教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

中学生世論調査②私の「うれしかったひと言」

2008年01月15日 | 子ども理解
 中学生世論調査の第2弾は、「うれしかったひと言」です。心も身体も大きく成長する時期に中学生がどんな言葉をうれしく感じているのか調査しました。同時に言葉の持つ力についても皆さんと考えればと思います。

激励・支える言葉(やればできる、ずっと友だちなど)52人(25.5%)
感謝の言葉(ありがとう)34(16.7%)
努力を認められる言葉(頑張ってる、部活上達した)25人(12.3%)
挨拶(こんにちは、おめでとうなど) 13人(6.4%)
ほめられた言葉(優しい、カッコいいなど) 11人(5.4%)
約束の言葉(また遊ぼう、こづかいあげるなど) 11人(5.4%)
成長を認められた言葉(大人になった、大きくなったなど)10人(4.9%)
ゲーム機の音声(Good job、ナイスオペレーション) 2人(1.0%)
その他(学級閉鎖、誕生日おめでとうなど)6人(2.9%)
うれしかった言葉なし12人(5.9%)
無回答 28人(13.7%)

《男女共に一番多かったのは激励したり、励ましたりする言葉》
「あんたやったらできる」「やればできる子」という言葉で勇気づけられ「あなたと友だちで良かった」「いつもみかたや」「いやな事困った事があったら相談して」「大丈夫?」という言葉で自分が支えられていることを実感できるのだと思います。なかには「あわてずにしっかり最後までゆっくり時間をかけなさい」と具体的に言ってもらえてうれしかったという感想や、「ベスト出さんかったら後で怒るで」というキツメの言葉がうれしかったという意見もありました。「今年もあなたの笑顔が見られますように」と友人から言ってもらえた人もいましたが、こんな言葉をくれる友人がいることは最高の幸せだと思います。アンケートは1月8日の始業式に配布したため3年生では受験に関する意見が多くありました。「頑張ったら伸びる」「やったらできる」と先生から言われたひと言でやる気になり、「安心して勉強しなさい」という親のひと言で焦りが消え、友人の「合格祈ってる」というひと言や、先輩からの「絶対この高校においで」と言われた言葉が励みになっていると回答が寄せられました。

《次に多かったのは感謝の言葉》
32人の生徒たちが「ありがとう」の言葉をあげていました。「ありがとう」のたった5文字の言葉が、これだけ多くの支持を得ているのだと改めて思いました。「いてくれてありがとう」「よく生まれてくれた」という回答も一つずつありました。深い意味を持つ言葉だと思います。

《3番目に多かったのは自分の努力を認めてくれるひと言》
「よく頑張っている」「成績が上がったね」「部活頑張っているね、うまくなった」などの言葉が頑張っている自分を見てくれているという安心感につながっていると思うのです。「頑張っているところみんなはちゃんとわかっているよ」という親のひと言は、不安を吹き飛ばす魔法の一言だと思います。

《4番目に多いのが挨拶「久しぶり」「こんにちは」》
こんなありふれた言葉が、うれしかったひと言の4位に入っています。「あけましておめでとう」という言葉も6人があげていました。今年は吉永小百合さんからの年賀状が届き、一瞬喜ばれた方も多くおられたと思います。どんなありふれた挨拶でも、それが自分にとって意味のある人からのものであれば喜びにつながるのだと思います。

《以外に少なかったのはほめ言葉》
ほめられるよりも具体的な行動を応援してくれたり努力を認めてくれたほうがうれしいということでしょうか。約束の言葉は11人中4人がお年玉やこづかいをあげるというもので、これは言葉というよりもそれに続く現金が目当てだと考えられます。その他の意見で「つっこみを入れてくれてうれしかった」という意見がありました。『笑いの文化』を大切にする大阪人らしい意見ではないでしょうか。ゲーム機の音声をあげた意見が2人いました。ゲームをクリアーしたときだけに流れる音声なのですが、人の肉声よりもゲーム機の音声の方がうれしいという心のありようを皆さんはどう考えるのでしょうか。

