教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

携帯電話事件~自殺系サイトで教え子は殺された

2008年05月30日 | 携帯・ネット社会
 政府の教育再生懇談会は5月17日の会合で、子どもを有害情報から守るため小中学生に携帯電話を持たせるべきではないとの内容を今月末にまとめる第1次報告に盛り込むことで一致しました。携帯電話は『電話』という名称をつけられていますが、実際はインターネットを通じて世界とつながっている超小型パソコンです。「友だちの友だちがアルカイダ」と語った法務大臣がいますが、携帯電話の向こうに善意の人ばかりがいるとは限りません。私が3年前に経験した事件を再度『かけはし』に掲載します。携帯電話の持つ危険性について家庭で話し合って欲しいと思います。

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 8月に入って間もない頃である。土曜夕方のニュースでテレビを見ていると、聞き覚えのある名前が流れた。H子26歳(後日25歳に訂正された)。インターネットの『自殺系サイト』で知り合った男に殺されていた。
              
 H子が中学3年生のとき、私は進路指導を担当していた。直接授業を担当したことはなかったが、兄を教えていたこともあり、いつも頭の隅で気にしていた生徒の一人だった。卒業して10年以上もたつのに、記憶の中からフルネームで名前が出てきた。ニュースで流れた名前と同じである。偶然の一致、同姓同名なのか。それとも・・・。居ても立ってもおられず、当時の担任に連絡をとってみた。

 やはりそうだった。担任であった彼は、すでに6月に、H子の身
元確認に協力してほしいという依頼を警察から受けていたのだ。
             
 その後まもなく、この殺人事件の犠牲者はH子だけにとどまらず、
男子大学生と男子中学生の3人に増え、『自殺サイト』を利用した連
続殺人事件として、連日大きく報道された。
              
 私が『自殺サイト』という存在を知ったのは、2002年のことである。当時中学1年生の、ある女子生徒から教えられた。学校ではおとなしく物静かだった彼女は、帰宅後は携帯電話で自分のブログを作成し、そこに自らの「生と死」への激しい感情をぶつけていた。彼女は、死のイメージを探るため、頻繁に『自殺サイト』を閲覧していた。その後、『自殺サイト』を利用した集団自殺が全国に広がり、こういったサイトの存在が、にわかに脚光を浴びることになった。

 しかし今回逮捕された男性は、生と死の狭間で悩み苦しんでいたのではなく、「相手の苦しむ姿を見たかっただけで自分は自殺など考えたこともない。」と語っているという。警察は「自殺幇助(ほうじょ)」ではなく「殺人事件」としてこの事件を扱っている。「自殺」という絶望的な死を選択し、悩み苦しんでいる人に寄り添うようなふりをしながら、犯人はH子に近づいてきたのだ。そんな男をH子は、共に死ねる相手として選んでしまったのであると思うと悲しみと怒りが湧いてくる。

 インターネットを通じ、パソコンや携帯電話が世界とつながり、瞬時に必要な情報を手に入れることができるようになった。どんな百科事典であっても、足元にも及ばない膨大な情報量と欲望を掻き立てる魅力的な品が、そこにある。しかしだからといって私たちが世間と渡り合える力を持っているとは限らない。

 子どもたちへの携帯電話の普及は広がる一方である。怪しげなチェーンメールや出会い系サイトからの迷惑メールも続いている。しかしインターネットのあふれる情報の前に、子どもたちの力はあまりにも非力である。長崎での小学校6年生による同級生殺害事件も、メールでのやりとりがきっかけで、仲の良いと思われていた友人関係が一気に崩れ、悲劇的な結末にたどり着いてしまったのである。

