犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ある日の刑事弁護人の日記 その79

2013-11-15 22:03:54 | 国家・政治・刑罰

 判決は相場通りであった。禁錮2年の求刑に対し、禁錮2年執行猶予3年である。判決言渡しの緊張の一瞬、裁判というものはルールに従った勝敗のゲームであることを思い知らされる。宣告直前の裁判官の脳内に結論があるならば、既にこの社会内に客観的に結果は存在している。ある人間が別の人間の一言一句に全神経を集中させるべきことは、個々の法律の条文よりも遥かに強力な約束事だと思う。

 執行猶予だと言われた瞬間、依頼者は直立不動の姿勢で何を思ったのか。許された。背負ってしまった。これが罰なのか。償いなのか。保険会社の交渉はどうなるのか。もう忘れたい過去だ。覚えている人には忘れてほしい。知らない人にはずっと知られたくない。事故の場所は通りたくない。忘れられない。忘れるわけがない。これが宿命なのか。検察は控訴するのか。楽になりたい。事故の前に戻りたい……。

 国選弁護人であれば、執行猶予判決の直後から被告人と一度も顔を会わせないことが通例である。しかし、私選弁護人の責務はより重い。人の生命を奪い、法治国家の手続きに従って裁かれ、しかるべき刑罰を受ける地位を依頼者が背負ったその日、弁護人としてはまずどのような言葉を語るべきか。私選弁護人として依頼者と被害者の人生を考え、執行猶予判決の直後になすべき最重要のことは何だろうか。

 私は、以前の事務所で初めて自動車運転過失致死罪の私選弁護の職務を任されたとき、このような問いをそれとなく所長(ボス弁)に向けた。私の質問が終わる前に、特大の雷が落ちた。判決直後の最重要の仕事は、請求書を渡すことに決まっている。そして、何よりも実刑を免れた安堵感が新鮮なうちに、「先生のお陰で執行猶予になりました。お礼はいくらでもします」と依頼者の口から言わせなければならない。

(フィクションです。続きます。)

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