教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

能勢街道 原田神社

2009年07月24日 | 北摂T市の歴史
能勢街道と伊丹街道が交差する桜塚古墳群の地に4世紀中頃~5世紀末創建されたとされ、古代には素戔嗚尊など五神をまつり、祇園神社と称した。また白鳳12年(684年)6月18日に天武天皇が神宝・神鏡・素盞男命御鏡・獅子頭を奉納したことから大宮と称し、皇族や武家より厚く崇敬を受けた。鎌倉時代以降には牛頭天王信仰と習合し、東は豊嶋郡榎坂村(現吹田市江坂)から、西は川辺郡富松村(現尼崎市富松)にわたる摂津国中西部72村の産土(うぶすな)神社となり、「西牧総社」と呼ばれ崇められた。また足利氏、殊に義澄、義晴、義輝の3代からは厚い信仰を受け、神領として西牧六車(むぐるま)の庄(桜塚・原田・曾根・勝部・走井・福井)の寄進をうけている。

天正6年(1578年)に荒木村重の兵火にかかり、境内社の十二社殿本殿及び神宝等を除き全焼。仮殿を経て慶安5年(1652年)、現在の本殿が再建された。 もとは祇園社(ぎおんしゃ)とも牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)とも呼ばれていたが、貞享2年(1685年)に神祇管領から「原田大明神」の神号を得て現在の社名となった。

江戸時代に入ると境内地は狭められていったが、境内地に接した門前町は能勢街道と伊丹街道の結節点としても栄えるようになり、この市街地が現在の岡町の基となった。 明治43年(1910年)に開通したころの阪急電車の写真を見ると神社の中に岡町駅があるように見える。


イノセント・ボイス~12歳の戦場

2009年07月23日 | 本と映画の紹介
昨夜(7月22日午前0時過ぎ)というか、深夜に偶然目にした映画が『イノセント・ボイス~12歳の戦場』だった。内線下にあったエルサルバドルの少年兵の問題を描いた作品であるが、その内容に眠さを忘れ眼が釘付けになった。

時は1980年、中米の小国エルサルバドルは政府とゲリラの内戦下にあった。政府軍は不足する兵士を補うため、男の子が12歳の誕生日を迎えると強制的に軍隊にさらって行く。11歳の少年チャバが住む町は、政府軍とゲリラの勢力のほぼ境界線にあり、あるときは、授業中の学校が銃撃戦の舞台となる。

町の教会は人々の安らぎの場であったが、その神父も目の前で殺されていく人々を、もはや祈りでは救うことができないと思い知らされる。学校は閉鎖され、教会は破壊され、町はゲリラをかくまったという疑いで政府軍に火をかけられる。政府軍の横暴を目の当たりにするチャバの友人たちは、「ゲリラに入るしか道はない」と決意する。そんなときに、偶然再会したかつての友人は、いっぱしの政府軍兵士に仕上げられており、「ゲリラをやっつけた。ベトナム帰りのアメリカ兵士に訓練された」と手柄話をするように語るのである。

その夜チャバたちは、家を抜け出てジャングルの中にあるゲリラのアジトに向かう。しかし、少年たちの足取りは政府軍に筒抜けになっており、銃撃戦の末、ゲリラの小部隊は全滅し、少年たちは全員捕らわれる。そして川原の処刑場。すでに多くの死体が散乱しているなかで、11歳の少年たちは、次々と頭を撃ち抜かれていく。その政府軍の中には、昨日再会したかつての遊び仲間もいるのだ。

少年たちを奪い返そうとしたゲリラの応援部隊と政府軍兵士との銃撃戦が起こり、奇跡的に処刑を免れたチャバは、家族と別れ、ただ一人アメリカに渡ることになる。銃撃から逃げるときにも母親が大切に持ち歩いた商売道具のミシンを売ったお金が、一人分の旅費となったのだ。「強くなって帰ってくるのよ」という母親の言葉を胸に、トラックの荷台で揺られるチャバを映しながらエンディングソングが流れる。

この映画は脚本のオスカー・トレス自身の少年時代の体験がもとになっている。彼は祖国に家族や友だちを残してアメリカに渡ってしまった自分に、ずっと罪悪感を感じていたという。ユニセフの調査によると、今でも25万人の子どもたちが、少年兵として戦っているという。

中学通信陸上大阪大会

2009年07月22日 | スポーツ
 19日はご苦労様でした。私は二つの理由で、率直な感銘を受けました。
 その一つは、準決勝で自己ベストを0.25秒も縮める11秒31を記録し、大きく立ちはだかっているように思えた、全国中学校体育大会標準記録(男子100m走11秒30)突破に手が届いたことです。4月の大阪陸上カーニバルで11秒56を記録して以降、自己記録を塗り替えることできず、焦りがあったかも知れませんが、通信大会で、ここまで迫ったのは、立派の一言に尽きます。
 もう一つは、準決勝一位、決勝二位という着順です。一年生の時に100m走で大阪5位に入賞した君は、二年生で4位に順位を上げました。しかし近畿大会出場枠が大阪府で3人という厳しい現実を考えると、私は全国大会出場の標準記録突破よりも、大阪府でベスト3に入る方が難しいのではないかと考えていた時期がありました。しかし、堂々の二位という結果は、近畿大会出場を手にする可能性をグッと高めました。
 私は、がっかりしなかった訳ではありませんが、今は、楽しみを大阪選手権大会に残したと心から思っています。中体連強化部の◎◎先生とも、大会後にそう話し合っていました。
 暑い日が続きますが、いつも真夏に記録を伸ばす君だから来週の大阪選手権で栄冠を手にする事を確信しています。

