教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

2009年進路を語る会④~心の余裕

2009年03月17日 | 進路子どもの声
《心の余裕  ◎◎◎◎》
 「私の進路」と聞くと、どのような学校に行ってどういうことを勉強し何になる、という風に、将来なりたいという職業のために行く学校を決めてゆくようなイメージです。しかし、どちらかというと「進路」とは「生き方」のような言葉だと思います。だから、「私の生き方」のような感じでいきます。
 「私の生き方」は、自分もいずれかなると思われる大人になったときについてです。私は、強いてなりたい職業がないけれども、どういう人間になりたいかというものは、決めています。それは、まず心にいつでも余裕を持てる人になることです。心にいつでも余裕をもてれば、思わぬハプニングにも、いつでも冷静に処理していたので、まったく問題がないと思います。
 こんなことがありました。去年の夏休みのことです。千里中央の近所の道で、一人の大人の男性を見かけました。その男性はなぜか分からないけれども、とても急いでいました。交差点で信号が赤なのに、横断歩道を渡り始めました。そこに大型トラックが来ました。事故にはならなかったけれども、警察がきてその男性は足止めを食らってしまいました。結局その男性は「遅れてしまった。」とぼそっと言いました。急いだことによって、遅れるという皮肉な結果になってしまいました。このときも私は、心の余裕は、大切だとおもいました。
 今の時期、三年生にとって時間はとても重要に感じられると思います。けれどただ急ぐことは、意味のないことだと思います。また、時間と同じ、あるいはそれ以上のものがあると思います。だから私は、時間を省こうと思うときでも、本当に意味があるのか確認しながら省きたいと思います。  
 一・二年生の皆さんも、目先の小さなことでは動揺しないで、この後、生きるときもしっかりと心の余裕を持ってください。


2009年進路を語る会③~祖父が教えてくれた道

2009年03月15日 | 進路子どもの声
三年二組  ◎◎◎◎
「祖父が教えてくれた道。」

 僕は、これまでいろんなことに出会って、そして別れていきました。僕は、そんなことを一つ一つはっきりとは覚えていません。でも、今から話すことはおそらく一生僕の記憶に、はっきりと焼きつくことでしょう。
 実は、私立高校受験の前日に僕の祖父が亡くなりました。夜にドタバタとみんながさわいでいて、受験の後にその現実を突きつけられました。葬儀式の時に、祖父の最後の顔を見ました。そして、涙が止まらなくなりました。その時以来、不安と悲しみが強く僕の胸に焼きつきました。
 元々僕は、鈍感なのか私立受験の日はほとんど緊張しませんでした。それに、僕にはまだ公立受験が残っていました。
 僕は自分の夢という物がまだ、ほとんど決まっていません。それに受験で合格できるかどうか不安です。この二つの考えで、今にも心が押しつぶされてしまいそうでした。
 でも、祖父の葬儀式の後に父が「このことは、誰もが一度は通る厳しい現実なんだよ。」といってくれました。父は、大切な人がいなくなる現実を言ったつもりだと思います。でも、僕はそれと同時にもうひとつのことに気づきました。それは、進路について悩むことは、僕以外のみんなも通ることだとわかりました。
 ぼくは、「園芸高校に行きたい。」という目標を持っています。そして、その目標を達成することができました。しかし正直のところその先はほとんど考えていません。
 後輩のみんなも、高校の先の夢を考えていない人がいるかもしれません。
 祖父の死が教えてくれたのは、「進路」というものの恐ろしさです。僕が後輩のみんなに伝えられることは、「進路」というものはたくさんの不安と恐怖が、今まで以上におそってくるということです。みなさんもいつか、必ず通る道です。
 でもそんなことにめげないでください。自分の親や年上の人たちを見ると、彼らもその道を通ってきたことがわかります。それを見ると少しだけですが、光が見えてきます。僕も、この現実に勇気を出して立ち向かおうと思います。僕は、みなさんも必ずこの道を無事にこえて、夢にむかっていけることを、願います。