 携帯電話やインターネットと子どもたちの係わり方は、各家庭によって大きく異なります。だからこそ、このような事件が報道されるたびに、親子でネット社会の危険な落とし穴について、話し合う必要があると思われます。もし仮に携帯電話を持たせる必要がある場合でも、①家族や親戚、学校など必要な電話番号は、あらかじめ登録しておき、知らない番号からの電話には出ない。②付属しているさまざまな機能は、つけない。メール機能についても本当に必要なのか、どんな場合に必要なのか、それはメールでしかできないことなのか検討する。③子どもに渡しっぱなしにせず、親が管理し(親名義のはず)必要な時間帯に手渡すなどの工夫も必要だと思います。(「かけはし」2005年9月1日号より)

携帯電話で広がった十代の性非行、その対策③ 下田博次教授

2006年04月23日 | 携帯・ネット社会
3.大人親たちのためのメディア教育の必要性
もう五年も前の話だが「インターネットがなぜ米国で生まれ発展したのか解説してほしい」と言われ、静岡県まで出かけたことがある。話が終わって質問が出た。「あなたはインターネットは、人を信じる善意のメディア、社会を良くするメディアだというが、私はそうは思えない。たとえば高校に入った孫に、これを使わせたいと思わない。子供に見せたくないものがいっぱい出てくる。この現状をどう思うか」。質問者は七十歳の老人だった。私は「同感です」といいました。それはともかく、これから携帯電話を中心としたITの一層の進化のなかで、強力なツールを与える親、保護者の責任が徐々に問われていくのではないか。しかし現状ではこのことを深く考える大人、親は少ないように思う。 

まず第一に高価な玩具と私が呼ぶ携帯電話を買い与える親の意識が低い。1999年以降、今や日本の10代の子供、とりわけ高校生のほとんどが携帯電話を所有している。おそろしいほど急激な普及だ。このように、親たちが競って携帯を買い与える理由としては「子供にせがまれるから」がトップに挙げられる。使用料金からみて、毎月のお小使いをはるかに越える高価な玩具(毎月の高額な携帯代を払うためには援交する子もいるほど)で、子供たち自身が「携帯は勉強に役立つメディアではない。パソコンからのインターネット利用とは違う」と言い切っているメディアを、考えもなしに与えている。それどころか、生徒指導で教師がやむを得ずケータイを取り上げると「子供がかわいそうだ」と怒鳴り込む親がいるし、その親をとがめる空気もない。流行には勝てない、という国なのか。 

しかしネットは自己責任の世界だから最後は親の責任が問われるだろう。現実にも最近は大人たちも、現実に起きる事件(最近ではネット詐欺や悪質商法被害も)から、子供たちの携帯電話利用問題を解決しなければいけないと考えるようになってきた。しかしいまだに問題の根本解決への糸口が見えない。どうすればよいのか。私の考えでは、まず大人や親が子供たちの携帯電話を「メディア教育という観点」からあらためて眺め直すことが必要だと思う。つまり良くも悪くも強力な力を持つメディアを、自分の為になるように使いこなす能力を子供たちにつけさせる教育である。そのためにはケータイというメディアを、大人がもっと深く理解する必要がある。たとえばケータイの小ささである。小さいから便利だという反面、その画面の小ささが問題という認識が無い。ケータイ画面は、無駄話や遊びにむくが基本的に他の人とのまともな情報を共有することができないのだ。モバイルの利便性からすれば、画面が小さい方が良い。しかし子供たちの利用では、それが問題となる。 

そうした知識を含め、最近は少数だが問題意識を持つ親たちも出てきて、各地のPTAが「もっとインターネット、ケータイの勉強したい。実情を知りたい」と言い出した。昨年は、群馬県以外でも長野県、兵庫県や神奈川県、石川県の学校や消費者センターなどで講演した。学校では対応できないケータイというメディアの教育に「家庭、地域の責任を意識しはじめた動き」と、私はみている。 

地域によっては、話を聞くだけでなく、講演で知ったことをどのように他にも知らせていくかとか、「子供にどう話しかけていけばよいか」というテーマでワークショップも行われ、手作りのチラシやパンフレットから学校新聞まで作るようになってきた。この国は、まだバランス感覚を失っていない、地域社会も回復力を持っているという期待も少しは出てきた。 

