犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

この2ヶ月を振り返って (7)

2011-05-28 23:22:05 | 国家・政治・刑罰
((6)から続きます。)

 
 避難所の人々の様子について、法律相談から戻ってきた弁護士・司法書士からの報告を聞き、私は反射的に2つの言い回しを思い浮かべました。1つは「社会あるところ法あり」です。もう1つは、「北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い」です。避難所での無数のトラブル、怒号、罵声はマスコミであまり報道されず、現地のやり場のないストレスの形すら部外者には想像を及ぼすことが困難です。そして、避難所では人々が助け合って仲良く過ごしているという状況があろうとなかろうと、自主的なルールが確立されていようといまいと、初対面の法律家による解決策の提案は求められていないとの印象を受けました。

 現地で受けた法律相談の1つに、支援物資として送られてくる衣類の中にはゴミにしかならない古着が少なからずあり、しかも洗濯していないものまであるという相談がありました。また、支援物資の段ボールは山積みになって場所を取っており、正直なところ迷惑であるとの話もありました。また、学校側からは体育館を本来の用途に戻したいとの要請があり、お互いに苛立って口論となり、殺気立っているといった相談もありました。これらの問題は法律的に答えようがなく、六法全書に従った解答ができません。このような相談は、被災地ではない通常の業務であれば、利益に結びつかないいわゆる「ハズレの相談」と呼ばれます。

 被災地から戻ってきたある弁護士は、がれきの下には巨大な利権が埋まっており、法律家の出番は今ではないと語っていました。津波によって街ごと消滅した地域の復興は、かつてない規模で大々的に行われるものであり、ここには巨大な利権がついて回ります。30兆円規模であるという試算も耳にしました。政治家や企業だけでなく、法律家にとっても登記、登録、許認可の仕事が山ほど生じることが目に見えており、手ぐすねを引きつつ「1日も早い復興をお祈りします」との希望が語られている状態です。現実問題として、法律家が活躍できる本来の仕事はこちらであると言われれば、否定しようがないものと思います。

 弁護士にはそれぞれ得意分野があり、「被災地の労働者」「被災地の高齢者」「被災地の障害者」といった形で貢献しようとした人達もいましたが、なかなか予定通りには進まなかったようです。例えば、全国から寄せられた求人情報を手に失業者の生活再建を支援しようとしても、被災者の多くは地元から離れられず、役に立てない例が多かったと聞きました。また、避難所でのプライバシーの問題は、いわゆる「ご近所トラブル」の手法では太刀打ちできず、かと言って憲法の人権論からの演繹では使い物にならず、相談者の役に立てなかったとも聞きました。結局、震災から時間が経つにつれて、弁護士会・司法書士会の活動として目立ってきたのは、「○○に対して適切な対策を求める声明」の発表ばかりであったように思います。


((8)へ続きます。)

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