犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

国民の常識と刑法学の常識

2007-02-07 21:19:25 | 国家・政治・刑罰
平成13年、刑法が改正されて危険運転致死傷罪が新設された。それまでの業務上過失致死罪の最高刑は懲役5年であったが、飲酒運転を初めとする危険な運転行為による死亡事故については、最高刑が懲役15年まで引き上げられた。さらに平成17年には懲役20年まで引き上げられている。

危険運転致死傷罪の新設は、それまでの刑があまりに軽すぎるという国民の「常識」に基づくものである。人を死なせてはならないことはもとより、その危険を生じさせる飲酒運転をしてはならない。そして、もし罪を犯してしまったならば心から反省し、謝罪し、罪を償わなければならない。危険運転致死傷罪の新設は、国民がこのような常識判断を行ったことを示している。

しかしながら、法改正の実現はあまりにも遅かった。飲酒運転による死亡事故を起こした被告人は、長きにわたって、たった5年以下の懲役で済まされていた。このような法改正の遅れの背景には、国民の「常識」と刑法学における正反対の「常識」との間の根深い対立がある。刑法学における常識とは、刑罰が濫用されてはならないという「刑法の謙抑性の原則」である。この刑法の謙抑性は、究極的には近代刑法の大原則とされる「罪刑法定主義」の思想に基づく。

このような二つの相反する「常識」が存在すること、これが犯罪被害者の置かれている立場を考える際の最初の関門である。犯罪被害者保護のあり方を考えるとき、現代社会における国民の「常識」と近代刑法に基づく刑事法学の「常識」、この矛盾を直視することを避けては通れない。

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