教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

3年間の取り組みを振り返って〜年度末反省より

2013年03月10日 | 生活指導
・危機感を抱いての2010年の学年スタート
 38期生のスタートは、①生徒指導上の課題を残したまま卒業させてしまった35期の反省と②連絡会で伝え聞いた小学校の困難な状況を背景とした危機感から始まった。その危機感の中で、直接新入生の姿を見ようとし、五小学校の卒業式に三年職員が全員で参加した。半歩でも先に新入生38期生への指導を始めたいという思いで始めた取り組みである。
・出だしで学年の姿勢を保護者・生徒に示す
35期生では一部の保護者と溝を残したままの卒業となった。「公務員は既得権益にしがみつくヤル気のない集団」という前知事の認識は、残念ながらその知事を選出した保護者の意識でもある。「教員が我が子のためを思って働いている訳がない」という意識は、一定の保護者の中にある。そのため入学式の場で時間をとり歓迎の挨拶=学年目標(①学ぶ力②働く力③仲間と手を結ぶ力)を説明し、職員の心意気を示そうとした。特に茶髪で入学式に臨んだ生徒がいるなかで、職員の姿勢を示すことは大切だと考えた。
・一年目の指導で重視した『ルールを守る力』
この学年目標には、実はもう一つ隠された目標があった。それは④ルールを守る力である。①〜③の目標は3年間をかけての目標であったのに対して、この④番目の目標は、一年生の間に身につけさせるものとして全力で取り組んだ。特に茶髪、遅刻を繰り返す、生徒間の暴力、イジメ・いやがらせの指導については、学年総力をあげ取り組んだ。また校外学習・キャンプなど学年全職員と全生徒が向き合う行事については、その取り組みの成否が三年生となったときの学年規律のあり方につながるものと考えて取り組んだ。なかでもキャンプの就寝指導は、一晩中盛り上がりたいという生徒の思いと、事故を防ぎ子どもたちの健康をと規律を守りたいという職員の思いが真正面からぶつかるものと考え、就寝指導の徹底には力を割いた。(就寝四原則:消す・起こさない・声を漏らさない・出ない)
・小学校との連携〜小学校を敵に回さない、できたら味方にしたい
 中学校進学に不安を抱く保護者に対して、小学校担任が「○中に行くなら心配ない」と語るか、「そうですね、○中は心配ですね」と答えるかで、中学校への印象は、大きく違ってくる。(これは高校進学でも同じ)高校からの情報提供があれば進路指導がしやすいのと同じで、中学校から小学校への情報提供は必要と考える。そう考え、職員紹介、学年目標、入学式以降の取り組みを紹介すると同時に、子どもたちに中学校生活の様子を手紙に書かせ、成長した姿を小学校に伝えた。
・学年教師集団の形成〜子どもを荒れさせないために
 生徒指導を担当することとなった大堂先生を除く一年担任の全てが三年学年集団に残ることができたことは、指導の継続性につながり、恵まれた三年間であった。同時にこのメンバーで三年間やっていこうと我々自身が思うために以下の点を大切にしながら学年運営を行ってきた。
 1.最悪の状態を想定し、そうならないための手をあらかじめ打つ
 2.盛り上げる指導をする際には、ハメを外させない指導を考える
 3.目標設定は具体的にし、何ができたら成功または失敗かの根拠を明確にする
 4.授業規律を個人の問題にせず、学年集団の問題と考える
 5.職員自身が支えられている感の持てる学年→手の内を見せ合う・競争主義との闘い
 6.生徒を過保護にはしないが親切に対応する
 7.日常的な情報交流を基礎に職朝・会議では次の方針を確認する
 8.今の子とその進路を知るため卒業後の繋がりを大切にする

