教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

苦労を苦労と思わず

2006年04月30日 | 出会った子どもたち
「ムッチャ恥ずかしいわ。みんな私の弁当を見て笑わんといてね。」D子の明るい声が響いた。弁当箱の中身は焼きめしの上に焼きそばがのっているだけだった。

修学旅行一日目の昼食は、各自が持ってきた弁当である。朝早いにもかかわらず、みんなの弁当箱にはごちそうが詰まっていた。しかしD子はその日も自分で詰めた弁当を持ってきていた。

D子の父親は、私と同じ中学の出身であることが懇談の時にわかった。そのことを知った瞬間に30年ほど前の古い記憶が、一気によみがえった。全校朝礼が終わり校舎に入るとき、いつも列から遅れて不自由な足を引きずっていた生徒が一つ下の学年にいた。そのときの小柄な生徒がD子の父親になっていた。D子の一つ違いの妹が生まれた直後に母親は家を出た。それから父親と妹の3人の生活が続いていた。家事は徐々にD子の肩にかかっていった。

学習は得意とは言えなかったが、運動は何をしても上手く、D子はいつも体育委員をかってでた。歩くのが苦手だった父親は、D子がどんなスポーツをしても活躍することを心から喜んでいた。しかし何よりもすごかったのは、自分の苦労を笑い飛ばす強さと明るさをD子が身につけていたことである。

修学旅行の日に自分で弁当を作ってきた生徒は、私のクラスに3人いた。その中には「最後の懇談」で紹介したC子もいた。学年会議で修学旅行当日の昼食を弁当と決めたとき、私はうかつにも自分のクラスのC子やD子の弁当を誰が作るのか、考えていなかった。D子の弁当を見たとき、私は自分の不覚を恥じた。しかしD子は、そんな私の後悔を吹き飛ばすように、明るく友人の輪の中で弁当を、食べていた。

それから数年が過ぎ、D子の結婚式に招かれた私は、主賓のスピーチをする羽目になった。メインは修学旅行の弁当の話。苦労を苦労とも思わず、いつも前向きに生きてきたD子は、きっと幸せを築いていくにちがいない。。

「人を外見で判断する」ということ

2006年04月29日 | 生活指導
中学3年の担任をしていたときの懇談の一場面です。ある高校の見学会への参加をすすめたところ、こんな返事が返ってきました。生徒「○○高校って、アホばっかしなんやろ。オレ、あんな高校に行きたくないわ。」私「○○高校のことを誰がアホやと言うてた。」生徒「みんな言うてる。先生も知ってるやろ、髪の毛は茶色で不良ばっかりや。」私「夏休みのお前と一緒や。」生徒「オレは、ちゃんと黒くした。」私「中学卒業したら、どうする。」生徒「茶色にする。」

自分は髪の毛を茶色にしたい。しかし、自分のいく高校が茶髪の生徒ばかりではいやだ、というわけです。他人に対しては人を外見で判断し、茶髪=アホ=不良というレッテルをはるのに、自分が髪を染めたときには「外見で判断してほしくない」という身勝手さには驚かされます。

服装や髪型の自由化が困難なのは、私たち大人の頭が古いだけでなく、中学生の皆さんの中にも、「外見で人を判断する」という物の見方があるからだと思います。

夜のコンビニ

2006年04月28日 | 短歌・詩
交わされる言葉一つもない世界 夜のコンビニ寂しさが増す    高校1年

私が学生時代に流行った本に『群集の中の孤独』というものがありました。誰もいないから孤独なのではなく、たくさんの人がいるのに、その誰ともつながっていないことを自覚することが孤独を感じさせるのだと思います。

職住同一の個人商店は、地域や人とのつながりが密接でした。深夜、コンビニの雑誌売り場で、一列になって立ち読みをする人たち。10cmと離れてはいないのに、それぞれの心は遠くにあります。マニュアル化された店員の言葉は、コミュニケーションというよりは、経済行為のひとつに思えるのです。

くせ字が懐かしく

2006年04月27日 | 短歌・詩
無機質なメールの文字は冷たくて 君のくせ字が懐かしくなる  高校2年

メールに対する感覚は、世代によって異なると思います。しかし、いくら絵文字を駆使しても、気持ちが通じ合うという点では、手書きに勝るものはないと思うのです。くせ字すら、いや「君」のくせ字だからこそ、懐かしくなるのです。


