教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

中学一年生が小学校の先生に送った手紙③

2007年05月31日 | 子どもたちの声
【元○○小学校○○先生へ 1-1 ○○○○】
 ぼくは中学校に入学して○○小から来た人とも仲良くしています。入った部活はバスケットボール部です。クラブでは外周ランニングやフットワークという練習をしています。授業では、書写の先生の声がマイクより大きいし、美術の先生はバスケットボール部の顧問の先生で、体育の先生は面白い先生です。数学の先生の授業はとてもわかりやすく、音楽の先生はときどき面白い先生で、国語の先生は優しいです。ほかにもいろいろな先生がたくさんいて、面白いです。
 中学生になって嫌なのは、学生服が重いことです。
 ぼくは元気なので、体に気をつけて頑張って下さい。

中学一年生が小学校の先生に送った手紙②

2007年05月30日 | 子どもたちの声
【元○○小学校○○先生へ 1-2 ○○○○】
 お久しぶりです。中学校生活が始まってもう一ヶ月がたちました。最初は初めての中学校生活で不安だったけど、今ではだいぶ慣れて、毎日楽しいです。部活はテニス部に入りました。毎日練習があってしんどいけれど、とても楽しいです!そう言えばもうすぐ中間テストです。勉強も難しくなってきました。国語は、まあまあできるかもしれませんが、社会が不安です。新しい友達もたくさんできました。毎日充実した日々をおくっています。
 入学式に聞いた○○先生のメッセージは、今でも時々思い出しています。○○先生には、1年から5年まで算数を教えてもらいました。6年生の時は、担任の先生として、勉強も、人として大切な事も、教えてもらいました。教室の壁にも貼ってあった、「I am OK You are OK!!」いつまでも忘れません!6年間本当にありがとうございました!違う学校に行ったと聞きました。新しい学校でも頑張って下さい!私も中学校生活頑張ります。
 本当にありがとうございました。I am OK You are OK!!

中学一年生が小学校の先生に送った手紙①

2007年05月29日 | 子どもたちの声
【○○小学校○○先生へ 1-1 ○○○○】
 お元気ですか?私は中学校では新しい友達ができ、とても楽しいです。部活は吹奏楽部に入ってパーカッションをやっています。勉強は相変わらずだけれど、面白い先生がたくさんいて頑張っていけそうです。
 卒業式の時は、泣くことはないと思っていたけれど、やはり6年間お世話になった小学校から卒業するんだと思うと、泣きそうになりました。
 今こうして手紙を書いていても何を書けばいいか分かりません。というのも小学校の時の楽しさとは比べものにならないくらい今が楽し過ぎるからです。何をどのように書いたら伝わるのか悩んでしまいます。
 先生は、今、6年生を持っているそうですね。今の6年生の子たちに、ぜひとも吹奏楽部に来るよう言っておいて下さい。ではまた。小学校には、来るなと言われても行くつもりなので、その時は、よろしくお願いします。

子育てを考える③文武両道少年の挫折~福島県母親殺害事件

2007年05月24日 | 子育て
《なぜ母親が標的になるのか》
 大切にしていた人から思いもしない仕打ちを受ける。そんなことは、誰しも経験したくないものです。ましてやその相手が我が子であったら。福島県会津若松市で起きた事件で殺された母親は、自分に襲いかかる我が子の予期せぬ行動にどれだけ驚いたでしょうか。

 新聞でも報道されているように家族をターゲットにした殺人事件が増えています。しかもここ数年の事件は(1)非行経験が無く成績の良い子どもが事件を起こしている(2)攻撃の対象が母親という肉体的弱者に向けられることが多い、という特徴を持っていることが指摘されています。

 今回の事件に至る経緯については、専門の人たちが様々な分析を行うでしょう。私は子どもの自立という側面からこの事件を考えたいと思います。

《私が係わった生徒の場合》
 以前、私が係わった生徒の中に母親への暴力を振るう少年がいました。皆さんは暴力を振るう少年と言えば、凶暴な性格の生徒を連想するかもしれませんが、家庭内でだけ暴力を振るう少年のほとんどは、学校や地域ではおとなしくしているのです。その少年もそうでした。学校では、どちらかと言えば目立たない生活を送り、家に帰ればささいなことで母親を殴っていました。しかも驚いたことに夜になるとその少年は、母親の布団に入らないと眠れないのです。