人権学習教材「歯型」学習ノート

2009年07月15日 | 人権
「歯型」学習ノート
          1年  組   番  名前

*Ⅰ章を読んで、考えてみましょう。
1.「ぼく」、「しげる」、「一郎」の3人は、「男の子」にとんでもない暴力をふるって、彼を追い詰めていくことになるのですが、その、1番初めの、きっかけとなる、「しげる」のセリフを、20字以内でP.1から抜き出してみよう。

                                            

                                                
2.3人の暴力行為や、「男の子」に投げつけたセリフについて、考えよう。
A P.1(下から14行目)「そんな……」のセリフの続き(……部分)を各自で想像して書こう。

                                          

                                         
B P.2(上から12行目)「でも……」のセリフ(……部分)を各自で想像して書こう。

                                               

                                              
C 「ぼく」や「一郎」が、次第に、大胆に、暴力行為に加わっていくのは、どのあたりからですか。P・行で答えなさい。

                                             

3.「男の子」の気持ちについて考えよう。
 A P.1(下から5行目)車イスに乗って道を通っていることを「じゃま・・・迷惑」と言われて、「男の子」はむっとしたが、この時はまだ黙っています。でも、心の中では、何と説明(言い返し)したかったのでしょうか。

                                          

                                              
 B 「男の子」が、「しげる」のふくらはぎにくらいつくまでには、「男の子」の胸の中には、何度も体が震えるような屈辱、くやしさがこみあげていたはずです。『特にひどいなぁ、あんまりだ!』とあなたの班が思うのは、その部分でしたか。班で話し合い、2つ出して下さい。(例 P○、○行目~○行目の~のところ)

                                                

                                            
 C P3(上から3行目)、顔中、汗とほこりにまみれても、「しげる」の足を放さない「男の子」は、「しげる」のふくらはぎをかみながら、心の中で、どんなことを言いたかったのでしょう。2行を超えるように各自で書きましょう。

                                           

                                                   

                                               
* Ⅱ章を読んで、考えてみましょう。
1.「しげる」は、母に、事件をどう伝えましたか。

                                                     
2.P.4(下から5行目)に、『後ろめたいこと』とあります。「ぼく」にとって本当に後ろめたいこととは、何ですか。3つ書きなさい。

                                                   

                                                     

                                               

* Ⅲ章を読んで、考えてみましょう。
1.校長室に呼ばれた人は、誰ですか。(      )(      )
  ぼくたちが校長室に入った時、すでに校長室にいた人は、誰ですか。
         (       )(      )(      )
2.P.7(上から11行目)に、「ぼく」の言ったことばがあります。「ぼく」は、  なぜ、こんなことを言ったのですか。

                                               

                                               
3.同じくP.7(上から12行目)に、『自分でもおかしいほどふるえ、かすれていた』とあります。それは、なぜですか。

                                       

                                                
4.P.8(下から8行目)に「男の子」が文字板で「き」「み」と言いかけたとあります。「男の子」はそのあと、どう言いたかったのでしょうか。「男の子」の気持ちになって、続きを書いて下さい。

                                             

                                               

                                                  
5.P.9(下から3行目)に『「しげるを」でなく、「ぼくを」かんでいてくれたら……』とあります。「ぼく」はなぜ、そう思ったのですか。

                                               

                                                   

                                                 

6.「ぼく」の心にくっきり残った『歯型』。少しでも消していくためには、「ぼく」は、何をするべきなのでしょうか。

                                      

                                      

                                                                 

                                                   

                                                       























☆ あなたは、「しげる」に近いですか。それとも「ぼく」や「一郎」と似ているでしょうか。あるいは、3人とは全く違いますか。自分を登場人物の誰に近いか、書いて下さい。(                             )
  
  
 

改定 地域・親の教育相談とどう向き合うか~いわゆるモンスターペアレントの問題を中心に

2009年07月13日 | 地域連携
以下の内容は、教育相談についての研修会レポートです。

 教員をしている30年間に、学校の教育相談(=苦情)の質と量は激変した。教育相談に割く時間は、時には深夜にまで及び、学校業務を妨げる要因にもなりかねないケースもある。ここでは、私自身が生徒指導担当者や小中学校兼務担当者として経験したケースを踏まえながら、学校への教育相談の裏に何があるのかを考えたい。

 私は、苦情という言葉を使わずに、敢えて『学校への教育相談』という言葉を使うことにしている。それは、苦情という言葉は、苦情処理という作業につながり、そこに教育課題を見出そうという教員の姿勢をあいまいにしてしまうからである。
しかし、それら教育相談の中には、明らかに学校への筋違いの要求と思われる場合もある。