2009年進路を語る会②~バトン部の思い出

2009年03月13日 | 進路子どもの声
3年1組 ◎◎◎◎

「バトン部の思い出」

 私は、バトントワリング部で3年間活動してきました。
 私が1年生の時、3年生の先輩しかいませんでした。その時の3年生の先輩は、私たちのために毎日部活に来て、一生懸命教えてくれました。本当は2年生になってから教えてもらうバトンの技も1年生の私たちにちゃんと教えてくれました。
 私が2年生になった時3年生の先輩は卒業して、顧問の先生が、校長先生と◎◎先生に代わりました。私たちは2年生になって1年生の後輩が来て一緒にバトンを回すのがすごく楽しみでした。でも、突然校長室に呼ばれて「部員募集停止」という言葉を聞きました。その時、すごく辛かったです。自分自身がおかしくなるぐらい悲しくて言われたその日から部活の雰囲気が暗くて、重くてしんどかったです。
 でも、◎◎先生が励ましてくれたおかげで少しずつ立ち直る事ができました。先生は私たちに色々なアイディアを考えてくれました。例えば、小学校や老人ホームでの発表の提案をして実際に出来るようにしてくれました。その他にも、ダンスを踊っている時に「少しズレてる。」や「もう少し移動を増やしたら?」や「今の所揃っていてきれいやった!」など的確に指示をしてくれて、以前よりもいい感じにダンスが出来てすごくよかったです。
 その後、私が3年生になって、あきらめずに活動した事が認められ後輩を募集する事が出来た時はすごくうれしくて泣きそうでした。
 私は今、後輩の1年生に同じ思いをさせたくありません。なので、もし1年生が何かで困った事があったら何でも聞いてほしいと思います。
 他の部活のみなさんも何事にもあきらめずに最後までやればきっと願いが叶うと思うのでがんばって下さい。

2009年進路を語る会①~感謝

2009年03月12日 | 進路子どもの声
3年1組 ◎◎◎◎
「感謝」
 私は中学2年生のときに、学校に行くのがいやになった時期がありました。その原因は、友達関係がきっかけでした。今から思えば、自分が悪かったのだと思ったりもしますが、そのときは、とにかくしんどくて本当に学校に行くのが嫌でした。けれど、サッカー部に入部したことで私は立ち直ることができました。
 それまでの私は、いくつかの部活に入ったり、やめたりを繰り返していました。男子サッカー部に入部したのも偶然でした。
 それは私が廊下で友達と話しているときのことでした。顧問の◎◎先生が、私たちに声をかけてくれました。考えた結果、私たちは仮入部をすることにしました。けれど、その時の私はだらけていたので、最初は練習に行ったけれど途中で行かなくなりました。夏休みもずっとさぼっていました。
 けれど、今まで自分はほかのクラブでもだらけて続かなかったので、今度は最後まで続けようということになりました。私は友達と「サッカーは頑張ってやろう!!」と言い、また部活に行きはじめました。だんだんサッカーが楽しくなってきて積極的に行くようになりました。ですが女子は2人しかいなかったので男子と話したりすることができずなかなか男子サッカー部の中になじむことができませんでした。
 先生は、「女子だから差別するのでのではなく男子と同じ練習メニューでやっていくから」と言ってくれました。けれど、私からすると男子の練習メニューはとてもしんどかったです。なのでわたしは、まったくメニューについていくことができませんでした。その一方、わたしは「さすが男子。こんなキツイ練習メニュー、よくやるな!!」とも思いました。
 3年生になり、もう一人の友達が腰をケガしてサッカーができなくなってしまいました。だから、私は一人になってしまいとても部活に行くことが嫌になりました。そんなとき、また先生が声をかけてくれました。先生は私にこう言いました。「友達が辞めたら自分もやめてしまうのか!?」と。 
 その一言が心にひびきました。頑張ってサッカーは友達の分も最後までやりとげようと決意しました。だんだん男子の中にもなじめるようになりサッカーがとても楽しく感じることができるようになりました。そして私は、ゴールキーパーが楽しそうだったので顧問の先生に言って、ゴールキーパーをすることにしました。キーパーは重要な役なので私は真剣に取り組みました。試合も出してもらいすごく私は嬉しかったです。
 このようにして、私は最後の試合までやりとげることができました。自分の心で「ヤッター」と思いました。だから今では男子サッカー部に入部して本当によかったと何回も思っています。そして、一緒にサッカーをしてくれたサッカー部のみんなと私を支えてくれた先生たちに、本当に感謝しています。
 私は、高校生になっても頑張ってサッカーを続けていきたいと思っています。
 私にとって、サッカーは救いだったと思います。今、何かで悩んでいるみなさんも、何がきっかけで変化が起きるか、わかりません。だから、自分のやりたいことが見つかったら、それを続けていってほしいと思います。