半年くらいは、私が一人で話してまわっていたが、最近では私だけでなく、他に5人ほどがキッズ・セーフ・インストラクターとして活動するようになった。さらに、今年からは群馬県庁の支援を受けインストラクターの人数が倍増する見込みである。大人・親向けのセミナー、講演の内容は携帯電話の機能の解説から始まり、携帯電話を使った10代の子供達の非行や、犯罪被害など実態の説明をした後、対策編として家庭で使用ルールを作ること、地域社会で親同士の勉強会を作り、互いに情報交換などをするよう提案をして終わる。 

このような動きのなかでひとつ気になるのは、家庭のなかでの父親の役割である。インターネット、携帯電話をビジネスのなかで使いこなしているのは、男たちである。母親より父親のほうが、メディアの裏も表も熟知しているのではなかろうか。父親は、インターネットのなかの大人の世界を知っている。その実態を知れば、わが子、地域の子らにどう注意すればよいのかわかるのではないかと思うのだが、父親たちの動きはまだ鈍い。

携帯電話で広がった十代の性非行、その対策②~下田博次教授

2006年04月22日 | 携帯・ネット社会
2.教えなければならないリスク 
匿名のネット上では子どもは大人と対等に渡り合おうとするいわゆる出会い系サイトを利用した援助交際では子供が被害者とされるが、むしろ新しいメディアの力を使った子供の側からの積極的な仕掛ける力の方が印象的であった。彼らは積極的に発信(書き込み)をし、ネット上で幼児退行した大人を振り回していることが、私にも理解できた。いわば確信犯である。実際にラジオに係わった女子高生たちは「ネットの中では、大人も子供もない。馬鹿な大人がこんなに多いかと咢』と言ってのけたのである。

昨年末に警察庁が出会い系サイトの利用を規制すると言い出したときも、子供たちは当然と受け止めていた。この件をティーンズ・エクスプレスでトークしたとき、彼女たちは「私たちはだまされたのではない」と言い切った。これまで被害者とされてきた子供たちを罰するという大転換に「児童を罰するべきではない」という反対の声も出るなど、異論百出だった。私も求められて新聞に「ネットで援助交際を自ら求める少女には、これは悪いことだと説諭する意味での罰則適用もやむをえない」というコメントを出した。但し「少女を罰する前に、まず少女を買う大人と子供の最終責任者である親の罪、責任をもっと重く問うべきだし、すべき」と述べた。少女売春が発覚したとき、少女たちの親が「ウチの子は被害者だ」といってすませるのは道理が通らない。それにインターネットの中での付き合いでは、大人も子供も対等なのだ。この私の意見もティーンズ・エクスプレスで話し合いの材料になったが、大学生や高校生たちから反発されることはなかった。それよりも子供たちが「このような法律ができても実効性は無いと思う」というセリフを堂々と口にしたことのほうが驚きだった。 

援助交際相手を募る行為を罰する目的の法案(通称・出会い系サイト被害防止法)は、その後参議院本会議で可決、成立した。しかしインターネットの世界を知っている者なら、表現など書き込み方を少し変えたり、隠語、符牒を使う、あるいはゲームサイトなど他のルートで出会い場所もできる。ネットの死角を発見する彼らからすれば、監視の網をすり抜ける手をあれこれ考え出す可能性は高い。なにより、この法律で厳罰になると知った子供たちは、これまでのように素直に売春の実態を説明しなくなるだろうし、それで実質的に得をするのは少女たちの性を買う大人のほうかもしれない。 

実際に子供たちに言わせれば「こどもの性を買う大人が悪い」のである。このセリフを、子供の身勝手と言い切り彼らだけを責めることは、私にはできない。それよりも、子供たちには売春はじめIT非行のリスクをきちんと教えるべきだろう。例えば、中学生のときに援助交際していたという女子高生たちが、FM群馬の番組に出演して、こんなことを言っている。 