生徒指導主事の仕事を振り返って② 心が繋がるとき

2011年12月25日 | 生活指導
それは指導困難な暴力事件があった夜のことである。放課後の担任の指導が不調に終わったという連絡を聞き、私は保護者の帰る時間を見込んで9時頃に加害生徒宅に家庭訪問を行うことにした。子どもをどうしても庇う親を説得し、何とか翌日被害者への謝罪約束を取り付け、ホッとしてアパートの階段を降りると、そこに学年生徒指導担当のSが立っていた。驚いてその訳を聞くと「放課後の指導に自分も入っていたのに指導しきれずに申し訳なかった。しかし指導が不調に終わったとの報告を聞いたら、今夜に一人ででも動くはずだと思ってここで待っていた。」と答えてくれた。

彼とはこんなこともあった。暴力事件を起こしていた在校生2人が卒業生にからまれ人気のない公園に連れて行かれたと電話があった。私は電話を切ってすぐ、何も言わずに職員室を飛び出してしまった。その公園に向かって走っている私を一人で追いかけてきたのも彼だった。「電話を切るなり走り出したということは、きっと緊急の事件に違いないと思いました。」

共に山を越えてこそ、心が繋がる。今でもそう信じている。

生徒指導主事の仕事を振り返って① 電話の取り次ぎ方にみられる心意気

2011年12月24日 | 生活指導
「先生、電話です。」「要件は?」「分からないですが、生徒指導の先生いてるかって言って怒ってはります。」

こんな形で渡される電話ほど戸惑うものはない。電話を受け取るまでの数秒の間にこの電話は未解決のP事件についての苦情か、学校が把握していない新たな事件についての連絡か、それとも先日蹴散らしたばかりのQ公園でまたまた生徒たちが騒いでいるのか、はたまた先月万引き事件で謝罪したばかりのR商店でまたもや万引き事件が発生したのか、それら事件の性質の差によって微妙に異なる対応の仕方について思いを巡らせながら手を伸ばすのである。

この時、電話応対をした同僚が「先生、Q公園の件について地域の方からのお電話です。」と伝えながら電話を繋いでくれれば、どれだけ嬉しいだろうか。「生徒指導担当者をお呼びしますが、どのようなご要件でしょうか。」同僚のこの一言が、共に生徒指導を担おうとする者の心意気として胸に沁みるのである。

非常ベルへの対応

2011年05月20日 | 生活指導
《位置づけ》
1.非常ベルが鳴るということは、「誰かが命にかかわる非常事態が起きた、または起きようとしていることを連絡しようとしている」という認識を職員および生徒全員が持つ
※非常事態=火災・事故・事件・または生徒職員が何らかの助けを求めている場合が考えられる
2.非常ベルが鳴れば、どんな場合も臨機応変の対応が職員および生徒全員がとれるようにする
3.以上を踏まえ非常ベルへのイタズラを無くすとともに、互いの安全と命を尊重する姿勢を養う

《対応マニュアル》
01 非常ベルが鳴る
02 職員室で非常ベルの鳴った場所を確認する
03 a放送指示する職員(全体指揮)を決め緊急放送を行なう
   「全校生徒の皆さんに連絡します。ただいま○館○階○前の警報が作動しました。生徒の皆さんは静かに放送の指示を待って下さい。非常ベルを押した者はすぐに職員室に連絡して下さい。」(2回繰り返す)
    全体指揮は放送終了から時間を計測し2分間待つ(2分は職員室から一番遠い教室から走らず急ぎ足で職員室に来る時間の1分40秒を上回る)
  bその他の職員は携帯電話を持ち現場に駆けつけ①非常事態が生じているのか②非常ベルを鳴らした者を確認し押した理由を確認する③非常ベルを押した者が分からない場合は周囲の者から状況を把握する
  c間違い・あるいは明らかな機械の誤報が把握できた場合→その内容を全体指揮に連絡する
  d非常事態が把握された場合→全体指揮に連絡
   把握できなかった場合→全体指揮に連絡
      └何らかの異常事態が起きていると想定する
04 全体指揮による緊急放送
  c「ただいまの非常ベルは間違いでした。生徒のみなさんは次の(授業・終礼など)の用意をして下さい」
  d「ただいまから避難します。先生方は各ポイントに立ち生徒の避難を誘導して下さい。全校生徒の皆さんは、先生の指示のもとに運動場に避難して下さい」
05 避難開始 全体指揮は時間を計測する
06 避難終了
   生徒指導部から講評
07 避難に要した時間については時間を繰り下げて授業を実施する