卒業生が語ってくれた進路⑤~俺には関係ないと思ってないか

2008年03月10日 | 進路子どもの声
【俺には関係ないと思ってないか ○○○○】

 今、前で賢い高校に行ってる先輩たちがエエ話してくれたけど、俺には関係ないって思ってるやつ!おるやろ。何年か前の僕がそうやってん。進路や高校の話されても何も考えへんかったし、逆に悪いことばっかりしてました。授業の妨害をするし、家でも親の言う事を聞かんどころか暴力をふるっていました。そんなとき担任の○○先生が、親を呼び出して僕を親の前でボコボコにしたんです。親の前でですよ。僕を引きずり倒して、馬乗りになってボコボコにするんです。僕が「やめて」って言うたら、「お前がどついてる母ちゃんの顔を良く見ろ。泣いてるやろ。こんな息子でも我が子が叩かれてたら親はこんだけ悲しむんや。そんな母ちゃんをお前はまたどつくんか。今日も家に帰ったら母ちゃんをどつくんか。」って鬼のような顔で僕に言うたんです。
 母さんは泣いてました。そして「この子は本当は優しい子なんです。」って言うて先生に謝ってくれているんです。僕はそれから母さんを殴らんようになりました。そして高校のことも真面目に考えるようになりました。○○先生は、園芸高校に行けといいました。「お前はずーっと机の前に座ってるのが得意やないし、草刈のときすごく頑張ってたから、絶対向いてる」って言われました。僕もそうかなと思い先生と一緒に見学会に行きました。
 高校生活はとても楽しいです。以前は近所のおばちゃんに嫌われていたようやけど、僕が高校で作った野菜を持って帰るようになってすっかり仲良しになりました。
 みんなも俺はアホやと諦めんと、自分を変えるきっかけをつかんで高校に行って下さい。

卒業生が語ってくれた進路④~親との確執・家出

2008年03月01日 | 進路子どもの声
 中学校の3年間を何事も無く無事過ごせた先輩ばかりではありません。悩み、苛立ち、多くの衝突をしながら進路を探し出した先輩もたくさんいます。考えてみると、そもそも順調な中学校生活なんて無いのかもしれない。空に舞い上がるぐらい喜んだり、消えてしまいたいほど悩んだり、誰かと傷つけ合ったりという日常が繰り返しながら進行するのがこの3年間ではないかと思います。

【親との確執そして家出  ○○○○】

 今、私はみんなを前にして言いたい事が山ほどある。一つは、勉強は本気でやってほしい。勉強しなかった私が言える立場じゃないけれど、実際私は今になって後悔しているからだ。“後悔先に立たず”と言う。行きたい高校があるなら今からしっかり勉強して下さい。

 次に親の事を少し話したい。今言ったように私は家でも全く勉強しないで友達と遊んでばかりいた。当然、親は勉強しない私を見て怒鳴る。だけど私はそんな親に対して反抗する。そして親はわたしのそんな態度にまたキレる。こんな事の繰り返しばかりで自分では気づかないくらいに親を怒らせていた事に今ではとても後悔している。私が家を飛び出した時も私を心配して捜してくれたし、公立志望の私に「アンタが安心するなら」と言って私立だって受けさせてくれた。我ながらよくこんな親不幸娘を最後まで見捨てないでいてくれたと、今になって親のありがたみを実感している。だから今は感謝の気持ちで一杯だ。

 その次に忘れてはいけないのが『友達』の事だと思う。それは私が今ここでこうしてみんなを前にして親のありがたみを語れるのも、友達のおかげだと思うからだ。私が親とケンカして家を出た時、友人は私の所へ冬の寒い中を走って駆けつけてくれた。そして私の話を聞いてくれたばかりか「ミナちゃんの気持ちも分かるけど親の気持ちも考えろ」と真剣に説教までしてくれた。もしそのとき説教されなかったら、私は自分の間違いにきっと気づけなかったと思う。また私が勉強が分からない時には辛抱強く教えてくれた。もちろん私の頭の悪さにキレられてしまう時もある。私は「キレんなよ」と思いつつ、やはり“ありがとう”と感謝している。だから1・2年生に限らずここにいるみんなに言いたいことは、『友達』は本当に大事にして欲しいという事だ。いつも隣にいるのは友達だと思うから。しかし、自分のことばかり主張していたり、相手を傷つけてばかりいたら、本当の友達は一生できない。みんなうわべだけの関係になってしまうと思う。お互いの事を思いやる優しさを持つことこそ、最高の友達を作る第一歩なのだ。だからこそ、周りにいる自分の友達を大事にして欲しいと思う。思い起こせば、この一年、いろんな人にお世話になった。一言では言い表せないくらい沢山の人に助けられた。だから卒業を前に、最後に一言だけ言わせて欲しい。

 親・友達・先生・3年2組のみんな・後輩・・・私に関わった全ての人へ。
 『ありがとうございました』

卒業生が語ってくれた進路③~学校に行くのは何のため

2008年02月29日 | 進路子どもの声
学校に行きみんなの顔を見ると落ち着くのか、学校に行きみんなと出会うとイラつくのか、その差は大きいです。良い集団が形成されていたときは、3年生の中で朝学習や放課後学習が取り組まれ、私立専願で合格した者も教えあい学習に参加する光景が見られました。一方で入試直前になると学校を休み自宅学習をする生徒がいた学年もありました。みんなの顔をみるから頑張れるのか、みんなの顔を見るとヤル気がなくなるのか、その差は大きいのです。