 小学生時代の少年は学習成績もよく、スポーツも得意だったと聞きました。何が少年を母親への暴力に駆り立てるのかと悩みながら読んだ心理学の本の中にこんな一節がありました。

《親離れの失敗は暴力と依存を生む》
「息子はドラッグのように母親を求め、中毒のように頼り切っている自分をごまかすために母親を憎む」(『男という病の治し方』ヴィクトル・ヴィーク著 梶谷雄二訳 三元社)

 母親から自立できない情けない自分を否定する気持ちが母親への暴力となり、暴力を振るいながらも母親の愛を必要としている少年の理解に近づけたように思えたのです。

 息子(娘)が母親(父親)を頼っている、うれしい事かもしれませんが、自立の機会を失うと、とんでもないことになります。愛情を注ぎ、子どもの成長を応援しながらも、徐々に子どもとの距離をつくっていく。その距離を離したり縮めたりしながら自立への力を伸ばしてやることが子育ての目的だと思います。

事故の未然防止とは~エキスポランド事故を考える

2007年05月14日 | ニュースを読む
安全は保障されていなかった
5月5日エキスポランドで起きたジェットコースター死亡事故は、身近な施設で起きた事故であるため大きな衝撃を受けました。風神に乗ったことのある保護者や生徒の皆さんもいたのではないでしょうか(私は乗りました)。生と死を分け隔てていたのは全くの偶然だったのです。

安全と技術の軽視様々な事実が明らかになるたびに驚かされました。春の定期検査が営業の都合でゴールデンウィーク明けに回されたこと、記者会見を行った会社幹部に金属疲労の認識がまったくなかったこと、風神の営業開始後15年の間に一度も車軸が交換されなかったこと、補修点検会社は金属疲労の影響を考え8年をめどに車軸を交換するように指摘していたこと、過去30年間に28人もの命が遊園地事故で奪われていたことが国に報告されていたこと、にもかかわらず国からは各施設に対して事故の教訓はおろか事故情報すら伝えていなかったことなどがそうです。

営業や利益の前に安全や技術がないがしろにされた結果引き起こされる事故が後を絶ちません。技術立国日本と言われた栄光は遠い過去のものなのでしょうか。

ジェットコースターを止めることはできたか?
もしジェットコースターを運行している係員が「いつもと音が違う」と気付く、あるいは乗客から「この前乗った時より揺れが激しいように思う」という指摘を受けたなら、係員はどのような行動がとれたでしょうか。勇気を持って上司にジェットコースターの運行中止と点検を訴えたとしたら、どのような結果になったでしょうか。
考えられる結果①「運行中止などとんでもない。今まで事故は起こっていないしゴールデンウィーク終了後に点検するのだから余計なことを考えるな。」と怒られ上司から睨(にら)まれる②万が一、「混乱の責任は私がとる」と上司が言って運行を停止しても並んでいたお客様からは猛烈な抗議を受ける。このどちらかのケースが起きるのではないでしょうか。「事件は会議室で起きているんじゃない!現場で起きている!」という有名な台詞(せりふ)がありますが、現場判断が大切にされにくい現在の状況下で②のような結論は考えにくいでしょう。そもそも現場を大切にしている企業や役所なら、しっかりした安全マニュアルがあり、このような緊急事態は発生しなかったはずです。

事故が起こる度に、仕事や安全のあり方について問い直す必要があると思います。

子育てを考える②子どもを転ばせる勇気

2007年05月10日 | 子育て
小さな怪我が大きな怪我を防ぐと言います。小さな怪我をするたびに人は怪我を繰り返さないよう反省し、そのことが重大な怪我(失敗)を防ぐことになるという昔の人の教えです。

怪我をしないにこしたことはありませんが、怪我や失敗のない人生なんてありえません。松阪だって打たれるし、イチローだって三振します。浅田真央ちゃんも転倒するのです。忠告やアドバイスは、若い者に怪我をさせたくないという先輩の思いやりなのでしょうが、人は(私自身も含め)自分が怪我をしてみて初めて忠告の重みに気づくものなのです。たくさんの怪我や失敗を繰り返しながら成長するのが私たちの歩みなのです。

ところが少子化と子育ての孤立化により、我が子の小さな失敗を恐れる親が増えています。子どもが小さな時は親が先手を打てば失敗を防げます。しかし小さな失敗を経験させないまま大きくなると、失敗を未然に防ぐ力や失敗した時に立ち直る力は身につきません。失敗を前に絶望したりパニックに陥ってしまうのです。母親を殺した大阪大学生や、家族3人を殺した東大寺学園生も、失敗経験の希薄さが事件の一因になっていると言われます。