つながる気がする

2006年04月26日 | 短歌・詩
父はもうこの世にいないと知ってても つながる気がする携帯電話 高校1年

JRの事故現場に駆けつけた救急隊員が車内で聞いたのは、安否を気遣う家族からの鳴りやまぬコールだったと報道されていました。遺された家族にとって携帯電話の向こうにはいつまでも逝ってしまった人がいるのではないでしょうか。若者と携帯といえば、遊びや恋を考えがちですが、携帯電話の向こうに家族の面影を抱いている場合もあるのでしょう。



岐阜県中学2年生殺害事件を考える

2006年04月25日 | 子どもの事件
13歳という若い命が犠牲となる事件が起こりました。容疑者として逮捕された人物は15歳の高校1年生。事件の詳細は不明ですが、私が気になったのは以下の4点です。

①殺害された場所が廃屋となっている建物であったこと②そこで会うことをあらかじめ携帯電話で約束していたこと③殺害したとされる相手が交際相手であったこと④殺害された少女はパソコンに詳しく自分のブログを持っていたこと、がそうです。

まず①の廃屋です。この東町中校区には廃屋はありませんが、建替えを前にして入居者が少なくなった集合住宅があります。24日に私と中学校の校長とで巡視をしてみましたが、今のところ気になる様子は見られませんでした。他にもエレベーター横の階段スペースや屋上への通路など、大人たちから死角となる空間は私たちの身近にあります。もしも気になる場所があれば、各学校にお知らせください。

 ②・④は、新しい情報通信機器の存在が、この事件にも関わりを見せていることです。携帯電話で連絡をとり夜中に度々家を抜け出していたこと。ブログに友人関係や家族関係の悩みを綴っており、その書き込みは事件当日まで続いていたことが報道されています。「家族がわかんない」「私がじゃまなんでしょ?だったらでていくよ。どぉしよう」と記述された心の揺れは、年上の少年への憧れを強める一因になっていたのかもしれません。

 ③の問題は、「かけはし」5号で紹介した「思春期の危機をどう見るか」の本の記述にもあるように、攻撃の矛先が身近な者に向けられる昨今の事件に共通したものです。奇しくも24日の新聞には、母の遺体を切断し埋めたという37歳男性の記事が載っていました。身近な関係が急激に壊れ、気がつくと敵対関係になっている、そんな状況が続いているのかと考えさせられました。

 これら4点を考えると、この事件は遠い中学校の事件だと私には思えないのです。

ヒトゲノム

2006年04月24日 | 短歌・詩
ヒトゲノム解明後は応用だ 自由な僕を手にいれるため 養護学校中等部2年

養護学校に通う生徒の中にはクローン技術の進歩を切実に願う子どもたちがいるだろうと思います。中学校で障害児学級を担当していた同僚は、言葉の無かった生徒が自分に話しかけてくれうれしかったのが起きてみて夢だと分かり、涙が止まらなかったと話してくれました。

再生医療という分野があります。開発されたクローン技術が正しく使われるなら、私たちは少し幸せになれる気がします。正月をはさんで韓国ソウル大黄教授の「クローン・ES細胞作製」が捏造であったとの報道が流れました。この報道に一番傷ついたのは、この短歌の作者だったのかもしれません。

携帯電話で広がった十代の性非行、その対策③ 下田博次教授

2006年04月23日 | 携帯・ネット社会
3.大人親たちのためのメディア教育の必要性
もう五年も前の話だが「インターネットがなぜ米国で生まれ発展したのか解説してほしい」と言われ、静岡県まで出かけたことがある。話が終わって質問が出た。「あなたはインターネットは、人を信じる善意のメディア、社会を良くするメディアだというが、私はそうは思えない。たとえば高校に入った孫に、これを使わせたいと思わない。子供に見せたくないものがいっぱい出てくる。この現状をどう思うか」。質問者は七十歳の老人だった。私は「同感です」といいました。それはともかく、これから携帯電話を中心としたITの一層の進化のなかで、強力なツールを与える親、保護者の責任が徐々に問われていくのではないか。しかし現状ではこのことを深く考える大人、親は少ないように思う。 