「あのときは何も考えていなかったけれど、私たちは今考えると危ないことをしていたんだなあ、と思う。性病にも暴力にも会わないですんでラッキーだった」ついでに言えば、彼女らは「親にばれなかった」こともラッキーのひとつに挙げている。ついでに言えば、ラッキーだったというこの少女は、高校に入ってから風俗のアルバイトをするようになった。これもひと昔なら考えられなかった現実だ。もう大人は誰も驚かなくなったのか。そして、このような実態のなかで若者たちのエイズや10代の性病がひろがっていく……。

現実にも少女たちは、携帯でのチャットから、深く考えることなくホテルに直行して性感染症や暴力などリスクを体験してしまう。子供たちに与えた超メディアの危険性やエイズなど性感染の危険防止を教えることなく、いたずらに「コンドームの使い方などとんでもない」といきまくのは今や時代錯誤と思える。それにしても、よく考えれば、とんでもない時代ではないか。小中学生など幼い子供たちの売春行為を可能にするインターネット、ケータイというメディアの普及に当惑がひろがってもいいはずが、社会的感受性は鈍いように思える。

携帯電話で広がった十代の性非行、その対策① 下田博次教授

2006年04月21日 | 携帯・ネット社会
大阪府教育委員会が主催した情報教育研修会の中で、携帯電話が青少年に与えた影響についてのお話がありました。講師は群馬大学社会情報学部大学院の下田博次教授です。講演の趣旨が、東京都消費者センターが発行する『私たちは消費者』に掲載されていました。同センターの了解をいただき3回にわたって『かけはし』に転載させていただきます。衝撃的な内容も含みますが、貴重な内容ですのでご一読下さい。

携帯電話で広がった十代の性非行、その対策①《1.携帯電話で広がった援助交際》
90年代中頃より、米国で問題になったコンタクトと呼ばれるインターネットのメディア機能がある。メディアといえば通常は、伝える技術あるいは力を思い浮かべるが、コンタクトは「人と人を結び付けるメディアの力」を意味する。それも見知らぬ人間同士を結び付け、関係付けるメディアの力なのだ。インターネットを生み出した米国では、このコンタクトのメディア機能が未成年の子供たちにおよぼす悪影響について関心が広がった。

米国のメディアは家庭に向けて「子供部屋のパソコンから、貴方のお子さんに悪い大人の魔の手が伸びていますよ。インターネットのコンタクトにご注意」という警鐘をならしているのだ。日本でも同じようにインターネットの負の力が子供におよんでいる。それも親の管理がパソコンより難しい携帯電話(インターネット接続型ウェブフォン)から、子供たちにコンタクト機能を利用した魔の手が伸びている。しかしこの現実について効果的な解説や警鐘を鳴らすマスコミ報道は、皆無にちかい。ニュースとして、ただ事件だけが断片的に報道されているに過ぎない。 

今やインターネット端末と化したパーソナル・メディア携帯電話(ウェブフォン)は、いわゆる援助交際のための出会い情報をはじめ非行や犯罪に直接、間接にかかわる多様な情報を子供たちに向けて直接発信するようになってきたのである。それを知れば携帯電話を、便利で面白い装置などともてはやすだけではすまないはずだ。実際にインターネット接続型の携帯電話が市場に現れた1999年という早い時点で、総務庁が行った高校生のパーソナル・メディア利用実態調査でも、携帯電話の厄介な側面がわかっていた。

「青少年と携帯電話等に関する調査研究報告書」と題された総務庁の、その調査報告書は、携帯電話(ウェブフォン)を持ち始めた高校生(携帯所有群)と未だ所有していない高校生(非所有群)とを比較して、およそ次のような報告をしていた。 

「新型携帯の所有群は非所有群に比べ、茶髪やピアスなど若者文化やセックス、テレクラ、万引き、バイク盗など非行・逸脱行為の経験が高い。新型携帯の所有群は所有のメリットを異性関係の拡大にみている。携帯を与えた親は、子供の生活慣習が大きく変化するとともに子供の行動や友人関係が見えなくなる。あるいは浪費癖がつくようになる等不安を持つようになる。」 