《愚痴やイヤミを言うよりも前向きなひとことを》
小規模校であるがゆえに数人の声により世論調査の結果が左右されるという統計上の問題があります。しかし子育てや教育の中で「言葉の持つ力」はたいへん大きいと考えます。愚痴を言いたくなる気持ちも良く分かりますが、子どもたちを支え、激励するひと言や「ありがとう」と言える「ゆとり」を大人たちが持ち続ける必要があると考えました。
また「うれしかったひと言」を言ってくれた相手は友人が57人で断トツの一位でした。このことは大人だけでなく、いやむしろ中学生の皆さんのひとことひとことが、仲間を励まし勇気づけていることを表しています。みなさんの中でお互いを励まし勇気づけあう関係を更に発展させていくことが必要なのです。





















中学生世論調査①クリスマスプレゼントで欲しい物とプレゼント相手

2007年12月19日 | 子ども理解
 クリスマスやお正月が近づき、子どもたちにとっては楽しい時期がやってきました。(その前に通知票は返るし、中学3年生は進路に向けた厳しい時期を迎えていますが)『かけはし』編集部は中学校各担任の協力を頂き、中学生の意識調査を行いました。

クリスマスプレゼントで欲しい物(3人以上が答えた品物を載せています)
1年男 ゲーム7・サッカー用具6・現金6・CD3
1年女 服6・文房具3
2年男 パソコン4・ゲーム3・楽器3
2年女 服6・現金3・DVD3
3年男 現金5・才能知識3・ゲーム3
3年女 現金5・服3・愛3・時間3

 欲しい物…男子はゲーム、女子は服が各学年ともに多数を占めていました。男子は遊びに女子はお洒落に目がいくというのが、大きな流れなのでしょうか。3年生で男女共に現金がトップになっているというのは、夢が無いとみるのか、進路懇談の中で高校入学金や授業料などお金にまつわる話が飛び交っているので親に心配をかけたくないという優しさの現われとみるべきか、意見が分かれるところだと思います。

 サッカー用具をあげた生徒が1年生で多数いたのも目立ちました。(実は誰に何をプレゼントしたいかとも密接に関係する内容なので後で説明します)2年男子の楽器は、ギターとベースとドラムに分かれ、偶然かもしれませんがバンドができそうでした。

 携帯電話という回答が意外と少なかったのは、既に手に入れているか、あるいは今手にしていない生徒は携帯電話に興味が少ないということなのかと思います。少数意見としては、好きな人の笑顔(2年女子)・和服(3年男子)・島(3年男子)などがありました。学年が上がるにつれて希望品目が拡散している傾向にありました。

プレゼントしたい相手は友人が圧倒的でした。その中で2年生が男女共に姉や妹にプレゼントをしたいと記入しているのも目立ちました。(兄弟は無かった)世界の子どもに平和を、死んだペットに花を、水泳のコーチにキーホルダーなど意見が分かれ小数意見となったものがたくさんありました。友人の中で特徴的なのは、サッカー部の友人や後輩にプレゼントしたいという意見が6人もあったことです。後輩にトロフィーをプレゼントしたいと3年生が書いているのには、グッときました。引退後も後輩の練習相手になるため毎日のようにグランドに出ている3年生を見ている1・2年生には、3年生の熱い想いが伝わっていることと思います。

お母さんに休日をという回答も目立ちました。(残念ながら父親には無し!)お母さんが休む暇も無く働いているのを子どもたちは良く見ているのだと思います。温泉旅行や指輪のプレゼントは無理でも、君が家事をすれば、お母さんに休日を与えることができます。大人になるというのは人が喜ぶ姿を見て自分も幸せになることです。小中学生の皆さんもクリスマスに『与える幸せ』を感じてみてはどうでしょう。

子どもが変わるという確信②~震災に駆けつけた卒業生

2006年10月24日 | 子ども理解
 阪神・淡路大震災から11年がたち、小学校5年生以下の子どもたちは、あの地震のことを知りません。私たちの記憶や体験そして教訓は、時の流れに負けずに伝えられているのかと考えさせられます。

 あのとき私の勤めていた中学校は、大阪府下で最大の避難所となり、体育館には500人を超える地域の方々が寝泊りされていました。そんな状態が3月を迎えようとするまでの1ヶ月以上にわたって続きました。体育館から登校する中学生もいました。当然その中には入学試験を控えた3年生もいました。生徒たちは、家を失った不安を抱えながらも夜遅くまで学校の会議室で勉強をしました。私たち職員も何とか生徒たちを励まそうと一緒に残っていました。

