犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

示談交渉の打ち合わせの光景  その2・弁護士の事情

2010-06-14 23:34:07 | 言語・論理・構造
 弁護士にとって何よりも困るのが、「お金の問題ではない」と言う依頼者である。弁護士という仕事は、すべての問題に無理矢理お金で片を付けて終わらせることしかできない。これは弁護士の力不足のせいではなく、金銭的な損害賠償しか認めない法律のせいである。
 「お金などいらない」と綺麗事を言っていても、心底ではお金が欲しいのだという依頼者は、まだ説得がしやすい。このような依頼者は、単に私怨を晴らすために弁護士を使っているからであり、札束を見ればやはり目尻が下がるからである。この種の依頼者に対しては、「お金などいらない」という言葉を信じて安い金額で和解し、後になって職務怠慢を責められることだけに注意を払っておけばよい。
 これに対して、本当にお金に価値を認めない依頼者は、弁護士としては本当に困ってしまう。請求すべき賠償額が決まらないのでは、交渉の相手方に対して条件が提示できず、相手方の弁護士にも迷惑がかかるからである。さらには、依頼者を説得できない代理人だとして嘲笑の対象となるからであり、ひいては訳のわからない主張をする事務所だと言われて信用が下がるからである。

 依頼者の女性は、打ち合わせの際に、まずは加害者側の謝罪文を読みたいと希望した。そして、謝罪の意志が込められていない示談金など断じて受け取りたくないと言った。 弁護士としては、この言葉をそのまま加害者側の弁護士に伝えるわけにはいかない。法律的に洗練されていない主張を、そのままの形で交渉の場に出してしまっては、プロとして恥ずかしいからである。
 弁護士としても、お金の額ではなく誠意が問題なのだという依頼者の気持ちは、人間としては当然わかる。しかし、物事には相場というものがある。この事件の示談金の相場は、過去の判例からすれば、300万円程度である。そうであれば、依頼者にはこの金額を受け取ってもらわないと、弁護士としては立場がない。
 もちろん、この依頼者の女性は、本来300万円の賠償金が取れるところを、弁護士が真剣に交渉しなかったために取り損なったと文句を言うことはない。問題はその先である。いかに依頼者がお金はいらないと望んだところで、この業界には、300万円の事件は300万円の事件らしく解決しなければならないという暗黙のルールがある。
 ここで、相場よりも明らかに安い額での示談に応じることは、相手方の弁護士の値切り交渉に簡単に屈したということであり、力不足で自分の側の依頼者を値切ったということである。この抗い難い構造は、実際は違うのだといかに説明したところで、壊すことができない。従って、依頼者にはどうしても300万円を受け取ってもらわなければならない。

 示談交渉とは、勝負事である。しかも、あくまでも代理戦争である以上、代理人に対して相互に礼儀を尽くさなければならない。代理人同士が真剣に喧嘩をするのは恥すべきことであり、喧嘩腰は依頼者への表面上のポーズである。
 もしも300万円の賠償が相場なのであれば、被害者側としては、最初は400万円程度の数字を吹っかけておくのが常識である。そうすれば、加害者側からも200万円程度しか払えないという主張が出てくる。こうなれば、話は単純である。先方の金額とこちらの金額の差を徐々にすり合わせて、折衷案でまとめればよい。
 ほとんどの事件では、賠償金を請求する依頼者の不満は、「賠償金が安い」という点に集約される。そして、このような依頼者の説得は簡単である。お金に価値を認めるという根本の部分において、お金を支払う側と一致しているからである。「お金が欲しい」という者は「お金を払いたくない」という者を理解し、「お金を払いたくない」という者は「お金が欲しい」という者を理解する。
 これに対して、「お金の問題ではない」という依頼者は、どうにも説得ができない。よって、その説得は、「お金の問題である」という方向に強引に引きずり込むものとなる。

 弁護士は、300万円の札束を彼女の前に置いた。彼女の顔の筋肉はピクリとも動かなかった。あからさまに汚い物を見るようでもなく、苦痛に歪むわけでもなく、全くの無表情であった。お金に価値を認めないというのは、まさにこのようなことである。そして、弁護士にドッと疲れが押し寄せるのはこのような瞬間である。
 彼女は、この世にはお金以外に誠意を表す方法はないのかと訊いた。弁護士は言葉に詰まり、その場の空気を和ませるため、「金はいらないから一発殴りたいという方もいらっしゃいますが、そういうのは違法ですね」と言って笑った。彼女の顔には明らかな軽蔑の色が浮かび、弁護士の笑い顔は引きつった。
 お金ではない、言葉だけが信用できるのだと彼女は言った。弁護士は、「300万円払います」という言葉がどうして信用できるのかと聞き返した。口先の約束など、いくらでも破られる。実印を押した念書であっても、踏み倒された上に自己破産されてしまえば、ただの紙切れに等しい。信用してよいのは、目の前の現金か預金通帳の数字だけである。言葉での誠意ほど信用できないものはない。言葉はタダである。
 彼女は笑いながら、「やはり、誠意はお金以外にないんですね」と言った。弁護士が安心したように頷くと、彼女は続けて言った。「この300万円に誠意が感じられない理由がよくわかりました」。


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フィクションです。

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