【学校に行くのは何のため N・T】
 今まで送って来た中学校での生活は、ただ長く苦しいものと思っていました。でも中学3年になって卒業という時期を迎える時、中学校生活はとても楽しくとても短かったと思うようになってきました。なぜと聞かれると簡単に答えることは難しいけれど、友達がいたからそう思うようになったと思います。

 私は長い間なぜ学校に行くのかということを考えていました。高校に行くため、会社に入るため、それともただなんとなく。そしてつい最近気づいた答えが、自分は友達に会うために学校に来ているということなのです。学校に行き友達に会い、話したり遊んだりする中で、楽しくなったり悲しくなったりするわけで、いろいろな新しい事を学んだりできる。それが学校に来ている理由だと私は思いました。もちろん勉強することも大事なことです。しかし勉強は学校に行かなくてもできます。でもとてもたくさんの同世代の人に会い何人もの友達を作ることができるのは、学校しかないと私は思います。

 自分のクラスの人たちを見つめて下さい。そしてもし一人でもクラスの輪から外れていると思える人を見つけたら、まず声をかけてあげてほしいと思います。そしてその次に、その人はなぜ一人でいるのか、どうすればクラスの輪に加われるかという事を考えてほしいと思います。こうした問題はすぐに解決することは困難でしょう。でもそういう事をみんなで考え、クラスで話をしていくなかでしか解決できないことも事実なのです。クラスの中での問題、自分にとっての問題など、色々なことが問題になりそのことが解決に向かって一人一人が努力できるクラスが作れたら、学校はもっと豊かなものになっていくはずです。中学3年になり卒業を間近にして、高校に入学すると中学生活で知り合った友達の中でもうあまり会わない人がほとんどだと思います。だからよけい中学1・2年生は、残りの年月と今の友人を大切にしもっと友達を増やしてたくさんの素晴らしい思い出を作って下さい。後悔しない卒業を迎えることにつながると思います。

卒業生が語ってくれた進路②~みんな不安だったこの一年

2008年02月28日 | 進路子どもの声
自分だけが取り残されている、周りのみんなが幸せに見え自分だけが苦しんでいると思える。多くの人はそんな焦(あせ)りの中にいるのではないでしょうか。○中には1万人を超える卒業生がいます。先輩たちにも1万通りの悩みや苦しみがありました。その中にはみなさんの想像を絶するような悩みを抱えた先輩もいたのです。事故で手を失った生徒、中学2年で両親を亡くし家を明け渡さなければならなくなった生徒、小児癌の治療で髪の毛を失いながら通学した生徒、私が知る13年の間にも、様々なハンディーを乗り越えようとする中学生とたくさん出会いました。

【みんな不安だったこの一年 ○○○】
 私は3年生になるまで受験というものは他人事だとずっと思っていました。自分が受験するのはずっと先だと思っていました。けれど周りの友だちは着々と受験に向け準備していました。私はそれを見て受験ということを自覚し準備を始めました。しかし受験勉強をするのはしんどくて、分からない問題があるとイライラして途中でやめたくなったときもありました。でもしんどいのは私だけじゃないし、みんなもしていることが私だけできないはずはないと思って頑張りました。それでも私立入試が近づくにつれて不安になってくるし、自分が今までしてきた勉強量は他の人に比べたらすごく少ないんじゃないかと思ってあせりもしました。そんなとき友だちもみんなそう思っていると聞いて、みんな不安なのは同じなんだと分かりました。

 私立入試の当日は何百人という中学生が受験しに来ます。最初はとても緊張したけど、だんだん緊張がほぐれてきて落ち着いて受験することができました。なんとか合格することができたときは、とてもうれしかったです。

 私は以前から公立の専門学科前期入試を受けるか受けないかとても迷っていました。一人ではなかなか決めることができませんでした。私が受験しようと思っていたのは国際教養学科だったので英語を重点的に勉強しています。自分がこれから先、本当に英語を重点的に勉強していきたいのかどうか、この学校に行きたいのかどうかなど色々考えました。そんなとき友だちや先生が一生懸命相談にのってくれました。迷いに迷った結果受験することに決めました。私が受験を決めたのはかなりおそく、私立入試の3日後でした。その1週間後には学年末テストがあり、学年末テストの3日後が専門学科のテストでした。学年末テストの勉強と、専門学科過去問題の勉強でとても大変でした。専門学科入試当日は、自分を信じ落ち着いて受験することができ合格しました。そのとき初めてホッとすることができました。