 そんな時、一人の卒業生が私を訪ねてくれました。9年前に卒業したBでした。在学中は学校の生活指導にことごとく反抗した生徒でした。「知ってる先生いうたら、○○先生しかおらへんから。」と言うBは、なんと250食分の缶詰のおかゆをトラックに積んで、差し入れに来てくれたのでした。「今、俺は食品会社に勤めてて、これはウチの商品なんや。社長さんに母校が避難場所になってるって言うたら、これ持って行けと言うてくれはったんや。先生、お弁当の支給があるけど、なかには体調が悪い人もいたはるやろ。これ、食べてもろて。」

 あの乱暴者のBに、こんな優しい一面があったのかと私は感激し、何度も何度もお礼を言いました。私は前任校に16年も勤めることができたため、一時は感情的に怒鳴りあったり、胸ぐらを掴み合った生徒たちと、時間を経ながら和解する機会を与えられました。

 卒業していく彼らの後姿を見て、「こんなままで中学校から送り出していいのだろうか」と不安な気持ちでいっぱいでしたが、その後の社会で立派に鍛えられ、変わっていった姿を見届けることができました。いえ、今になって思うと、在学中も本当は分かっていたのかもしれません。

 Bだってこんなに変わったんだ。(B!ゴメン!)そう思うと、どんなに憎まれ口を言う生徒に対しても、私は期待が持てるのです。

子どもが変わるという確信~教育実習生との再会を通じて

2006年10月20日 | 子ども理解
 小学校に勤める先生と話をしていて気付いたことがあります。小学校に勤めていると自分が受け持った子どもが教育実習生として学校に戻ってくるという経験を積めないということです。卒業させた6年生が教育実習生として戻ってくるまでに約10年の月日がかかります。その前に転勤の時期がきてしまうわけです。

 中学校に勤務していると、それが7年ほどで経験できます。学校現場では、異動の時期が早くなっているといいますが、それでも中学校では教え子が教育実習生として学校に戻ってくるのを経験できる職員は少なくありません。

 教え子を教育実習生として迎えるという経験は、自分の教育実践を振り返るうえで、私にとっては大変大切なものでした。一言で言うと「子どもは変わる」という実感をもつことができるのです。

 その教育実習生は、私が担任として受け持った生徒でした。何事にも卒が無く、学習への取り組む姿勢は申し分ないのですが、いつも同級生の幼い言動を冷ややかな目で見ているような印象が私にはありました。教育実習に来ると聞いたときに、果たして勉強が得意でない子どもの気持ちをくみ取り、励ますことができるのだろうかと心配したほどです。

 しかし、授業を見せてもらい、私の心配は吹き飛びました。質問になかなか答えられない生徒の沈黙を待つ眼差しの優しさ、どれほど的外れな答えであっても、その発言を大切にしながら授業を進めようとする姿勢。素晴らしいものでした。

 授業反省会の席の後、高校・大学を通じ自分がどう変わったのかという説明を聞き、私は納得しました。(どんな話であったかは別の機会でお話しします)それと同時に、自分がいかに子どもの一面しか見られていなかったのかがよくわかりました。私たちは、会議の中で子どもの人物像について語る機会があります。しかし子どもたちはそんな教師を乗り越えて大きく成長し、変わり続けることができるのです。

 子どもは変わる。その事に確信を持つことの大切さを学んだ再開でした。

自尊感情と少年犯罪

2006年09月05日 | 子ども理解
残された人生をだいなしにする少年犯罪
「どうして今の子どもたちは、こんなにもたやすく自分の一生を棒に振ってしまうのだろうか。」徳山高専での同級生殺害事件や北海道での母親殺害事件を念頭においての職員室での会話です。10代で殺人事件を起こした子どもは、そのあとの数十年を「人を殺した重み」を背負って生きていかなければならないのです。それは、自分の一生を破滅させることになるのです。

生徒指導を担当しているときに様々な事件にかかわる子どもと接してきました。その子どもたちに共通していることは、自分を強く見せたいという虚栄心を持ちながらも(虚栄心がない人は少ないと思います)、正しい意味での自尊感情を持っていないことが印象的でした。