 私自身は中学校教員であるが、小中連携事業のため、4年間(2005年度~2008年度)校区の小学校への兼務を経験し、高学年での社会科授業と教育相談を経験した。その小学校は、授業規律は高く、子どもたちは仲が良く、卒業生全員が地元の公立中学校に進学するという、落ち着いた学校であった。しかし集合住宅の建て替えが進む中で、地域の様子は一変した。その後の小学校で経験した教育相談の内容は、中学校教員の私には考えられないようなものも多くあった。

 例えば、急な雨が降ったとき、学校の電話回線がパンクするのではないかと思うほど電話が鳴り続ける。電話がかかってきた段階で、多くの場合、既に声は怒っている。「うちの子は、傘を持っていません。こんな雨の中、子どもを帰すのですか。」傘を持たせなかったのは誰なのかという問題は相手の意識からは飛んでしまい、「配慮のない学校教員のせいで、わが子がずぶ濡れになって帰ってくるに違いない」という想像が親の頭の中を支配しているのである。

 怒りをグッとこらえ、「大丈夫ですよ。学校には貸出用の傘をたくさん用意していますから、それを子どもさんにお渡しします。それでも心配なら、お迎えに来ていただいてもかまいませんよ。」という電話対応が、延々と続くのである。その間、傘を借りにきた子どもたちは待たされっぱなしの状態となる。

 また通行中の地域の方に、ボールを当ててしまって謝らなかったという高学年の児童を指導した際には、「どうして担任でもない先生がうちの子を叱るのか」という叱責を受け、面食らった。同時に「うちの子を 叱ってくれて ありがとう」という地域連携のスローガンの難しさを実感した。

 私は、これら小学校の経験により、中学校教員は『中学生の良識』というフィルターによって守られていたんだとつくづく学ぶことができた。同時にこのような、親の対応が出てくる背景についても考えざるをえなかった。

 親の意識の底にあるのは、第1に行政や公務員に対する根強い不信感である。年金制度の崩壊、政治家や官僚と金、食の安全の危機など、行政の機能が麻痺している中で、保護者たちの中には、「教員という公務員が、子どもたちのためを思って働いているはずがない」「公務員は大声を張り上げたり、脅さなくては働かない」と心から信じている層が少なからず存在するのである。

 第2に、親たちを包み込む社会的連帯の喪失である。父親はリストラの恐怖に対峙しており、この職がいつまで続くのか不安にかられている。地域のネットワークが崩壊する中で、母親も地域で孤立している。親たちは、自分が地域や社会から支えられていると実感できなくなっている。

 第3に、拡大する新自由主義的教育政策と自己責任論が親たちを萎縮させ、攻撃的にさせていると考えられる。「どの道を選ぶかは、親と子の自由」「失敗したら自己責任」という風潮は、保護者の中に、先制攻撃論者を作り出している。「やられる前にやれ」というわけである。
 
 第4に、残念ながら、親や子どもが経験した学校や教育行政の中に、このような親の意識を確信させるような対応が、どこかにあったのである。その意味では、全ての『モンスターペアレント』は、学校や教育行政が、初期対応を誤ったために作り出してしまったものだとも言える。

 第5に地域や保護者の主権者意識の崩壊である。主権者意識と消費者意識は、似て非なるものである。地域や保護者は子育てサービスを受け取るお客様ではない。主権者として、言い換えるなら地域や家庭での子育ての当事者として、問題に携わらなければならない。そのためには不満を口にするだけでは不十分である。主権者として、学校と共に問題解決に取り組む必要があるのである。学校は地域の重要な教育力であるが、地域も家庭も、大切な教育力なのだ。そのことを意識して、学校は地域や家庭が真の教育力になるよう、発信し、(上から目線に聞こえるが)育てていかなければならない。

 一人の教育相談の陰には、声として届かない数十倍の不平や不満がある。不満を訴えるのは、期待があるからである。一人の声を軽視せず、その学校の抱える教育課題改善のポイントを見出せば、必ずや歩み寄れるものがあるはずである。

 そのために必要なものは、①教育相談を担任だけが抱え込むのでなく、職員集団の中で解決の道を探ることである。一つの学級で起きていることは、形を変えて他の学級でも生じている。そこでの成果や失敗を共有することが、大きな失敗を防ぐためにも、必須である。

 第二に②情報公開(特に結果だけでなく、取り組みの過程も)である。知らないこと、分からないことが、間違った憶測を生む。教員の心意気も含め、こちらの取り組む姿勢を、できるだけ、問題発生前から、伝えておく必要がある。問題や課題のない学校やクラスはない。信頼を持ってもらうには、必要な情報や職員の取り組む姿勢を明示することが大切だと考える。

ふざけあいが喧嘩に変わる瞬間

2009年07月11日 | 生活指導
 奈良県で高校生の同級生殺人事件が起きた。同じ中学校から進学した二人は、高校2年生までは仲の良い友人だったという。2年の秋に二人の間に亀裂が起こり、喧嘩になったという。その後は無視し合う関係となり、今回の事件に発展した。

 頭から喧嘩を否定しようとは思わない。人間としての尊厳が踏みにじられ、感情を爆発させることもあるだろう。しかし喧嘩に意味があるとすれば、許しあい、関係を修復させる努力をお互いがしたときだろう。喧嘩をし、許し合い、仲直りをすることで、人は人との付き合い方を学ぶのである。修復ができない喧嘩は、お互いの存在を抹殺する。それを心の中だけで行えば、『無視』『差別』となり、実際に行えば『殺人』になる。

