犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

裁判員制度の標語が白々しい理由

2008-11-03 18:21:38 | 国家・政治・刑罰
民主主義社会において、法律は国民によって作られるものである。本来、法律は国民の多数決の代表たる国会議員によって作られるというだけではなく、国民の規範意識・遵法精神によって支えられていなければならない。ところが、現代の日本において、この規範の感覚は見事に壊れている。民主主義のルールとしては、守りたくない法律があるならば、国民は勝手に法律を破るのではなく、選挙と国会議員を通じて廃止・改正を訴えなければならない。社会の実態に合わなくなった法律は、国民によっていつでも廃止・改正できるというのが民主主義の原則だからである。しかしながら、現在の日本社会においては、国民は法律の制定・改廃の当事者であるという感覚が非常に持ちにくくなっている。複雑化したシステムの中では、主権者として法律に関わっているという認識を持つことが難しいからである。裁判員制度は、このような現代の日本国民の上に、いきなりポンと投げられてしまった。現代人のほとんどは自らと法律との距離を測りかねているのに、あろうことか、その法律を犯した人を裁かなければならなくなってしまった。

社会とは、「私」が集まった「私達」「我々」の感覚によって成立する虚構である。この感覚によって、初めて自分と社会がつながることになる。ところが、複雑化・専門化が進んだ国家では、選挙によってこのつながりを確認することが難しい。国民が身近な問題として抱えている大多数のことは、ほとんどの場合、選挙で誰が当選しても変わらないからである。選挙のたびに「あなたの一票が社会を変える」と言われて、実際には何も変わらなかったという経験を繰り返せば、人間はいつの間にか民主主義の虚構性を学習してしまう。そして、投票率はいつも低迷し、法律はどこか別の世界で勝手に動いているといった感覚が通常のこととなる。国民の知らないところでいつの間にか「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」が可決・成立し、法務省や最高裁が裁判員制度のPRに躍起になっているのは、この皮肉な構造を示している。国民の規範意識・遵法精神の問題が置き去りにされている状況は、民主主義の原則からすれば、中心部分が空洞化している。他方で、裁判員制度の導入の賛否の議論のほうでは、実に民主主義的な光景が広がっている。

平成21年の5月から日本で裁判員制度が始まること、この事実はそれ自体で他の問題から浮き上がっている。すなわち、このタイミングで裁判員制度を始めることに時代的な必然性はない。ここ数年、凶悪犯罪の増加による治安の悪化への不安は、多くの国民の共通認識となっているが、裁判員制度はその認識とも結びついていない。万引きや恐喝などの少年犯罪、会社員や主婦にまで広がる薬物汚染、相変わらず減らない振り込め詐欺など、規範意識の低下に対する警戒感と脱力感は国民の共通認識となっているが、裁判員制度はその認識とも結びついていない。さらには、公務員の汚職、相次ぐ大企業の偽装などの不祥事が連日マスコミを賑わせているが、裁判員制度はこの点とも結びついていない。時代論の大好きな国民が、なぜか平成21年の5月に裁判員制度が始まることを処理できないでいる。これは、裁判員制度の対象事件が、殺人や放火などの重大犯罪に限定されていることに基づくものではない。現代人のほとんどは自らと法律との距離を測りかねているため、主権者として法律を犯した人を裁くことの意味が掴めていないことが原因である。

圧倒的多数の日本人にとって、法律はどこか別の世界で勝手に動いている。ゆえに、裁判員制度のPRの標語はどれも白々しい。「私の視点、私の感覚、私の言葉で参加します」。「国民と司法のかけはし 裁判員制度」。「裁判に 深まる理解 高まる信頼」。「活かしましょう あなたの良識 裁判に」。このような能書きは、民主主義の建前からすれば、わざわざ教えられるまでもないはずである。これを改めて文字にし、国民の理解を得るべくPRに走り回らざるを得ないということ自体が、法律が国民の規範意識・遵法精神によって支えられているという原則の崩壊を示している。景気の低迷、所得格差の拡大、非正規雇用労働者の増加、少子高齢化、介護保険、年金といった問題では自分のこととして熱くなる国民の多くが、裁判参加についてはどうしても熱くなれない。現代社会の構造からすれば、これは無理からぬことである。多くの国民は、自らが法律の制定・改廃の当事者であり、主権者として法律に関わっているなどとは思っていない。従って、その法律を犯した者を裁くモチベーションもない。このような変な状況の中で、上戸彩のポスターだけが目立っている。

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