まず第一に高価な玩具と私が呼ぶ携帯電話を買い与える親の意識が低い。1999年以降、今や日本の10代の子供、とりわけ高校生のほとんどが携帯電話を所有している。おそろしいほど急激な普及だ。このように、親たちが競って携帯を買い与える理由としては「子供にせがまれるから」がトップに挙げられる。使用料金からみて、毎月のお小使いをはるかに越える高価な玩具(毎月の高額な携帯代を払うためには援交する子もいるほど)で、子供たち自身が「携帯は勉強に役立つメディアではない。パソコンからのインターネット利用とは違う」と言い切っているメディアを、考えもなしに与えている。それどころか、生徒指導で教師がやむを得ずケータイを取り上げると「子供がかわいそうだ」と怒鳴り込む親がいるし、その親をとがめる空気もない。流行には勝てない、という国なのか。 

しかしネットは自己責任の世界だから最後は親の責任が問われるだろう。現実にも最近は大人たちも、現実に起きる事件(最近ではネット詐欺や悪質商法被害も)から、子供たちの携帯電話利用問題を解決しなければいけないと考えるようになってきた。しかしいまだに問題の根本解決への糸口が見えない。どうすればよいのか。私の考えでは、まず大人や親が子供たちの携帯電話を「メディア教育という観点」からあらためて眺め直すことが必要だと思う。つまり良くも悪くも強力な力を持つメディアを、自分の為になるように使いこなす能力を子供たちにつけさせる教育である。そのためにはケータイというメディアを、大人がもっと深く理解する必要がある。たとえばケータイの小ささである。小さいから便利だという反面、その画面の小ささが問題という認識が無い。ケータイ画面は、無駄話や遊びにむくが基本的に他の人とのまともな情報を共有することができないのだ。モバイルの利便性からすれば、画面が小さい方が良い。しかし子供たちの利用では、それが問題となる。 

そうした知識を含め、最近は少数だが問題意識を持つ親たちも出てきて、各地のPTAが「もっとインターネット、ケータイの勉強したい。実情を知りたい」と言い出した。昨年は、群馬県以外でも長野県、兵庫県や神奈川県、石川県の学校や消費者センターなどで講演した。学校では対応できないケータイというメディアの教育に「家庭、地域の責任を意識しはじめた動き」と、私はみている。 

地域によっては、話を聞くだけでなく、講演で知ったことをどのように他にも知らせていくかとか、「子供にどう話しかけていけばよいか」というテーマでワークショップも行われ、手作りのチラシやパンフレットから学校新聞まで作るようになってきた。この国は、まだバランス感覚を失っていない、地域社会も回復力を持っているという期待も少しは出てきた。 

半年くらいは、私が一人で話してまわっていたが、最近では私だけでなく、他に5人ほどがキッズ・セーフ・インストラクターとして活動するようになった。さらに、今年からは群馬県庁の支援を受けインストラクターの人数が倍増する見込みである。大人・親向けのセミナー、講演の内容は携帯電話の機能の解説から始まり、携帯電話を使った10代の子供達の非行や、犯罪被害など実態の説明をした後、対策編として家庭で使用ルールを作ること、地域社会で親同士の勉強会を作り、互いに情報交換などをするよう提案をして終わる。 

このような動きのなかでひとつ気になるのは、家庭のなかでの父親の役割である。インターネット、携帯電話をビジネスのなかで使いこなしているのは、男たちである。母親より父親のほうが、メディアの裏も表も熟知しているのではなかろうか。父親は、インターネットのなかの大人の世界を知っている。その実態を知れば、わが子、地域の子らにどう注意すればよいのかわかるのではないかと思うのだが、父親たちの動きはまだ鈍い。

携帯電話で広がった十代の性非行、その対策②~下田博次教授

2006年04月22日 | 携帯・ネット社会
2.教えなければならないリスク 
匿名のネット上では子どもは大人と対等に渡り合おうとするいわゆる出会い系サイトを利用した援助交際では子供が被害者とされるが、むしろ新しいメディアの力を使った子供の側からの積極的な仕掛ける力の方が印象的であった。彼らは積極的に発信(書き込み)をし、ネット上で幼児退行した大人を振り回していることが、私にも理解できた。いわば確信犯である。実際にラジオに係わった女子高生たちは「ネットの中では、大人も子供もない。馬鹿な大人がこんなに多いかと咢』と言ってのけたのである。