 クラスの中でも喧嘩が起きた。担任は以前から①些細な『からかい合い』を楽しむ、②お互いの持ち物を隠し合う、③追いかけ合いをして汗まみれになっている、という現象を取り上げて、「ええかげんにしろ」と注意を行ってきた。『からかい合う』言葉も、あまりにも幼稚で(時には好きな女の子の名前を連発するような)、学級新聞に載せることも恥ずかしくなる内容である。しかし仔犬のように「キャッキャ」とふざけているのが、どこかで本気のスイッチが入って喧嘩になるのだ。

 これは喧嘩をした当事者だけの問題ではない。中学三年生にもなれば、尊敬できる友人を見つけ、仲間の生き方から学ぶことができなくてはいけない。教室で机を並べている友人の『素敵な一面』を見い出すことができなくては、同じクラスになった意味がない。ふざけあう時があっても良いだろう。しかし、「ふざけあいしかない」関係になってはいけない。

 一学期もあとわずか。周りの仲間から学ぶという視点を忘れないで欲しい。

人権学習教材~歯型6

2009年07月09日 | 人権
渥美清に似た先生は、あくまでも静かな調子で言った。
「…………」
「ほんとのことをはなしてくれないか?」
「……しげるがいったとおりだけど……」
すると、あいつがテーブルをどんとたたいた。そして、もどかしそうに文字板をひきよせると、「あ」を指さした。それから、「し」。
校長先生は身を乗り出して、「あ」「し」と、声をだして読んでいた。
「か」
ぼくも、そのぎくしゃくした指の動きを見つめていた。
「け」「た」
「わかったかな?きみたちが足をかけたと、いっているんだよ。」
「……足なんか、かけたりしなかった。肩がふれただけだよ、なっ。」
一郎にあいづちをもとめた。一郎は黙ってコクンうなずくと、ごくりと音をたててつばを飲み込んだ。
「肩がふれてどうしたんだい?」
「その子の肩をちょっとつついた。しげるが。」
「それから?」
「それから、その子がひっくりかえった。」
「で、どうしたの?」
「そしたら、その子が、急に足をかみついたんだ。」
「なにもしないのに?」
ぼくはだまってうなずいた。
「本当かい?」
「……うん。」
すると、あいつがまた文字板をおさえた。
「う」「そ」
手がぶるぶるふるえているのがわかった。
「きみはどうだい?」
渥美清の先生は、一郎のほうに矛先を向けた。一郎はしどろもどろになりながら、いった。
「肩がふれたので……、しげるくんが生意気だといって、つついて……、たおれて……、その子が、急にかみついて……、はなさなかたので、おじいさんたちがきて……」
「つまり、きみたちはなにもしてないのに、この子がかみついたんだね?」
「しげるがつついて……」
「きみは、なにもしなかったのかい?」
「う、うん……」
「きみたちは、それ以前にも、この子をからかったりしなかったかい?」
「……しません……、でした。」
「ほんとうかい?」
「……はい。」
一郎の声は消え入りそうだった。先生は四角い顔を、いっそう四角にして、腕を組んでだまった。校長先生が語調をつよめていった。
「本当なんだな?えっ?正直に言いなさい。きみらは、この学校の名誉を、傷つけることになるんだぞ。えっ?本当のことを言いたまえ。」
ぼくは泣きたい気持ちだった。どうしていいか、わからなくなっていた。それでもぼくは、自分を必死に守ろうとして、こう繰り返した。
「肩がふれて、しげるが肩をつついて……、その子がかみついたんだ。」
あいつは文字板を引き寄せると、もどかしそうに「き」と指差し、「み」と続けた。と、次の瞬間、ぼくはびっくりして飛び上がった。彼がその文字板を、ぼくらめがけて投げつけたのだ。そして彼はぐわーと泣き出した。自分の胸を、頭を、利き手の左手で、ごんごんとたたいて、わき目もはばからず、ごうごうと泣いた。渥美清の先生は、だまって肩に手をかけていた。やがて、その細い目で、ぼくたちをにらみすえていった。
「本当のところは、どうなのかわからないが、ぼくはこの子を信じるよ。きみたちにはわるいが、ぼくはこの子を信じる。」
校長室に、あいつの悲しげな泣き声が響いていた。
「きみたち、教室へ帰りなさい。」
と、校長先生がいった。立ち上がると、あいつはぼくらを、涙の目で見た。目があった。ぼくの全身を、電流が走った。
学校からの帰り道、ぼくは何度足を止めたことだろう。ぼくは全身を貫き通すような、あの子の視線が、頭のなかに浮かんでは消えた。自分の頭を、胸を、こぶしでたたきつけ、おいおいと泣いているあの子の姿が、ぼくの心を揺さぶり続けていた。見上げると、町の向こうに、白い入道雲が、山のようにわきあがっていた。ひどい夕立が来そうだな、とぼんやり思った。ぼくと一郎は、黙って歩いた。
一郎がどんな気持ちで歩いていたかはわからない。ときどき、遅れがちになるぼくを、振り返っては、困ったような顔で見ていた。ぼくは一人になりたかった。そして、思い切って、学校へ飛んで帰り、校長先生に、
「みんなウソです。ぼくたちがあの子をいじめたのです!」
と、叫びたくなる思いに駆られた。
なぜ、そうしなかったのか。なぜ、そうできなかったのか。今もその思いがぼくを苦しめる。
あのとき――と、ぼくは思うのだ。あのとき、あの子が、しげるではなく、ぼくをかんでいてくれたら、と。
ぼくの心に、あの子の歯型がくっきりと残った。