 私はこの受験でたくさんのことを学び、またたくさんの人に助けてもらいました。それは努力して頑張ること、ここっていうときに踏ん張ることなどです。この学んだことは、これから先役立っていくことと思います。この1年はとてもしんどい一年だったけど、たくさんの人に助けてもらった1年でもありました。一・二年生のみなさんも、1・2年先の自分の進路について、少し考えてみて下さい。それと公立の一般入試を控えている三年生のみなさん。今が一番しんどい時だけど、あともう少しです。

卒業生が語ってくれた進路①~学校も先生も嫌いだった

2008年02月27日 | 進路子どもの声
 ○中では1996年度以来、ある年は3年生が2年生の教室に行き、ある年は『3年生を送る会』の場で、3年生が後輩たちに進路の話をしてきました。自分たちが進路を前にして何に悩み何をうれしく思ったのか、何を大切に進路先を決めたのかを語ってきました。その数々の中から、何人かの話をみなさんに紹介します。

【学校も先生も嫌いだった ○○○○○】
 私は学校が嫌いだった。集団の中で本音で話せる話題もないし、信じることもなかったし、なによりも先生が嫌いだった。でも中学2年か3年になって気づいたことがある。それは先生も一人ひとりは私たちと同じ人間だということです。全く当たり前のことだけど、そのことに気付いたとき私と先生の距離がずいぶん近くに感じられるようになった。そして心を開いて話をしてみると相手も必ず心を開いてくれることが分かった。これはもちろん先生だけでのことではなく、友だちや他の誰かについて言えると思う。自分自身について相手に分かってもらおうと努力すると、必ず相手も分かろうとしてくれるものなのです。だから私はこの学校という集団の中で、人を信じられなくなっていたけど自分も努力することで人を信じることができるようになったと思います。だから今、以前の私のように人を信じられない人がいたとしても、努力すれば必ず自分のことを分かってくれる人が必ず一人はいるものだと信じて下さい。私は自分のことを分かってくれる人を一生大切にして、思いやりを持って誰にでも優しく接することができる大きな心を持った人間になりたいです。

 高校は通信制の高校に行きます。そこには私の嫌いな校則が一切ありません。クラスも学年もありません。全て自分でこなしていかないと卒業できないところです。だから私みたいなものがそんなクラスもない学校に行くなんて、余計友だちができないのではと思うけど、ゆっくり確実に友だちを見つけていきたいと思います。

 次に軽音楽部のみなさん。つらいことも楽しいこともたくさんあったけど、全部含めてスバラシイ日々でした。私は今エレキをやめてブルースの世界のとりこになっています。私はつらいときや誰にも心を開けないとき、音楽には心開けました。音楽は絶対裏切らない友だちみたいなものでした。だからロックでもクラシックでも、聴くだけでこんなに心が左右されるものって他にないと思います。だから軽音楽部のみなさんは、もっともっと楽器を好きになって下さい。楽器も必ず応援してくれると思います。ギターが自分の運命を決めるようになるかもしれません。軽音楽部の素敵な後輩のみなさん。これからも頑張って後輩が入ってきたときは、仲良く、楽しく、優しく教えてあげて下さい。

 今日(3年生を送る会)のために練習を重ねてくれた他のクラブのみなさん、顧問の先生、私たち3年のために時間を作ってくれた全ての人たち、ありがとうございました。

受験生の後輩たちへ②~先輩からのアドバイス

2008年02月15日 | 進路子どもの声
 第2回目は○○君です。今年の準硬式野球部は大阪府下でベスト8進出と頑張りましたが、○○君の時代の準硬式野球部は市大会優勝・北大阪地区大会優勝・大阪大会優勝という輝かしい成績を残しています。○○君もレフトを守り優勝に貢献しました。

 ・・・・・・

○○○○(37期生野球部:北野高校→京都大学経済学部)
 ○中の皆さんこんにちは。おそらく多くの人が初めての受験を目前にしていることだと思いますが、少しでもお役に立てそうな話をしたいと思います。

 まず、はじめに一つ申し上げますが入試も今までの定期テストと同じで、今までやってきたことを出す場です。よく受験という言葉を聞くと「受かるかな、どうかな」と考えてしまい不安になってしまうと思いますが、少し考え方を変えてみてください。「今までやってきたことが出せるか、どうかな」というふうに。はっきりと言ってしまうと、皆さんが受験する学校の受験者の成績なんてほとんど同じです。では、何が合格と不合格を分けるのか。それは、心の持ちようです。誰でも不安になってしまうと思ったとおりの力は出せなくなってしまいます。だから、強い気持ちを持ってください。過去問でうまくいかなかったときでも「こんなんじゃ受からんわ」と思うのではなく、「これはできるようになろう」と思ってください。試験当日でも「今までやってきたこと全部出してやろう」という強い気持ちで試験に臨んでください。