自尊感情という倫理観の基礎が崩壊している
「日本人の倫理観は、単に自分の周囲の『人の目』だけでなく、先人たちや恩師たち、そして自分自身に対して恥ずかしいという感覚にも支えられていたのでる。…『人の目』のみを気にするように恥の文化が縮小してしまい、それ故『人の目』が気にならなくなれば何でもやってしまうのが現在の日本人の姿なのではないか。…自分自身に対する自尊感情がある人間ならば、『人の目』がないところでも、何でもやり放題ということにはならない。自尊感情とは自己信頼と言い換えてもいい。自分自身が尊い存在であることを認めている人。尊重されるに足る存在だと感じている人。自己を信頼し自尊心のある人は、『私としたことが恥ずかしい』ということはあまりしないし、してしまったとしても反省する。しかし、自尊感情が低く『自分なんかどうせたいしたことがないんだ』と思っている人は、『人の目』がなくなってしまえばどんなことでもできてしまう。」(『生きる意味』上田紀行著 岩波新書)

国際比較で見られる日本の子どもたちの特徴
少し古い資料ですが、1995年~96年にかけて、世界の6都市(東京、ソウル、北京、ミルウォーキー、オークランド、サンパウロ)で11歳の子どもに対して行った調査結果が『ベネッセ未来教育センター』から発表されました。その調査の設問で、「とてもよく当てはまる」と答えた東京の子どもと海外5都市の子どもの平均値との比較が左下の表です。自分のことを「人気がある」「正直」「親切」といったプラスイメージを持っている子どもの少なさを、どう考えたらよいのでしょうか。「自分はたいしたことのない人間だ」「私の将来もたいしたことがない」11歳の小学生から明るい未来を奪う社会に私たちは住んでいるのです。

私たちは何を始めるのか
間違ってはならないのですが、子どもが大阪大学生であっても、東大寺学園の生徒であっても、それだけでは子どもの一時的な優越感は育っても、自尊感情は育たないのです。子どもたちが自尊感情を抱く一番の出発点は「かけがえのない存在として親から愛されている」という気持ちです。子どもが○○大学に合格したから愛してあげる、そんな親はいないはずです。自分が産まれてきたことを親が無条件で受け入れてくれているという安心感が、子どもの成長のうえで必要なのです。『かけはし』29号で、私は埼玉県プール事故の遺族戸丸さんの手記を掲載しました。亡くなった瑛梨香さんが、ご家族にとってかけがえのない存在であったことが伺え、家族の無念さを思うと涙が流れてきます。子どもが生きているというだけで、どれだけ幸せなことだったのかが、この手記で胸に刻まれます。ぜひ子どもさんとご一緒に、この手記を読んで下さい。

自己イメージについて    
スポーツがうまい子(東京17.7% 海外5都市平均38.8%)
良く勉強ができる子(8.4% 26.2%)
友だちから人気がある子(9.8% 27.8%)
正直な子(12.0% 43.7%)
親切な子(12.3% 44.7%)
よく働く子(14.3% 45.1%)
勇気のある子(19.0% 42.2%)
将来どんな大人になるか
皆から好かれる人になる(10.5% 38.0%)
幸せな家庭をつくる(38.6% 70.1%)
良い父親・母親になる(21.1% 67.7%)
仕事で成功する(20.6% 51.3%)





みんなと来られて心の中で泣いた私

2006年08月30日 | 子ども理解
はじめてクラスのみんなとスキーをしたから楽しかった。みんなと寝て、おふろに入って、ごはんを食べて・・・よかったです。

スキーは面白かった。外国の人といっしょにスキーもできたし、リフトにも乗れたし、本当に楽しかったです。あんまり上達できていないけど、インストラクターの人にほめてもらってうれしかった。「ハの字」が一番むつかしかったです。足が思うように動かなかったから、なかなかできなかったです。2回目のスキー練習で、ようやく「ハの字」ができました。また、インストラクターの人にほめてもらえてうれしかったです。

先生にも「来れてよかったね」って言ってもらえたし、少しみんなと話せたし、楽しい思い出になりました。スキーは私の中で最高のスポーツになりました。バスレクも面白かったし、みんなでやった雪上オリンピックも楽しかったです。こんど家族と一緒に来られたらいいと思います。お母さんやお父さんに教えてあげたいです。あと、みんなでトランプができてうれしかった。はじめてみんなとトランプをしたから、心の中では泣いていました。私もほんとうに来られてよかったと思います。私の中では、一番いい思い出になりました。

