるのだろうかと心配したほどです。

 しかし、授業を見せてもらい、私の心配は吹き飛びました。質問になかなか答えられない生徒の沈黙を待つ眼差しの優しさ、どれほど的外れな答えであっても、その発言を大切にしながら授業を進めようとする姿勢。素晴らしいものでした。

 授業反省会の席の後、高校・大学を通じ自分がどう変わったのかという説明を聞き、私は納得しました。(どんな話であったかは別の機会でお話しします)それと同時に、自分がいかに子どもの一面しか見られていなかったのかがよくわかりました。私たちは、会議の中で子どもの人物像について語る機会があります。しかし子どもたちはそんな教師を乗り越えて大きく成長し、変わり続けることができるのです。

 子どもは変わる。その事に確信を持つことの大切さを学んだ再開でした。

いじめ問題を考える…なぜ動物たちは病気を隠すのか

2006年10月19日 | いじめ問題
 東町中学校の一年生は、ニュース等で報道されるイジメ問題を通じて自分たちの生活を見直そうと、10月18日に学年集会を持ちました。集会では、学年の先生や校長先生がお話をしましたが、その場に参加していた私も飛び入りで2つのお話をさせていただきました。私の話した内容を紹介します。ご家庭でも話し合ってみて下さい。

 王子動物園の園長をされていた亀井一成さんのお話を聞いたことがあります。亀井さんのお話というのは、動物たちの健康維持がいかに難しいかとい内容でした。たとえば小・中学生のみなさんは、病気にかかったときにどんな行動をするでしょうか。多くのみなさんは、保護者や先生に体調不良を告げ体を休ませることと思います。人に慣れている犬や猫も、体調が悪ければ元気がなくなります。しかし動物園の動物たちは、病気になったときに自分の病気を隠そうとするのです。自分の病気を誰にも知られないよう、死ぬ直前まで元気に振る舞います。飼育係が気づいたときには、もう手遅れです。そこには野生世界の厳しいルールがあるのです。

 野生の世界では、体の弱いものから順番にライオンやチーターなどの肉食獣に食べられてしまいます。だから動物たちはどんなにしんどくても必死になって体調が悪いことを知られないようにするのです。これは野生動物が身を守るための本能なのです。そのため獣医さんの手当てを受けずに死んでゆく動物も少なくないのです。 

 私はこの話を聞いて、すぐに自分のクラス(当時私は中学校1年生の担任をしていました)や自分の学校のことを振り返りました。私のクラスには「わかりません」と質問する生徒に対して「こんなこともわからんのか。」と馬鹿にする生徒はいないだろうか。体育大会のレースで走るのが遅かった生徒に「お前のせいで負けた。」と攻撃する生徒はいないか。そんなことが気になりました。みなさんのクラスは、どうでしょうか。ぜひ考えてほしいのです。 

 もしみなさんのクラスに野生のルールがのさばっているとしたら、力の無い者や勉強が苦手な者は、自分が攻撃されないようにビクビクしながら生活しなければならないと思います。しかしそんなクラスは決して良いクラスだと言えないと思うのです。友達の「弱さ」を見つけても、そっと見守ってくれる、そして必要なときには手を差し伸べてくれる、それが良いクラスだと私は思うのです。

体育大会の感想から(一部抜粋)④

2006年10月18日 | 子どもたちの声
◎みんなの団結
【3-1○○○○】この仲間でこの日のためだけに練習を積み重ねてきたことが1番うれしかったです。
【3-1○○○○】私は運動が本当に苦手なので体育大会でリレーなどに出るのはいやだったけど、自分なりに一生懸命やりました。応援のダンスを教えてもらったときもなかなかできるようにならなかったけれど、友だちが何回も一緒にやってくれすごくうれしかったです。
【3-2○○○○】「仲間をふやそう」は朝早く女子が練習してきた。予行の時、はじめて誰一人こけずに最後まで走れたときは、みんなで拍手するくらいうれしかった。
【3-3○○○○】一番印象に残っているのは、放課後クラス全員で取り組んだ応援のダンス練習だ。
【3-3○○○○】団体競技は皆と息を合わせなければならなかったので大変でした。いろんな人のアイデアが出た。「はだし」「声かけは一人で」など。少なくとも女子の団結力は深まったと思います。
【3-3○○○○】早起きして練習した15人16脚は、みんな一つぐらいけががあったと思う。それも努力の結晶と思える。

◎係の仕事
【3-1○○○○○】私は何の係にも当たっていなかったけれど体育大会のために準備してくれた人達にとても感謝しています。
【3-2○○○○○】放送委員は体育大会にとても力を入れていました。アナウンスや音楽を流したりしました。はじめてアナウンスをして上手くしゃべれなかったです。
【3-3○○○○】最後にできた踊りもみんな忙しくて集まりにくかったけど、一生懸命覚えていてくれてマジ感動しました。本番も完全燃焼できて本気でうれしかったです。応援団になってホントによかったと思いました。
【3-3○○○○】体育委員だったので本番までのライン引きや審判の仕事を覚えたり、準備をするのに大変でした。
【3-3○○○○】体育委員長をやってこんな大仕事は今までにやったことがなかった。

◎最後の体育大会
【3-2○○○】中学校最後の体育大会で、自分は今までで一番はつらつと出来たと思います。それは多分3年生全員に言えることだと思います。
【3-3○○○○】3年生はこの体育大会が最後の体育大会ということでみんな気合が入っていたし、練習の量も半端でなかった。
【3-3○○○○】最後の綱引きは敵同士だった1組2組とも協力してできてよかった。