 そして最後に、楽しいことを考えてください。もう2ヵ月後には皆さんは新しい世界でがんばるのです。「高校行ったらどんなことしよう」など、その先のことを考えてください。ほんとに何回もいわれていると思いますが、高校入学がゴールではありません。その先が本当の勝負です。

 素敵な3年間にするためにあと1ヶ月ちょい、もうひとふんばりです。


 ・・・・・・

 ○○さんと○○君には共通するアドバイスがあります。問題集に向かう目的は、自分が分かっていない箇所を発見するためであり、その分かっていない箇所を本番では「絶対できる!」という自信に変えるための学習に力を入れていることです。皆さんは、やりっぱなしにしている問題集がないでしょうか。

受験生の後輩たちへ①~先輩からのアドバイス

2008年02月12日 | 進路子どもの声
今年も成人式が終わった後、『○中二十歳の同窓会』が130人の参加で行われました。参加者した卒業生から後輩たちへの励ましの言葉をもらいました。2回に分けて紹介します。第1回目は、○○さんです。何度かバドミントン部の指導に来てくれたことがあり、知っている人もいるのではないでしょうか。

○○○○○(37期生バドミントン部:北野高校→大阪大学人間科学部)
 ○中生の皆さん初めまして。私は5年前に○中を卒業しました。5年前の記憶をたどりつつ、皆さんにとってお役に立ちそうなことを書いていこうと思います。
 公立入試を控えたこの時期、誰でも緊張していると思います。何から手をつけたらよいのか分からず、気がついたら時間が経っていた、ということもあるかもしれません。私は、私立入試が終わってからは公立の過去問と、それまで使っていた問題集の総復習をしていました。まず、過去問は50分の時間を計って解いて、本番どのような時間配分でやっていくのかを考えていました。自分の得意・不得意によって時間が足りたり足らなかったりすると思います。苦手科目で時間がいつも足らないのなら、本番も急いで解いていかなければ最後まで終わりません。科目ごとにこれくらいのスピードで解いていけば終わる!という感覚をつかんでおくことが大切だと思います。過去問を解いてみたら、間違い直しは必ずしてください。過去問を時間を計って本番の感覚を養い、さらに間違えたところから新たに学ぶことで、かなり効率のよい勉強ができると思います。間違えたところは、次に同じ問題が出てきた時に出来るようになっていて初めて勉強した意味があると思います。なので私は赤本を3回やりました。同じ問題でも満点をとるのは意外と難しいです。2回目以降は満点を狙って取り組むことで、飽きることなく進めていけました。同じ問題をするのは面倒だと思われるかもしれませんが、要は心の持ち様です。満点を目指して緊張感をもちつつ進めれば大丈夫です!それまで使っていた問題集も同じ問題をもう一度やり直しました。
 調子よく勉強を進めていても、あまり気を張っていると、疲れると思います。そういう時は気分転換も必要です。私はよく夜食に温かいスープを飲んでいました。息が詰まったときに温かいものを飲むと、ホッとしました。その他にも、散歩する、お喋りする、など自分に合った方法で気分転換できたら良いと思います。ただし、10分、30分などと時間をきちんと決めておかないと、だらだらしすぎて時間の無駄になってしまうので、けじめはきちんとつけてください。
 以上、参考になったかは分かりませんが、自分に出来そうなことは取り入れてみてください。皆さんの健闘を祈ります!