あとリフトにゆられて面白かった。一番最初に乗ったときは、ゆれてこわかったです。2回目は、一人用のやつに乗ったから、ビビリました。そして次はもっとこわかったです。はじめて長い距離のリフトに乗りました。2回くらい止まってゆれたから、落ちそうになりました。スキー板をはいていたから、足が重くて落ちそうでした。リフトに一緒に乗った人とも少し会話ができてよかったです。あんまり話したことがなかったから、うれしかったです。

2日目に雪が降って最高によかったです。最後に雪の結晶が見られてよかった。また行きたいです。2年○組 ○○○○
(○○中学校生徒指導部だより『千里馬』102号2000年2月1日発行)

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学校行事に取り組む子どもたちの思いは様々です。学校生活に馴染みにくい子どもたちにとり宿泊行事はみんなとうちとけるチャンスであると同時に、心の中のハードルは、私たちが思う以上に高くそびえています。「心の中で泣いていた」という行(くだり)を眼にしたとき、彼女が大変な決意でこの宿泊行事に望んだことに改めて気づかされました。廊下で待ち伏せし、小さな声で「あの作文、載せてもいい?」とたずねた時、「いいよ」と言ってくれたあのときの笑顔を忘れることができません。

学校生活の中には、数々のドラマがあります。しかしそのドラマは見ようとしないと見えてこないのです。

施設訪問・・水上隣保館はるか学園

2006年03月14日 | 子ども理解
さまざまな理由で親と一緒に暮らせない子どもたちのために作られたのが養護施設です。大阪府が管轄(かんかつ)するものが26施設。それに大阪市が管轄するものを足すと30を超える施設が大阪府下にあります。私が訪れたのは、その中の一つ、三島町にある水上隣保館『はるか学園』(以下『学園』と略します)です。三島町と言ってもピンと来ない人も多いと思いますが、阪急電車で京都に向かう時、左手に山崎のサントリー工場が目に入ります。その工場の近くにキリスト教保育専門学校の看板がかかった赤いとんがり屋根が見えます。この専門学校と同じ敷地、天王山のすそ野に貼り付くようにして『学園』が建っています。

水上隣保館という名前は、この施設が1931年大阪市港区につくられ、水上生活者や港湾労働者(『泥の河』という映画に戦後間もないころの水上生活者の様子が描かれています)の子どもたちを対象にして活動を始めたことに由来します。現在学園には、2~5歳の幼児が56人、小学生が91人中高生が54人の計201人、2歳未満の子どもが過ごす乳児院の26人を加えると227人の子どもたちが共同生活を送っています。入所者の中で、両親ともいない子どもの数は年々減っており、月に何度かは家に帰ることのできる子どもの数が大半になりました。その一方で親から虐待を受けたために保護されてくる子どもの数は急増しています。

天王山の山腹に点々と建つ宿舎に、子どもたちは十数人で一つの寮を形成し、そこに1~2名の指導員さんが共に生活をしています。指導員はすべて住み込みで働き、家族(わが子)も同じ施設で生活します。主任指導員の坂野さんのお話で心に残ったものは、次の二つです。 

「子どもたちが行動で表すことと、心の中に秘めていることは別である」
何度も施設を抜け出し、うわべだけの反省を繰り返す子どものことをルールが守れないヤツとしかとらえられなかった。しかし本当は、会ったこともない母親を見つける手がかりを探しに家出を繰り返していたことが長い指導の中で見えてきた。形だけの指導では、子どもの心にたどり着くことは難しいことを学んできた。

「子どもの出すサインは事件の後に見えてくる」 
大人に対して自分の心のしんどさを表現できる子どもは、たいていは大きな事件を起こさない。大人との距離が遠く、自分を表現しにくい子どもも、本当はどこかで小さなサインを出している。しかしそのサインに気づかず、事件が起こってからあの時のあれが自分へのサインだったと気づかされ、今までに何度も悔しい思いをした。そのサインに気づき子どもたちと一緒にその壁を乗り越えようという姿勢が無くなった時、この仕事をやめなければならないと考えている。 

坂野さんのお話は、子どもたちへの愛情にあふれ、かつ自分自身を厳しく見つめた内容でした。(「東町中学校生徒指導部だより」より)