昨年末に警察庁が出会い系サイトの利用を規制すると言い出したときも、子供たちは当然と受け止めていた。この件をティーンズ・エクスプレスでトークしたとき、彼女たちは「私たちはだまされたのではない」と言い切った。これまで被害者とされてきた子供たちを罰するという大転換に「児童を罰するべきではない」という反対の声も出るなど、異論百出だった。私も求められて新聞に「ネットで援助交際を自ら求める少女には、これは悪いことだと説諭する意味での罰則適用もやむをえない」というコメントを出した。但し「少女を罰する前に、まず少女を買う大人と子供の最終責任者である親の罪、責任をもっと重く問うべきだし、すべき」と述べた。少女売春が発覚したとき、少女たちの親が「ウチの子は被害者だ」といってすませるのは道理が通らない。それにインターネットの中での付き合いでは、大人も子供も対等なのだ。この私の意見もティーンズ・エクスプレスで話し合いの材料になったが、大学生や高校生たちから反発されることはなかった。それよりも子供たちが「このような法律ができても実効性は無いと思う」というセリフを堂々と口にしたことのほうが驚きだった。 

援助交際相手を募る行為を罰する目的の法案(通称・出会い系サイト被害防止法)は、その後参議院本会議で可決、成立した。しかしインターネットの世界を知っている者なら、表現など書き込み方を少し変えたり、隠語、符牒を使う、あるいはゲームサイトなど他のルートで出会い場所もできる。ネットの死角を発見する彼らからすれば、監視の網をすり抜ける手をあれこれ考え出す可能性は高い。なにより、この法律で厳罰になると知った子供たちは、これまでのように素直に売春の実態を説明しなくなるだろうし、それで実質的に得をするのは少女たちの性を買う大人のほうかもしれない。 

実際に子供たちに言わせれば「こどもの性を買う大人が悪い」のである。このセリフを、子供の身勝手と言い切り彼らだけを責めることは、私にはできない。それよりも、子供たちには売春はじめIT非行のリスクをきちんと教えるべきだろう。例えば、中学生のときに援助交際していたという女子高生たちが、FM群馬の番組に出演して、こんなことを言っている。 

「あのときは何も考えていなかったけれど、私たちは今考えると危ないことをしていたんだなあ、と思う。性病にも暴力にも会わないですんでラッキーだった」ついでに言えば、彼女らは「親にばれなかった」こともラッキーのひとつに挙げている。ついでに言えば、ラッキーだったというこの少女は、高校に入ってから風俗のアルバイトをするようになった。これもひと昔なら考えられなかった現実だ。もう大人は誰も驚かなくなったのか。そして、このような実態のなかで若者たちのエイズや10代の性病がひろがっていく……。

現実にも少女たちは、携帯でのチャットから、深く考えることなくホテルに直行して性感染症や暴力などリスクを体験してしまう。子供たちに与えた超メディアの危険性やエイズなど性感染の危険防止を教えることなく、いたずらに「コンドームの使い方などとんでもない」といきまくのは今や時代錯誤と思える。それにしても、よく考えれば、とんでもない時代ではないか。小中学生など幼い子供たちの売春行為を可能にするインターネット、ケータイというメディアの普及に当惑がひろがってもいいはずが、社会的感受性は鈍いように思える。

携帯電話で広がった十代の性非行、その対策① 下田博次教授

2006年04月21日 | 携帯・ネット社会
大阪府教育委員会が主催した情報教育研修会の中で、携帯電話が青少年に与えた影響についてのお話がありました。講師は群馬大学社会情報学部大学院の下田博次教授です。講演の趣旨が、東京都消費者センターが発行する『私たちは消費者』に掲載されていました。同センターの了解をいただき3回にわたって『かけはし』に転載させていただきます。衝撃的な内容も含みますが、貴重な内容ですのでご一読下さい。

携帯電話で広がった十代の性非行、その対策①《1.携帯電話で広がった援助交際》
90年代中頃より、米国で問題になったコンタクトと呼ばれるインターネットのメディア機能がある。メディアといえば通常は、伝える技術あるいは力を思い浮かべるが、コンタクトは「人と人を結び付けるメディアの力」を意味する。それも見知らぬ人間同士を結び付け、関係付けるメディアの力なのだ。インターネットを生み出した米国では、このコンタクトのメディア機能が未成年の子供たちにおよぼす悪影響について関心が広がった。