《準備》
1.放送マニュアルはマイクの前に貼り付け、誰でも放送できるようにする
2.避難訓練の際にこの方針を生徒に連絡する

卒業式へ向けた服装指導について

2010年03月28日 | 生活指導
卒業式の練習に向け、私は君たちに髪型、服装(私が勤務する中学校には標準服が無く全員が私服登校している)、着席の姿勢について細かな指示を行った。そのことに対し、君たちの中から「なんで、卒業式やからといって外面にこだわるんや。来賓が来ることを気にしてる。」という声が上がった。その声に対して担任としての私の考えを伝えたい。

《内面を重視した卒業式とは》
「外面より内面が大事」という意見に反対する人はいないだろう。私も内面が大事にされる卒業式でありたいと考え、そのことにこだわりながら教員という仕事を行ってきた。それでは内面が重視される卒業式とは、どのような卒業式だろうか。それは今日、卒業式の予行が終わろうとするときに、君たちに訴えてくれた3人の仲間の意見に表されていると思う。3人はそれぞれの言葉で自分がどんな想いで卒業式に臨み、卒業の言葉を語るのかを話してくれた。特にO君が自分の3年間を振り返り、反省も込めながら良い卒業式にしようと語ってくれたことに、誰もが深い感銘を受けたのではないだろうか。

卒業式とは、本来、自分たちの3年間を振り返り、新しい生活に向けた不安と決意を共有しながら、次の一歩を踏み出す勇気を分かち合う場であると私は考えている。「内面を重視する」ということは、「外面をエエ加減にしても良い」ということでなく、O君のようにみんなの前で、自分の弱さも含めて率直に語れる勇気を持つということだ。君たちは今日初めて、うわべの付き合いでは分からなかったO君の一面を知ることができたのではないか。

《内面をさらけ出す仲間に応えるとは》
本来はO君だけでなく、みんなが卒業の言葉を語ることが相応しいと私は思う。しかし、321人の3年生全員が卒業式で自分を語ることができないならば、君たちは最高の形でO君たちの言葉を受け止めなければならない。321人の想いを込め、明日5人の仲間が卒業生の言葉を語る。それをしっかりと受け止め、心を通わせていることを示すにふさわしい髪型、服装、姿勢があるはずだ。言葉として表せないなら、最高の外見で参加することが5人の勇気に応える唯一の方法だと思う。


深夜無断外出の結末②

2009年11月09日 | 生活指導
後に行動を共にしていた生徒たちから事情を聞くことになり、次のような概略が分かった。

「兄貴のバイクを乗らないか?公園に集合!」

バイクという魅力的な言葉に誘われ、深夜の公園に集まったのは12時近くだった。公園に着くと、バイクが3台用意されていた。交代で乗っているところを警らの警察官に発見され、バイクに乗っていたメンバーは、そのまま逃亡を図った。

パトカーに追いかけられ、信号の鳴る踏み切りに突入したバイクは、2台目まではうまく渡り終えることができた。しかし3台目の彼だけは、降りてきた遮断機と接触して転倒し、電車に轢かれたのだった。

学校に戻り、兄に弟の事故を告げると、その場で彼は倒れてしまった。今になって、この時の配慮の無さを悔やむ。

告別式の日。母親は体調を崩し、親族に抱きかかえられながら式に参加していた。出棺の時に、公園に集まっていた友人たちは、家族と共に棺を担いだ。この肩の重みを一生忘れないで欲しいと願った。


深夜無断外出の結末①

2009年10月06日 | 生活指導
 深夜に家を抜け出し外出をしていたという事実が分かりました。ある者は、こっそり家を抜け出し、ある者は親の制止を振り切って。ちょっとした冒険心から、つかの間の開放感を味わおうと思っていた、友だちに誘われて仕方なくなど、その動機は様々ですが、結果として2時過ぎから明け方の5時過ぎまで、数名の中学生が家を空けていました。