人権学習教材~歯型5

2009年07月08日 | 人権

それから、二日たった日の昼休み、担任の先生がぼくと一郎をよんで、校長室へいくようにいった。ぼくは、例の一件だなと、ピンときた。でも、いったいだれがばらしたのだろう。ぼくと一郎は廊下で、不安な顔を見合わせた。
(どうする?)
一郎の顔がそういっている。
「しげるのいったように話せばいいさ。」
と、ぼくは自分をはげますようにつぶやいた。
校長室に入ったとたん、ぼくはどきっとした。あいつが座っているではないか。ぼくは内心うろたえた。校長先生にうながされて、ソファーに腰をおろしたが、体がクッションのなかにうまって、いっそう気分が落ち着かない。
ぼくらの前には、あいつと、渥美清に似たおじさんが座っていた。
「先生。」
と、校長先生が、そのおじさんにむかっていった。
「このふたりが、しげるくんと一緒にいた子どもらです。こちらは、桜養護学校の先生と生徒さんだ。この生徒さんの顔は覚えているだろうね。ここにきみたちをよんだわけは、もうわかっていると思うが。」
校長先生はそこで一息つくと、先を続けた。
「きのう、しげるくんのお父さんが桜養護学校に行かれて、いろいろ話をされたそうだ。ところが、しげるくんのいっていることと、この生徒さんがいっていることが、だいぶちがうので、きみたちの話を聞きにみえたのだよ。気を楽にして、本当のことを残らず話してごらん。」
校長先生はおだやかにそういったが、度の強いめがねの奥の目は、いつもより厳しかった。
「こんにちは。」
いきなり、おじさんみたいな先生がきりだした。ほそい目が、まっすぐぼくらを見ていた。ぼくは、思わずうつむいてしまった。
「この子がおととい、しげるくんをかんだそうだね。しげるくんのお父さんが、ぼくたちの学校へやってこられてね、だいぶしかられてしまったよ。ところがだ、この子が、しげるくんのお父さんの話は違うというんだ。この子は自由に話ができないので、こういう文字板を使ってしか、自分のことを伝えられないのだよ。」
先生はそういうと、一枚のベニヤ板に紙を貼り付けたものを、机の上に乗っけた。それには、ひらがな文字や、いくつかの漢字が、ます目の中にぎっしり書かれていた。
「だから、話をするのに、ひどく時間がかかるんだ。きのう、しげるくんのお父さんが帰られてから、この子と二時間ばかり話をしたんだが、この子がいうには、自分からしげるくんにつっかかっていったのではなく、きみたちからケンカをしかけられたのだ、というんだよ。それも、おとといだけじゃなくて、何日も前から、きみたちがからかっていたそうだね。足をわざとひっかけて、たおしたりして、違うかい?それできのうは、追いかけられて、けったり、なぐったりされたので、自分も抵抗したんだというんだ。
この子は、きみたちみたいに、手や足が自由に動かないから、口でかむよりほか手がなかったんだ。かんで人を傷つけてしまったことは、理由がどうであれ、わるいことだし、あやまらなければならないことだけど、なんにもしないしげるくんをかんだんじゃないはずだ。ちがうかね?ほんとうのところ、どうだったんだい。正直に話してくれないか。」
ぼくと一郎は、だまったままうつむいた。上目づかいにあいつを見ると、あいつはまっすぐ射るように、ぼくらを見すえている。首をやや左にかしげ、口をへの字にひん曲げて、――と、あいつがあのときのように笑った。いや、笑ったのではなかった。顔の筋肉が唇のはしをつりあげるために、そうみえたのだった。
「どうだね、きみたち。」
校長先生が答えをうながした。一郎は、ぼくをひじでつついた。ぼくは思い切っていった。
「しげるが、いや、しげるくんがいったとおりです。」
その声は、自分でもおかしいほどふるえ、かすれていた。すると、あいつが、テーブルをたたくようにして、文字板の上を指で押さえた。
「う」そして、「そ」と。
(うそ!)
ぼくは、あいつの顔をまともに見る勇気がなかった。うなだれたまま、自分のひざにゆびでそっと、「うそ」と、書いていた。
「うそだっていってるが、どうだい?」