体育大会の感想から(一部抜粋)③

2006年10月17日 | 子どもたちの声
◎応援の力
【3-1○○○】1・2年の応援発表のすごさにびっくりした。
【3-1○○○○】記録係だったので本部にいることが多かった。生徒も盛り上がっていましたが先生の応援もすごかったと思います。
【3-2○○○○○】男子団体は練習では1組に勝てなかったのに本番で1位になって審判をしていたけど、うれしくて仕事を忘れました。
【3-3○○○○】息が荒い状態でリレーを走りました。僕の体力もまったく残っていませんでした。追いつくのが無理だと思ったときスピードが若干落ちました。しかし応援を聞いたときに、もっと頑張ってみようという思いが出てきました。

体育大会の感想から②(見出しは教育相談室でつけました)

2006年10月16日 | 子どもたちの声
【3年3組 ○○○ 東町3丁目小学校卒 おそろいの髪型にした女子の団結】
 一番嬉しかったのは「仲間をふやそう」で一位になれたこと。この競技に勝つために毎日朝早くに集まって練習してきた。当日も7時15分に集まって練習した。こんなに一生懸命になったのは久しぶりだった。1組がとても速くて正直アセッた。でも3組が勝てたのは、やっぱり団結できたからかなぁって思う。足に青アザができたし、すり傷もたくさんあるけどとても楽しかった!男女団体では、予行でも負けがなく「無敗伝説」と言われていた。どうなることかと思ったけれど1位になれた。よかった。混成リレーは先生に「これで決まる!」と言われてすごく緊張した。勝てるか心配だったけど、1・2・3走者のおかげでアンカーの私は1位で帰ってこられた。応援は団長の○○くんがしっかりしていてすごいなぁと思った。皆で毎日一回は踊っていて本番が楽しみだった。よかったと思う。旗は○○さんや○○さんがとても上手に作ってくれていて、見たときはビックリした。2組が賞をもらっていたけど3組の旗も素晴らしいと思う。結果は準優勝だったけど、クラスが団結できたし良い思い出になった。女子みんなでおそろいにした髪型とかも良いと思った(笑)男子が応援の時におしりのところに小さいポンポンをちゃんとつけてくれて良かった。最初は「えー!」と言っていたけどちゃんとつけてくれた(笑)

体育大会の感想から①(見出しは教育相談室でつけました)

2006年10月15日 | 子どもたちの声
【3年1組 ○○○○ 北町小学校卒 なぜかこけた後も本気で走っていた】
 僕は体育大会を通じて人と力を合わせることを学んだ。応援では最初はなかなか踊れなかったけど、クラスの人たちが親切に教えてくれて踊れるようになった。本番ではかなり難しかったけど、なんとか間違えずに踊れた。この時に「教えてもらったから踊れた!」と思いました。だから人と力を合わせることを学べたと思いました。
 200m走ではスタートしてから急にインコースに入ってはいけないことを知らずに入ってしまい、隣の人と足がからまり、こけてしまいました。その後立ち上がってがんばって走り、なんとか一人を抜かしました。本当だったらこけて差が開いていたら絶対本気では走らないのに、なぜか本気で走っていました。けれども多分反則だったので(インコースに入ったから)点数には入らなかったけれど、自分なりにはものすごくがんばりました。

中学校見学会へ向けた小学生の質問と回答③

2006年10月11日 | 小中連携
Q 勉強は難しいですか。小学校のときとどう違いますか。
A 難しくなります。次に習う単元の教科書を読む、習った箇所を復習し、練習問題をする。自分で学習に取り組めるかどうかが大切になります。

Q 数学が難しく塾に行かないと分からなくなるとききましたがどうですか。
A 難しくなりますが、学校の授業にしても塾の学習にしても、誰かから強制されてやっているかぎりは身につきません。いやいやではなく自分から取り組み分かろうとする気持ちがなければ、中学校の学習は身につかないのです。

欠席者への対応について~基本方針

2006年10月10日 | 生活指導
Ⅰ目的
1.欠席者や所在不明者の状況把握を学年、学校として行う
2.欠席傾向にある子どもたちに対して、学校としての支援体制を組む

Ⅱ方針
1.欠席理由の把握を強めよう
①欠席黒板の記入
②欠席者の対応
保護者からの欠席連絡あり→問題がないと判断する
生徒からの欠席連絡あり→問題がないと仮定し他の欠席者との関連に注意
努力目標:その日中に「お見舞い電話」を入れる=所在確認のため
保護者と話しができればなお良い=「え、休んでたんですか!」ということも過去にある
無届け
担任・副担任・学年+不登校担当・生徒指導主事・教頭・校長の連携で1時間目終了までに電話等で所在確認
③2時間目開始時点で欠席理由が不明な場合
家にいるが電話を取れない、取らない=問題が発生している!
家から出たが学校に着いていない=どこに?
昨夜から家に帰っていない=どこに???
家庭訪問を行う→発見できれば担任・関係職員・生徒指導主事で指導
発見できない場合は保護者の勤務先等に連絡する

2.欠席が目立つ生徒への指導
①3日間続けて欠席があった場合(保護者からの欠席連絡がある場合も含む)
家庭訪問を行い本人の健康観察・配布物手渡し・連絡などを行う
不登校担当者に報告を行う→全体に報告
大阪府下の中学生の年間平均欠席日数は3日と言われています。月に3日の欠席は十分に注目せねばならない日数と思います。
②欠席累計が10日を超えた場合
その子どもの指導にかかわるケース会議を持ち方針検討を行う
メンバー:不登校担当者・生徒指導主事・担任・校長・教頭・関係職員