 無断外出に参加した生徒たちのそもそもの目的は、心霊スポットの探検ということで、犯罪を犯そうと思ったわけではないとのことです。しかし夜間の無断外出に関しては、私にはとても辛い思い出があります。

 私の回想

 私がY警察署の電話を受けたのは、朝の9時。事務室にホッチキスの針をもらいに行った時だった。「○○という名前の生徒が、欠席者の中にいるかどうか教えてくれますか。」という内容だった。すぐに調査し折り返し電話を掛けると伝え、警察署の連絡先を確認した。各学年の欠席者を調べると、2年生に該当する生徒の欠席があった。「体調が悪く休む」という欠席連絡が朝に保護者からあったと言う。その報告に私は安心し、Y警察に電話を入れた。

 Y警察の対応は予想とは違った。「欠席している生徒が自宅にいるか、確認して欲しい。」「実は今朝未明にバイク事故があり、少年が亡くなっています。身元不明ですが、下着に○○という苗字が書かれていました。それで管内の中学校から順に欠席者を調べてもらっているのですが、該当者がいなかったので周辺の中学校にも、依頼しています。」

 私はすぐに○○の家に電話を入れた。保護者は仕事に出かけたのか、誰も電話に出ない。それで一つ違いの中3の兄を授業中に呼び出し、事情を聞くことにした。

 「実は・・・朝起きたら居なかった。」

 Y警察に連絡を入れた。すぐ身元確認に来て欲しいという。念のため、春に撮影したクラス写真の顔を、よく確認してから向かった。

 死体安置所に横たわる少年は、たしかに○○だった。

 
 

事後談 教師が怒って授業をやめた?

2009年09月25日 | 生活指導
 5月16日PTA総会後の学年懇談会の場で、保護者の方から「授業中に携帯電話の音がうるさくて、教師がキレて教室から出て行った。どうなっているのか。」という質問がありました。

 生徒指導担当の私が聞いたことのない事件なので、後で詳しく調べ回答するとお答えしました。懇談後に質問者に詳しい事情を尋ねると、「携帯電話かどうかわからないが、生徒がうるさくて先生が出て行ったらしい。」という話に変わりました。どちらにせよ、教員が授業を中断するような事態は大変な状況なので、懇談会の後に職員会議を持ち、調査しました。しかし指摘されたような状況は確認されませんでした。また指摘のあったクラスの生徒も「先生が教室を出たというようなことは起きてない。」と報告に来ました。

 振り返れば私が中学生の頃、授業中にふざけていたため先生が授業を中断し、職員室に戻ってしまうということがありました。そんなときは生徒たちで話し合いをし、先生を迎え行く代表団を職員室に送り、みんなで謝ったものです。生徒たちだけで話し合い、反省ができた時代には、こんなやり方も通用したし、保護者の理解も得ることができたのかもしれません。

 しかし今の中学校で、このような指導は成り立ちません。生徒が自分たちだけで反省することなど望めないことを知っているので、教員は教室から立ち去りはしないのです。
(2000年5月29日生徒指導部『千里馬121号』より)
 
 

覚醒剤中毒に苦しんだ父親

2009年08月20日 | 生活指導
「テレビが監視してる!」S男の父親は、急に叫びだした。シンナー吸引を止めることができないS男の今後について話し合っていたときのことである。「今はテレビのスイッチが入っていないし、それにテレビはこちら側から見えても、向こうからは見えませんよ。」と説明しても、その後も「頭の毛穴から虫が這い出てきた。先生、捕って下さい。」「電波が命令する。」「秘密の暗殺団が自分の命を狙っている。」「街を歩いている人が、みんな自分のことを監視している。」と不安を口にした。

S男の父親は覚醒剤中毒に陥り、幻覚と幻聴に悩まされた結果、自宅に火を放ち逮捕されたという過去を持っている。「今はキッパリと足を洗った。」とは言うものの、混乱した状態が、過去の覚醒剤中毒が原因の『フラッシュバック』から来るものなのか、それとも現在も薬を止められないでいるために起きるものなのか、私には分からなかった。しかし饒舌に話し出したと思うと、急に怯えた様子になるというパターンが常だった。