ある意味、新型電話機にいち早く飛びついた高校生たちは、便利で面白い携帯電話のメディア特性をズバリ見抜いていたのだ。一方、親や大人は最新の技術を実現した便利な通話メディアという認識だった。つまり単なるテクノロジー礼賛の域を出なかった。このことは2002年に私が地元群馬の放送局で、携帯所有の第1期生とも言うべき大学生や高校生らと「インターネット、携帯の流行を考える番組」を制作したときにはっきり確かめられた。 

たぶん全国でもはじめての試みと思うが、私の研究室では昨年4月より1年間、地元のFM放送局(FM群馬)の依頼を受け、大学生、高校生によるラジオ番組制作を続けた。スポンサーは群馬県青少年こども課で、目的はインターネット時代の少年非行対策である。 IT時代の子育ては単にお説教ではすまない。子供自身が、現代メディア環境のリスクを客観的に捉え直し「して良いことと悪いことを自覚」させるようにするほうがよい。上からの押し付け倫理や道徳ではなく、主体的なメディア教育が日本でもいよいよ必要になってくる。 そういう考えで始まった番組(ティーンズ・エクスプレス)では、大学生や高校生たちが放送スタッフとなり同世代のネット利用実態について意欲的な掘り出しを始め、仕掛人の私自身がときに圧倒される取材をもやってのけた。 

たとえばそのひとつが、昨年夏にJR高崎駅前で行った援助交際実態取材だった。この取材では短時間に次々と援交経験者の声が採れて驚いた。その一連の取材では、いわゆる援交の目的や方法などが具体的に浮かび上がり、放送された一部の少女たちの生の声が地域社会に衝撃を与えた。 

放送できなかった部分にも、考えるベき材料は詰まっていた。例えば女子高の生徒たちが携帯電話を使った売春サークルを作り先輩から後輩にノウハウが引き継がれるという実態もわかった。また我々が接触した援交少女たちの一人に、家出中の子がいた。彼女は友達の家に泊まりながら生活費を稼ぐ目的で援助交際をしていたのだ。最近プチ家出という言葉がよく聞かれるが、家出と少女売春のつながりに私は初めて注目させられた。しかし大人は知らないだけで、このケースは珍しくもないようだ。群馬県では、その後に家出少女による移動売春とも言うべき事件が起きた。この少女は家出して行く先々での宿泊代や食事代を稼ぐために携帯電話から出会い系サイトにアクセスし売春相手を見つけていた。調べにあたり彼女は「携帯なら何処に行っても、すぐ簡単に相手が見つかる」と語っている。携帯電話を持たせた親の方は、勿論そんな使われ方をされているとは知らなかった。 親は持たせて安心な移動電話機とみているが、子供たちはコンタクトができる便利なコンピュータ装置と正確にとらえて使っている。子供たちにとって携帯電話は援交に必須のツールとなったのである。(続く)

何でも相談①小学生1年生に携帯

2006年04月11日 | 携帯・ネット社会
Q:小学校1年です。登下校が心配でGPS機能付き携帯を持たせたいのですが。

A:考えられないような事件が続く中で、子どもの居場所が把握できる携帯を持たせたいというお気持ちはよくわかります。

しかし①機械は事件の予防につながらないこともあります。奈良で殺害された小学生もGPS機能付き携帯を持っていました。川崎市の小学生投げ落とし殺害事件でも防犯ビデオは15階から突き落とされた少年を撮影し続けていましたが命を救ってはくれませんでした。

②さらに携帯を持っているがゆえに巻き込まれる事件も多くあるのです。長崎の同級生殺害事件もメール上のやり取りがエスカレートしての事件でした。九州RKB放送記者の起こした連続強姦事件の犠牲者は、出会い系サイトで呼び出された女子高生でした。高校生が薬物に出会うのも、そのほとんどが携帯電話を通じてであるということが報道されています。携帯電話には大きなリスクが伴うことを知らなければいけません。
  
