犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

衆院選投票率 戦後最低の記録更新 (2)

2012-12-22 00:16:22 | 国家・政治・刑罰

(1)から続きます。

 生身の人間が自分の力で対処できるのは、せいぜい半径数メートルの範囲ではないかと思います。一人ひとりの人生の問題は、その人の固有の問題であるがゆえに本人にも解決不能であり、ましてや他人には解決不能です。このような人間が、一気に社会や国家まで思考を広げるならば、物事は高度に抽象化し、複雑化して巨大になり、細部の考慮はいい加減にならざるを得ないと思います。他方で、その抽象化した論理や仕組みは、生身の人間の脳内で構築されるしかないものです。社会問題を解決するための貴重な1票と、一人ひとりの人生の難問とのつながりは、このようなものだと思います。

 選挙で誰に投票すべきか、どの党に投票すべきなのか、国民があらゆる争点に対して真剣に考えて投票所に向かうことが、民主主義社会の制度設計の前提です。特に政党が乱立し、争点が多岐に亘るような場合には、単純に争点ごとの賛成・反対ではなく、その争点が真に争点なのか、かなり面倒な思考を強いられるものと思います。そして、このような思考に頭を悩ませることができる者は、贅沢な悩みに浸かっている状態だと思います。人は、経済的に追い詰められ、精神的に限界に達し、生きるだけでも精一杯な状況においては、このような形で悩むことができないからです。

 国レベルでの選挙において、有権者が候補者に望むことは、「その国の人々の生活を守ってほしい」「そのためには、その国の国力を上げてほしい」という程度で十分だと思います。乱立する政党が争点を喧伝し、興味のない者に興味を持たせようとしても、聞かされる側には不快なだけだからです。過去最低の投票率を前にして、棄権や白票の中に民主主義社会における国民の責務の放棄を読み取っている限り、抽象的な社会問題と個々人の人生の問題は離れるばかりだろうと思います。今も昔も変わらないのは、天下の代議士になって地位と名誉と収入と権力を一挙に手に入れたいという候補者の欲望だけだと感じます。

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