人権学習教材~歯型4

2009年07月07日 | 人権

ぼくは家へ帰っても、そのことはだまっていた。しかし、それはすぐに、お母さんにばれた。夕方、しげるのお母さんが、家へやってきたからだ。
玄関先での話を、ぼくは居間から耳をすましていた。おばさんは入ってくるなり、
「おたくは大丈夫だった?」
と、きいてきた。
「大丈夫って、なんのこと?」
「あら、きいてないの。きょう学校の帰りに、うちの子、かまれたのよ。」
「かまれたって、犬に?」
「それが犬じゃないのよ。人間によ!養護学校の子に、かまれたのよ。」
「えっ、ほんと?うちの子、なんにもそんなこと、はなさなかったわよ。でも、けがなんかしてないみたいだけど。」
「そう。そりゃよかったわね。うちのしげるなんか、あやうく、ふくらはぎの肉をくいちぎられるところだったのよ。」
「そんなにひどくかまれたの?」
「そうよ。思っただけでも、ぞっとするわよ。足がこんなにはれて、歩けやしないの。熱まで出て、うなされてるわよ。肉をくいちぎられてたら、あなた、歩けなくなってたかもしれないのよ。まったく、気ちがいざたよ。」
おばさんは、興奮をおさえきれないようすだった。
「まったく、気がしれないわ。肩がふれたからって、急にかみついてくるなんて。」
「肩がふれただけで?」
「そうよ、そうなのよ!」
「こんなところじゃなんだから、あがってよ。」
ふたりは部屋へあがってきた。居間にはいってきたおばさんは、ぼくを見つけると、
「あら、あんた、なんともなかったの。」
と、冷ややかにいった。それは、うちのしげるを、ひとりおいて逃げたんだってね、と非難しているように聞こえた。
「なんにもいわないから、わからないのよ。」
「いえないような、後ろめたいことがあるんでしょう。」
おばさんの言葉が、いやに耳にまとわりつく。
「しげるくん、かまえてけがしたっていうじゃない。いったい、何があったの。話なさいよ。」
「なにもないよ。あいつが、しげるの足をかんだだけだよ。」
「あら、かんだだけなんて、ちょっと冷たいんじゃない。」
おばさんは、どこまでもからんでくる。
「…………」
「あんたたちが、その子をいじめたんでしょう?」
「それがちがうのよ。しげるがいうにはね、肩がふれたので、生意気だってその子をおしたら、足がわるいでしょ、すぐころんじゃったらしいのよ。そしたら怒って、がぶりよ。そうなんでしょう?」
しげるの話は、ずいぶんとこちらの悪いところが省略されていた。けれども、ぼくにとっても、そのほうが都合が良かったから、「うん」と、こたえた。
「そりゃねぇ、最初におしたしげるのほうが悪いわよ。だけど、かみつくことないじゃない。それも、肉がちぎれそうになるまでよ。病院へつれていってくださったお年よりがいっていたわよ。まるで狂犬だって。すごい力よ。体はわるいくせに、力はあるのねぇ。手加減できないのよ。バカだから。しげるはショックで、熱までだしてるわよ。もう、腹が立つやら、くやしいやら。そいつが目の前にいたら、思いっきりかみついてやりたいくらいだわよ。」
おばさんは、はなせばはなすほど、気が高ぶるようすだった。
「そいでね、お年寄りがよってかかって、やっとのことで、しげるをたすけだしたんだけど、その子ったら、あやまれといってもあやまるどころが、くってかかったそうよ。まったくひどいじゃない。そんなやつが、このあたりをうろついているんじゃ、安心して子どもを外へだせやしないわよ。そうでしょ。」
「そうよねぇ。ほんとに、こわいわ。」
ぼくは、しげるがどういう具合に話をしたのか、だいたい察しがついた。
買い食いをしたことも、あいつの足を引っかけて、たおすカケをしたことも、公園の中まで追いかけて、三人で襲ったことも、一切隠されていた。それらは、ぼくとしても、隠しおいてもらいたいことだったけれど……。
ここはしげるの話に、あわせておくべきだと思った。
それからしばらくのあいだ、おばさんはぐちぐちと、同じ話をくりかえして、引きあげていった。帰りぎわ、ぼくに、
「先生には、二、三日、休むっていっといてちょうだい。」
それから、わざわざ付け加えてこういった。
「あんた、ほんとにけがなくてよかったねぇ。」