学校では小学校高学年や中学校技術科の時間に、インターネットの危険と必要なマナーについて学習します。私は携帯電話を持たせることはお勧めできませんが、どうしても持たせる場合は、子どもを犯罪と隣り合わせにさせる可能性もあることもよく理解してください。次号でも携帯電話についてご説明します。(深田)

教え子の死・・自殺サイト殺人事件

2006年03月02日 | 携帯・ネット社会
 8月に入って間もない頃である。土曜夕方のニュースでテレビを見ていると、聞き覚えのある名前が流れた。H子26歳(後日25歳に訂正された)。インターネットの『自殺サイト』で知り合った男に殺されていた。

 H子が中学3年生のとき、私は進路指導を担当していた。直接授業を担当したことはなかったが、兄を教えていたこともあり、いつも頭の隅で気にしていた生徒の一人だった。卒業して10年以上もたつのに、記憶の中からフルネームで名前が出てきた。ニュースで流れた名前と同じである。偶然の一致、同姓同名なのか。それとも・・・。居ても立ってもおられず、当時の担任に連絡をとってみた。
 
 やはりそうだった。担任であった彼は、すでに6月に、H子の身元確認に協力してほしいという依頼を警察から受けていたのだ。

 その後まもなく、この殺人事件の犠牲者はH子だけにとどまらず、男子大学生と男子中学生の3人に増え、『自殺サイト』を利用した連続殺人事件として、連日大きく報道された。

 私が『自殺サイト』という存在を知ったのは、4年前である。当時中学1年生のある女子生徒から教えられた。学校ではおとなしく物静かだった彼女は、帰宅後はパソコンに自分のホームページを作成し、そこに自らの「生と死」への激しい感情をぶつけていた。彼女は、死のイメージを探るため、頻繁に『自殺サイト』を読んでいた。その後、『自殺サイト』を利用した集団自殺が全国に広がり、こういったサイトの存在が、にわかに脚光を浴びることになった。

 しかし、今回逮捕された男性は、生と死の狭間で悩み苦しんでいたのではなく、「相手の苦しむ姿を見たかっただけで、自分は自殺など考えたこともない。」と語っているという。警察は「自殺幇助(ほうじょ)」ではなく「殺人事件」としてこの事件を扱っている。「自殺」という絶望的な死を選択し、悩み苦しんでいる人に寄り添うようなふりをしながら、犯人はH子に近づいてきたのだ。そんな男をH子は、共に死ねる相手として選んでしまったのであると思うと悲しみと怒りが湧いてくる。

 インターネットを通じ、パソコンや携帯電話が世界とつながり、瞬時に必要な情報を手に入れることができるようになった。どんな百科事典であっても、足元にも及ばない膨大な情報量と欲望を掻き立てる魅力的な品が、そこにある。しかしだからといって私たちが世間と渡り合える力を持っているとは限らない。

 子どもたちへの携帯電話の普及は、広がる一方である。知らない番号からの「ワン切り」電話も、怪しげなチェーンメールも続いている。しかしインターネットのあふれる情報の前に、子どもたちの力はあまりにも非力である。長崎での小学校6年生による同級生殺害事件も、メールでのやりとりがきっかけで、仲の良いと思われていた友人関係が一気に崩れ、悲劇的な結末にたどり着いてしまったのである。

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 携帯電話やインターネットと子どもたちの係わり方は、各家庭によって大きく異なります。だからこそ、このような事件が報道されるたびに、親子でネット社会の危険な落とし穴について、話し合う必要があると思われます。もし仮に携帯電話を持たせる必要がある場合でも、①家族や親戚、学校など必要な電話番号は、あらかじめ登録しておき、知らない番号からの電話には出ない。②付属しているさまざまな機能は、つけない。メール機能についても本当に必要なのか、どんな場合に必要なのか、それはメールでしかできないことなのか検討する。③子どもに渡しっぱなしにせず、親が管理し(親名義のはず)必要な時間帯に手渡すなどの工夫も必要だと思います。
(「かけはし」9月1日号より)