米国のメディアは家庭に向けて「子供部屋のパソコンから、貴方のお子さんに悪い大人の魔の手が伸びていますよ。インターネットのコンタクトにご注意」という警鐘をならしているのだ。日本でも同じようにインターネットの負の力が子供におよんでいる。それも親の管理がパソコンより難しい携帯電話(インターネット接続型ウェブフォン)から、子供たちにコンタクト機能を利用した魔の手が伸びている。しかしこの現実について効果的な解説や警鐘を鳴らすマスコミ報道は、皆無にちかい。ニュースとして、ただ事件だけが断片的に報道されているに過ぎない。 

今やインターネット端末と化したパーソナル・メディア携帯電話(ウェブフォン)は、いわゆる援助交際のための出会い情報をはじめ非行や犯罪に直接、間接にかかわる多様な情報を子供たちに向けて直接発信するようになってきたのである。それを知れば携帯電話を、便利で面白い装置などともてはやすだけではすまないはずだ。実際にインターネット接続型の携帯電話が市場に現れた1999年という早い時点で、総務庁が行った高校生のパーソナル・メディア利用実態調査でも、携帯電話の厄介な側面がわかっていた。

「青少年と携帯電話等に関する調査研究報告書」と題された総務庁の、その調査報告書は、携帯電話(ウェブフォン)を持ち始めた高校生(携帯所有群)と未だ所有していない高校生(非所有群)とを比較して、およそ次のような報告をしていた。 

「新型携帯の所有群は非所有群に比べ、茶髪やピアスなど若者文化やセックス、テレクラ、万引き、バイク盗など非行・逸脱行為の経験が高い。新型携帯の所有群は所有のメリットを異性関係の拡大にみている。携帯を与えた親は、子供の生活慣習が大きく変化するとともに子供の行動や友人関係が見えなくなる。あるいは浪費癖がつくようになる等不安を持つようになる。」 

ある意味、新型電話機にいち早く飛びついた高校生たちは、便利で面白い携帯電話のメディア特性をズバリ見抜いていたのだ。一方、親や大人は最新の技術を実現した便利な通話メディアという認識だった。つまり単なるテクノロジー礼賛の域を出なかった。このことは2002年に私が地元群馬の放送局で、携帯所有の第1期生とも言うべき大学生や高校生らと「インターネット、携帯の流行を考える番組」を制作したときにはっきり確かめられた。 

たぶん全国でもはじめての試みと思うが、私の研究室では昨年4月より1年間、地元のFM放送局(FM群馬)の依頼を受け、大学生、高校生によるラジオ番組制作を続けた。スポンサーは群馬県青少年こども課で、目的はインターネット時代の少年非行対策である。 IT時代の子育ては単にお説教ではすまない。子供自身が、現代メディア環境のリスクを客観的に捉え直し「して良いことと悪いことを自覚」させるようにするほうがよい。上からの押し付け倫理や道徳ではなく、主体的なメディア教育が日本でもいよいよ必要になってくる。 そういう考えで始まった番組(ティーンズ・エクスプレス)では、大学生や高校生たちが放送スタッフとなり同世代のネット利用実態について意欲的な掘り出しを始め、仕掛人の私自身がときに圧倒される取材をもやってのけた。 

たとえばそのひとつが、昨年夏にJR高崎駅前で行った援助交際実態取材だった。この取材では短時間に次々と援交経験者の声が採れて驚いた。その一連の取材では、いわゆる援交の目的や方法などが具体的に浮かび上がり、放送された一部の少女たちの生の声が地域社会に衝撃を与えた。 

放送できなかった部分にも、考えるベき材料は詰まっていた。例えば女子高の生徒たちが携帯電話を使った売春サークルを作り先輩から後輩にノウハウが引き継がれるという実態もわかった。また我々が接触した援交少女たちの一人に、家出中の子がいた。彼女は友達の家に泊まりながら生活費を稼ぐ目的で援助交際をしていたのだ。最近プチ家出という言葉がよく聞かれるが、家出と少女売春のつながりに私は初めて注目させられた。しかし大人は知らないだけで、このケースは珍しくもないようだ。群馬県では、その後に家出少女による移動売春とも言うべき事件が起きた。この少女は家出して行く先々での宿泊代や食事代を稼ぐために携帯電話から出会い系サイトにアクセスし売春相手を見つけていた。調べにあたり彼女は「携帯なら何処に行っても、すぐ簡単に相手が見つかる」と語っている。携帯電話を持たせた親の方は、勿論そんな使われ方をされているとは知らなかった。 親は持たせて安心な移動電話機とみているが、子供たちはコンタクトができる便利なコンピュータ装置と正確にとらえて使っている。子供たちにとって携帯電話は援交に必須のツールとなったのである。(続く)

