犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ある日の刑事弁護人の日記 その57

2013-10-13 23:48:40 | 国家・政治・刑罰

 もう1本の電話は、自転車に乗っていて車と衝突した被害者の依頼者からである。幸いにも怪我は軽症であり、後遺症もなかった。ただ、彼はもともと友人知人からかなりの借金をしており、「賠償金が入るからすぐに借金が返せる」との約束をしてしまっていたため、イライラして事務所に催促の電話ばかりかけてきていた。私が「物事はあなたの都合だけでは進みません」と説明しても、焦っている依頼者には全く通じない。

 事故の加害者が加入している保険会社の担当者は、入社したばかりの新人社員であった。保険のシステムは複雑であり、多数の組織への照会や書類の取り寄せが煩雑であり、1つのことがなかなか進まないところがある。過失割合や休業損害の計算も簡単ではない。保険会社からの回答があまりに遅いため、私が定期的に催促の電話を入れるたびに、担当者は明らかに声が小さくなり、狼狽するようになっていた。

 ある時の保険会社へ電話のことである。担当者の上司が電話中の担当者を怒鳴りつけ、電話が中断され、そのことでまた上司が激怒して暴言を吐く。私はその一部始終を聞いてしまった。担当者は泣きそうな声で、「まだ処理が終わっていません」と私に謝る。山のように溜まった仕事と、クラッシャー上司の罵倒とが、電話口からも手に取るようにわかる。この担当者に対し、事故被害者への想像力を求めるのは無理だと思った。

 つい先日、この保険会社の別の社員から電話があった。前任者が長期欠勤となったため、担当が替わり、回答がまた遅れるというお詫びである。私は苛立ちしか感じなかった。そして私は、この件の依頼者からの催促の電話に対し、状況を報告するや否や、「保険会社の担当者なんて私には関係ありませんから」と激怒される。こんな事務所のホームページには、「労働問題を解決し、事故の被害者を救済します」と書いてある。

(フィクションです。続きます。)

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