親が手助けできないような困難に直面したとき、それをどう乗り越えるかが子どもの真の力です。そのため大人はあえて子どもの失敗を見届ける勇気や忍耐を持たなければならないと思います。

ヤンキー先生こと義家さんは、瀬戸内寂聴さんとの対談でこう発言されています。
「北星学園余市高校では、『転ばせる教育』をひとつの教育方針として掲げ、全体で取り組んでいるのです。・・・日常の学校生活で、教師たちは、生徒たちがつまずきそうな石を取り除いてあげるのではなく、一つひとつ彼らを転ばせてあげる。そして起きあがるのを傍らで見守る。どうしても一人の力で起きあがれないときだけ、愛情をもって手をさしのべる。・・・どうしたらもう転ばないですむのかを、失敗を通して、生徒と一緒に考えていくんです。」(『私の夢 俺の希望』瀬戸内寂聴・義家弘介対談集 PHP研究所発行)

学校を家庭に、教師を親に置き換えてみてはどうでしょうか。転ぶ=失敗することを予測し、転んだ後の支援のあり方も考えたうえで、あえて転ぶのを見届ける。それが子育てに必要だと思います。子どもたちはいずれ親や教師を乗り越えなければなりません。大人を乗り越える力をつけてやる、そのためには転び、立ち上がる力の形成を大切にしなければなりません。

ほんの紹介『夕凪の街 桜の国』

2007年05月06日 | 本と映画の紹介
こうの史代著 双葉社 800円

表紙を開いて目次をめくると、「広島のある日本のあるこの世界を 愛するすべての人へ」という著者のメッセージが目に入ります。この本は広島の原爆被爆を題材にした漫画です。広島を描いた漫画では『はだしのゲン』という名作がありますが、この『夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国』は、被爆した広島がほとんど描かれていない作品です。わずか100ページ足らずの冊子が、『夕凪の街』『桜の国1』『桜の国2』の3部に分かれ、複雑にからみながら成り立っています。

物語は、あの日から十年たった1955年(昭和30年)の広島で始まります。原爆で父と姉と妹を失った皆実(みなみ)は、母親と二人で戦後の生活を始めます。皆実には自分に好意を寄せている同僚の打越がいます。しかし皆実には「自分が幸せになってはいけない」という思いがあります。その思いは被爆の記憶と強く結びついているのです。(映画『父と暮らせば』の主人公も同じ思いをしていた)

勇気をだして皆実は自分がこの世に生きていて良いのかと打越に相談します。「生きとってくれてありがとう」という返事をもらった皆実は、打越の好意を素直に受け入れようと思うのです。しかしその矢先に皆実は倒れます。ちょうどあの日から2ヶ月後、全身に紫色のしみをつくって逝(い)ってしまった姉と同じように。

・・・嬉しい? 十年経ったけど原爆を落とした人は私を見て「やった!またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる?・・・

そんな言葉を頭によぎらせながら皆実は短い生涯を終えます。そして話は1980年代の東京を舞台とした2部へ、そして3部では現在の東京と広島を結びながら展開されます。話の展開は過去から現在への直線的なものではなく、度々回想シーンが挿入され、その回想シーンや何気ない街の景色の中に「今」を理解するためのヒントが隠されています。そして過去と現在を行き来しながらいくつかの「謎」が明かされ、被爆の問題が遠い過去のことでなく、現在に続いている問題でもあることを静かに訴える作品になっています。

職員室で何人かの先生に読んでもらいました。「号泣した」というものから「何?これ?」まで様々な感想がありました。小学生の皆さんには難しいかもしれませんが、中学生の皆さんには是非チャレンジしてもらいたい作品です。一回読んでもわからないかもしれませんが、二度三度と読み返してみると、一度目には見過ごしていたヒントに気づくことと思います。

3年ほど前の出版で、新刊では手に入れにくいかもしれませんが、私は古本市場でお安く買いました。

特待生制度を考える…不公平の是正とは?