数年後、S男はビルから飛び降りて亡くなった。棺に入ったS男に手を合わせながら、シンナー中毒の少年は覚醒剤に手を出しやすいという生徒指導研修会で聞いた話を思い出した。

ふざけあいが喧嘩に変わる瞬間

2009年07月11日 | 生活指導
 奈良県で高校生の同級生殺人事件が起きた。同じ中学校から進学した二人は、高校2年生までは仲の良い友人だったという。2年の秋に二人の間に亀裂が起こり、喧嘩になったという。その後は無視し合う関係となり、今回の事件に発展した。

 頭から喧嘩を否定しようとは思わない。人間としての尊厳が踏みにじられ、感情を爆発させることもあるだろう。しかし喧嘩に意味があるとすれば、許しあい、関係を修復させる努力をお互いがしたときだろう。喧嘩をし、許し合い、仲直りをすることで、人は人との付き合い方を学ぶのである。修復ができない喧嘩は、お互いの存在を抹殺する。それを心の中だけで行えば、『無視』『差別』となり、実際に行えば『殺人』になる。

 クラスの中でも喧嘩が起きた。担任は以前から①些細な『からかい合い』を楽しむ、②お互いの持ち物を隠し合う、③追いかけ合いをして汗まみれになっている、という現象を取り上げて、「ええかげんにしろ」と注意を行ってきた。『からかい合う』言葉も、あまりにも幼稚で(時には好きな女の子の名前を連発するような)、学級新聞に載せることも恥ずかしくなる内容である。しかし仔犬のように「キャッキャ」とふざけているのが、どこかで本気のスイッチが入って喧嘩になるのだ。

 これは喧嘩をした当事者だけの問題ではない。中学三年生にもなれば、尊敬できる友人を見つけ、仲間の生き方から学ぶことができなくてはいけない。教室で机を並べている友人の『素敵な一面』を見い出すことができなくては、同じクラスになった意味がない。ふざけあう時があっても良いだろう。しかし、「ふざけあいしかない」関係になってはいけない。

 一学期もあとわずか。周りの仲間から学ぶという視点を忘れないで欲しい。

ガラスドアーの事故…女子生徒の足がガラスに突き刺さった

2009年02月06日 | 生活指導
中学校での話です。ガラスドアーを勢いよく開けようとし、ガラスを割るという事故が2件続きました。ガラスドアーの取手部分を押せば何事もないのですが、ガラス部分を押すと思わぬ重大事故に遭うことがあります。今回は幸いにして怪我にはなりませんでしたが、20年前に市内で起きた重大な事故を紹介し、皆さんの注意を呼びかけます。

その事故は、ある中学校の女子生徒の身に起こりました。皆さんも両手が荷物でふさがっている時に、足でドアーを開けようとした経験があるかもしれません。その女子生徒も、網(あみ)ガラスを足で開けようとしたのです。ところがドアーは開かず、網ガラスは割れてしまいました。ひょっとしたら、ガラスに小さな傷や目に見えないひびがあったのかもしれません。原因は分かりませんが割れたのです。

網ガラスは普通のガラスと違い飛び散りません。そのため金網と割れたガラスが数十センチにわたって女子中学生の足を切り刻みました。連絡を受けた先生たちが血まみれになった足を抜こうとしても、金網とガラスが肉に食い込んで、引き抜くことができなかったのです。そうしている間にも、どんどんと血が流れ出します。先生たちの手では救出不可能と判断し、消防署のレスキュー隊を呼び、網ガラスを壊しながら女子生徒の足を引き抜いたのです。その数十分の間、血まみれの足は網ガラスに突き刺さったままでした。出血多量で命を失う危険もあったのです。女子生徒の足からガラス片を取り除き、傷口を縫い合わす手術が行われました。しかし36針も縫った足の傷跡は、決して消えることはなかったのです。