7/18卒業生の進路を聞く会②

2007年07月20日 | 進路子どもの声
【○○○○さん:○○小→北野高→神戸大3年】
 私が北野高校を選んだのは、その次の進路への幅が広がると考えたからです。高校で一番頑張ったのは陸上部でした。朝練に始まり放課後も暗くなるまでの練習。おかげで近畿大会にも出場できました。クラブ中心で勉強時間は無かったけど、学習は授業時間にしていました。中学時代から塾に行ったことのない私は、予習も復習も、全て授業中に済ませました。公立高校の入試は全て授業の内容なのです。
 大学で勉強しているのは、体育理論です。学校の体育の先生を目指している人が集まっています。私が先生になろうと思ったのは、3人の素敵な先生に中学校で出会ったからです。一人は社会科の○○先生です。先生のエキサイティングな授業で、私は社会が大好きになりました。夜も社会の教科書を読みながら眠りました。大学入試のセンター試験が百点だったのも、中学校での○○先生の授業があったからです。
 もう一人は3年の担任だった○先生です。私は数学が苦手だったのですが、○先生のおかげで北野高校でも通用する数学の力をつけてもらえました。それに○先生は生徒ひとり一人の性格をよく理解したうえで、的確なアドバイスをしてくれる先生でした。「今までこの成績で北野に行ったヤツはいない」という○先生の言葉に私は燃え、絶対合格しようと頑張ったと思います。
 最後の一人は当時の陸上部顧問だった○○先生です。○○先生は剣道が専門だったのですが私たちのために陸上競技の勉強をされ、指導を続けられました。記録を達成し体を動かす喜びをみんなに伝えたい、私がそう思うようになったのは、○○先生とともに陸上競技に打ち込んだおかげです。
 ところで、皆さんの北野先生のイメージはどうでしょうか。(頭が良い、難しそうという意見が出る)北野高校は『文武両道』をモットーとし、学習だけでなく体育にも力を入れています。プールは50×25m、深さは最大1.8mあり全員1000mを泳ぎます。冬の長距離走は男子10km、女子でも7kmを走ります。クラブ活動でも陸上部・水泳部・山岳部・ハンドボール部が盛んです。勉強だけでなく、キラリと光るものを持つ生徒がいる、それが北野高校です。
▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩▩
 4人の先輩のお話ですが、皆さんは誰の話が参考になったでしょうか。

7/18卒業生の進路を聞く会(中学校)

2007年07月19日 | 進路子どもの声
 進路を聞く会は、中学校が11年前から始めた取り組みです。先輩達が進路を決める時、何を大切にし、何を目標にして決めたのかを知ることにより、中学3年生が自分の進路を決める際の手がかりにしようとするものです。18日には4人の卒業生が学校の授業を抜けさせてもらい(校長先生から各校へ依頼状を送付しています)、皆さんのために話をしにきてくれました。内容を紹介します。

【○○○○さん:○○小→柴島高総合科→看護専門学校1年】
 柴島高校は総合科の高校で普通科とは全く異なります。3年になると百を超える科目(調理実習・農業実習・保育実習・介護実習・英会話・数学演習など)から自分の興味にあった科目を選び、自分で時間割を作ります。私は中学生の頃から看護士を目指していたので、看護の授業がある柴島高校を選びました。
 夏休みには、過去問題を何度も解いてみました。総合科の高校は面接の試験もあるので、面接の練習も始めました。難しい問題は間違える人も多いので差がつかないけれど簡単な問題で間違えると取り返しがつかなくなるので基本問題を正確に解けるようにしました。
 柴島高校は女子が多く、クラスの中に男子は6~7人ぐらいしかいません。でもみんなすごく仲良しです。人権に関わる取組が盛んで、人の気持ちが分かる優しい人が多いです。先生も百人を越え、自分にピッタリ合う先生を見つけることができます。みなさんも学校見学を通して自分に合う学校を見つけて下さい。

【○○○○さん:○○小→千里青雲高校1年】
 東豊中高校と同じ敷地にあり、2・3年生は東豊中高校生、1年生は千里青雲高校生という変則的な状態です。千里青雲高校も総合科の高校で危険物取り扱いとか看護とかの専門的な授業があります。面接試験もあります。
 授業では水泳の授業が厳しく、水泳部は全国大会の常連と聞いています。入学してすぐに1泊2日の合宿があり、ここでクラスの友達ができます。9月の文化祭と音楽祭の行事が学年縦割りで進められます。3年生がリードしてくれるので先輩後輩がすごく仲良しです。「産業社会と人間」という授業では、大学や企業を訪問し、常に自分の進路を意識させられます。

【○○○○さん:○○小→箕面高2年】
 箕面高校には普通科と国際科があり、国際科は2年生からスペイン語や中国語を学んだりします。留学生もたくさんやって来るので、外国文化に触れる機会が多くあります。制服はなく、自由な学校です。遠足の行き先は生徒の意見を下にクラスごとに決めます。2年で行く修学旅行は海外です。
 私が箕面高校に行きたいと思ったのは、中学生の時に友達に誘われて行った文化祭がきっかけでした。文化祭がとっても楽しそうだったし、バスケ部の先輩からも誘われ、絶対箕面高校でバスケをしたいと思いました。しかし先生からは合格が難しいと言われ、勉強不足を後悔しました。でも他の高校に行きたくないと思いながら夏を迎えました。焦らすつもりはありませんが、夏が勝負です。部活と学習に時間を作って欲しい。進路を決める中で大切なのは、その高校でやりたいことを見つけられるかどうかです。高校は義務教育ではないので、辞めることは簡単です。見学会や説明会で、絶対にやりたいことを見つけて下さい。