2007年05月04日 | 進路保障
《高校を巻き込む「野球と金」》
プロ野球西武球団が行った高校生に対する裏金問題は、高校野球のあり方を根底から問い直す特待生問題に発展しました。高野連(日本高校野球連盟)の調査では全国382の高校で日本学生野球憲章が禁じている特待生の制度があることが判明しています。(5月3日現在)高野連は野球部員であることを理由として授業料や生活費などの金品を受け取ることを禁止していますが(憲章13条)、入学金・授業料などを免除する特待生制度はそれに違反するとし、①該当者は5月中の対外試合自粛②部長(部を代表する教員)交代といった是正措置を行うことを条件に③夏の甲子園出場を認めるという方針を発表しました。

《憲章は時代遅れ?》
これに対して各高校は高野連の措置を受け入れる記者会見を行いました。一方で、私立学校の連合体である私立中学校高等学校連盟は、「サッカーや陸上など他の競技では特待生制度が認められているのに野球だけが認めないのは不公平」と主張し、憲章が時代遅れになっているとの記者会見を行いました。私立高校の本音が見えた気がしました。ニュース解説者の声のなかにも同様の意見が目立ちました。

《推薦入学と特待生制度は違う》
「勉強で頑張った者が評価されるのと同じように野球で頑張ったことも評価すべき」という意見は推薦入学と特待生制度とを混同させた意見のように思えます。入試合否を入学試験の点数だけでなくクラブ活動や特技なども考慮に入れ総合的に判断することに対しては異論がないと思います。○○中学校の中にも、クラブ活動での実績を評価され高校進学をした生徒が多数います。
しかしだからといって高校側が欲しい生徒の入学金や授業料だけを免除するという特待生制度に対しては、中学校側は以前から再考を要請してきました。

《免除された授業料は誰が負担しているのか》
中学校側が問題にしてきたのはこのことです。特待生の存在は、授業料負担に対する不公平感をもたらします。不公平感は友人関係や保護者同士の関係にもひびを入れることにもなりかねません。「特待生の出場だけを辞退させると誰が特待生か生徒の間でわかってしまう」として春季近畿大会への出場自体を取りやめた高校もあります。
「他の競技との不公平」を言う前に、「他の生徒や親との不公平」こそ問題にすべきだと考えます。

《私立学校の授業料補助と奨学金制度の充実こそが大切》
私立高校の年間授業料は80万円を越え、保護者の負担になっていることは確かです。しかし高校側が子どもたちへの経済的支援を考えるならば、私立学校への授業料補助の拡充と、経済的な必要度を基準とした奨学制度を充実させるべきだと思います。

日本国憲法施行60周年を迎えての会長談話

2007年05月03日 | 教育資料
日本国憲法の基本原理と立憲主義の重要性について

本年5月3日、国民主権・基本的人権の尊重・恒久平和主義を基本原理とする日本国憲法が施行されてから60年を迎えます。人であれば還暦というこの60年の間に、日本国憲法は、文字通り国民の血となり肉となってきました。

この記念すべき時を迎えるに当たり、日本国憲法が果たしてきた役割の重さに思いを致すとともに、日本国憲法の基本原理やその根底にある個人の尊重・法の支配の理念、そして、権力を制限して個人の権利を保障するためにこそ憲法は存在するという立憲主義の理念の重要性をあらためて確認したいと思います。


平和をめぐる問題について
日本国憲法は、先の大戦の反省の上に立って、戦争が最大の人権侵害であることに照らし、恒久平和主義をその基本原理としています。特に、第9条の戦争を放棄し、戦力を保持しないという徹底した恒久平和主義は、他に類例を見ないものであり、平和への指針として世界に誇りうる先駆的意義を有しています。

しかし、ここ約10年を見ると、周辺事態法、テロ対策特別措置法、イラク復興支援特別措置法、武力攻撃事態法などの有事法制3法、国民保護法などの有事関連7法の制定、度重なる自衛隊法の改正や防衛庁設置法の改正に基づく自衛隊の海外派遣の拡大など、平和についての我が国のあり方を大きく左右する立法が続いています。

当連合会は、このような立法に対し、その都度、日本国憲法の基本原理に抵触するおそれや日本国憲法が禁止している武力の行使・集団的自衛権の行使に当たる危険性を指摘し、憲法の遵守を求め、なし崩し的な解釈改憲の弊をおかすことのないよう求めてきました。