ちょっとした油断や不注意が思わぬ事故や怪我につながるのです。決してガラス部分を押してドアーを開けないようにしましょう。

卒業生からの手紙

2008年08月17日 | 生活指導
先生お元気ですか。僕は元気です。僕は、今、あるバイトをやめて鳶職をやっています。まだ一人前ではなく、半人前で材料の名前を覚えるのに一苦労です。でも汗をかきながら外で仕事をするのもいいものです。先生には中学校時代の先生の中で一番迷惑をかけました。今年は会いにいけなくて本当にすみませんでした。僕が学校に行かない日、先生は僕を家までわざわざ起こしに来てくれました。今は仕事で朝起きるのが5時から6時の間なので、朝起こしてくれる人がいません。そう思ったときに、時々ポストの向こうから先生が呼びに来てくれたことを思い出します。2年生から3年生の間は、僕の担任の先生みたいでした。感謝しています。生徒指導という担当は、生徒には嫌われるのでとても疲れると思いますが、身体に気をつけて下さい。また手紙を書きます。
        200×年  10月×日

子どもからの手紙

2008年08月16日 | 生活指導
先生へ
 面会に来てくれてありがとう。けっこううれしかったで。ここ出たら毎日学校に行くから、よろしくね。まあ出れるかわからんけど。審判が近づくと、すごく不安でこわくなってきます。審判の時、来てくれんねんやろ?来てな。先生には、いっぱいめいわくかけたし、悪いことしたとすごく思ってます。ぼくは、○○とかみたいに、こりづに悪いことするこんじょうないし、そんなことしてみんなをうらぎるような事はできないから、本当にまじめにがんばるから、先生もてつだってな。今までさんざんもんくばっかり言うてたのに、いきなりてつだってとか、つごうよすぎるけど、おねがいします。先生にはしゃべりたいことがいーぱいあるので、できたらまた面会にきてほしいです。審判で少年院行かなくてすんだら、先生いっしょに帰ろね。校外学習とかも行きたいよ。本当にこうかいしてるから。もうこうかいしたくないし、おかあさんに迷惑かけたくないしな。めっちゃ学校行きたいよ。学校行きたいと思っても行けないと、ほんまかなしいよ。今が一番不安な時なので、できれば手紙ください。ほんま学校行きたくて行きたくて、しかたないです。学校のこと、めっちゃ気になるから、おねがいやから、また面会来てください。みんななにしてるかなーと思うとさみしくなるから、できるだけかんがえないようにしてんねんけど、やっぱし考えちゃうねん。ほんま、ほんま、さみしいです。めっちゃ、めっちゃ、学校行きたいです。みんなみたいにふつうに勉強したいです。なんでふつうにべんきょうしたり、みんなとあそんだりできなくなったのかは、ぜんぶ自分が悪いのはわかってるねんけど、やっぱしふつうに勉強したいです。そのためにも今頑張ってます。じゃあまた手紙か面会にくるかしてください。
                           200×年 5月×日

小学校生徒指導体制を考える②

2008年06月25日 | 生活指導
≪2.単年度制の検証≫ 
単年度制という言葉を知っている中学校教員は、多くないと思います。私は聞いてはいましたが、単に一年毎にクラス替えをするだけのものと思っていました。しかし小学校の単年度制は、担任の総入れ替えを意味しています。かつては二年間持ち上がりが原則でしたが、今では三年生担任が四年生を持つ、五年生担任が六年生を持つというケースは、少なくなっています。

 市内小学校で単年度制が検討されだしたのは、90年代半ばではなかったでしょうか。70~80年代に中学校現場で吹き荒れた校内暴力に対し、比較的穏やかであった小学校が様変わりを始めました。その中で「学級崩壊」「小一プロブレム」という言葉が小学校で生まれました。小学校の授業が成立しなくなるという事態は一過性のものでなくなり、一人の担任が二年間クラスを担当することがもたなくなるという危機が訪れます。それへの対策が単年度制であったと思います。
 
 しかしクラス替えはともかく、担任を総入れ替えする積極的な意味が私には分かりません。一年限りという関係が子どもや保護者との信頼関係を築き上げる事を困難にしているように見えるのです。