街角に集まる若者たちを考える

2006年02月23日 | 子ども理解
 水曜日にPTA生活指導委員さんとの懇談会がありました。委員の皆様からは、子どもたちが安全な生活をおくるうえで気になった地域の様子・巡視で気づかれたことを率直に出していただき、その解決について職員も一緒に考えました。皆さんから出された疑問や問題については、懇談会の中で私なりに答えさせていただきましたが、懇談会に参加されていない皆さんのためにご報告します。

 みなさんから出された意見の中で特に考えさせられたのは、「近隣センター」付近にたむろしている若者たちがゴミを散らかして困るので、どうやって注意すればいいのでしょうかという質問でした。

 「近隣センター」に若者がたまっているのは、みなさんもよくご存知と思います。時には深夜・時には早朝から集まっていることもあります。主なメンバーは17歳と19歳の若者たちです。中には身長が160cmに満たない者もいるので、中学生と間違われた方もおられるようですが、小柄な子も17歳なのです。

 実は懇談会のあった日の朝、私は東町中学校に出勤してから小学校に来たのですが、そのとき近隣センター前に卒業生がいるか気になって前を歩いてみました。8時15分頃、近隣センターの街角広場前に3人の卒業生がいました。3人とも(それぞれ北町小・東町3丁目小・南西小出身)17歳で、中学生時代に私が教えた子どもたちです。彼らの足下には、お菓子の包み紙が散乱していました。

 集まっている若者たちは、①仕事や定時制高校に行くまでの時間つぶしをしている者②高校をやめてしまい次の進路を決めていない者の二つに分けられますが、どちらにしてもあの時間に行き場の無い子どもたちです。(中学校の教員の立場から言うと、補習や勉強会に呼び出して高校に入れたのに勝手にやめたから行き場がなくなったんや!という不満はありますが)近隣センターが地域の人々のふれ合いの場になっているのと同じように、寂しがり屋の若者たちも友だちを求めてやってくるのです。一般的に女子の方が新しい環境や友だち関係に適応していく力が強いように思います。いつまでも小中学生時代の遊び場から抜け出せないケースは、圧倒的に男子に多いように思います。このことは、男子の子育ての課題と関連させて別の機会に考えたいと思います。 
 
 私がどのような注意しているのか、お答えします。もしそれが犯罪や危険行為であれば叱ったり、時には警察に通報することもあり得ます。しかしお菓子を食べること自体は犯罪ではないので、地域の皆さんに迷惑をかけることがないよう私は指導しています。具体的には、ゴミを拾えと上から注意をするのではなく、『ほうき』と『ちりとり』を持っていき一緒に掃除をしようと呼びかけます。

 その日の朝も、彼ら3人と街角広場を掃除しました。ゴミをなくすことも大切ですが、彼らが掃除をしている姿を小学生や地域の人たちに見てもらうことも大切だと私は思います。

 時には、「これは俺の出したゴミじゃない」という子もいます。そのときは「○○君の出したゴミやと言ってない。先生はここを綺麗にしたい。君らもここを利用してるんやったら手伝ってほしい。一緒に拾おうと言ってるんや。」と言うと、掃除をいやがる子はいませんでした。どう注意をするかというより、どう一緒にゴミを拾わすか工夫してみると、うまく声をかけられると思います。声をかけるといきなり襲いかかってくるような卒業生は一人もいません。しかし無理に声をかける必要はないと思います。できないことは、しなくていいと私は思います。大切なことは彼らを排除しようと思わないことです。敵対的な気持ちを抱いていると、相手に敏感に伝わります。どうしても声をかけられなかった場合は、学校に連絡してください。

 今、近隣センターに集まっている若者たちも、かつては小学生だったのです。たとえ彼らに声を掛けられなくとも、わが子のクラスメートに対して気軽に声をかけられる関係があれば、その子らが数年後に近隣センターでゴミを散らかしていたとしても、きっと声をかけられる地域の大人になれるのではないでしょうか。「地域の教育力」「子どもは地域の中で育つ」と言われて久しいですが、地域の教育力とは、私たち大人の持っている教育力なのだと思います。私も、たとえどんな卒業生であろうと、気軽に声をかけられる大人の一員であり続けたいと思っています。