犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ある日の刑事弁護人の日記 その46

2013-09-21 22:46:56 | 国家・政治・刑罰

 ふと、私が以前に勤めていた法律事務所での出来事の記憶が頭をよぎる。数年前、その事務所全体で、ある自動車運転過失致死罪の被告人の刑事弁護を引き受けていたことがあった。その時には、被害者の母親から事務所宛てに、心情を綴った手紙が送られて来ていた。今回の手紙と同じように、振り絞る気力もない文字によって、作法もマナーもない体裁で記されていたものである。

 その母親の手紙には、加害者に対して希望する損害賠償の内容について、以下のようなことが書かれていた。「この事故によって生じた損害は、『息子の不在』以外ではない。そして、この損害は金銭に換算することなどできず、よって損害額は『無限』であり、従って損害額は『加害者の全ての財産』である。ゆえに、加害者は全財産をもって賠償しなければならない」。

 私の目には、消え入りそうな文字の行間の論理が飛び込んできた。被害者の母親が書いているのは、次のようなことである。「もし私が加害者の立場だったら、迷わず全財産による賠償を申し出ている。これは義務ではなく、自由意思による倫理の従うところだ。なぜなら、いかに論理は『無限』であっても、この世の財産は有限であり、その上限は『全財産』となるからである」。

 ところが、ボス弁(所長の弁護士)は手紙の文面に激怒していた。まさに怒髪天を衝く剣幕であった。「全財産を出せなど、この女はどこまで欲の皮が張っているのか?」。「いくら遺族と言えども、非常識な要求までが許されるわけではない」。どうやら、交渉の余地のない「無限」という単語を突き付けられ、ボス弁は喧嘩を売られたと感じ、いたくプライドが傷ついたようであった。

(フィクションです。続きます。)

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