 中学校が三年サイクルを崩していないのは、進路や生徒指導を考えた場合、信頼関係を造り上げるのには時間が必要だからです。もし中学校で単年度制を実施するとどうなるか。間違いなく生徒や保護者との関係は崩れ、市内全中学校が大きく荒れる事は、中学校教員には容易に想像できます。

 様々な要因で担任の学級指導が困難になっているなら、学校組織として保護者や子どもの声に向き合っていく必要があるのではないでしょうか。単年度制によってゴールを二年先から一年先に縮めても担任を支え合う体制を造り上げなければ小学校担任の抱える悩みは解決されないのです。

小学校生徒指導体制を考える①

2008年06月24日 | 生活指導
≪はじめに≫
 小・中学校は戦後60年の間、独自の文化を作り上げてきました。この二つの文化は、同じ義務教育の9年間を引き受けながらも、これまで交わることがありませんでした。市町村単位の研究会や職員団体を共に構成しつつも、お互いの仕事内容についてはほとんど知らないままであり、私が小学校に赴任したときは職種が違う程のカルチャーショックを受けたのです。

しかし東京を中心に学校選択自由化の波が押し寄せ、地域と学校の関係が厳しくなりつつある現在、お互いの文化を学びあう中で『学校力』を伸ばしていく必要があると考えます。私は中学校教員の目から感じた小学校の生徒指導(生活指導)体制の問題を提起することにより、お互いの違いから学びあう取り組みの一歩としたいと考えます。

 検討が必要と考える項目は次の7点です。

第1は、6年間の指導の継続性
第2は、単年度制のプラスとマイナス面の検証
第3は、高学年を中心とした教科担任制導入の検討
第4は、各クラスの事例を学び合える校内指導体制のあり方
第5は、家庭訪問の実施の是非
第6は、子ども同士のトラブルに対する謝罪の持ち方
第7は、中学校を含む関係機関との連携のとり方

 これら7点は、中学校の生徒指導体制と比べ違いを感じたものです。以下、これら7点について考えていきたいと思います。

≪1.6年間の指導の継続性≫
 中学校で一年生の担任をするということは、卒業するまでその学年と共に過ごすということです。資料の中に私のこれまでの学年所属を書いていますが、学級担任も、生徒指導主事も、障害児学級担任も、基本はこのように3年サイクルで動いているのが分ると思います。

 資料 私の学年所属
 ●○中…1副・2担・3担・3副・1担・2担・3担・2副・生指・生指・生指・2担・3担・進路・進路・進路
 ○●中…2担・3担・生指・生指・生指・生指・1担・障担・障担・障担・小中・小中・小中・小中

 小学校では1年の時の担任が卒業までかかわり続けるということは、まずないということを小学校に勤務して知りました。私は小中9年間の連携を考える前に、小学校の中で、6年間の子どもの育ちが、どのように引き継がれているのだろうかと考えるのです。

 「どんな子どもに育て小学校を卒業させるかというような長期的なことを考える余裕は自分にはない。それよりこの一年を無事に過ごし次の担任に引き継ぐことしか考えられていない。」ある小学校教員から、こんな話を聞きました。何事に対しても非常に誠実に取り組んでおられる先生の言葉であるだけに衝撃を受けました。

 確かに中学校3年と比べ小学校の6年は、職員の平均的な勤務年数(ほぼ8年から9年で異動)と比べれば、長いです。1年で担任を持った子どもが小学校を卒業する日を見ることなく転勤する場合も多くあるとも聞きました。管理職も4~5年で転勤していきます。一方中学校では、教え子が教育実習生として学校に戻ってくるのを迎えることもあります。小・中のこの違いは、教員が子どもの育ちを考える際のスパンの違いに結びつくことになるのではないかと考えます。

 個人で6年間の育ちを引き継ぐのが困難ならば、学校体制として6年間に責任を持ち、子どもの成長を引き継いでいくことが大切だと思うのです。単年度制の検証や教科担任制導入について、私は「6年間の指導を視野に入れる」ことを意識して提起しています。(つづく)