卒業生の進路を聞く会

2007年04月06日 | 進路子どもの声
 ○○高校定時制課程2年の○○○○です。僕はずうっと進学したいと考えていましたが、中学3年生の夏頃はあまり真剣に進学や勉強のことを考えていませんでした。でもクラブは野球部で最後まで一生懸命頑張りました。

 僕の家はお店をしていましたが、私立高校は親に負担をかけるので受験しませんでした。公立高校だけに目標を絞っていたのです。僕と同じように公立高校の入試だけに賭けている者は他にいました。

 受験が終わり、一緒に受験した友だちと合格発表を見に行きましたが、僕の受験番号だけありませんでした。不合格だったのです。すぐに学校に報告しましたが、ものすごくショックで目の前が真っ暗になりました。みんなが声をかけてくれているのですが、僕には聞こえませんでした。自分独りだけが取り残された気になり、その場から逃げ出すように一人で帰ってしまいました。でもつらくてすぐに家に戻ることができず、家に帰ったのは夕方でした。心配した担任の先生が何度も家に来たと聞きました。その後に聞いた話やけど、同じ学校を受験した友だちが、僕の落ちたことをすごく悔しがっていたと聞きました。

 親と担任の先生と話し合って定時制高校を受験しました。今度は合格できましたが、気持ちは少しも晴れません。せっかく合格した定時制高校で頑張ろうという気持ちなかったのです。みんなより一年遅れてでもいいから、来年もう一度昼の高校を受けなおそうと思っていました。

 定時制高校は、夕方の5時半から9時まで勉強するので、昼は家の仕事を手伝っていました。でも半年ほどしてから今の会社(コピー機の販売とメンテナンス)に勤めるようになりました。職場でとても良い先輩に会うことができ、だんだん仕事にも自信がついてきました。そして一年がたった時、昼の高校をもう一度受験しようという気持ちはなくなっていました。合格した定時制高校を卒業しようという気持ちに変わっていたのです。こんな気持ちになれたのは、職場や学校でよい先輩や友だちに会えたからだと思います。

 高校進学という進路のひとつに定時制高校というものがあることを覚えておいてください。

進路を考える~中学生の作文から

2007年03月07日 | 進路子どもの声
中学校では、卒業生を送る会に先だち、3年生から進路を語る会が行われます。その進路を語る会に向け、3年生全員が自分の進路を考える作文を書きました。その中から一部を紹介します。


3年1組 ○○○○(○○小学校卒)
 僕には将来の夢があります。それは自動車の整備士になることです。小さい頃からずっと思っていた夢がこれでした。僕は「絶対これになる!」と考えたので勉強しました。でも勉強してもなかなか成績が上がりませんでした。それで勉強のやり方を少し変えました。すると少しずつ成績が上がりました。僕は1年2年とあまり勉強していませんでした。「3年生になって頑張れば良いや」と思っていました。勉強する習慣がなかったため3年生になってもあまり勉強しませんでした。とても後悔しています。1年生や2年生の時に勉強しておけば良かったなと思います。でも今はキチンと勉強しています。僕には弟妹たちがいます。勉強していると、たまに弟たちが「わからない所があるから教えて」と言ってやってきます。僕はていねいに教えています。勉強ではいつも苦手な数学から勉強し、得意な社会を最後の方にしています。順番では数学→英語→理科→国語→社会です。いつも苦手な教科でつまずいてしまいますが頑張っています。家族も協力・応援してくれています。
 
 今の2年生の皆さんは、まだ1年あると思っているのではないでしょうか。でも今のうちに自分の進路を決めておくと、目標に向かって頑張れると思います。親とも相談しておいても損はありません。3年生になればテストがたくさんあります(定期テスト5回、実力テスト4回、復習テスト1回)が、きちんと勉強しておけば多分大丈夫です。1年生の皆さんも今の勉強を頑張って次の学年でも是非頑張ってもらいたいと思います。勉強とクラブを両立して欲しいと思いますし、今までも多くの先輩達が成功させてきた伝統ある行事をこれからもしっかりと受け継いで欲しいです。

 もう少しで公立後期入試がありますが、僕は受験するので必死に頑張っています。勉強したことを入試本番で全部出したいです。高校に合格したら将来したい夢に向かって頑張りたいと思うし、高校でも何か部活動をしたいと思います。

 最後に3年間ずっと1組だったけれど、今のクラスは全員の仲が良く助け合って頑張ってきました。今までのどのクラスよりも良いクラスだったと思います。あと少しで中学校を卒業します。もうこの仲間達とは会えなくなります。でも高校に行けば、また新しい仲間達に出会えます。そこで出会った新しい友達とも一生の友達になりたいです。(長文のため一部カットしました)