人権学習教材~歯型3

2009年07月06日 | 人権

翌日は肩透かしをくった。待っても待っても、あいつは来なかった。自分の番だと緊張していた一郎は、なかばほっとした気分だったに違いない。あいつはきっと、道をかえたに違いなかった。
その日から、ぼくたちは、獲物を追う猟犬の気分になった。
どこの学校の子か、家がどこなのかもわからなかった。けれども、あの道を通って帰るとしたら、およそのことは見当がつく。ぼくらは、毎日、道をかえて、しつこく探しまわった。
ぼくはぼくで、なんとしても、あのときのしかえしをしなくちゃと思っていた。しかし、三日間探しまわったけれども、あいつに出会わなかった。
四日目は、掃除当番で遅くなった。学校を出るとき、ぼくはふと思った。あいつは道をかえたのではなく、時間をずらしたのではないかと。
「そうだよ。きっと、そうだ。いってみようよ。」
一郎がいきおいこんでいった。
「よし、今からいってみようぜ。」
と、しげるもうなずいた。
ぼくの推理は、はたして当たっていた。ぼくらが、公園の植え込みから、二十分くらい見張っていると、あいつの姿が、道の向こうに見えたのだ。
「きた。」
息をひそめて、あいつが近づくのを待った。二、三十メートルに近づいたのを見計らって、ぼくらは道へとびだしていった。あいつは、すぐに気がついたらしく、立ちどまってこちらを見ていた。ぼくらは一郎を先頭にして、ゆっくり歩いていった。あいつにも、ぼくらにも、これからなにが始まろうとしているか、わかっていた。突然、あいつはくるりと背を向けた。そして、急いで、道をひきかえし始めたのだ。
「おい、逃げるぞ!」
しげるがどなった。ぼくらは後を追った。
あいつがいくらがんばっても、足の速さで、ぼくらにかなうはずがなかった。公園の入り口近くで、ぼくらは追いついた。
すると、あいつは助けを求めて、公園の中へ逃げ込もうとした。
公園の広場では、老人たちがゲートボールを楽しんでいた。あいつはそっちへ向かって、口をパクパク動かした。しかし、声にはならず、のどの奥のほうで、アぉーと、かすかな音がもれただけだった。ぼくらは、とりかこんでこづいた。しげるがあいつの足をけった。
「バカ!」
一郎も足をけとばした。
「このやろう!」
しげるが、頭を平手でたたいた。ぼくも負けずにたたいた。あいつは、それでも泣かなかった。抵抗もせず、唇をかんでいた。
ぼくらは大胆になり、荒っぽくなった。しげるが、ドンと肩をつくと、あいつは無様にひっくり返った。ぼくらは頭を殴りつけ、背中をけり続けた。
しげるが、あいつの手の甲を、右の足で踏みにじったときだった。突然、くるったように、目の前のしげるの足に、むしゃぶりついてきた。そして、むき出しのしげるのふくらはぎに、がぶりとくらいついたのだ。
しげるは、一瞬、何が起きたのかわからなかったのか、ぽかんとつっ立って、あいつを見下ろしていた。それから、血相をかえて、
「いたい!はなせ、はなせっ!」
と、叫びながら、あいつの頭をぽかぽか殴りつけた。
けれども、あいつの口はひらかなかった。しげるは火がついたように泣き叫んだ。
「いたいよう、いたいよう!」
ぼくと一郎は、あわててあいつの体をひきはなそうと、後ろから引っ張ったが、むだだった。
しげるの激しい泣き声に、なにごとかと、老人たちがあつまってきた。
「いたいよう、いたいよう。」
しげるは泣き叫んでいる。その足に、顔中、汗とほこりにまみれた男の子が、しがみついていた。そして、その子が、しげるの足にかみついているのを見た老人たちは、おどろいて口々にさけんだ。
「これ、はなしなさい!」
「はなせといったら、はなさんか!こらっ、はなせ!」
そして、ぼくと一郎がやったように、あいつの体を引き離しにかかった。あいつはしぶとくくらいつき、しげるは泣きわめきつづけていた。
「強情な子だ。」
「はやくしないと、肉が食いちぎられてしまうぞ。」
そのとき、老人のひとりが、棒きれをひろってきた。あいつの歯と歯の間に、その棒きれが無理やり突っ込まれた。そうして、やっとのことで、しげるの右足は開放されたのだった。
そのとたん、あいつは、地面を手でたたきながら、くるったように泣き出した。
しげるはしげるで、かまれた足をかかえて、ごーごーと泣いていた。ふくらはぎは紫色にはれあがり、歯のあとがくっきりとついていた。
「こりゃひどい傷だ。すぐ病院へつれていかなきゃ。」
「いったいどうしたんだ。え、おまえたち。」
ぼくらは、しどろもどろになりながらいった。
「こいつが急にかみついたんだよ。」
すると、あいつはさっと顔をあげた。そして、ぼくらを指差すと、なにやらわめいた。なにをいっているのか、わからなかった。が、そのことで、老人たちはその子が障害児だということに、やっと気がついたようだった。
「おまえたち、なにをしたんだ?」
老人の言葉がきつくなって、風向きがかわった。一郎が突然泣きだし、逃げだした。ぼくはすっかりあわてて、
「知らないよ。なんにも知らないよ!」
と、さけぶと、半分泣きたい気持ちで、一郎のあとを追ってかけだした。

人権学習教材~歯型2

2009年07月05日 | 人権

次の日は、ぼくの番だった。
ぼくらは公園でジュースを飲みながら、ときどき通りへ出て、あいつがやってくるのを待った。ジュースも飲み終わって、だいぶたっていた。今日は来ないかなと思っていると、
「来たっ。」
と、通りのほうから見張っていた一郎が目を輝かせて声をかけてきた。放り出してあったランドセルを背負うと、ぼくを先頭にして、通りへ出た。五十メートルくらいに近づいたとき、あいつが顔をあげた。
一瞬、あいつは立ちどまったが、すぐにまた歩き始めた。
ぼくの心臓は、飛び出すかと思うほど鼓動を打っている。二十メートルほどになったとき、しげるがぼくの背中を小突いて、小声で言った。
「いけ。」
ぼくは足を速めた。首筋から足まで、なんだかコチコチになっていて、歩くのがひどくぎこちなかった。
ぐんぐん近づいていく。あいつの目が、ぼくの全身を射た。
(よこを通り過ぎざまに、さっと足をとばせばいいんだ。)
しげるのことばを、頭のなかで繰り返しながら、ぼくは近づく。
(いまだ!)
あいつの右足を、横へはらった。次の瞬間、思いがけないことが起きた。その足がさっと、ぼくの足の上をまたいだのだ。
ぼくの足は空を切った。おかげで、ひざをがくっとついて、したたか打ってしまった。
ぼくは顔が赤らむのを感じた。
あいつは、ちらっと振り向くと、にやっと笑った。それから、例のオオワシの踊りを踊りながらいってしまった。
ぼくはあいつを憎らしく思った。
ひざの痛みを隠しながら、ほこりをはらっていると、しげると一郎が、ぼくを小突いて駆け抜けていった。そして、十メートルもいかないうちに、ふたりはこらえきれずに、げらげら笑いだした。
ぼくが苦笑いしながら、走って追いつくと、ふたりは、もうたまらないといった具合に、腹をかかえて笑い転げている。ぼくもひざは痛かったけれど、なんだか自分でもおかしくなってきて、しまいには、三人で体をぶつけあいながら笑い転げてしまった。結局、しげるたちのジュース代を、ぼくが持ってくることになってしまった。