このような緊迫した情勢において、当連合会は、今後とも、平和憲法の遵守の重要性をより強く訴えていくものです。


基本的人権をめぐる問題について
日本国憲法は、基本的人権について、現在及び将来の国民に与えられた侵すことのできない永久の権利であると高らかに謳っています。民主主義が十全に機能し、公平で調和の取れた社会を実現するためには、人々の基本的人権、とりわけ、精神的自由が確保されることが必要不可欠であることは、人類のこれまでの経験からも明らかです。

ところが、我が国の現状を見ると、民主主義が機能するための不可欠の権利であるとされる精神的自由が危機に瀕しています。

公立の学校現場において、国旗・国歌の不利益処分を伴う強制が行われていることは、教育の場における精神的自由を脅かす一例であり、公の秩序の名の下に個人の尊重の理念が損われないようにしなければなりません。また、内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝は、政教分離原則に違背する疑いがあり、ひいては信教の自由の確立を妨げるおそれがあります。さらに、政治的意見に関するビラの投函等が逮捕・起訴の対象とされたり、思想の段階で刑罰をもってのぞむ共謀罪の新設が国会で審議されたりするなど、自由な言論に対する公権力による規制が危惧されている上、放送事業者による報道の自由にも公権力が介入する事態が懸念されています。

当連合会は、このような危険な人権状況を踏まえ、人権擁護活動を一層充実させ、不断の取組みを続けていく所存です。


憲法改正に向けた動きについて
日本国憲法をめぐっては、近時各界から改正に向けた意見や草案が発表され、また憲法改正手続法については、法案が衆議院で可決され、現在参議院で審議されているという事態を迎え、憲法改正をめぐる議論が急を告げています。

当連合会は、日本国憲法の基本原理やそれを支える理念に照らし、改憲論議の問題点を指摘する一方、憲法改正手続法案についても、日本国憲法がもともとその安易な改正を予定しない硬性憲法であることに照らし、最も重要な最低投票率の規定が設けられていないことなど問題点が多く含まれていることを指摘し、国民に開かれた慎重な審議がなされることを求めています。是非とも参議院においては、この最低投票率の規定を設ける旨の修正を求めるものです。

今後、改憲論議においては、その是非の判断を行うために必要かつ十分な情報が国民に提供されるとともに、国民の間で十分な議論が尽くされるための期間が保障されることが不可欠であり、そして何よりも、憲法とは何か、憲法は誰のためにあるのかということが常に議論の中核となるべきであると考えます。

当連合会は、憲法改正をめぐる議論において、立憲主義の理念が堅持され、日本国憲法の基本原理が尊重されることを強く求めるとともに、これらの理念や基本原理の重要性が広く国民に理解されるよう最大限の努力を行っていくことを決意するものです。


憲法の理念の真の実現に向けて
我が国の現状を考えますと、立憲主義の理念や、国民主権・基本的人権の尊重・恒久平和主義という日本国憲法の基本原理が有する意義は、今日においても、いささかも変わるところがないばかりか、より一層その重要性が認識されるべきであると考えます。

当連合会は、憲法の理念を真に実現できるよう、基本的人権の擁護と社会正義の実現という使命を果たしていくとともに、国内外の人々と協力して、21世紀を、全世界の人々の平和的生存権が保障され、恒久平和が実現する輝かしい世紀とするため、全力を尽くすことをここにあらためて誓うものです。
2007(平成19)年4月27日

日本弁護士連合会
会長 平山 正剛


子育てを考える①母親を追い込むストレス

2007年05月02日 | 子育て
 歯止めの無い出生率の低下が社会問題になって久しくなります。その原因について様々な分析が行われていますが、生まない側の意見の中に「この時代に生まれてくる子どもが可愛そう」というものがありました。時間に余裕のない生活、上がらない給料、将来への不安などが子育ての魅力を感じさせなくしていると言われます。

 昨年2月に滋賀県で起きた幼稚園児殺人事件を覚えておられるでしょうか。近所の母親が交代で子どもたちを引率し、幼稚園の送り迎えをしていた中で起きた事件でした。わが子の前で同級生を殺してしまった母親は、警察の取調べで「まわりの子どもが敵に見える。」と語ったと報道されていました。「わが子が幼稚園で仲間はずれにされているのではないか」「この子たちと一緒にいると自分の子も駄目になると思うと夜も眠れない」そんな気持ちに追い込まれて犯行に及んだとの報道もありました。子育てに悩む母親のストレスが伝わってくるようなものでした。
漠然とした不安を超え、「殺すか殺されるか」といった窮地に母親を追い込む子育てについて、シリーズで考えていきたいと思います。