授業のお礼に感動する中学校職員

2006年04月20日 | 学校の話題
中学1年の授業から帰ってきた先生たちが「礼儀正しい一年生やなあ。授業の終わりに‶ありがとうございました″と言ってくれる。」と話していました。私も昨年度に初めて小学校で授業をしたとき終わりに「ありがとうございました」と礼をされ戸惑いました。でもすぐに私自身も、授業の始めには「おはようございます。」授業の終わりには「ありがとうございました。」と返事することができるようになりました。小学校でせっかく身につけた素敵な習慣です。中学校でも大切にしたいと思います。

なにもかもを壊したい   

2006年04月19日 | 短歌・詩
目に映るなにもかもを壊したい   自分を変えたい旅に行きたい 高校三年

すべてが気に食わず、周りにあたり散らし、最後に一番壊したいものは今の自分自身だと気がつく。旅によって日常生活を断ち切り、何かを吹っ切りたい。そんな一人旅への憧れを抱くのもこのころからだったと思います。数年前、四国のお遍路さんがブームとなりました。旅により何かを見つけたいという思いは、松尾芭蕉だけでなく現代人に引き継がれているのだと思います。

「思春期の危機をどう見るか」岩波新書 尾木直樹著

2006年04月18日 | 本と映画の紹介
著者の尾木直樹さんは、長年学校現場で働いた経験をもとに教育評論活動を精力的に行っておられます。「普通の子」がおこす凶悪犯罪、虐待、誘拐、ネット依存、学力格差の拡大などの事例を考えながら、子どもたちの世界に何がおこっているのかを解明し、教育の問題点を明らかにしようとしたのがこの本です。
 
「非行のステップ」という言葉があります。中学校の生徒指導では、遅刻数が増える→変形服を着用し頭髪を染める→喫煙する→夜遊びが重なる→暴力事件を起こすといった非行のステップを常に意識しながら指導を行ってきました。大きな事件が起きるまでには、様々なサインが子どもから発せられており、そのサインを見過ごさず対応していくことが生徒指導の基本となっていました。しかし長崎の同級生殺人事件をみてもわかるように、それまで何の非行もなかった子どもが急に殺人事件を起こしてしまうという事例が後を絶ちません。これは神戸の酒鬼薔薇連続殺人事件以降の大きな特徴です。

尾木さんは少年事件の新しい傾向として①成績優秀な子どもが突然凶悪事件を起こす、②攻撃の矛先が身近な家族に向けられる、③少年たちの事件が残忍で異常であるにもかかわらず精神鑑定の結果は「正常」つまり「ふつうの子」という結論が下されていることをあげています。

「ふつうの子」がふつうに育つか「殺人者」になるのか、その違いはどこから発生するのかという謎を解く手がかりとして、ぜひご一読くださることをお勧めします。本体価格780円です。

思い出はふくらむしぼむ

2006年04月17日 | 短歌・詩
君に会い君にさよなら思い出は ふくらむしぼむ朝顔の花    (高校2年)

朝顔の花がふくらむころに君に会い、しぼんでいくころにさようならをする。まるで私の気持ちを知るかのように、ふくらみしぼむ朝顔の花。「おはよう」「さようなら」この短いフレーズにどれだけの思いを込めたことでしょうか。また君の口調のわずかな違いに、どれだけ一喜一憂しただろうか。素敵な恋を通して、人は物事を深く考えるようになるのだと思います。

同じ名の地

2006年04月16日 | 短歌・詩
地図帳にこっそり引いたマーカーペン  同じ名の地に君を重ねて 高校2年

あの人と同じ名の地名を見ただけでドキドキする。地図帳にもこんな楽しみ方があるのです。

私たちの姓は苗字と呼ばれるように、その田んぼのあった地名に由来しているケースが多くあります。そのため、たいていの人名は、地名の中にあります。みなさんも自分の苗字が地図帳に載っているか、探してみてください。

「平成の大合併」に多くの昔ながらの地名が消え去っていくのは、寂しいかぎりです。私たちの東町には「深谷」、北町には「樫ノ木」という地名があったのですが、ニュータウン開発の際に、消え去りました。古い地名が東西南北のように記号化されたり、「けやき台」「ロマンチック街道」のような商業ベースで考え出したような名前に変わっていっては、地図帳で気になる人の名前を探すこともできなくなると心配します。