人権学習教材~歯型

2009年07月03日 | 人権
歯型
中学生になったいまでも、僕は足の不自由なひとをみると、逃げ出したくなる。それは、あの事件以来身についた、悲しい癖といったらいいのだろうか。

五年生の夏のことだった。その日、ぼくは級友のしげると一郎と、つれだって帰った。暑い日だった。校門を出たところで、一郎が「あれっ」と、立ちどまった。でかいお尻ではちきれそうなズボンのポケットから、そっとぬいた手のひらに、百円玉が二枚光っていた。
「学校にはお金持ってきちゃいけないんだぞ。」
ぼくが冷やかし半分にいうと、一郎は口をとんがらせて弁解した。
「ちがうよ、きのう、おつかいにいったときのおつりなんだ。わたすの忘れちゃったんだよ。」
すると、野球帽をよこちょにかぶったしげるが、あっさりと、
「ちょうどいいじゃん。」
といった。
「暑くって、のどがからからだよ。ジュース買ってのもうぜ。」
「こんなところじゃ、みつかっちゃうよ。」
「だいじょうぶ。おれにまかせとけったら。」
そういうと、しげるは一郎の手のひらから、百円玉をひったくり、さきに立って走りだした。ぼくらは暑いなかをかけていった。
通学路から外れて、しばらくいったところに、ひっそりとした公園があった。ぼくたちは途中の、自動販売機でジュースを買うと、公園の木陰で、ゆっくりと二本の缶をまわし飲みした。
まだ太陽は高かったが、風がそよっと吹いてそこはまるで別天地のような気分だった。その帰りのことだ。いつもとはちがう、ひと通りの少ない公園のわき道を、ふざけあいながら歩いていると、ぼくたちは、道のむこうからへんなかっこうで歩いてくる人影をみつけた。
「あれ、よっぱらいかな?」
「……よっぱらいじゃないよ。子どもだぜ。」
しげるがいった。
「子ども?」
よく見ると、ランドセルを背負っているのが見える。よっぱらいのように見えたのは、歩くときに、その子の体が大きくゆれていたからだ。足が外側にふりだされるたびに、上体がぐらぐらとゆれ、片手が羽のように、ゆっくり空を切った。
ぼくの歩調が遅くなった。
こんな子どもに、正面から出くわすのは、初めてだった。しげるが先頭で、つぎがぼく。一郎は不安そうな表情で、いちばんうしろをあるいていた。一郎は体がでかいのに、からきし臆病なのだ。
かんかん照りの大気の中を、その子は黙々と、泳いでいるように歩いていた。右手のわきの下にかかえるようにして、左手をワシの羽のように大きく動かしている。その左手の動きにあわせて、右足が外にふりだされるのだ。
二、三十メートルまで近づいたとき、急にしげるが、にやっと笑ってふり向いた。
「おい、カケをしないか?」
「カケ?」
「おれが、あいつの足を引っかけて、転ぶかどうかカケようぜ。」
「…………」
「なっ、転んだら、おまえたち明日のジュース代もって来る。いいだろ?」
ぼくと一郎は、顔を見あわせた。
「うん。」
と、ぼくはいった。一郎もつられてコクンとうなずいた。小柄で、すばしこいしげるは、ぼくらの返事を聞くやいなや、もう、すたすた歩きはじめていた。
ぼくと一郎は、息をのんで見守った。
しげるは、どんどんその子に近づいていく。
二人がすれちがった。その瞬間、しげるの右足がさっとのびた。相手の上体がグラリと前へつんのめった。だが、その子は倒れなかった。
ところが、体を何とか立て直したように見えたとき、意外にも、その子はすとんとおしりから落ちて、大仰に仰向けにひっくり返った。しげるはというと、ウサギのようにすばしこく、すでに数メートルさきをかけだしていた。
ぼくと一郎は、はっと我にかえると、もそもそ起き上がっているその子のわきを、急いでかけぬけた。
そのとき、ぼくはちらっとその子を見た。しげると同じくらいの体格の、その子のひたいに、汗がキラキラ光っているのが見えた。
「やったぜ!」
五十メートルも走ったところで、しげるは鼻をひくひくさせて、追ってきたぼくらにいった。
「成功、成功!」
ぼくたちはおたがいに肩をたたきあった。振り返ってみると、男の子は、やっと立ち上がったところだった。ちらっとこっちを見たが、何もなかったように、そのまま、さっきと同じぶかっこうな歩き方で、白い光の中を、ゆっくり歩きはじめていた。